第128話:大先輩との出会い
ぼーっとしていたオレは、知らない大人の人のスーツの上着を踏んでしまった。
「本当に申し訳ありませんでした! もしもよかったら、クリーニング代を支払います!」
相手が野原に座っていたとはいえ、悪いのは100%こちら。
オレは頭を下げて全力で謝る。
サラリーマン時代に習得した、平謝りで頭を下げる。
「ふん。そこまでしなくてもいい。最近の若者は大げさじゃな」
相手の人は立ち上がって上着のホコリを払い、寛容に許してくれた。
パッと見は頑固そうで、かなり怖そうなオジさん。
だけど実際にはいい人なのかもしれない。
「ん? お前……もしから、野呂コータか?」
「えっ、はい。そうですが……」
オジさんはオレのことを知っていた。
目を丸くして何かに驚いている。
だがオレは相手のことを知らない。
もしかしたらサッカー番組を見ている人なのかな?
それなら代表のオレの顔を知っていてもおかしくない。
「お前、ワシのことを知らんのか?」
「あっ……はい? どこかでお会いしたでしょうか?」
「去年のサッカー協会の式で、顔を合わせただろうが?」
なんとオジさんはサッカー協会の関係者だった。
去年の式といえば、オレがオリンピック代表候補に選ばれて直後……あれはたしか東京のホテルで開催された団結式だった。
「サッカー関連の方でしたか……申し訳ありません、ボクの勉強不足でした」
相手の顔を知らないことを、素直に謝る。
何しろあの時はたくさんのサッカー関係者がいた。
その数、関係者だけで200人以上。
あまりの多くの人に挨拶をされて、オレは記憶が曖昧になっていたのだ。
更に極めつけは料理。
会場には美味しい料理のビュッフェコーナーがあったのだ。
料理の名前と美味しさだけは全部覚えている。
だから人の顔と名前を覚えるのは無理な話。
このオジさんの名前も忘れていたが、言われてみれば確かに、どこかで会ったような気がする。
「このワシのことを覚えていないのか、お前は⁉」
「ご、ごめんなさいです……」
「ふん、まあ、いい。ワシも所詮はそこまでの器だったということだ」
顔を覚えていないことに対して、オジさんは怒ってはいなかった。
むしろ少し寂しそうな感じ。
オレから視線を背けて、グランドに向ける。
「あっ、もしかして、サッカーを見ていたんですか?」
気まずくなったオレは話題を変えることにした。
ここから見えるのは小等部のサッカー場だけ。
つまりこのオジさんも、オレと同じように見ていたのであろう。
状況的にオレよりもズッと前から、練習を見ていたのかもしれない。
もしかしたら、自分の子どもや孫が、あのサッカー少年軍団の中にいるのかな?
「ワシの息子と孫は、サッカーをしとらん」
「そうですか……でも、サッカーは見ているだけ楽しいですよね!」
どんな世代やレベルでも、サッカー観戦は楽しい。
特に成長期である小学生は、急に上手くなるプレイヤーもいる。
きっと、このオジさんも本当にサッカーのことが好きなのであろう。
でも、なんでサッカー関係者が、このタマ学園に来ているんだろう?
「ワシはこの学園の卒業生……あの小学校のサッカー部のOB。だから見ていた」
「おお、なるほどです! ボクの大先輩にあたる方だったのですね!」
なんとオジさんはタマ学園の出身だという。
つまりオレの数十年以上の大先輩となる。
しかも小学生から大学まで、ずっとサッカー部に所属。
だから小学生を顔も、どこか懐かしそうな目をしていたのか。
「大先輩は今でもサッカーをしているんですか? あっ、サッカー協会にいるということは、当たり前ですよね。それにしてもサッカーは本当に楽しいですよね! ボクもサッカーが大好きです」
サッカー好きに悪い人はいない。
特に今はオリンピック直前で、サッカーも盛り上がっている。
大先輩を前にして、思わず饒舌になってしまう。
「サッカーか……たしかに好きじゃ。この日本でも誰よりも、愛していた自信はある。だが、今はサッカーに少し疲れてしまった……」
先ほどまで元気だった大先輩が、急に小声になっていく。
とても悲しそうな瞳で、グランドを見つめている。
事情は知らないが、本当に辛そうで苦しそうな表情だった。
「でも、サッカーのことは好きなんですよね、先輩は……?」
「もうワシには、サッカーが何なのか、分からなくなってきたんじゃ……」
大先輩は更に悲痛な表情を浮かべる。
何かがあったか知らないけど、かなり苦しそう。
すごい眉間にシワがよっていてた。
もしかしたらサッカー関連の仕事で、なにか失敗して悩んでいるのかもしれない。
出来れば大先輩に元気になって欲しい。
でも事情も知らず、どうすればいいのだろう……。
◇
「あーー、ボールいっちゃった!」
「そこのお兄ちゃん! ボールとってよ!」
そんな時である。
ボールが飛んできた。
グランドにいたサッカー少年たちが、失敗して蹴ってしまったのだ。
ここは優しい高等部の先輩として、オレがかっこよく蹴り返してやるか。
「よーし、返すね! ん? ……あっ!」
更にその時、オレはあるアイデアを思いついた。
先輩を元気づけるためのアイデアだった。
「ねえ、みんな。お兄ちゃんもサッカーに混じっていい?」
オレは子どもたちに声をかける。
一緒にミニゲームに混じってもいいかと。
「えー、別にいいけど! でも、オレたちかなり上手いよ!」
「お兄ちゃんサッカー下手そうだけど、大丈夫?」
子どもたちはオレの顔を知らなかった。
地味な外見から、サッカー下手そうな烙印をおされてしまう。
でもこれも仕方がないであろう。
今のオレは学生服姿。
サッカーユニフォームを着ていないので、オリンピック代表メンバーだと気がつかれていないのだ。
更に顔が地味なオレは、まだまだ小学生の世代には知られていないのであろう。
まあ、この辺は気にしないでおこう。
とにかく小学生から参加OKの了解をもらえた。
次の行動に移るろう。
「という訳です大先輩! 一緒にサッカーしましょう!」
「な、なんだと⁉ 何を急に言い出すんだ、野呂コータ⁉」
「はい、これボクのサッカーシューズを使って下さい。サイズは同じくらいだと思います」
先輩は驚いていたが、オレは構わず話を進めていく。
革靴の大先輩のために、自分のサッカーシューズを手渡す。
目測ではサイズはちょうど同じくらいであろう。
「たしかにサイズは同じだが……なんで、ワシがお前や、あんな子供たちとサッカーをしなければいけないんだ⁉」
大先輩のこの反応も想定済み。
「あれー、もしかしたら、先輩、サッカーが下手なんすか? 小学生やボクに負けるのが、怖いんですか?」
オレは子どものように挑発する。
同時に小学生たちにも、同調するように仕向ける。
「ねえ、お兄ちゃん。そのお爺ちゃんはサッカー出来ないんじゃない?」
「そうだよ、お兄ちゃん。お爺ちゃんに無理はさせちゃダメだって、オレのママも言っていたよ」
「「「そーだ、そーだ!」」」
オレの挑発に、小学生たちが食いついてきた。
彼らにとってお爺ちゃん年代の大先輩を、擁護しだす。
「ふ、ふざけるな! ワシを誰だと思っておるのじゃ⁉ 歳はとったとはいえ、お前らのような若造たちなど目ではないぞ!」
大先輩はシューズを履いて、上着を脱ぐ。
顔を真っ赤にして、グランドに降りてきた。
「よーし。じゃあ、みんなスタートしよう! 最初は、この組でね!」
しめしめ。
作戦は上手くいった。
サッカーは元気のない人に、パワーを与えてくれる。
だから元気のない大先輩を巻き込んで、オレたちはサッカーをすることにしたのだ。
「よーし、みんないくよ。あっちの怖いオジさんは上手いみたいだから、気を付けてね!」
「「「うん、わかった!」」」
チームはオレの組と、大先輩の組で対戦することにした。
オレは自分のチームの小学生に指示をだす。
臨時ではあるがキャプテンを務めさてもらう。
「おい、子どもたち! あの男……あの高校生には、3人がかりで当たるんじゃぞ! サポートはワシがする!」
「「「うん、わかった!」」」
大先輩は自分のチームに指示を出していく。
さすがはサッカー関係者であり、的確な指示。
これは油断できないぞ。
「じゃあ、いきますよ、大先輩!」
いよいよミニゲームが始まる。
いきなりオレは大先輩と、1対1で戦う場面があった。
オレは適度な力で、ドリブル勝負していく。
「ワシを舐めるな、野呂コータ!」
「えっ?」
手加減している場合ではなかった。
なんと大先輩にボールが取られてしまったのだ。
手加減していたとはいえ、まさかの出来ごと。
「ワシは……ワシらは日本にサッカーが今のように無かった時代から、ボールを蹴ってきたんじゃ! 年季が違うわ!」
「おお、なるほど! 凄い!」
プレイしながら大先輩の言葉を受け止める。
たしかに歳がいった大先輩のプレイには、若い人のような激しさはない。
だが一緒にプレイしているだけは分かる。
先輩がこれまで積んできた練習の量は、かなり半端ない。
小学生のころから今まで、途方もない時間ボールを追いかけていたんだろう。
老練な巧みな技の持ち主だった。
「それならボクも敬意を払って、全力を出します!」
オレは手加減することを止めた。
大先輩に対して敬意を払うために、もてる全ての技でぶつかっていく。
「えへへ……どうですか、大先輩?」
「やるな、野呂コータ! じゃが、うちのチームはカウンターでいくぞ!」
先輩はすぐに反撃してきた。
オフサイドな無い遊びルールなので、カウンターを仕掛けてくる。
「なんて大人なげないカウンターを⁉」
「老獪と呼ぶんじゃ、野呂コータ」
「くそ……それならボクたちもカウンターでいくぞ、みんな!」
「「「おー!」」」
それからは双方攻めまくり。
乱打戦となっていく。
キーパーがいない遊びルールなので、お互いに点は入りまくり。
全員でひたすらボールを追いかけて、全力でボールを蹴っていった。
「おい、待て! 野呂コータ! おい、みんな、壁を作るんじゃ!」
「「「了解!」」」
最後の方は、何でもありな状態だった。
とにかくボールを入れた方が勝ち、みたいな状況になっていた。
「よし、大先輩。最後はボクと大先輩の大人2人のチーム。相手は小学生全員の組で勝負しましょう!」
「2対12人じゃと⁉ おい、野呂コータ! さすがにそれは、ワシの年齢には……」
「「「じゃあ、いくよ!」」」
サッカーは本当に楽しいスポーツ。
大の大人が小学生に相手に、ムキになってボールを追いかける。
こうしてオレたちは敵味方も関係なく、がむしゃらに楽しんでいくのだった。
◇
「あっ! そろそろ家にかる時間だよ、みんな!」
「じゃあねえ、お兄ちゃんたち! また遊ぼうね!」
いつの間にか時間が過ぎ去てっていた。
小学生は、暗くなる前に解散で帰宅。
グランドに残ったのは、オレと先輩の二人だけになった。
はしゃぎ過ぎたオレと大先輩は、グラウンドに倒れ込んでいた。
「楽しかったですね、先輩……」
「ふん……年配者をもっと労われ、野呂コータめ……」
大先輩は空を見上げながら、苦笑いしていた。
「あっはは……そうですね。でも、みんなで一緒にボールを追いかけるのは、本当に楽しかったですね……」
「ああ……そうじゃな……」
大先輩は笑みを浮べていた。
先ほどまでの眉間のシワは、すでに消えている。
「サッカーは、こんなにも楽しいものじゃったな……」
大先輩は何かを吹っ切れた表情で、本当に清々しく笑っていた。
◇
それから数日が経つ。
日本サッカー協会の本部で、緊急の記者会見が開かれた。
出席したのは会長である山口氏。
会見は次のような内容あった。
・今回の監督解任による騒動の責任をとり、山口氏は会長を辞任。ただし最終的な責務を全うするために、辞任はオリンピックが終わってから。
会見を見たオレの父親の話では、辞任を口にした山口氏の顔は、かつてないほどの真剣だったという。
そして吹っ切れた表情、清々しいほどに晴れ渡っていたと。
また記者会では、新監督の名も発表された。
・オリンピック日本サッカー代表の新監督は『澤村ナオト』氏。
◇
こうして日本のサッカー界に、新たなる大きな波が訪れていく。
オレも知らないうちに巻き込まれていくのであった。