第145話:ドイツビールの香り
8月20日。
ドイツ戦の翌日になる。
試合翌日は日本代表の練習も休み。
オレはぐっすり睡眠をとり、午前中はリフレッシュタイムとした。
午後はヒョウマ君と軽く自主練習をして、身体のコンディションを整えていた。
次の試合は、明後日の22日の夜。
そこまでにドイツ戦の疲れを取り除き、なおかつ調子も上げていかないといけないのだ。
◇
その日の夕方になり、ヒョウマ君と夕食を食べていく。
選手村の中ではたくさんのレストランがある。
だが今宵は気分的に、今までに行ったことにない店にしたかった。
そんな訳で今日は、選手村から外出することにした。
オリンピック選手は申請さえすれば、選手村から外出もできる。
各国の定めた門限さえ守れば、夕食も外で出るのだ。
でもあまり遠くまでは行きたくない。
という訳で、選手村の隣にあるショッピングモールにすることにした。
「あっ、この店、美味しそう! ここにしようよ、ヒョウマ君?」
「オレ様はどこでもいいぞ」
ヒョウマ君は基本的に食べ物にはこだわらない。
栄養価が高く、美味しければどこでもいいのだという。
だから店選びは、いつもオレがしていた。
「ごめんください。2名ですが、大丈夫ですか? って……あれ、貸し切り中だったのか?」
レストランの中に入ったら、張り紙が張ってあった。
『今宵は貸し切り営業』と。
今はオリンピック開催中だから、どこの店も混んでいる。
だから、こういったケースもたまにあるのだ。
「貸し切りだって、ヒョウマ君。じゃあ、次の店に行こうか……」
そう言いかけた時である。
『ん? コータ?』
『おい、みんな、コータがいたぞ!』
パーティーをしている人に、名前を呼ばれる。
もしかしたらオレのことを知っている人たちがいるのかな?
どこの国の人たちだろう?
というか、彼の言葉を考えればいいのか……ドイツ語だ。
オレの知り合いで、なおかつドイツ語を使う集団といえば……
「やあ、コータ君。キミの一緒に食べていかないか?」
「ユリアンさん⁉ それにドイツ代表のみんなも⁉」
なんと貸し切り宴会をしていたのは、ドイツサッカー代表のメンバー。
こうしてオレとヒョウマ君は、強引にパーティーに参加させられたのだ。
◇
レストランはドイツ料理の店だった。
今宵は立食式のビュッフェスタイル。
ドイツ各地方の料理が所せましと並んでいた。
「うん、美味しい! やっぱりドイツ料理は美味しいね!」
久しぶりに食べたドイツ料理に、オレは大喜び。
このレストランはドイツ人のシェフがいるという。
だから本場と同じ料理が味わえるのだ。
遅れて参加したオレは、ヒョウマ君と料理を食べていく。
『はっはっは……よく来てくれたな、コータ!』
『楽しんでいるか?』
ドイツ代表のみんなは、すでにいい感じで酔っ払っていた。
ドイツビールの大ジョッキを手にしながら、オレに絡んできくる。
『はい、美味しいです。でも、みなさん、そんなに飲んで大丈夫ですか?』
オリンピック選手は試合開催中、飲酒を控えている選手が多い。
禁欲に励んだ方が、試合でいい結果がさせるというデータがあるのだ。
『あっはは……オレたちは昨日の準決勝で、負けちまったからな!』
『その厄払いで、数日ぶりの酒さ!』
『何しろ、ドイツビールには、悪い流れを断ち切るからな! はっはっは!』
そんな厄払いの話は、ドイツにいた時でも聞いたとこがない。
でも気分転換に少しくらいに、お酒も必要なのであろう。
何しろドイツ人の年間の一人当たりのビールの消費量は100リッター以上。
世界トップ3にランクイン。
世界有数のお酒が大好きな人たちなのだ。
ちなみにオリンピック協会によって、選手村の中の飲酒は禁止されている。
だが一歩でも外に出たら、あとは各自各国の判断。
このショッピングモールでは選手は、お酒を飲んでもいいのだ。
『そういえばコータも17歳になったんだろう?』
『それならオレたちと一緒に、ドイツビールで乾杯しようぜ!』
『たしかにボクは17歳になりましたが、ここは日本なので……』
ドイツではビールやワインなどの飲酒は16歳以上、蒸留酒は18歳以上から認められている。
だがここは大阪のショッピングモールの中のレストラン。
日本的に未成年なオレが、オリンピック選手のオレが、お酒を飲んだら大変なことになる。
『何だと⁉ 日本じゃ20歳以上じゃないと、ビールを飲めないだと⁉』
『じゃあ、何を飲んで生きているんだ⁉』
『なんだ、日本は随分と寂しい国だな!』
『またドイツでプレイして、オレたちと一緒に飲もうぜ!』
そんな話を酒の肴にして、ドイツ代表のみんなは盛り上がっていた。
いつもは規律を重んじる、真面目なドイツ人。
だがこうして場では彼らは大はしゃぎする。
ビールを飲んでいる時と、サッカー観戦の時……真面目なドイツ人も大騒ぎするのだ。
『そういえばボクなんか混じって申し訳ないです。せっかくのドイツ代表の人たちのパーティーに……』
急に申し訳なくなってきた。
昨日試合でオレたち日本代表は、ドイツ代表を2対1で下した。
ヨーロッパ各地のマスコミは『ドイツ代表の大失態!』と騒いでいるらしい。
何しろ世界ランキング1位の王者が、ランキング数十位の日本に負けてしまったのだ。
『ん、なんだ、コータ。そんなことを気にしているのか?』
『お前が逆の立場だったら、どう思う?』
『えっ、逆の立場ですか……ボクは昨日の試合は、本当に楽しくて、最高に面白かったので、そんなの関係ない……と思います』
『そうだろ! オレたちも同じさ!』
『昨日の日本戦では全てを出し切った!』
『後悔はない! だからこうして騒いでいるのさ!』
ドイツ代表の人たち笑顔で答えてくれた。
彼らはオレと同じサッカーを愛する人たち。
正々堂々の勝負が終わった後で、引きずることはしない。
本当に気持ちがいい人たちなのだ。
『それにオレたちは明後日の3位決定戦で、必ず勝ってドイツに銅メダルを持ち帰る!』
『だからコータたちも日本代表も、オレたちの代わりに優勝してくれ!』
準決勝で敗れたドイツは、3位決定戦に進出。
そこで勝てば、なんとかメダルを手にすることが出来る。
ビールで大騒ぎしながらも、彼らは次の試合に気持ちを切り替えていたのだ。
『だが、まさか3位決定戦の相手が、あのブラジルになるとはわな……』
『ああ、今回は波乱ばかりのトーナメントだな……』
皆の話が、昨日の別の試合に移る。
昨日はオレたち日本ドイツ戦とは別会場で、もう一つの準決勝が行われていた。
そこで優勝候補のブラジルが、スペイン代表に敗れる大波乱があったのだ。
(まさかブラジルが破れるなんて……)
そんな話を聞きながら、オレは心臓の音が早くなる。
何故なら実は歴史が変わっていたのだ。
これはオレだけが知る事実。
前世では大阪オリンピックのサッカーの決勝戦は、ドイツ対ブラジル。
最終的にはブラジルが優勝して、金メダルを獲得するはずだった。
だが歴史は変わり、優勝するはずのブラジルが敗退してしまったのだ。
(ブラジルが準決勝で負けた要因は、やはりセルビオ君の存在かな……)
前世の歴史ではセルビオ・ガルシアは、大阪オリンピックでスペイン代表入りしていない。
だが今回の彼は代表入りしている。
(しかも、昨日のブラジル戦で……)
セルビオ君は世界王者ブラジル相手に、ハットトリックを決めていた。
そのお陰の4対3で、スペインが勝利。
前世ではスペインは1対3でブラジルに負けていた。
つまりガルシア君の存在だけで、スペイン代表は歴史が変わってしまったのだ。
(どうして、セルビオ君の歴史がここまで変わってしまったか、分からない……けど、明後日の決勝は、かつてない死闘になりそうだな……)
オリンピック世代とはいえスペインは、南米の王者ブラジルを下している。
オレたち日本代表は覚悟を決めて、決勝に挑まなければいけないだろう。
『よし、次はサワムラの方に行こうぜ!』
『ああ、そうだな!』
いつの間にかドイツ代表の皆が、オレから離れていく。
次の酒のつまみみのターゲットを、ヒョウマ君にしたのであろう。
オレとユリアンさんだけの二人だけになる。
「そういえば、コータ君。エレナから連絡はあったかい?」
「まだボクの方には連絡ありません。大丈夫かな、エレナ……」
ユリアンさんと小声でエレナの話をする。
セイレーン病の特効薬と取りに、彼女はドイツに行っている。
本来ならもう戻っている予定だった。
だが今のところ、エレナはまだ選手村には戻ってきていない。
毎日数回あった定期連絡も、今日はまだ来ていないのだ。
(もしかしたらエレナの身に、何かがあったのかな……)
彼女は自ら名乗り出て、今回の大変な仕事をしている。
まずドイツにいる特効薬の研修者。
その5人の候補者、全員を確認してもらう。
それから本人に事情を説明。
特効薬を受け取って、日本に帰国してもらうのだ。
彼女が自分から名乗り出てくれたとはいえ、元々はオレがエレナを巻き込んだも同然。
これには感謝しかない。
(エレナ、大丈夫かな? ドイツでトラブルがあったのかな? それとも飛行機に問題でも?)
候補のドイツ国内の研究所は、バラバラ点在していた。
かなり僻地にある場所もあり、移動だけでも大変。
さらに今はオリンピック開催中。
どんなトラブルが起こるか想像もできないのだ。
「とにかくエレナを信じて、今は連絡を待とう、コータ君」
「はい、ユリアンさん……」
ユリアンさんの言う通りだ。
まだ試合の残っているオレたちは、この場から離れるとは出来ない。
彼女を信じ待つしか出来ないのだ。
「ん?」
そんな時である。
ポケットの中の携帯電話が震える。
オレは携帯電話を持っていないが、オリンピック開催中だけ持たされたのだ。
(もしかしたら、エレナからかな⁉)
この番号を教えているのは、関係者しかいない。
番号も見ずに急いで電話に出る。
「はい、もしもし!」
「コータ君。私だ」
だが電話をしてきたのは男性だった。
「あっ……学園長? どうしました?」
電話をしてきたのは学園長。
緊急の用事のために教えていたのだ。
「決勝戦を控えて、忙しいところ申し訳ない。だがマヤの容態が……」
「えっ、マヤが⁉ はい、今すぐ向かいます!」
電話の向こうの学園長は、今までにないくらいに動揺していた。
それだけで非常事態だということが感じられた。
「ユリアンさん、みなさん、ごちそうさまでした! 急用が出来たので、先に戻ります!」
マヤの入院している病院は、ここから走って20分くらいの場所。
こうして容態が変化したマヤの病室へ、オレは駆けるのであった。