第146話:遅すぎた特効薬
学園長から連絡を受けて、マヤの病室に駆けた。
「マヤ、大丈夫⁉」
「ここは病院です。お静かに」
「は、はい、申し訳ありませんでした」
病室に駆けこんだところで、看護師さんに怒られてしまった。
興奮していたオレは、息を整えて静かにする。
マヤの病室には何人かの人がいた。
看護師さんと先生。
学園長とマネージャーの人たち。
「では、失礼します」
しばらくして看護師さんと先生が、病室を去っていく。
マヤの容態が落ち着いたのであろう。
学園長も先生に呼ばれて、後を付いていく。
「コータ……来てくれたの?」
「うん。学園長から連絡があって」
ベッド寝たままの、マヤは意識があった。
顔色はあまりよくなく、少し弱った感じである。
数日前にお見舞いに来た時よりも、だいぶ元気がなくなっていた。
「コータ……決勝進出、おめでとう」
「あっ、知っていたんだね。ありがとう、マヤ!」
病室にはTVがある。
マヤはそれでオリンピックサッカーを観ていたという。
いつになく嬉しそうに、日本の勝利を喜んでいた。
「コータ、約束、守ってくれた」
「約束? ああ、そうか。そういえば、そうだったね」
マヤはオリンピックサッカーの決勝戦で、生ライブをするという予定だった。
だからオレも負けずに宣言していた……日本代表を決勝まで勝ち進むと。
「決勝戦はいつ、コータ?」
「……明日の夜だよ」
セイレーン病が進んだ影響だろうか。
マヤは記憶が少し朦朧としている。
前に教えた決勝戦の日のことを、覚えていなかった。
「それなら歌の練習、しないと……」
「マヤ⁉」
いきなりマヤがベッドから起き上がろうとした。
だが、身体を支えきれずに落ちそうになる。
オレは慌てて彼女の身体を支える。
(えっ……軽い……)
支えたマヤの身体は、異常なほど重さがなかった。
まるで羽のように重さを感じないのだ。
これも病気の影響であろうか。
「明日、私、歌う……」
「ダメだよ、マヤ。無理したら容態が悪くなっちゃうよ!」
起き上がろうとするマヤを、必死で止める。
セイレーン病は特殊な病気。
無理をしたらどんな症状が出てくるか、予想もできないのだ。
「マヤ、今日は無理しないで、ゆっくり休まないと!」
「うん、分かった。コータの言うこときく。今日は無理しない。でも明日はちゃんと歌う」
身体の自由は利かなくても、マヤはすさまじい精神力の持ち主だった。
自分の声が出なくても、必死で歌おうとしていたのだ。
「野呂コータ……ちょっといいかな?」
そんな時である。
病室の外から学園長に呼ばれる。
先生との話が終わったらしい。
「じゃあ、マヤ。またね」
「うん。またね、コータ」
マヤの容態は、女性マネージャーさんが見てくれる。
オレは学園長の所に向かうことにした。
◇
大事な話がある学園長と、ひと気のないロビーへと移動した。
「こここで、いいか」
周りには人の気配がないことを、しきりに確認している。
学園長はかなりそわそわしていた。
「先ほど先生から説明された。マヤは今宵が山らしい……」
「えっ……」
学園長の口から出たまさかの説明に、オレは言葉を失う。
今宵が山だって……そんな……。
だって、さっきも病室もマヤは、あんなに元気そうにしていたのに。
「セイレーン病の進行は、普通の病気とは違うらしい……今のマヤは精神力のみで、ああして元気なふりをしているのだ……」
「そんな……」
学園長は教えてくれた。
倒れた以降の、マヤの容態はよくなかったと。
だが野呂コータがお見舞いにくる時だけ、マヤは元気なふりをしていた。
それは病院の先生も驚く、彼女の驚異的な精神力がなせる奇跡。
「娘はキミに心配をかけたくなかったんだ……オリンピックで勝ち進みキミに……」
学園長は涙を流していた。
献身的な愛娘の話をしながら、大粒の涙を流していた。
そして父親として何もできない出来ない自分に、憤りの悔し涙を浮べていた。
(そんな……マヤの命が……今宵……)
想定もしていなかった状況に、オレは唖然としてしまう。
彼女の命を賭けたやせ我慢に、見事にしてやられてしまったのだ。
(マヤ……MAYA……世界の歌姫……大阪オリンピック……悲劇の歌姫……あっ⁉)
その時である。
オレの頭の中に、稲妻のような衝撃が落ちてききた。
(明日は8月22日⁉ そういえば……)
前世のオレには、世界の歌姫のMAYAの記憶はない。
なぜならオレはサッカー以外のことは興味がなかった。
だがサッカーのことならば、どんな詳細なことでも記憶していた。
そんなサッカー知識の中で、一人の少女のことが繋がっていく。
(あの時の記事か……)
その記憶によると、大阪オリンピックの時、一つの事件があった。
17歳の日本の歌手が、難病で突然亡くなったというニュース。
歌に興味がなかったオレは、彼女の名前は覚えていない。
その歌手は、たしかオリンピックサッカーを生ライブで歌う予定だった人。
だが彼女は事情により、他の人に変更となっていた。
そして彼女が亡くなったのは、たしか……大阪オリンピックの年の8月22日の深夜25時のこと。
つまり、あと数時間の後のことである。
(そんな……あれはマヤのことだったのか⁉)
全ての記憶の情報が繋がった。
同時にオレはハンマーで、頭を殴られたような衝撃をうける。
目の前が真っ白になり、立ちくらみがしてきた。
何故ならマヤが、あと数時間で息を引きひきとる未来があるのだ。
(そうだ! 特効薬さえ間に合えば!)
前世ではセイレーン病は特効薬があった。
それを飲めば一晩で体調が回復するという。
前世のプロサッカー選手のインタビュー記事に、そう書いてあったのを確かに覚えている。
とにかく特効薬について確認をしないと!
「学園長、ちょっと、失礼します!」
「ああ……」
自分の愛娘の最期を想い、学園長はロビーで茫然自失となっていた。
オレは席を外す。
向かう先は病院の出口。
「ん? コータ、どうした? そんなに血相を変えて?」
病院のロビーで、ヒョウマ君に遭遇した。
オレのことを心配して、ドイツ料理店から追いかけてきてくれたのだ。
焦りまくりのオレのことを、心配をしてくれていた。
「実はヒョウマ君。マヤの容態が急変したんだ……だから特効薬を取りに行かないと……」
ドイツ戦の後に、ヒョウマ君にはマヤの病気のことを話していた。
だから事情は改めて説明する必要はない。
「特効薬を? あの女から連絡があったのか?」
「ううん……まだ、だけど……」
エレナから連絡はまだない。
もしかしたら、やっぱり何かのトラブルで連絡できない状況かもしれない。
「でも、ヒョウマ君。とにかく特効薬さえあれば助かるんだ! もしかしたら、エレナはもう空港にいるかもしれない! ボク、走って見てくる!」
オレは動揺して、混乱していた。
「今から走って空港に向かうだと、落ち着け、コータ」
「でも、ヒョウマ君! 特効薬さえあれば、間に合うんだ!」
クラスメイトのマヤの死が数時間後に近づいている。
周りが見えなくなっていたのだ。
「おい、コータ。顔を上げろ」
「えっ、ヒョウマ君?」
「目を覚ませ! お前らしくないぞ!」
顔を上げた瞬間である。
目の前に火花が飛び散った。
同時にオレの身体は吹き飛び、倒れ込んでしまう。
「いってて……」
直後に左のアゴに激痛が走る。
一体何が起きたか理解できなかった。
「ヒョウマ君……」
だが顔を上げて理解する。
オレはヒョウマ君の拳で殴られて、吹き飛んでいたのだ。
「これで少しは落ち着いたか、コータ?」
「うん……ヒョウマ君、ありがとう!」
自分を失っていたオレの目を覚ますために、ヒョウマ君は激を入れてくれたのだ。
思い切った行動をしてくれた友に感謝しつつ、不甲斐ない自分に反省する。
「今ここで、お前がとるべき行動はなんだ、コータ?」
「今は……ボクはエレナのことを信じて待つ……ことだよ、ヒョウマ君」
ヒョウマ君のお蔭で冷静さを取り戻した。
ここでオレが一人で足掻いても、逆に状況が悪くなるだけ。
ありがとう、ヒョウマ君。
お蔭で冷静さを取り戻せたよ。
(でも、タイムリミットは、あと少し……)
タイムリミットは着々と迫っていた。
特効薬を飲ませるには、マヤの意識がある今だけ。
だがエレナは到着した気配すらない。
いったどうすればいいのだろうか……。
◇
「ん?」
そんな時である。
病院のロビーにいたオレの耳に、何かが聞こえてきた。
「ヘリコプター?」
聞こえてきたのは、ヘリコプターの飛ぶ音。
しかもかなりの急スピードで、こちらに近づいてくるのだ。
「えっ? こっちに来る?」
オレはロビーから外に飛び出す。
この病院にはヘリポート設備はない。
だがヘリコプターは構わずに急降下してくるのだ。
狙っている場所はオレたちがいる、病院前の芝生の中庭。
どう見てもヘリコプターが着陸できる設備ではない。
だがヘリコプターは急降下してくる。
「うわー⁉ って、人が降りてくる⁉」
ヘリコプターからロープが垂れ下がり、人が降りてきた。
まるで映画のワンシーンのような降下光景。
一体、何が起きたんだ⁉
せっかく冷静さと取りも戻したのに、オレはまたオレは混乱していた。
一体何が起きたのであろうか?
ヘリコプターから降りて来たのは、全部で4人であった。
その内の二人は、降下をサポータする専門家のようである。
また、あとの二人は素人の動きで降下してきた。
「コータ、お待たせ!」
その内の一人がヘルメットを脱いで、声をかけてきた。
「えっ⁉ エレナ⁉」
ヘリから降りてきた一人は、顔見知り金髪の少女。
エレナ・ヴァスマイヤーだったのだ。
「エレナ、これはどういうこと? それに一緒にいる人は?」
突然のことで事態が把握できずにいた。
エレナはドイツに行っていたはず。
でも、いきなりヘリコプターで急降下。
状況がまるでつかめない。
「説明は後よ、コータ! 頼まれた特効薬を持ってきたわ! ついでに開発した研究者も連れてきたわ」
「なんだって⁉ それはすごい!」
まかさの説明だった。
エレナは無事に特効薬を入手していたのだ。
しかも開発した研究者ごと、戻ってきたのだ。
「でも、なんで研究者さんまで?」
「入院中の難病の患者に、素人がいきなり、怪しい薬を飲ませることは出来ないでしょう?」
「あっ、そうか……そういうことか……」
日本には薬に関する法律がある。
詳しいことは省くが、とにかく怪しい薬は飲ませられない。
だが開発した専門の研究者がいれば話が変わる。
本当に有り難いエレナの機転であった。
『はじめまして、ノータ・ノーロ! あなたのF.S.Vでの大活躍は、見ていました! 本当に最高でした! だから、あなたに協力しに日本にきました! サインして下さい!』
研究者の人がヘルメット脱いで挨拶してきた。
彼はF.S.Vの大ファンだった。
いきなり熱い握手を求められて、オレは狼狽してしまう。
「あっ、サインは後でいくらでもします! とにかく特効薬をお願いします!」
彼女の死亡時刻まで、あと数時間しかない。
マヤの意識があるうちに、薬を飲ませないといけないのだ。
「でも、どうやって彼女に飲ませるの?」
「よく分からないけど、それはボクに任せて! マヤに上手く説明してみる!」
マヤと学園長には特効薬のことは、まだ話していない。
オレは嘘をつくのが下手だから、誠心誠意をもって、二人にお願いするしかない。
最終的には『僕を信じて、この薬を飲んでちょうだい、マヤ!』と土下座でもするしかない。
「分かったわ、コータ。病院の先生や看護師の方は、私たちで抑えておくわ!」
「ああ、そうだ、コータ。オレ様たちに任せて、行け、コータ!」
病院は騒然としていた。
何しろいきなりヘリコプターが襲来したのだ。
何事かと、全職員と警備員が集まってきている。
ここを誰かが、時間を稼がないといけないのだ。
エレナ、ヒョウマ君、研究者の人、お願いします!
(よし、待っていてね、マヤ!)
特効薬を持って、オレは彼女の病室まで駆けていく。
世界の歌姫の声を救うために。
そしてサッカーのことを好きになってくれた、大事なクラスメイトの命を救うために。
◇
それから数十分後。
無事にマヤに特効薬を飲ませることに成功した。
彼女はオレのお願いを、何も聞かずに信じてくれたのだ。
ヘリコプター騒ぎもあって、その後はまた大変だった。
でも学園長が……マヤのお父さんが全て対応して、場を収めてくれた。
容態が回復した娘の姿を見て、全てを察して行動してくれたのだ。
「コータ……ありがとう」
「うん、ゆっくり休んでね、マヤ」
特効薬を飲んだマヤは、穏やかな顔で眠りにつく。
明日の朝には体調も回復しているのであろう。
(よかった……)
全ての憂いは消え去った。
こうしてオレはオリンピック決勝戦へ挑むのであった。