第141話:イタリア戦
8月15日。
今日からオリンピックサッカーは決勝トーナメントに突入する。
予選リーグを突破した8カ国で、一発勝負で決めるトーナメント方式。
理論上は3回連続で勝てば、金メダルを手にすることがきる。
だが勝ち残った8カ国は、強豪国ばかり。
一試合たりとも楽な試合はないのだ。
◇
「イタリア代表は強敵だ。だが必ず勝機はある。頼んだぞ、お前たち!」
「「「はい!」」」
日本代表のロッカールームに、澤村監督と選手たちの声が響き渡る。
オレたちがこれから対戦するのはイタリア代表。
現役セリエA選手が名を連ねる優勝候補の一角である。
「コータ、お前、大丈夫か?」
「あっ、ヒョウマ君。おはよう! えっ、ボクは元気だよ?」
ピッチに向かいながら、ヒョウマ君から心配される。
昨夜は一睡もしていないのが、もしやバレてしまったのかな?
オレは廊下で全力ジャンプや屈伸をして、好調さをアピールする。
「いや、体調が良さそうなのは、見ていて分かる。それよりも、昨夜はアイツと一緒にいたんだろ? オレ様はそのことを心配しているんだ。」
「えっ、エレナとのこと⁉ うん、昨日はエレナのドイツの知人に電話していたんだ。ちょっと調べたいことがあって……」
ヒョウマ君に変な誤解をされたままは、気まずい。
オレは正直に答えることにした。
だが嘘は言わないようしておく。
何故ならオレは嘘が、すぐに顔に出てしまうからだ。
「その分だと本当らしいな、コータ。とにかく今日の相手は、あのレオナルド・リッチだ。最初から全開でいくぞ」
「うん、そうだね、ヒョウマ君!」
よかった、ヒョウマ君には変な誤解はされていなかった。
オレの言葉を信じてくれた。
こういう時は嘘が顔に出てしまうのは、ある意味で便利である。
(そういえば、マヤは大丈夫かな……? まあ、あの場所なら大丈夫だと思うけど……)
マヤは今朝も、選手村の隣の医療センターにいた。
学園長の話では、あそこは日本の最先端の医療技術が揃っているらしい。
またセキュリティも高く、マヤが倒れたことが世間にバレる心配もないと。
そのためオリンピック開催中は、医療センターに入院することになったのだ。
(あっ、そうだ。試合が終わったら、マヤに教えにいかないと。エレナがドイツに飛んで行ったって。彼女なら必ず特効薬を間に合うように持ってきてくれるから……そう、教えてあげないと!)
マヤは昨夜から、声が出しにくくなっていた。
だが特効薬を飲めば、一晩で状態が回復するはず。
これは前世で“セイレーン病”にかかった、サッカー選手のインタビューに書いてあった。
セイレーン病は特効薬さえ飲んでしまえば、あっとう間に回復する病気なのだ。
(また歌えるようになると知ったら、マヤは喜ぶだろうな……)
彼女は歌うことが、人生の全てだと言っていた。
それはオレにとってのサッカーとよく似ている。
だから何としてでも、マヤのことは助けたいと思っていた。
これは友情とも少し違う感じ。
同じ想いを共感する、シンパシーみたいが感情である。
(よし! マヤに速く朗報を届けるために、今日の試合は早く終わらせよう! 延長戦もPKもなく……90分で決めてやる)
その時である、不思議なスイッチが入った。
今までは『なるべく長くサッカーを楽しむこと』を信条としていた。
だが今のオレは少し違った。
最短で勝利をもぎ取る……そんなマグマのような熱い信念が、奥底から込み上げてきたのだ。
◇
『あら、子猫ちゃん、子虎ちゃん。おはよう♪』
そんな時である。
選手通路で、イタリア語で話しかけてくる選手がいた。
これから対戦するレオナルドさんだ。
「ちっ、変態野郎……レオナルド・リッチか」
オレの隣にいたヒョウマ君が、小さく舌打ちをする。
レオナルドさんのペースは独特。
試合前に話しかけられると、相手選手はペースを乱してしまう可能性がある。
特にレオナルドさんとプレイスタイルの相性が悪いオレのことを、ヒョウマ君は心配してくれていたのだろう。
『あらー、変態野郎だなんて、褒め言葉は嬉しいわ、子虎ちゃん♪ さすがはアタシのチームメイトね♪ あら、子猫ちゃんの方は、今日はやけに静かね?』
「おい、コータ。試合前にこいつのペースに巻き込まれるな。耳を塞いでおけ」
さらに背中からグイグイ迫ってきたレオナルドさんを、ヒョウマ君は止めにかかる。
だが相手は先読みの天才。
『どうしたの、子猫ちゃん♪ 今日はそんな神妙な顔して♪』
止めるヒョウマ君をかわして、オレの目の前にやってきた。
『悪いが、そこをどけ、レオナルド・リッチ。お前の戯れ言に付き合っている暇は、今日の“オレ”にはない』
『えっ……??』
だがオレは動じることはなかった。
今の自分は不思議なスイッチが入っている。
絶句するレオナルド・リッチを相手せずに、オレはピッチへと向かう。
「おい、コータ。お前、どうしたんだ? いつもは“オレ”なんて……」
「行こう、ヒョウマ君!」
「ああ……そうだな、コータ!」
心配していたヒョウマ君だったが、何かを感じ取ってくれたのであろう。
オレについて一緒にピッチに向かう。
残されたのは、呆然とするレオナルドさんだけだった。
『凄いわ……』
呆然としていたレオナルドさんは、何かを呟く。
『凄いわ……最高に素敵よ、子猫ちゃん! あなたそんな素敵な顔も出来るのね⁉ もしかしたら、そっちの方が真の部分⁉ どちらでもいいわ! ああ……今日の試合は最高に熟した果実に出会えるのね、アタシは⁉ 神よ、感謝するわ!!』
そして絶叫する。
全身をかきむしり、口からヨダレを流しながら、瞳を潤ませて叫んでいた。
周りから見たから明らかに奇行。
だがオレは知っている。
天才のレオナルド・リッチは、ああいう状態が一番恐ろしいことを。
今日のイタリア戦は、かつてない激闘になるであろう。
(相手にとって不足なしだ!)
だが今日のオレは負ける訳にいかない。
こうして最強軍団イタリアとの戦いが、幕を上げるのであった。
◇
イタリア戦は序盤から激しい戦いとなった。
開始5分。
いきなりレオナルド・リッチが得点を決めてきたのだ。
マークしていた二人の日本代表のDFを、一瞬で置き去りにしてシュートを決めたのだ。
『まずはアタシから1点いただいたわ、子猫ちゃんたち! 次は、あなたたちの番よ!』
レオナルド・リッチはプライベートでも、明らかに奇行をする。
だがサッカー選手しての才能は、世界でも最高クラス。
特に相手の先読みをして裏をかく能力は、“予知”のレベルに近い。
その動きを止めることは、今の日本代表DFには不可能に近い。
「みんな、大丈夫だ! 取られても、すぐに取り返すんだ!」
だが怖気づいている暇はない
オレは代表のみんなを鼓舞して、反撃に移るのであった。
◇
それから数分後。
日本代表は同点に追いつく。
「ナイスシュート、ヒョウマ君!」
「ああ、コータもナイスパスだったぞ!」
オレがレオナルドさんの動きを封じ込め、逆にパスカット。
そのままヒョウマ君にスルーパスを出して、1点をもぎ取ったのだ。
『やっぱり最高ね、子猫ちゃん! でも、味わい足りないわ! もっと、熟した味を、アタシにちょうだい!』
同点に追いつかれても、イタリア代表の勢いは止まらなかった。
司令塔のレオナルド・リッチを中心に、日本ゴールに襲いかかってきた。
イタリアサッカーは“カテナチオ”と呼ばれる守備的戦術が有名である。
だが攻撃力も世界トップクラス。
ワールドカップの記録でも得点数は、世界トップ5に入る攻撃力を有している。
特にレオナルド・リッチを有するイタリア代表は、攻撃的な戦術も多用しているのだ。
◇
『ああ、最高よぉおお!』
その攻撃力が火を噴く。
後半に入ってすぐの時間帯。
猛攻を続けていたイタリアに、得点を許してしまった。
ゴール後に絶叫しているレオナルド・リッチに、またもやゴールを許してしまったのだ。
「気持ちを切り替えていきましょう、みんな! まだ大丈夫!」
ゴールされて意気消沈なチームメイトを、オレは更に鼓舞していく。
客観的に見て、総合的な戦力ではイタリア代表の方が上。
だから日本が得点を許してしまうのは、仕方がないと。
「オレ様にもっとボールを預けろ!」
だが点の取り合いに、総合力は関係ない。
こちらには圧倒的な得点能力を持つ、澤村ヒョウマがいる。
彼に最前線でボールを渡せれば、日本には勝機があるのだ。
1対2でリードされながらも、日本はイタリアゴールに強気で攻め込んでいく。
『サワムラとマークしろ!』
『そいつだけはフリーしたらマズイぞ!』
だが相手はさすがイタリア代表の守備陣。
同じセリエAで活躍するヒョウマ君を、数人がかりでマークしていく。
彼さえ封じ込めたら、日本に勝機はないと見抜いていたのだ。
「そこを抜ききれ、ヒョウマ君!」
だがオレは構わず、ヒョウマ君にパスを出し続ける。
執拗にマークされているのも敵わず、何度もヒョウマ君にラストパスを繰り出す。
『その姿、美しいわ、子猫ちゃん!』
しかしオレをマンマークしているのは、あのレオナルド・リッチ。
簡単にはパスを出させてくれない。
『そこをどけぇ!』
だがオレも負けている訳にはいかない。
相手の一瞬の隙をついて、突破してパスを出す。
いつもなら出さないかなり強引なプレイである。
『あぁあああ! その表情、最高よ、子猫ちゃん!』
2年前の対戦でオレは、この男を越えることが出来なかった。
だが今の自分は、あれから成長していた。
身体も大きくなり、パワーも遥かに身につけている。
今まで出せなかった技を、完璧に近い状態で発揮することが出来るのだ。
「最高のパスだ、コータ!」
レオナルド・リッチを振り切り、無我夢中で出したオレのパスが、ヒョウマ君に通った。
イタリアDFを振り切ったヒョウマ君の、見事な弾丸シュートが突き刺さる。
これで2対2の同点。
試合の残り時間は、あと10分ちょっと。
互いに死力を尽くして、あと1点を奪い合い試合となる。
さあ、ここからが正念場だ!
◇
『今度はアタシからいくわよ、子猫ちゃん!』
「くっ……化け物か……レオナルドさんは⁉」
「今度は二人がかりでいくぞ、コータ!」
「うん、ヒョウマ君!」
『あああ、二人とも最高すぎるわぁあ! もっと、もっとちょうだい!』
そこからの10分のことは、よく覚えていない。
とにかく全戦力で攻めてくるイタリア代表を、オレたちは必死で抑えにまわる。
「いくよ、ヒョウマ君!」
「ああ、コータ!」
何とかボールを奪ったら、今度はこちらが攻め込む。
世界最高峰の堅守のイタリアのカテナチオに、オレたちが果敢に挑んでいく。
『攻めも好きだけど、攻められるのも大好きなのよ、アタシは!』
それに立ちはだかるは、またもやレオナルド・リッチ。
守備力においてもこの男の先読みに力は、圧倒的なのだ。
「それでも、ヒョウマ君!」
「いくぞ、コータ!」
どんな高い壁が立ちはだかっても、今のオレに関係ない。
力の全てを出して、攻め続ける。
逆にカウンターを食らったら一たまりもないであろう。
だから、そのギリギリのタイミングで、攻め続ける。
◇
時間が経った。
『ピピー!』
スタジアムに審判の笛の音がなる。
これは試合終了の合図。
いつの間にか試合が終わっていたのだ。
(そういえば、試合結果は……)
後半10分の記憶が、あいまいになっていた。
まぶしく光る電光掲示板に視線を向ける。
「やったな、コータ!」
「ヒョウマ君⁉」
だが電光掲示板を確認することは出来なかった。
満面の笑みでヒョウマ君が抱きついてきたのだ。
「あれ、“ボク”たちの試合は?」
「お前、口調が戻ったのか? まあ、そっちの方がコータらしいな」
電光掲示板を確認する必要はなかった。
ヒョウマ君に続いて、他の日本代表のみんなも大喜びで駆けてきた。
「そっか……ボクたち勝てたんだね……」
日本 対 イタリア……3対2。
こうして死闘を制して、オレたちはイタリア代表に勝つことが出来たのだった。