第136話:選手村
8月13日。
予選リーグを無事に突破した翌朝になる。
「ふう、今朝もいい天気だな!」
オレは起床してから、部屋のバルコニーから朝日を眺める。
今日はオリンピック8日目。
見事な快晴になりそうだ。
「おい、コータ。あまり身を乗り出すと、また落ちそうになるぞ」
「あっ、ヒョウマ君、おはよう! そうだね、落ちないように気を付けないとね!」
同室のヒョウマ君も目を覚ました。
挨拶をして、朝の準備に取り掛かる。
「そろそろモーニングに行くぞ、コータ」
「うん、そうだね、ヒョウマ君。今朝のメニューも楽しみだね!」
「この選手村は食べ放題だからって、今日もあまり食べ過ぎするなよ、コータ」
選手村の自室を出て、朝食の会場に向かう。
(選手村か……オリンピックって感じだね!)
そう……オレたちは数日前から、オリンピックの選手村に滞在していた。
ここで選手村に関して簡単に説明しておこう。
◇
『オリンピック選手村とは』
オリンピック大会で選手や役員などが、大会期間中に寝泊りする場所。
宿泊する生活施設とトレーニングセンターだけでなく、娯楽施設も多い。
銀行、レストラン、コンビニエンスストア、ファストフード店、美容室、病院、ネットカフェ、ディスコ、ゲームセンター、カラオケ、公園など、普段生活している街を再現している。
期間中の宿泊者数は、選手と選手団役員合わせて1万人を超え。
村というよりはちょっとした小都市の規模なのだ。
大阪オリンピックでは埋め立て地の一角に、選手村が建設されていた。
◇
そんな選手村に、オレたちサッカー日本代表も滞在していたのだ。
「いただきます!」
朝食会場のレストランに到着した。
オレは元気よく挨拶をする。
朝の食事は基本的にビュッフェスタイル。
自分で好きな料理を、大皿にとってきて食べる方式だ。
「うん、美味しい! 今日も美味しい! さすが選手村レストラン!」
選手村には世界各国の関係者が滞在する。
そのためレストランには世界の料理に対応したシェフたちがいた。
日本の権威のために、超一流のシェフたちが腕を振るっているのだ。
「よし、次はアフリカの料理を食べてみよう! 目指せ世界一周だね!」
オレはお替りに向かう。
選手村のレストランは全て食べ放題。
滞在者はいくら食べても、無料。
食いしん坊なオレにとっては、まさに夢のような世界なのだ。
「ちょっと、コータ。あなた、また食べ過ぎよ」
「あっ、エレナ! おはよう!」
アフリカ各国の料理を食べていたら、金髪の少女がやってきた。
ドイツサッカー代表に同行している、エレナ・ヴァスマイヤーである。
「コータ君、おはよう」
『おはよう、子猫ちゃんたち♪』
そのすぐ後にユリアンさんとレオナルドさんの二人もやってきた。
「あっ、ユリアンさん、おはようございます!」
『レオナルドさんも、おはようございます!』
オレは日本語とイタリア語を使い分けて、元気よく朝の挨拶をする。
追加の料理をとって、自分の席に戻る。
「いやー、こうやって、みんなで朝食を食べるのは、本当に楽しいですね!」
今、同じテーブルにいるのはオレとヒョウマ君の、日本代表組。
エレナとユリアンさん兄妹のドイツ代表組。
それにイタリア代表のレオナルドを加えた、総勢5人。
3ヶ国の国籍なグループである。
オリンピックの開会式の後から、選手村ではこのメンバーでいつも朝ご飯を食べていたのだ。
ちなみに会話は日本語がベース。
レオナルドさん以外は日本語がペラペラなので、そうなった。
それにレオナルドさんは日本を上手く話せないが、ヒアリングはほぼ聞き取れる。
いつの間にか日本語のヒアリングを習得していたのだ。
「こうして皆で一緒に食事していると、クリスマスパーティーの時を思い出すよね!」
オレがドイツ留学していた時、クリスマスはいつもエレナの家のクリスマスパーティーに招待されていた。
最後の年は、この五人でパーティーを楽しんでいたのだ。
正確には、妹の葵も加えた6人だが。
「本当は葵もいれば、再現ができたんだけどね」
「選手村はセキュリティが厳しいから、それは無理よ、コータ」
「それはそうだだね、エレナ」
選手村はテロ対策として、かなり厳重な警備が敷かれている。
選手と関係者しか入場できなく、家族ですら入場できない。
また関係者証を提示しないと、たとえ役員であっても入場できないほど厳重なのだ。
「でも、アオイちゃんなら4年後のオリンピックで、日本女子サッカー代表が確定だろ、コータ君?」
「葵が日本代表にですか、ユリアンさん? いやー、さすがに、それは無理だと思います!」
まさかにユリアンさんの予言に、オレは首を横にふって答える。
たしかに葵はサッカーが上手い。
でも、オリンピックに出られるなんて、兄として想像もできない。
『あら、子猫ちゃんが思っている以上に、あの妹ちゃんは天性の才能があるわよ。男の子に生まれていたら、今すぐユベトスFCにスカウトしたいくらよ♪』
『えっ、レオナルドさんまで⁉ しかもユベトスに⁉』
なんと、あの天下のユベトスFCの若き司令塔まで、妹のことを褒めてくれた。
そう言われてたら、何となく考えが改まってくる。
もしかしたらオレの妹は、それほどまでに凄いサッカー少女だったのか、と。
『ご馳走様でした。それじゃ、アタシは一足先に、イタリア代表の元に戻るわ♪』
レオナルドさんが一人だけ、先に席を立つ。
いつものよりも少し早い離席のような気がする。
今日は試合がないはずなのに、一体どうしたのかな?
『残念だけど、選手村で仲良く朝食できるのも、今日が最後よ、子猫ちゃん。何しろ、明後日は敵同士だかね、アタシたちは♪』
『あっ……』
そうか。
そういうことか。
イタリア代表も日本と同じく、予選リーグ突破していた。
そして8チームによるトーナメントの初戦は、日本対イタリア。
つまりオレとレオナルドさんが、いきなり対戦するのだ。
『アタシもイタリア代表の青色を背負う者として、勝たせてもらうわ、子猫ちゃん、子虎ちゃん』
レオナルドさんの口調はいつものように、軽い感じ。
だが、その瞳の奥には、激しい覚悟の光が放たれていた。
サッカーの歴史あるイタリア代表としての、確固たる強い意志である。
『ボクも……ボクたち日本代表も、負けるつもりはありません。明後日の試合では、お互いに全力を尽くしましょう!』
『オレ様もコータと同じくだ。日本の底力を、イタリア代表に見せてやる』
だがオレとヒョウマ君も負けてなかった。
真っ正面からレオナルドの覇気に立ち向かう。
例え相手が6つ年上で、ユベトスFCのエースでも関係ない。
オレたちもサムライブルーの日の丸を背負う者として戦うのだ。
『いい目ね、二人とも。明後日を楽しみにしておくわ♪』
そう言い残して、レオナルドさんは立ち去っていく。
「見事な宣言だったよ、コータ君」
「ありがとうございます、ユリアンさん」
「でも今回のイタリア代表は、かなりの好調だ。勝機はあるのかい?」
「勝機ですか……」
客観的に見て、総合力ではイタリア代表が圧倒的に上。
イタリア代表はレオナルド・リッチ以外にも、現役セリエA選手や未来のスーパースターを要している。
はっきりといってアジアレベルの日本には、勝機は数%しかないかもしれない。
「でも最後の1秒まで、ボクは諦めずにボールを追いかけます!」
サッカーの勝負は終わるまで分からない。
それは長いサッカーの歴史が証明している。
どんなに実力差があって最後まで諦めないチームには、大番狂わせがある世界なのだ。
「そうね、コータは、そんな大番狂わせを、何回も成し遂げてきたからね……あの、変態野郎も、やっつけちゃってね!」
「ありがとう、エレナ。でも、変態野郎はちょっと言いすぎだよ……」
「あら、コータは私より、あの男の方が好きなの? 酷いわ……」
「そ、そんな、エレナ……」
エレナのお蔭で、肩の固い力が抜けてリラックスできた。
予選リーグ突破は突破できけど、オリンピックサッカーはこれからが本番。
決勝トーナメントと勝ち進んでいかねば、三色のメダルには到達できないのだ。
「ごちそうさまでした! ボクも自主練に行ってきます!」
レオナルドさんとの対戦を想像していたら、身体がうずうずしてきた。
目の前の料理を一気に食べて、オレは席を立つ。
「相変わらず忙しい人ね、コータは。でも今日は試合の翌日なんだから、身体のケアを忘れないでよね」
「うん、わかった、エレナ。ほどほどにしておくね!」
オリンピックサッカーのスケジュールは、かなりハードである。
試合翌日の今日は、日本代表の練習は休みとなっていた。
軽い自主練をしてもいいが、激しいのは禁止されている。
「じゃあ、先に行っているね、ヒョウマ君!」
「ああ。あと、選手村で迷子になるんじゃないぞ、コータ」
「うん、分かった!」
選手村は広大な敷地の中に、色んな施設がある。
今までも何回か迷子になっていたオレは、細心の注意で帰ることにした。
◇
この日は朝食のあとに、軽く自主練。
その後は体のケアに力を注いだ。
午後はオリンピックサッカーの録画しておいた映像を、ヒョウマ君と部屋で鑑賞。
本当はスタジアムで生観戦したかったが、代表であるオレはスケジュールが厳しい。
でもサッカーオタクであるオレは、録画した映像だけでも楽しめた。
色んな選手のスーパプレーに、オレ一人で大興奮する。
サッカー鑑賞の後は、また軽く自主練をした。
今度はヒョウマ君と二人で、対イタリア戦の練習。
レオナルド・リッチをいかに封じ込めるかを、二人で何度もシュミレーションした。
そんな感じで、あっという間に時間は経つ。
時間は夜の7時になっていた。
「いやー、今日も一日、充実したなー」
夕ご飯も食べ放題でお腹いっぱいなオレは、幸せな気分であった。
夕食もヒョウマ君とエレナ、ユリアンさんの4人で一緒に食べた。
「さて、軽く食後の散歩をして帰るとするか」
オレは一人で選手村を歩いていた。
ヒョウマ君は買い物があるので、オレは一人で部屋に戻ることにしたのだ。
夜になり静かになった選手村の道を、一人でのんびりと歩いていく。
「コータ……」
「ん?」
そんな時である。
オレは女の子に声をかけられた。
「マヤ⁉ なんで、こんな所に?」
声をかけてきたのはクラスメイトのマヤであった。
なんでオリンピックの選手村に、マヤがいるのだろうか?
「コータに、だいじな話がある。だから来た」
マヤは神妙な顔をしていた。
あまり感情を表に出さない彼女の、こんな表情は初めてみる。
「ボクに大事な話を……?」
こうしてクラスメイトのマヤ……世界の歌姫のMAYAと、静かな夜の選手村で二人きりで話をするのであった。