第118話:歌姫の小さな前進
クラスメイトのマヤと、渋谷の写真スタジオでばったりと会った。
なんと彼女はオリンピックサッカーの世界公式ソングを、歌うことになっているという。
「マヤが公式ソングを……」
日本代表という小さな枠ではなく、世界全体の公式ソングという言葉。
世界中の歌手を代表した、まさにワールドクラスの抜擢なのだ。
「でも本当は断るつもりだった」
「えっ⁉ どうして⁉」
マヤのまさかの言葉に驚く。
凄く世界的な仕事なのに、どうして断るつもりだったのでろうか?
「私、サッカーの良さ、分からなかった。曲のイマジネーション、浮かばなかった。だから断ろうと思っていた」
「なるほど……そういうことか」
MAYAはシンガソングラータ。
つまり作詞作曲も自分で行う歌姫なのだ。
音楽のことはよく分からないけど、興味がないモノの曲は作れないのであろう。
オレもサッカーのことに関しては、いくらでも想像力が働く。
その気になればサッカーの鼻歌や、ポエムも作れるかもしれない。
でも、興味がない分野に関しては無理。
イマジネーションはそれだけ大事なのであろう。
「あれ? でも、仕事を引き受けたということは……つまりマヤは、サッカーの……」
「うん。サッカーに少しだけ、興味がもてた」
「おお、やっぱり! それは素晴らしい!」
マヤの口から出た言葉に、素直に喜ぶ。
数ヶ月前の初対面の時。
サッカーに関して全く興味がなかったマヤが、いつの間にか変わっていた。
少しだけど、サッカーのことが好きになってきていたのだ。
(マヤも努力していたんだな……)
マヤの言葉のニュアンスでは、公式ソングの仕事はだいぶ前から内定はしていた。
彼女が4月からサッカー部を見にきていた理由は、勉強ものためだったのかもしれない。
きっとサッカーの公式ソングを作るために、勉強にきていたのであろう。
マヤがサッカーに興味を持てたのは、ウチの部の殊勲賞かもしれない。
「サッカーに興味が持てたのは、コータのおかげ」
「えっ、ボクの?」
「そう。楽しそうなコータの顔を観ていたら、インスピレーションが浮かんだ」
少しは恥ずかしいけど、これも素直に嬉しい言葉である。
他の素晴らしいサッカー選手から、オレも多くの感動とインスピレーションを頂いていた。
それと同じように、オレも誰かに想いを伝えることが出来たのだ。
「あっ、もしかしたら、今後もオリンピック関係で、マヤにばったり会うこともあるかもね?」
「たぶん。オリンピックサッカーの決勝戦で、私も歌う予定」
「決勝戦で、マヤの生ライブか……それは楽しみだね!」
オリンピック期間中は、多くのパフォーマンスが開催される。
その中で彼女も出番があるという。
普段はTV出演をしない歌姫のMAYAの生ライブ。
来年のオリンピックのサッカーは、本当に盛り上がりそうだ。
「よし、そのためにはボクたち日本も、決勝戦まで到達しないとね! あっ! その前に1月のアジア予選を突破しないとね! あとボクの場合はレギュラーに選ばれるようにしないとね!」
マヤのスケジュールを聞いて、オレは気合いを入れる。
オリンピック本戦までの道は険しい。
そして普通の高校生であるオレは、まずは国内のレギュラー争いに勝つ必要があるのだ。
「MAYA、そろそろ撮影の時間だ」
マヤの背後に控えていたマネージャーが、時間を確認して声をかけてくる。
人気歌姫は日曜日の今日も、忙しいのであろう。
「じゃあ、コータ」
「うん。また学校でね、マヤ!」
仕事があるマヤとは、ここでお別れとなる。
でもクラスメイトなので、教室で会う機会は多い。
今後またサッカーの話をできるといいな。
「お兄ちゃん……今のキレイな人は誰だったの?」
「あっ、葵。彼女はマヤっていうクラスメイトで、実は有名なMAYAっていう歌手なんだよ!」
マヤのことを見るのを初めてな妹に、彼女のことを説明しておく。
同じ学園に在籍しているけど、別世界の人気者だと。
まあ……MAYAのことをオレが知ったのも、つい最近のことなんだけど。
知ったかぶりで妹の教える。
「歌手のMAYA? その人はよく知らないけど、葵……あの人を何回か見たことがある」
「えっ、マヤのことを?」
「うん。お兄ちゃんの試合の時に、よく遠くから見ていた人だった」
そうか、ウチの部の試合の時に、マヤのことを発見していたのか。
葵はオレと同じくらいに視力が良い。
だから普通の観客が発見できない、遠い場所にいるマヤのことを、目視できたのであろう。
「あの人、お兄ちゃんのプレイばかりを目で追っていた……だから葵、知っている」
「えっ、ボクのプレイを?」
「うんうん……葵の気のせいかもしれない」
葵は気になることを口にした。
けど、すぐに首を振って訂正していた。
この辺は年頃の女の子なんで、よく分からない領域である。
女心と秋の空という未知の領域だ。
(とにかく、マヤの歌を生で聴くためには、まずはアジア予選を突破しないとな……よし、今日からまた頑張らないと!)
チームとしての写真撮影も大事だけど、サッカー選手は練習が基本。
オレは気持ちを新たにして、気合を入れ直すのであった。
「ねぇ、お兄ちゃん。帰りは約束通り、クレープを食べていこうよ!」
「あっ、そうだったね。よし、クレープ屋さんまでダッシュで向かおう!」
サッカーも大事だけど、今は撮影でお腹がかなり空いていた。
こうして渋谷を満喫しつつ、アジア予選に心を高めていくのであった。
◇
それから日が経っていく。
オレは順調にオリンピック代表としての練習をこなしていった。
オリンピック代表は総合力高めていくために、国内のチームと練習試合で戦っていった。
その中でもあえて上の年齢……24歳以上の強豪チームと戦い、代表としての連携力を高めていった。
また外国チームを日本に招待して、親善試合も何回かこなしていく。
外国人の多くは、日本人よりも身体能力に優れている。
そういったハンデを組織力でカバーしていくための練習試合だ。
(代表チームはなかなか順調だな。よし、オレも頑張らないと!)
そんな中でオレも奮闘していた。
基本的にオレは控えの選手の扱いである。
練習試合でも途中出場をしながら、チームに馴染んでいる。
(控えは寂しいけど、この状況だと難しいかもしれないな……)
オリンピックが近づくにつれて、新聞などのマスコミが勢いを増してきている。
最近ではオレの招集に関する、不安要素の記事も多くなってきた。
『高校生招集は話題集めのため⁉』
『不安だらけのオリンピック日本サッカー⁉』
『アジア地区予選突破は運しだい⁉』
最初は記事のネタとなっていたオレも、今ではヘイトの対象になっていた。
そのため監督としてもオレはスタメン起用し辛いのであろう。
(とにかく試合だ。公式試合で結果を出さないと!)
いくら練習試合や親善試合で結果を出しても、大きな流れはこない。
マスコミやサッカーのファンが観たいのは、大事な試合で勝てるチーム。
そして彼らが求めているのは、本番で結果を出す選手なのだ。
(焦らないでいこう。まだ来週の沖縄での最終キャンプがある……)
今は12月の中旬。
オレたち代表チームは来週の12月22日から、一週間のキャンプに入る。
そこでチームの最後の仕上げを行うのだ。
(そして3週間後は最終予選か……)
年が明けた1月12日から30日まで、中東でAFC U-23選手権が開催される。
来年の大阪オリンピック・アジア最終予選も兼ねている。
その上位3チームだけが、オリンピック出場権を獲得するのだ。
(よし、とにかく頑張っていくぞ!)
◇
そしてまた日は流れ、月が替わる。
1月の中旬となる。
「ここが決戦の地か……」
オレは国際便から中東国へ降り立つ。
こうして運命のアジア最終予選がやってきたのだった。