第138話:セイレーン病
夜の選手村散歩をしていたら、クラスメイトのマヤとで会った。
更にエレナも登場。
そんな時、マヤは急に意識を失い倒れてしまったのだ。
隠れていたマヤの専属のマネージャーたちも、あの後に駆けつけてくれた。
みんなで協力して、マヤを医療センターまで運ぶのだった。
◇
「マヤ……大丈夫かな……」
医療センターの廊下の待合室で、オレは静かに息を吐き出す。
診察中のマヤのために、ここで待機しているのだ。
「ごめんね、コータ。さっきは取り乱しちゃって。あなたのクラスメイトが、あのMAYAだったなんて、想像もできなくて……」
マヤのことは医療センターに向かいながら、エレナには一通り説明しておいた。
先ほど興奮して詰め寄ってしまったことを、エレナは素直に謝ってくる。
「ううん。大丈夫だよ、エレナ。こっちこそ医療センターのことを教えてくれてありがとう」
マヤが倒れた時、オレとマネージャー陣はあたふたしてしまった。
そんな時、選手村に隣接した医療センターに運ぶことを、指示してくれたのはエレナ。
彼女はドイツ代表の緊急時に対して、医療センターのことも事前に調べていたのだ。
「それにしてもクラスメイトに、あの世界の歌姫のMAYAがいるなんて……コータは相変わらず凄い人脈よね」
「そんな、エレナ……ボクは何もしていないよ? クラスで一緒に話すくらいで、あとサッカー部の試合を観に来てくれるくらいの関係で……」
マヤがクラスメイトなのは偶然。
オレが彼女と仲良くなったのも偶然。
MAYAがオリンピックサッカーの公式ソングを歌うことも、後で知ったことだ。
「世界の歌姫のMAYAが、一介のサッカー部の観戦に⁉ やっぱり普通じゃないわね。まあ……何となく私には理由は分かるけど」
「えっ? 分かるの、エレナ?」
マヤがうちの部の練習を見に来ていた理由は、未だに不思議である。
サッカーの勉強をしたいのなら、プロの試合もあるのに。
「それは女の勘よ……コータがモテるのは仕方がないけど、まさか、あのMAYAまでとは……」
エレナは小声で何やら言っている。
女性のこう時は、あまり詮索しない方がいい。
オレも高校生になって、少しだけ人間的に成長していた。
◇
「野呂コータ君……」
「あっ、学園長」
そんな時、病室から学園長……マヤの父親が出てきた。
マネージャーから連絡を受けて、学園長も飛んで駆けつけていたのだ。
「野呂コータ君。それにエレナ・ヴァスマイヤーさん。今回は迅速な対応をしてくれて、本当にありがとう」
「当然のことをしたまでよ、私は」
「ボクもです。学園長。頭を上げてください」
オレたちに向かって、学園長は頭を下げてきた。
かなり神妙な顔つき頭を下げているので、オレは逆に申し訳ない気持ちになる。
「あの……学園長。マヤは、大丈夫そうでしか?」
彼女の容態が気になり、尋ねてみる。
マヤは事前に会話していた時は、特に異常はなかった。
だが急に意識を失い倒れてしまった。
貧血や寝不足とは違い、明らかに異様な状態だったのだ。
素人のオレから見ても、明らかに普通ではなかった。
「マヤの症状か……」
「あっ、コータ。私、ジュースを買ってくるわ。好みにうるさいから、見つかるまで10分くらいかかるかも」
学園長の微妙な表情を察して、エレナが席を外す。
オレと学園長を二人っきりにしてくれたのだ。
こういったところの彼女の気づかいは、凄い。
さすがは16歳にして、大人たちとクラブ経営をしている才女である。
エレナが立ち去った後、待合室にはオレと学園長しかいない。
マネージャー陣の気配は、今はなくなっている。
「野呂コータ君。キミだけには話しておこう……うちの娘の病気のことを……」
「病気? マヤがですか?」
学園長の突然の告白に、オレは思え声を上げそうになる。
でも、声を抑える。
「ああ、そうだ。あの子は生まれつき病気を抱えている。特殊な病気で、通称は“セイレーン病”という特殊な病気なのだ……」
学園長の説明によると、マヤの病気は世界でも特殊なものだという。
現代医学でも治療薬や治療方法がないと。
「“セイレーン病”にかかった者は、普通の生活ができる。だが今回のように、いきなり症状が進む時もあるという。初期段階では、まずは声が出せなくなるという……」
「えっ……声が……」
学園長の口から出た説明が、信じられずにいた。
オレは大きな声を出しそうにあった、口を押える。
「更に“セイレーン病”が発症した患者が1年以上、生き残る確率は1%未満だという」
「1%未満……そんな…………マヤが……」
更に信じられない説明に、オレは言葉を失う。
思考が追いつかず、頭の中が真っ白になる。
同級生のマヤはオレと同じ17歳。
さっきまであんなに元気だった彼女が、あと少ししか生きられないなんて。
未だに信じられず、思考が止まってしまう。
「神はなぜ、マヤに……うちの娘に……こんな過酷な仕打ちを……残酷な運命を仕向けてきたのだ……」
先ほどまで冷静に説明していた、学園長の身体が震えていた。
手が真っ赤になるまで、こぶしを握り締め、自分の感情を必死で押し殺していたのだ。
「病気の話は、マヤは知っているんですか……?」
「1年前までは、言っていない。だが、うちの娘は勘が鋭くてね。霊感というか、それで病気のことはバレてしまったのだ」
マヤは幼い頃から霊感が鋭かったという。
不思議な声を聞いたり、オーラを見えたりできるという。
そのため父親である学園長も、“セイレーン病”のことを話してしまったのだ。
「でも、マヤはそんなに辛そうには見えなせんでした。クラスでも普通にしていたし、歌の仕事もしていて……」
「ああ見えて、うちの娘は気丈でね。“セイレーン病”のことを聞いても、娘は笑っていたのだ……」
マヤは病のことを知っても、普通に暮らしていた。
周りに気をつかわせないように、死の恐怖を抑え込んで生きていたのだ。
恥ずかしいことに一緒にいたオレですら、まったく彼女の病気のことを気づけずにいた。
「娘はいつも言っていたよ……『私、死を迎える日まで歌う。声が出なくなる瞬間まで、好きな歌を』……とな……」
そんな真剣な娘の言葉を口にしながら、学園長は涙を流していた。
たった一人の娘を、病気で失う父親として涙を流していたのだ。
◇
「ん?」
その時である。
オレは誰かが近づく気配を察知する。
「学園長……お嬢様が目を覚ましました」
それはマネージャーの一人。
陰のようにマヤに付き添っていた女性である。
どうやら倒れたマヤが、病室で意識を取り戻したらしい。
「お嬢さまから伝言です。『コータと少しだけ話をしたい』と」
「ああ、そうか。分かった」
マネージャーから伝言を受け取り、学園長は涙を拭く。
「すまないが、野呂コータ君。娘と話をしてくれないか。これは父親としてのお願いだ」
「はい……もちろんです」
なぜマヤがオレのことを指名したのか分からない。
だが日本男児として、断る訳にはいかない。
マヤの言葉をしっかり聞くために、オレは彼女の病室に向かうのであった。