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第129話:【閑話】日本サッカー教会会長の話

《日本サッカー協会の会長、山口ゲンジロウの話》


 ワシは日本サッカー協会の最高責任者である。

 長年にわたり日本のサッカーの振興のために人生を捧げてきた。


 そんなワシの人生の中で、最大の選択を迫られていた。


「オリンピック代表監督を解任する。賛成の方は挙手をお願いします」


 サッカー協会の臨時理事会で、その議題を上程して可決した。

 オリンピック本戦まで1ヶ月少しの期間。ありえない時期での解任の決断。

 だが、どうしても解任しなければいけない問題を、監督自身が起こしてしまったのだ。


「今回の解任問題についてはワシが全ての責任をとる。とにかく新監督の候補のリストアップを急ぐんじゃ!」


 過ぎてしまったことは仕方がない。

 ワシはサッカー協会の全メンバーに指示をだす。

 とにかく日本のサッカー界のために、急いで今回の問題を解決する必要があった。



 発表した次の日から、サッカー協会は蜂の巣をつついたようなっていた。

 マスコミ各社から取材と問い合わせが殺到したのだ。


 それと同時に“善意ある国民”からの苦情の電話も、協会に殺到していた。


「今回の件に関しましては……」


 ワシは緊急の記者会見を開き、対応をしていく。

 だがマスコミと世間の攻撃は、止むことはなかった。

 むしろ以前よりも攻撃的な意見が、どんどん増えていったのだ。


「とにかく代表候補の選手たちは全力で守り抜け! サッカー協会が批判されることはあっても、選手と日本のサッカーのイメージダウンを防ぐのじゃ!」


 ワシは協会のメンバーの先頭に立ち、今回の事件の解決に取り組む。

 不眠不休が何日も続いたが、ここで倒れるわけにいかなった。


「ようやく日本のサッカーは、ここまで来たのじゃ……」


 サッカーに関して日本は後進国と言われてきた。

 正式にプロ化して20年ちょっと。

 ヨーロッパと南米の100年クラスの歴史を持つ国とは、圧倒的に遅れをとってきた。


 だが近年になって日本は、世界大会でもようやく結果を出せるようになっている。


 ジュニアやユースクラブの世界大会での健闘。

 オリンピックでの本戦出場。

 そして長年の夢だったワールドカップ本戦のへの出場。


 ワシが現役選手だったアマチュアリーグ時代では、考えられないような凄い結果を出してきた。


「ここで後退させる訳にはいかないのじゃ……」


 今回の監督解任騒動で、世論は大きく沈んでいた。

 サッカー協会はもちろん、日本サッカーに対して批判する声が多くなっていた。

 恐れていたイメージダウンが起こり始めいたのだ。


「どうすればいいのじゃ……このままでは日本のサッカー界は……」


 日本サッカーを支えてくれたスポンサー各社からの連絡も増えてきた。

 今回のイメージダウンについての苦情だった。


 正直なところ、ダメだった。

 もう、どうすればいい、分からなくなってきた。



 そんな不眠不休で対応に追われていた、ある日。

 ワシはとある場所にいた。


「ここは……タマ学園か……」


 場所は都内の学園の敷地内。

 夢遊病のように、いつの間にかたどり着いていたのだ。


「なんで、ワシは、ここに? ああ、そうか……アイツから連絡があったんじゃな……」


 携帯でメールを確認して、ようやく思い出す。

 ワシは今日の夕方に、旧友とここで会う約束をしていたのだ。

 

 精神的に不安定な毎日の連続で、記憶が曖昧になっていたのかもしれない。


「約束の時間まで、まだ少しあるな……ん? あれは……?」


 時間を潰そうとした時、視線の先に何かを発見する。


「あれはサッカー部か……」


 目の前に見えたのは、小等部のサッカー部が練習している光景。

 サッカー少年たちがグラウンドを駆けていた。


「懐かしいな……」


 このタマ学園は自分の母校であった。

 小学生から高校までのエスカレーター式。

 そしてワシは小学校の時から、ずっとサッカー部に所属していたのだ。


「グラウンドは随分と立派になったもんじゃな。昔のアレは酷かったからな……」


 今のタマ小のグラウンドは、サッカー専用の天然芝が敷かれていた。

 だが自分が小学生の時は、もちろんそんな立派なものはない。


 石だらけの粗末なグラウンドしかなかった。


「あの時代の日本のサッカーの環境は、本当に酷かったな……」


 当時の日本の学校には芝の練習場は、ほとんどなかった。

 ヨーロッパでは当たり前の環境が、日本では夢の世界だったのだ。


「ここまで整えるのに数十年か……本当に長かったな……」


 ワシら年配のサッカー選手は、日本サッカーの環境を整えるために尽くしてきた。

 華やかなJリーグの開幕を横目に見ながら、地道な事業を続けてきたのだ。


 まずは海外からの最先端の知識と技術学んでいった。

 次にサッカーの指導者を育成するため、ライセンス制度や指導機関を整えていった。

 科学的で理論的なサッカー指導方法を、どんどん取り入れていった。


 また環境面でも全国のサッカーを整えるようにしていく。

 芝の練習場の整備の援助や、トレセンなどで若い年代の育成を進めていった。


 当時の日本はサッカー超後進国。

 とにかく、やることだらけで大変な毎日だった。


 そして数十年が経ち、日本のサッカー界は大きく変わった。

 世界の背中が見えてきたのだ。


「だが、ここまでたどり着いた日本のサッカーが……また遅れてしまうのか……」


 ワシは胸が苦しくなる。

 今回の監督解任問題は、かなりの大事件だった。

 8月のオリンピック本戦での結果しだいでは、かつてない危機が訪れる可能性もある。


 そして対応策は未だに見つかっていない。

 ワシたちの今まで数十年の努力が、泡のように消えさろうとしていたのだ。



「部活が終わった後に、居残り練習しているのかな?」


 そんな悲観に陥っていた時である。

 ワシの背後から声が聞こえてきた。


「みんな楽しそうだな!」


 いつの間にか他の誰かが、やって来ていたのだ。

 ワシの背中にぶつかる間際に立っていた。


「……おい、そこのキミ」

「ん?」


 その人物はワシの上着を踏んでいた。

 ごほんと咳ばらいをして、声をかける。


「えっ? あー⁉ す、すみませんでした!」

「本当に申し訳ありませんでした! もしもよかったら、クリーニング代を支払います……」


 相手は平謝りしてきた。

 やけに大げさな謝り方。


 後ろを見る相手は制服を学生だった。

 外見的に高校生くらい。

 つまり、このタマ学園の高等部の生徒なのであろう。


「ふん。そこまでしなくてもいい。最近の若者は大げさだな」


 今のワシは気分が悪い。

 だが高校生相手に怒鳴るほど、落ちぶれてはいない。

 大人の対応で許す。


 だが今はこれ以上、他人と話をしている気分ではない。

 この小等部グラウンドから立ち去ろう。


「ん? お前……もしから、野呂コータか?」

「えっ、はい。そうですが……」


 だがワシは相手の正体に気がつき、声を漏らす。


 なんとワシの服を踏んだのは、野呂コータ。

 史上最年少のオリンピック代表候補だったのだ。


 とにかく、こんな時にプライベートで会うとは、かなり気まずい。

 代表候補に問い詰められても、仕方がない。


「お前、ワシのことを知らんのか?」

「あっ……はい? どこかでお会いしたでしょうか?」


「去年のサッカー協会の式で、顔を合わせただろうが?」

「そうでしたか……勉強不足で、申し訳ありませんでした……」


「このワシのことを覚えていないのか、お前は⁉」


 だが野呂コータはワシのことを覚えていなかった。

 信じられないことである。


 代表候補がサッカー協会の会長の顔を知らないとは、言語道断。

 式典でわざわざ挨拶をしてやったのに。


「ご、ごめんなさいです……」

「ふん、まあ、いい。ワシも所詮はそこまでの器だったということだ」


 だが相手には悪気はなかった。

 顔も覚えてもらえない会長だったのは、ワシ自身の問題だ。


 さて、ここは面倒が起きる前に、立ち去るとするか。


「あっ、もしかして、サッカーを見ていたんですか?」


「そうですか……でも、サッカーは見ているだけ楽しいですよね!」


「おお、なるほどです! ボクの大先輩にあたる方だったのですね!」


 だが野呂コータはどんどん話をふってきた。

 ワシが迷惑そうにしているのに関わらず、一方的に話を進めていく。


 早くここを立ち去らねば……。


「先輩は今でもサッカーをしているんですか? あっ、サッカー協会にいるということは、当たり前ですよね。それにしてもサッカーは本当に楽しいですよね! ボクもサッカーが大好きです」


 その話題をふられて、ワシは足を止める。

 何故なら今の心の琴線に触れてしまったのだ。


「サッカーか……たしかに好きじゃ。この日本でも誰よりも、愛していた自信はある。だが、今はサッカーに少し疲れてしまった……」


 ワシは日本のサッカーの先立者として、これまで努力してきた。

 日本サッカーを愛することに関して、誰にも負けない自信があった。


 そう……今回の事件が起こる前までは……。


 ワシが今まで行ってきたことは間違いだったのだろうか?


 これかワシはどうすればいいのであろうか……。


「という訳です先輩! 一緒にサッカーしましょう!」


 そんな時である、野呂コータが急に誘ってきた。

 一緒にサッカーをしようと。


 こ、こいつは突然何を言いだすんだ?

 ワシはサッカー協会の最高責任者の会長だぞ?


「はい、これボクのサッカーシューズを使って下さい。サイズは同じくらいだと思います」

「あれー、もしかしたら、先輩、サッカーが下手なんすか? 小学生やボクに負けるのが、怖いんですか?」


 だがワシの言い分を聞かずに、野呂コータはどんどん話を進めていく。

 そればかりかワシのことを挑発してきた。


「ねえ。お兄ちゃん。お爺ちゃんはサッカー出来ないんじゃない?」

「そうだよ、お兄ちゃん。お爺ちゃんに無理はさせちゃダメだって、オレのママも言っていたよ」

「「「そーだ、そーだ!」」」


 それに同調して小学生までもが、ワシのことを挑発してきた。

 数十歳以上も年下の、後輩たちに憐れみを受けてしまったのだ。


「ふ、ふざけるな! ワシを誰だと思っておるのじゃ⁉ 歳はとったとはいえ、お前らのような若造たちには負けるはずがないじゃ!」


 ワシは思わず感情を爆発させた。

 そして気がついたら上着を脱いで、サッカーシューズを履いていた。


「おい、子どもたち! あの男……あの高校生には3人がかりで当たるんじゃぞ! サポートはワシがする!」


 ワシは自軍の小学生に指示を出す。

 相手は現役のオリンピック代表候補メンバーだが、負けるつもりはなかった。


(若造が……ワシを……ワシらの年代の苦労を舐めるなよ!)


 心の中で吠える。


 ワシが現役時代は、日本はこれよりもっと苦しい試合をした。

 南米の神様や、ヨーロッパの皇帝たちと戦わなければいけなかった。


 今のように日本のサッカー技術が遅れていた時代。

 天と地ほどの技術差がある相手にも、当時にワシらは挑んでいったのだ。


「ワシは……ワシらは日本にサッカーが今のように無かった時代から、ボールを蹴ってきたんじゃ! 年季が違うわ!」

「おお、なるほど! 凄い!」

 

 こちらの連携力でボールを奪う。

 

 舐めるな、野呂コータ。

 年配者だと思って、手加減をできる相手ではないぞ、ワシは。


「それならボクも敬意を払って全力を出します!」


 なっ、全力でくるじゃと?

 お前は正気か?

 年配者や小学生を相手に、オリンピック代表候補が本気を出すのか?


……本当に出してきおった!


「えへへ……どうですか、先輩?」


 この男はバカだ。


 どんな時でも、どんな相手でも、敬意を払って全力プレイするのであろう。


 そう……正真正銘のサッカーバカである。


「やるな、野呂コータ! じゃが、うちのチームはカウンターでいくぞ!」


 だがサッカーバカに関しては、ワシも負ける訳にいかない。


 こちらは数十年の年季があるのじゃ。

 サッカーが好きすぎて、会長まで引き受けた大ばか者なんじゃぞ!

 

 世間ではワシのことを金の亡者と呼ぶ者もいる。

 

 だが知っているか?

 サッカー協会の会長は、利益がほとんど無いボランティアな役職だと。


 むしろ私財を売ってまで、ワシは日本サッカーの発展に尽くしてきたのじゃ。


 そのくらいのサッカーバカでなければ、会長など引き受けられないのだ。


「なんて大人なげないカウンターを、先輩ですよ先輩⁉」

老獪ろうかいと呼ぶんじゃ、野呂コータ」


 どうじゃ、参ったか?


 サッカーはスピードやパワーだけはない。

 世界の歴史の中では、今よりもずっとハードな試合が行われてきたんだぞ。


「くそ……それならボクたちもカウンターでいくぞ、みんな!」

「「「おー!」」」


「おい、待て! 野呂コータ! おい、みんな、壁を作るんじゃ!」

「「「了解!」」」


 それから乱打戦になった。

 キーパーがいない遊びルールなので、お互いに点は入りまくり。


 全員でひたすらボールを追いかけて、全力でボールを蹴っていく状況となった。


「おい、待て! 野呂コータ! おい、みんな、壁を作るんじゃ!」

「「「了解!」」」

「えー、そんなのズルいよ!」


 悪いがこういう試合はワシの一番得意としたペース。

 小学生の時から、このグラウンドで何度も経験した乱打戦。

 

 見たか、野呂コータよ?


「よし、最後はボクたち大人2人と、小学生の勝負だね!」

「おい、野呂コータ! さすがにそれは……」

「「「じゃあ、いくよ!」」」


 最後の方は、もうサッカーでは無くなっていた。

 よく分からない状況になっていた。


 ワシはとにかく無心でボールを追いかけていくのであった。



 気が付くと時間はあっという間に経っていた。

 帰宅時間となり小学生たちは解散。


 野呂コータもワシと二言三言だけ話をして、立ち去っていった。


「ふう……」


 グランドに一人残されたワシは、その場に座り込む。

 スーツは既に汚れていたので、構うことは何もなかった。


 というか体力が尽きて、もう一歩も動けない状況だった。


「ゲンジロウ……ナイスプレイだったな」


 その時である。近づいて声をかけてきた者がいた。


「カズシ……お前……見ていたのか……」


 声をかけてきたのは、古い友人だった。


 この学園の学園長。

 そしてワシの同級生である男だった。


「さっきのプレイ。“マムシのゲンジロウ”は健在だったな……」

「ふん。そのあだ名は止めろと、いつも言っていたらろう。 “ゴール前の魔術師のカズシ”め……」


 小学生の時から、ワシらはサッカー仲間であった。

 同時にライバルでもあった。

 互いにこのグラウンドが石だらけの時代から、ずっとボールを追いかけて競い合ってきた。


「そういえばワシを呼びだした用件は何だ、カズシよ?」


 ここで夕方に待ち合わせした相手に、問いかける。

 おそらく今回の監督解任のこと。


 迷走していたワシを心配して、この旧友が連絡をくれたのであろう。


「私の用件は済んだ。いや、野呂コータに先を越されたと言った方が正確かもしれん。ゲンジロウのその顔を見たらな……」

「なんだと、あの野呂コータが⁉ ああ、そうか……そうかも、しれんな……」


 今のワシは空っぽだった。

 全てのことを忘れて、清々しいほどに無心になっている。


 自分を追い詰めていた問題のことなど、すっかり忘れていたのだ。


「じゃあ、ワシは帰らせてもらうとするか」

「全てが終わって落ち着いたら、酒でも飲まんか、ゲンジロウ?」

「ああ、そうじゃな、カズシ。オリンピック本戦が終わってからな……」


 ワシは身体を起こして、上着を取りに行く。

 全身が悲鳴を上げているが、休んでいる暇はなかった。


 サッカー協会の本部に向かうため、足を一歩ずつ進めていく。


(さて、ワシの最後の一世一代の大仕事じゃ……見ていろよ、野呂コータめ!)


 日本サッカー界のために自分の身を守っている場合ではない。

 全てを投げ捨ててでも、守らなければいなかった。


 この国でサッカーを愛する者と、ボールを追いかける少年少女たちの未来を守るために。


(『みんなで一緒にボールを追いかけるのは、本当に楽しかったですね』か……愚問じゃぞ、野呂コータ。サッカーは最高にエキサイティングなんじゃ!)

 

 初めてサッカーボールを蹴った楽しさを、こうして思い出せた。

 今のワシに怖いモノは何もなったのだった。




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