第129話:【閑話】日本サッカー教会会長の話
《日本サッカー協会の会長、山口ゲンジロウの話》
ワシは日本サッカー協会の最高責任者である。
長年にわたり日本のサッカーの振興のために人生を捧げてきた。
そんなワシの人生の中で、最大の選択を迫られていた。
「オリンピック代表監督を解任する。賛成の方は挙手をお願いします」
サッカー協会の臨時理事会で、その議題を上程して可決した。
オリンピック本戦まで1ヶ月少しの期間。ありえない時期での解任の決断。
だが、どうしても解任しなければいけない問題を、監督自身が起こしてしまったのだ。
「今回の解任問題についてはワシが全ての責任をとる。とにかく新監督の候補のリストアップを急ぐんじゃ!」
過ぎてしまったことは仕方がない。
ワシはサッカー協会の全メンバーに指示をだす。
とにかく日本のサッカー界のために、急いで今回の問題を解決する必要があった。
◇
発表した次の日から、サッカー協会は蜂の巣をつついたようなっていた。
マスコミ各社から取材と問い合わせが殺到したのだ。
それと同時に“善意ある国民”からの苦情の電話も、協会に殺到していた。
「今回の件に関しましては……」
ワシは緊急の記者会見を開き、対応をしていく。
だがマスコミと世間の攻撃は、止むことはなかった。
むしろ以前よりも攻撃的な意見が、どんどん増えていったのだ。
「とにかく代表候補の選手たちは全力で守り抜け! サッカー協会が批判されることはあっても、選手と日本のサッカーのイメージダウンを防ぐのじゃ!」
ワシは協会のメンバーの先頭に立ち、今回の事件の解決に取り組む。
不眠不休が何日も続いたが、ここで倒れるわけにいかなった。
「ようやく日本のサッカーは、ここまで来たのじゃ……」
サッカーに関して日本は後進国と言われてきた。
正式にプロ化して20年ちょっと。
ヨーロッパと南米の100年クラスの歴史を持つ国とは、圧倒的に遅れをとってきた。
だが近年になって日本は、世界大会でもようやく結果を出せるようになっている。
ジュニアやユースクラブの世界大会での健闘。
オリンピックでの本戦出場。
そして長年の夢だったワールドカップ本戦のへの出場。
ワシが現役選手だったアマチュアリーグ時代では、考えられないような凄い結果を出してきた。
「ここで後退させる訳にはいかないのじゃ……」
今回の監督解任騒動で、世論は大きく沈んでいた。
サッカー協会はもちろん、日本サッカーに対して批判する声が多くなっていた。
恐れていたイメージダウンが起こり始めいたのだ。
「どうすればいいのじゃ……このままでは日本のサッカー界は……」
日本サッカーを支えてくれたスポンサー各社からの連絡も増えてきた。
今回のイメージダウンについての苦情だった。
正直なところ、ダメだった。
もう、どうすればいい、分からなくなってきた。
◇
そんな不眠不休で対応に追われていた、ある日。
ワシはとある場所にいた。
「ここは……タマ学園か……」
場所は都内の学園の敷地内。
夢遊病のように、いつの間にかたどり着いていたのだ。
「なんで、ワシは、ここに? ああ、そうか……アイツから連絡があったんじゃな……」
携帯でメールを確認して、ようやく思い出す。
ワシは今日の夕方に、旧友とここで会う約束をしていたのだ。
精神的に不安定な毎日の連続で、記憶が曖昧になっていたのかもしれない。
「約束の時間まで、まだ少しあるな……ん? あれは……?」
時間を潰そうとした時、視線の先に何かを発見する。
「あれはサッカー部か……」
目の前に見えたのは、小等部のサッカー部が練習している光景。
サッカー少年たちがグラウンドを駆けていた。
「懐かしいな……」
このタマ学園は自分の母校であった。
小学生から高校までのエスカレーター式。
そしてワシは小学校の時から、ずっとサッカー部に所属していたのだ。
「グラウンドは随分と立派になったもんじゃな。昔のアレは酷かったからな……」
今のタマ小のグラウンドは、サッカー専用の天然芝が敷かれていた。
だが自分が小学生の時は、もちろんそんな立派なものはない。
石だらけの粗末なグラウンドしかなかった。
「あの時代の日本のサッカーの環境は、本当に酷かったな……」
当時の日本の学校には芝の練習場は、ほとんどなかった。
ヨーロッパでは当たり前の環境が、日本では夢の世界だったのだ。
「ここまで整えるのに数十年か……本当に長かったな……」
ワシら年配のサッカー選手は、日本サッカーの環境を整えるために尽くしてきた。
華やかなJリーグの開幕を横目に見ながら、地道な事業を続けてきたのだ。
まずは海外からの最先端の知識と技術学んでいった。
次にサッカーの指導者を育成するため、ライセンス制度や指導機関を整えていった。
科学的で理論的なサッカー指導方法を、どんどん取り入れていった。
また環境面でも全国のサッカーを整えるようにしていく。
芝の練習場の整備の援助や、トレセンなどで若い年代の育成を進めていった。
当時の日本はサッカー超後進国。
とにかく、やることだらけで大変な毎日だった。
そして数十年が経ち、日本のサッカー界は大きく変わった。
世界の背中が見えてきたのだ。
「だが、ここまでたどり着いた日本のサッカーが……また遅れてしまうのか……」
ワシは胸が苦しくなる。
今回の監督解任問題は、かなりの大事件だった。
8月のオリンピック本戦での結果しだいでは、かつてない危機が訪れる可能性もある。
そして対応策は未だに見つかっていない。
ワシたちの今まで数十年の努力が、泡のように消えさろうとしていたのだ。
◇
「部活が終わった後に、居残り練習しているのかな?」
そんな悲観に陥っていた時である。
ワシの背後から声が聞こえてきた。
「みんな楽しそうだな!」
いつの間にか他の誰かが、やって来ていたのだ。
ワシの背中にぶつかる間際に立っていた。
「……おい、そこのキミ」
「ん?」
その人物はワシの上着を踏んでいた。
ごほんと咳ばらいをして、声をかける。
「えっ? あー⁉ す、すみませんでした!」
「本当に申し訳ありませんでした! もしもよかったら、クリーニング代を支払います……」
相手は平謝りしてきた。
やけに大げさな謝り方。
後ろを見る相手は制服を学生だった。
外見的に高校生くらい。
つまり、このタマ学園の高等部の生徒なのであろう。
「ふん。そこまでしなくてもいい。最近の若者は大げさだな」
今のワシは気分が悪い。
だが高校生相手に怒鳴るほど、落ちぶれてはいない。
大人の対応で許す。
だが今はこれ以上、他人と話をしている気分ではない。
この小等部グラウンドから立ち去ろう。
「ん? お前……もしから、野呂コータか?」
「えっ、はい。そうですが……」
だがワシは相手の正体に気がつき、声を漏らす。
なんとワシの服を踏んだのは、野呂コータ。
史上最年少のオリンピック代表候補だったのだ。
とにかく、こんな時にプライベートで会うとは、かなり気まずい。
代表候補に問い詰められても、仕方がない。
「お前、ワシのことを知らんのか?」
「あっ……はい? どこかでお会いしたでしょうか?」
「去年のサッカー協会の式で、顔を合わせただろうが?」
「そうでしたか……勉強不足で、申し訳ありませんでした……」
「このワシのことを覚えていないのか、お前は⁉」
だが野呂コータはワシのことを覚えていなかった。
信じられないことである。
代表候補がサッカー協会の会長の顔を知らないとは、言語道断。
式典でわざわざ挨拶をしてやったのに。
「ご、ごめんなさいです……」
「ふん、まあ、いい。ワシも所詮はそこまでの器だったということだ」
だが相手には悪気はなかった。
顔も覚えてもらえない会長だったのは、ワシ自身の問題だ。
さて、ここは面倒が起きる前に、立ち去るとするか。
「あっ、もしかして、サッカーを見ていたんですか?」
「そうですか……でも、サッカーは見ているだけ楽しいですよね!」
「おお、なるほどです! ボクの大先輩にあたる方だったのですね!」
だが野呂コータはどんどん話をふってきた。
ワシが迷惑そうにしているのに関わらず、一方的に話を進めていく。
早くここを立ち去らねば……。
「先輩は今でもサッカーをしているんですか? あっ、サッカー協会にいるということは、当たり前ですよね。それにしてもサッカーは本当に楽しいですよね! ボクもサッカーが大好きです」
その話題をふられて、ワシは足を止める。
何故なら今の心の琴線に触れてしまったのだ。
「サッカーか……たしかに好きじゃ。この日本でも誰よりも、愛していた自信はある。だが、今はサッカーに少し疲れてしまった……」
ワシは日本のサッカーの先立者として、これまで努力してきた。
日本サッカーを愛することに関して、誰にも負けない自信があった。
そう……今回の事件が起こる前までは……。
ワシが今まで行ってきたことは間違いだったのだろうか?
これかワシはどうすればいいのであろうか……。
「という訳です先輩! 一緒にサッカーしましょう!」
そんな時である、野呂コータが急に誘ってきた。
一緒にサッカーをしようと。
こ、こいつは突然何を言いだすんだ?
ワシはサッカー協会の最高責任者の会長だぞ?
「はい、これボクのサッカーシューズを使って下さい。サイズは同じくらいだと思います」
「あれー、もしかしたら、先輩、サッカーが下手なんすか? 小学生やボクに負けるのが、怖いんですか?」
だがワシの言い分を聞かずに、野呂コータはどんどん話を進めていく。
そればかりかワシのことを挑発してきた。
「ねえ。お兄ちゃん。お爺ちゃんはサッカー出来ないんじゃない?」
「そうだよ、お兄ちゃん。お爺ちゃんに無理はさせちゃダメだって、オレのママも言っていたよ」
「「「そーだ、そーだ!」」」
それに同調して小学生までもが、ワシのことを挑発してきた。
数十歳以上も年下の、後輩たちに憐れみを受けてしまったのだ。
「ふ、ふざけるな! ワシを誰だと思っておるのじゃ⁉ 歳はとったとはいえ、お前らのような若造たちには負けるはずがないじゃ!」
ワシは思わず感情を爆発させた。
そして気がついたら上着を脱いで、サッカーシューズを履いていた。
「おい、子どもたち! あの男……あの高校生には3人がかりで当たるんじゃぞ! サポートはワシがする!」
ワシは自軍の小学生に指示を出す。
相手は現役のオリンピック代表候補メンバーだが、負けるつもりはなかった。
(若造が……ワシを……ワシらの年代の苦労を舐めるなよ!)
心の中で吠える。
ワシが現役時代は、日本はこれよりもっと苦しい試合をした。
南米の神様や、ヨーロッパの皇帝たちと戦わなければいけなかった。
今のように日本のサッカー技術が遅れていた時代。
天と地ほどの技術差がある相手にも、当時にワシらは挑んでいったのだ。
「ワシは……ワシらは日本にサッカーが今のように無かった時代から、ボールを蹴ってきたんじゃ! 年季が違うわ!」
「おお、なるほど! 凄い!」
こちらの連携力でボールを奪う。
舐めるな、野呂コータ。
年配者だと思って、手加減をできる相手ではないぞ、ワシは。
「それならボクも敬意を払って全力を出します!」
なっ、全力でくるじゃと?
お前は正気か?
年配者や小学生を相手に、オリンピック代表候補が本気を出すのか?
……本当に出してきおった!
「えへへ……どうですか、先輩?」
この男はバカだ。
どんな時でも、どんな相手でも、敬意を払って全力プレイするのであろう。
そう……正真正銘のサッカーバカである。
「やるな、野呂コータ! じゃが、うちのチームはカウンターでいくぞ!」
だがサッカーバカに関しては、ワシも負ける訳にいかない。
こちらは数十年の年季があるのじゃ。
サッカーが好きすぎて、会長まで引き受けた大ばか者なんじゃぞ!
世間ではワシのことを金の亡者と呼ぶ者もいる。
だが知っているか?
サッカー協会の会長は、利益がほとんど無いボランティアな役職だと。
むしろ私財を売ってまで、ワシは日本サッカーの発展に尽くしてきたのじゃ。
そのくらいのサッカーバカでなければ、会長など引き受けられないのだ。
「なんて大人なげないカウンターを、先輩ですよ先輩⁉」
「老獪と呼ぶんじゃ、野呂コータ」
どうじゃ、参ったか?
サッカーはスピードやパワーだけはない。
世界の歴史の中では、今よりもずっとハードな試合が行われてきたんだぞ。
「くそ……それならボクたちもカウンターでいくぞ、みんな!」
「「「おー!」」」
「おい、待て! 野呂コータ! おい、みんな、壁を作るんじゃ!」
「「「了解!」」」
それから乱打戦になった。
キーパーがいない遊びルールなので、お互いに点は入りまくり。
全員でひたすらボールを追いかけて、全力でボールを蹴っていく状況となった。
「おい、待て! 野呂コータ! おい、みんな、壁を作るんじゃ!」
「「「了解!」」」
「えー、そんなのズルいよ!」
悪いがこういう試合はワシの一番得意としたペース。
小学生の時から、このグラウンドで何度も経験した乱打戦。
見たか、野呂コータよ?
「よし、最後はボクたち大人2人と、小学生の勝負だね!」
「おい、野呂コータ! さすがにそれは……」
「「「じゃあ、いくよ!」」」
最後の方は、もうサッカーでは無くなっていた。
よく分からない状況になっていた。
ワシはとにかく無心でボールを追いかけていくのであった。
◇
気が付くと時間はあっという間に経っていた。
帰宅時間となり小学生たちは解散。
野呂コータもワシと二言三言だけ話をして、立ち去っていった。
「ふう……」
グランドに一人残されたワシは、その場に座り込む。
スーツは既に汚れていたので、構うことは何もなかった。
というか体力が尽きて、もう一歩も動けない状況だった。
「ゲンジロウ……ナイスプレイだったな」
その時である。近づいて声をかけてきた者がいた。
「カズシ……お前……見ていたのか……」
声をかけてきたのは、古い友人だった。
この学園の学園長。
そしてワシの同級生である男だった。
「さっきのプレイ。“マムシのゲンジロウ”は健在だったな……」
「ふん。そのあだ名は止めろと、いつも言っていたらろう。 “ゴール前の魔術師のカズシ”め……」
小学生の時から、ワシらはサッカー仲間であった。
同時にライバルでもあった。
互いにこのグラウンドが石だらけの時代から、ずっとボールを追いかけて競い合ってきた。
「そういえばワシを呼びだした用件は何だ、カズシよ?」
ここで夕方に待ち合わせした相手に、問いかける。
おそらく今回の監督解任のこと。
迷走していたワシを心配して、この旧友が連絡をくれたのであろう。
「私の用件は済んだ。いや、野呂コータに先を越されたと言った方が正確かもしれん。ゲンジロウのその顔を見たらな……」
「なんだと、あの野呂コータが⁉ ああ、そうか……そうかも、しれんな……」
今のワシは空っぽだった。
全てのことを忘れて、清々しいほどに無心になっている。
自分を追い詰めていた問題のことなど、すっかり忘れていたのだ。
「じゃあ、ワシは帰らせてもらうとするか」
「全てが終わって落ち着いたら、酒でも飲まんか、ゲンジロウ?」
「ああ、そうじゃな、カズシ。オリンピック本戦が終わってからな……」
ワシは身体を起こして、上着を取りに行く。
全身が悲鳴を上げているが、休んでいる暇はなかった。
サッカー協会の本部に向かうため、足を一歩ずつ進めていく。
(さて、ワシの最後の一世一代の大仕事じゃ……見ていろよ、野呂コータめ!)
日本サッカー界のために自分の身を守っている場合ではない。
全てを投げ捨ててでも、守らなければいなかった。
この国でサッカーを愛する者と、ボールを追いかける少年少女たちの未来を守るために。
(『みんなで一緒にボールを追いかけるのは、本当に楽しかったですね』か……愚問じゃぞ、野呂コータ。サッカーは最高にエキサイティングなんじゃ!)
初めてサッカーボールを蹴った楽しさを、こうして思い出せた。
今のワシに怖いモノは何もなったのだった。