第137話:マヤの話
夜の静かなオリンピック選手村で、クラスメイトのマヤに会った。
「マヤ、どうして、こんな所に⁉ とうか、どうやって、入れたの?」
選手村のセキュリティは厳しい。
どんなにお金持ちや有名人で、関係者証が無ければ誰に入ることは出来ないのだ。
「私は関係者だから」
「あっ、そうか!」
マヤは世界の歌姫のMAYA。
今回のオリンピックサッカーの世界公式ソングを担当していた。
だから関係者の許可証を持っていたのであろう。
「でも、こんな場所に女の子が一人で来たら、危ないよ」
ここだけの話、夜のオリンピック選手村は少しだけ危険である。
セキュリティは完璧で、外部からの犯罪者がいないはず……では、一体何が危険なのか?
「マヤは年ごろの女の子なんだから。ナンパとかされたら、大変だよ」
それは男子選手による、ナンパ行為である。
綺麗で可愛い女性を見かけたら、声をかけなければ失礼にあたる……そんな文化の国も、世界にはけっこうある。
だから外国の選手たちの中には、積極的にナンパする人たちもいるのだ。
特にマヤは歌姫として、世界的に有名人。
ナンパはされなくても、見つかっただけでもサインの大行列ができそうだ。
「それは大丈夫。マネージャーがいるから」
「えっ、マネージャーさんが? あっ、本当だ……いた」
マヤの近くに数人の人の気配があった。
でも人の姿がまるで見えない。
彼らは世界の歌姫のMAYAの専属のマネージャー陣。
マヤの父親が雇ったプロの人たちだ。
噂では特殊な護衛の訓練を積んだ、軍人経験者と聞いたことがある。
頼もしいボディガードだが、はっきりと言って、少し怖い存在だ。
「それなら大丈夫そうだね、マヤ。あっ、そういえば大事な話って、何かな?」
先ほど彼女は、そんな意味深なことを口にしていた。
こんなことは初めてあり、心配になってきた。
「コータ、サッカーのこと好き?」
「えっ、サッカーを? うん、もちろん大好きだよ!」
いきなり不思議な質問をされた。
だが即答で自分の想いを口にする。
サッカーのことは世界で一番大好きな存在だと。
「辛いことや、苦しいことがあっても、サッカーが好き?」
「そうだね……」
マヤの質問の意図は、よく分からない。
だがサッカーのことなら、正直に答えることができる。
たしかにサッカーをしていると、色んな大変なことがある。
毎日、眠いのに朝5時前には起きて、朝練に行かないといけない。
練習は単調な基本技の繰り返し。
不器用なオレは、人の何倍も自主練しないと、技を身につけることができないのだ。
それにサッカーをしていると、他の何もできない。
同級生がゲームとで遊んでいる間も、オレたちサッカー少年青年は泥だらけで練習していた。
学校のイベントや週末の行事にも、参加した記憶はほとんどない。
みんなが学園時代の青春を謳歌している間も、オレたちは遠征と練習を繰り返していた。
「色々大変だけど、それでも、ボクはやっぱりサッカーは好きだね!」
だがオレにとってサッカーは全てであった。
他の何モノにも代えがたい存在であり、青春の全てである。
同じように泥だらけでボールを追いかけている仲間たちとの、最高の青春の思い出なのだ。
「そんな、コータ、うらやましい……」
「えっ……でも、マヤも歌があるよね?」
「うん。私も歌……好き。コータがサッカーのことを好きなような、歌うのが好き。小さいころから……」
マヤは自分のことを語り出す。
小さい頃に見た、昔の外国の女性歌手。
その人に憧れて、幼稚園の頃から歌を始めたと。
「私は歌な毎日だった……」
最初は色んな歌手の真似をして、家の中で歌っていたと。
そのうちに自分でも作詞作曲をして、いろんなジャンルの歌に挑戦したと。
「プロデビューした後も、歌の毎日だった……」
小学生の時にマヤの歌った動画が、世界中で話題になった。
天使の奇跡の声を持つ妖精として、凄まじい反響をうんだ。
そこで彼女は世界的な音楽レーベルからスカウト受けたという。
「歌の世界もコータと同じ、少し大変。でも私、歌うのが好き」
プロになったマヤは、今まで通りに自由にする時間が激減したという。
それでも彼女は家で外で、感じたままに歌うのを続けてきたと。
何よりも音楽と触れ合うことが、最高の楽しみだと静かに語る。
「そうだったのか……こうして聞いてみると、ボクと似ていいるね、マヤ! ボクも幼稚園からサッカーを初めて、こうして今でもサッカーばかりしているよ!」
オレは歌の世界のことは、まったく分からない。
でもどこか似た境遇のマヤに、親近感をもっていた。
互いにサッカーと歌のことが大好きで、それだけのために人生を歩んできたことを。
「コータと同じ? それ、嬉しい……」
マヤは少しだけニコりとする。
彼女は『クールな氷の歌姫』と呼ばれて、感情を表に出さない。
でも、時たまこうして、凄く嬉しそうな顔をする時もある。
たぶん誰よりも感受性が豊かで、感情が豊かであろう。
少しだけ表に出すのが苦手な、不器用さんなのかもしれない。
「ボクもマヤも、ずっとサッカーと歌を楽しんでいければいいね!」
よく考えたら世界的な歌姫に対して、これは失礼な言葉かもしれない。
でもマヤの考え方はオレと少し似ている。
きっと彼女も人生のライフワークとして、歌を一生楽しんでいくような気がする。
「歌を……一生……か」
「ん?」
そんな時、マヤの表情が急に曇る。
先ほどまでの楽しそうな顔に、一気に暗い影が差してしまう。
もしかしたらオレが何かマズイことを言ってしまったのかな?
「質問。コータはサッカーが急に出来なくなったら、どうする? 例えば、その右足が事故で動かなくなってしまったら……」
「えっ……」
マヤからのまさかの質問に、オレは言葉を失う。
全身に鳥肌が立つような、嫌な波に襲われる。
(なんで、マヤがオレの右足のことを? 偶然だよな?)
前世の小学4年生の時、オレは交通事故で家族全員と右足を失っていた。
自分が逆境転生者であることは、今まで誰にも言ったことはない。
それなのに何故、マヤは急にそんなことを言い出すのであろうか?
偶然にしてはあまりにも的確すぎる質問だった。
(なんて答えればいいのかな……)
オレは言葉を失ったままだった。
何故ならマヤは真剣な表情をしていた。
こちらの本気の答えを待っている。
対しい嘘で答えてはダメなような気がしていた。
それほどまでにマヤは鬼気迫る、本気の表情をしていたのだ。
◇
「コータ! こんな所にいたのね!」
その時である。
別の女性が近づき、声をかけてきた。
「エレナ⁉ どうして、こんな所に⁉」
やって来たのはエレナ。
彼女とは先ほどまで、レストランで一緒にいた。
オレとヒョウマ君、エレナとユリアンさんの4人で晩ご飯を食べていたのだ。
「べ、別に理由なんてなくてもいいじゃない。コ、コータと海を見ながら、少しだけ話をしようかな……と思ったのよ」
エレナは顔を真っ赤にして答えてくる。
理由はよく分からないが、オレと二人きりで話をしたくて、追いかけてきたのであろう。
「でも、エレナ。ボクは今の人と……」
「ん? コータ、後ろにいる女は誰なの⁉ どう見てもアスリートに見えないけど⁉」
オレの後ろにいた女性……先ほどまで話をしていたマヤを認識して、エレナは目を丸くする。
かなり興奮した状態で、こちらにズカズカと近づいてくる。
「いや、彼女はマヤっていって、高校のクラスメイトで……」
「なんで、一般人が、この選手村にいるのよ⁉ さては私のコータを追っかけて、ここに侵入を⁉ というか、あんた、そんなにコータにそんなにくっついているの⁉ 離れなさい!」
エレナはかなり興奮していた。
オレの背中に寄りかかっていたマヤに対して、ズバズバを質問を連打する。
そんなに血相を変えなくてもいいのに。
(……ん? マヤは何で、オレの背中にくっついているんだ?)
彼女とはさっきまでは、普通に距離を空けて会話をしていたはず。
それなのに今はエレナの指摘の通り。
オレはマヤの体重を、自分の背中に感じられる。
「マヤ、どうしたの? あっ⁉」
首から上で後ろを振り返って、言葉を失う。
「マヤ、大丈夫⁉」
なんと彼女は意識を失っていたのだ。
「マヤ、しっかりして!」
急いでマヤを支えるように、自分の体勢を変える。
彼女を支えるオレの手は、熱くなる。
マヤの全身が熱くなっているのだ。
それに額に異常なまでの汗をかいている。
明らかに体調に異常があるのだ。
「コータ、その子は⁉ とにかく医療センターに運びましょう!」
「そうだね、エレナ!」
突然の事態に、エレナも冷静さを取り戻す。
こうしてオレたちは、倒れたマヤを運ぶのであった。