第147話:決勝戦の朝
8月22日の朝がやってきた。
今日はサッカーを愛する者にとって、特別な日。
4年に一度に開催されるスポーツの祭典オリンピック。
そのサッカーの最強を決める戦い……決勝戦が行われる日なのだ。
「うん、今日も朝ご飯が美味しいぞ!」
そんな決勝戦の朝、オレは選手村の朝食を満喫していた。
決勝戦が行われるのは、今日の夜7時から。
コンディションを整えるために、バランスよく朝ご飯を食べていたのだ。
いくら食べても無料な食べ放題だけど、今日ばかりは食べ過ぎないようにしないといけない。
「それに今朝は久しぶりに皆で食べるから、いつもよりも美味しく感じるね!」
オレが一緒に食べているのは、いつものメンバーだった。
チームメイトで同室のヒョウマ君。
ドイツから戻ってきたばかりのエレナと、兄のユリアンさん。
試合はないけど、オフ休暇として選手村に残ってレオナルドさん。
エレナが帰国したので、このメンツで一緒にいるは久しぶりな感じがする。
「そういえばエレナ、体調は大丈夫? ドイツでは大変だったんでしょ?」
隣で優雅にモーニングサンドを食べている、エレナを心配する。
話によると彼女は、ドイツでは大奮闘していたという。
なかなか連絡がとれない候補者の5人の研究者。
彼らに会うために、一晩中研究所の前の待っていた夜もあったという。
ここ数日間の平均の睡眠時間も、かなり少なく披露困憊であろう。
「大丈夫よ、コータ。昨夜はちゃんと睡眠をとったわ。それに普段のF.S.Vの仕事に比べたら、何ともないわ」
「なるほど。さすがはエレナだね!」
彼女は若干16歳にして、ドイツの大クラブF.S.Vの特別アドバイザーに就任していた。
その仕事は多岐に渡り、ハードスケジュールな毎日を過ごしているのだ。
「でも、コータ。ちょっとは大変だったから……あとで、少しでいいから褒めて欲しいかも」
「うん、分かった! ボクに出来ることなら、何でも言ってね、エレナ!」
数日前、エレナとは約束をしていた。
見事に特効薬を持ち帰ったら、彼女のお願いを聞いてあげると。
今回のエレナには、感謝しきれない恩がある。
どんな内容でも応えてあげるつもりだ。
「それにしても私がドイツに行っている間に、コータは連勝だったわね。日本がイタリアとドイツも破ったことは、ヨーロッパでも話題だったわよ」
コーヒーに口をつけながら、エレナは教えてくれた。
世界ランキングが低く、下馬評も悪かった日本代表は大躍進。強豪イタリアとドイツを破って決勝戦に進出。
そのことがドイツをはじめとして、ヨーロッパ各地のサッカー関係者中で話題になっていたという。
「特にイタリアの新聞では、どこかの変態さんを放出して、『ノーロ・コータをユベトスFCの新司令塔に獲得⁉』なんて、新聞記事も出ていたわ」
もちろんイタリアのマスコミの勝手な記事なのであろう。
だが、サッカー選手はそうして名前が上がるだけでも、認められた証拠の一つなのである。
エレナは嬉しそうにオレの評価を教えてくれた。
『あら、それは酷い扱いわね、じゃじゃ馬ちゃん?』
変態野郎さん呼ばわりされたレオナルドさんは、特に気にしている様子はなかった。
ユリアンさんを通して、この三人は昔からの知り合い。
気の通じた友人同士みたいなものなのであろう。
『それに子猫ちゃんがユベトスFCに来るなら、アタシはポジションを変えてもいいわよ? それならアタシと子猫ちゃん、子虎ちゃんの“黄金の美のトライアングル”が完成するからね♪』
レオナルドさんはマスコミの話に乗ってきた。
エスプレッソを飲みながら、上機嫌で新体制について語る。
『コータ君とサワムラ君、レオの三人か……なるほど、レオ。それは面白いアイデアだな。実現したらかつてないプレイが出来そうだな』
レオナルドさんの話に、隣のユリアンさんまでのってきた。
ユリアンさんはユベトスFCのジュニアで、プレイしていた経験もある。
オレのプレイスタイルが、イタリアでも通用すると褒めてくれる。
「ちょ、ちょっと、何を言っているの、ユリアンお兄様まで⁉ コータは日本での仕事が落ち着いたら、またF.S.Vに戻って来るのよ!」
まさかの実兄の裏切りに、エレナは大慌てとなる。
オレはあと数年、日本でサッカーをする予定。
JFLでくすぶっている地元のサッカークラブ。
それを消滅するフラグから救うこと……方法としては消滅フラグを消すために、J1へ昇格するまで、オレは日本を離れないのだ。
もしもJ1昇格が叶ったとしたら、その後のオレは自由の身。
エレナからはF.S.Vも戻ってくるように、毎回言われていた。
「たしかにエレナの想いは、兄として理解できる。だが、サッカー関係者として、コータ君の広い未来も考えてあげるべきだ。エレナも見たいだろう? コータ君が世界中のサッカーリーグで活躍する姿を?」
世界各地のサッカークラブの名を、ユリアンさんはあげていく。
そこでプレイしていく野呂コータ……その姿を思い浮かべながら。
「それは見たいわ……でも、ユリアンお兄様。あくまでも初年度はF.S.Vが、コータの優先交渉権を主張させていただきますわ! これは特別アドバイザーとして……一人の女として譲れませんの!」
エレナは鞄から、何やら書類を出してきた。
それはF.S.V時代にオレがサインした契約書。
どんなことが書いてあったかは、オレもすでに忘れていた。
でもエレナの言葉から、オレへの優先交渉を約束する契約書らしい。
『あら。それならユベトスFCは2番手以降の交渉権ね? とにかく明日から、サッカー関係も忙しくなりそうね♪』
レオナルドさんが悪戯な笑みを浮べながら、食後のデザートに口をつける。
サッカー世界では2年に一度、大きな選手の争奪戦が行われる。
一つはワールドカップサッカーが終わった直後。
もう一つはオリンピック直後。
この2つの大会で活躍した選手は、世界各国のビッグクラブからオファーが殺到するのであった。
『そういえば子猫ちゃんは、ちゃんとしたエージェントはいるの?』
レオナルドさんの聞いてきたエージェントは、“サッカー代理人”のことである。
サッカー選手はサッカーに関してはプロ。
だがお金や難しい契約の世界に関しては素人。
そこで有名な選手は移籍契約など、違いなどが起きないようにするために専門の代理人を雇うのだ。
彼ら代理人の仕事は、有名選手の契約交渉や移籍に関わる移籍金のこと。
またスポンサー契約に至るまでの、マネージメント的な存在なのだ。
そういった専門外の事を全てやってくれるので、選手は安心してサッカーだけに専念することが出来るのだ。
『えっ……ボクに代理人ですか……?』
聞かれたものの、答えようがない。
今のオレは普通の高校のサッカー部の所属。
代理人だなんて必要はなかったし、考えたこともなかったのだ。
「ちなみにヒョウマ君は?」
クールに朝食を食べていたヒョウマ君に、オレは尋ねる。
同い年なので参考として。
「オレ様はいるぞ。ヨーロッパリーグ強い専門家だ」
「そうだったの⁉ でも、ヒョウマ君クラスなら、代理人は必須だからね……」
友人のまさかの答えにビックリする。
同時に納得もする。
何しろヒョウマ君は若干17歳にして、セリエA名門のユベトスFCのトップデビューした逸材。
世界中のビッグクラブが注目していても、不思議はない。
今回のオリンピックでも活躍しているので、これから更にオファーを受けていくのが確実視である。
「ボクの代理人か……どうしよう……」
まだ高校生のオレに、海外クラブからオファーはないであろう。
だがサッカーの世界は何が起こるか分からない。
オリンピックフィーバー後、自分にもオファーが来る可能性はゼロではないのだ。
「ボクはどうしよう……」
オファーが来たら、正直なところ困ってしまう。
何しろオレは普通の高校サッカー部員。
Jリーガーたちのように最初に仲介するクラブ事務所や、マネージャーもいない。
高校の職員室に、外国語で問い合わせの電話がきたら、先生たちが困ってしまうであろう。
どうにかしなければいけない。
「その問題は大丈夫よ、コータ。あなたの仮の代理人は私だから」
「えっ、エレナがボクの代理人?」
「そうよ。F.S.Vを離れる前に、ちゃんと契約したでしょ?」
「そう言われてみば、そうだったような……」
F.S.Vの事務所で、エレナの用意した何枚かの契約書にサインした記憶がある。
たしか条件はオレに海外クラブからのオファーが来た時、エレナが代理人となること。
期間はオレが他の代理人と契約するまで。
そんな感じの内容だった。
『あら、それならじゃじゃ馬ちゃんが、子猫ちゃんの未来を握っているということ? いやらしいわね?』
『ち、違うわよ! ちゃんと、コータ本人の意思を尊重していく契約よ。もちろんコータの保護者の父親にも了承を得ているわ。あと、コータの学園の学園長にもね』
レオナルドさん悪戯っぽい質問に、エレナが慌てて答える。
ちゃんと野呂コータ本人の意思と自由を、尊重していると。
「そっか……エレナが今まで対応してくれていたんだね。ありがとうね、エレナ!」
サッカーの大人の世界に関しては、オレもまだまだ勉強不足。
そんな部分の陰から支えてくれていたエレナに、頭を下げて感謝する。
今までオレがサッカーに専念できていたのは、こうした陰ながらの人たちの働きのお蔭だったのだ。
「さて、時間。コータ、そろそろいくぞ」
「あっ、そうだね、ヒョウマ君。今宵は大事な試合があるからね。じゃあ、みなさん、また、明日の朝にでも!」
沢山おしゃべりしていたら、いつの間にか時間が経っていた。
だが、そろそろ気持ちを切り替えないといけない。
オレたち日本代表は今日の夜7時に決勝戦がある。
朝ご飯の後は、日本代表の皆と合流して、最後の軽い練習を行うのだ。
「それなら私も失礼させてもらうよ、コータ君。強敵ブラジルとの戦いがあるので」
「ユリアンさんもご武運を!」
ユリアンさんも真剣な表情となる。
今日は午後4時から3位決定戦も行わる。
対戦カードはドイツ対ブラジル。
世界中が注目している好カードなのだ。
オレもスタジアムで観戦したい、好カード。
ユリアンさんやドイツの皆が、あのブラジル代表相手にどんな戦いをするのか⁉
でも、決勝戦直前なので、観に行くことはできない。
TV観戦で我慢するしかないのだ。
『じゃあ、アタシはVIP席で、みんなのことを応援しておくわ♪』
もう試合のないレオナルドさんは、一人で気軽であった。
頼もしい応援団として、オレたちのことを応援してくれるという。
「あたしもドイツの試合が終わったら、コータの応援に駆けつけるから!」
「ありがとう。エレナの方も頑張ってね!」
エレナはドイツ代表サッカーの、特別アドバイザーとしても来日していた。
そのためスケジュールは、ドイツ代表を優先。
だが時間的に3位決定戦の後でも、十分に決勝戦に間に合いそうだった。
「じゃあ、みなさん、また、あとで!」
こうしてオレは朝食会場を後にする。
決勝戦に向けて、気持ちを集中していくのであった。
◇
そんな朝食後、オレはヒョウマ君と日本代表の午前中の練習に参加した。
練習といっても試合当日なの軽め。
コンディションを整えて、戦術の最終確認を行った。
「ヒョウマ君、そろそろランチに行こう?」
練習を終えて、一度選手村の自室に戻ってきた。
時間は12時を回っており、お腹の虫が鳴いていたのだ。
「ああ、そうだな。軽く食べていくか」
決勝戦までは、あと7時間ちょっとしかない。
体調管理のために、昼ご飯は消化がいい物を軽く食べることにした。
ヒョウマ君と選手村の中を歩いて、昼食会場に向かう。
おっ、芝生が広がる公園があるぞ。
ここを抜けていけば、レストランまで近道できるはず。
オレたちはひと気のない公園の中を、ショートカットしていく。
「選手村は緑もあって、気持ちいいね、ヒョウマ君!」
「ああ、そうだな」
選手村の中には色んな施設がある。
緑や噴水のある公園も多く、そんな中をオレはサッカーボールを蹴りながら移動していく。
本当に選手村はいい所だな。
本気でここに永住したくなっていな……。
周りの景色を眺めながら、そんな感慨にふける。
◇
「コータ、危ない!」
「えっ?」
そんな時である。
オレに向かって、誰かが突進してきた。
ヒョウマ君の声をかけられ、オレは咄嗟に身をかわす。
ギリギリセーフで回避に成功。
でも危ないな!
一体誰が突撃してきたんだ?
『ヘーイ。日本人はサッカーが上手いんでしょ? このオレから奪ってみてよ!』
突進してきたのは外国の人だった。
いつの間にオレの足元にあったボールが、その人に奪われていたのだ。
更に相手は英語で挑発してきた。悔しかったら、取り返せと。
「えっ……セルビオ君?」
オレからボールを奪った人の顔を、見て驚く、
なんと相手は……“無敵王子”セルビオ・ガルシア。
今日の決勝戦で戦うスペインのエースストライカーだったのだ。