第117話:写真撮影
オリンピック代表の初練習に参加してから2ヶ月が経ち、暦は11月になる。
オレは代表としての日々を、順調に過ごしていた。
「よし、今日の練習はここまで。各自、アフターケアも忘れなよ」
「「「はい!」」」
今もちょうど、代表メンバーの合同練習が終わったところである。
オレは数回の合同練習に参加していた。
「今後のスケジュールだが、12月末にキャンプ合宿を行う。年明けの1月には最終予選に向けて、改めて気を引き締めていくぞ!」
「「「はい!」」」
練習後、ヘッドコーチから今後のスケジュールについて説明がある。
特に力は入っているのは2ヶ月後、1月のアジア地区最終予選について。
日本は来年の8月のオリンピックに出場するために、1月のアジア予選を突破する必要があるのだ。
(この代表メンバーでの合同練習は、今年もあと数回だけか……けっこう少ないんだな……)
サッカーの日本代表は各クラブのプロを集めた集団。
そのため合同練習で練習する機会は、思いのほか少なかった。
(でも、これも仕方がないか。オレ以外の皆は、現役のJリーガーだからね……)
オリンピック代表のほとんどは現役のプロ選手。
そのため毎週のようにリーグ戦やカップ戦に、彼らは出場している。
試合の合間にやや強引に、代表メンバーは招集されているのだ。
(だから、あとは各自で練習しておく必要があるのか……)
悪い言い方をすれば代表チームは、寄せ集めの集団である。
そのためオリンピック予選までの少ない回数で、チームとしての精度を上げていく必要があるのだ。
かなり効率が悪く見えるが、この条件は世界各国も同じ。
海外の代表チームも、日本以上に過酷なヨーロッパリーグと併用しながら戦っているのだ。
(他の人に比べてオレはまだ高校生だから、恵まれているのかもな……)
オレはオリンピック代表を優先的にして、スケジューリングしている。
何も無い日は学校に通い授業を受け、サッカーの部活に参加していた。
そういう意味で今のところは順調な毎日である。
「あと、今週の週末から写真撮影もある。各自で必ず指定のスタジアムに行くように」
最後にヘッドコーチから大事な連絡はある。
代表メンバーは必ず写真撮影に行けという。
写真撮影が必須とは、何かあるのかな?
初めてのことなの頭を傾げる。
「サッカー協会のHPやスポンサーで使う宣伝用としてだ、コータ」
「なるほどです。ありがとうございます」
首を傾げていたオレに、代表メンバーの人が小声で教えてくれる。
なるほど、そういうことか。
そういえばオリンピックの時は、色んなところでサッカー選手の写真を見かける。
スポーツ用品店やTVのCM。あと雑誌やコンビニでも見かける。
今度はオレが撮られる番になるのか。
緊張してきたな。
(とにかく変な顔をしないように気をつけにないと……)
こうしてオレは今度の日曜に、写真撮影の予約をするのであった。
◇
数日が経ち、日曜日になる。
今日は予約をしていた写真撮影の日だ。
「お兄ちゃん、あれが渋谷駅だよ」
「あれが、葵?」
今日は妹の葵と、渋谷にやってきた。
指定された写真スタジオは渋谷。
初めての渋谷で不安だったオレに、葵がついてきてくれたのだ。
「おお! ここが伝説のハチ公前か⁉ それにしても、凄い人出だな……」
渋谷駅前に到着して、その光景にオレは言葉を失う。
前が見えなくなるくらいの人で、ハチ公前はごった返していたのである。
人、人の大群衆だ。
「す、凄いな……今日は渋谷でお祭りでもあるのかな……?」
「何言っているの、お兄ちゃん? これが渋谷の普通みたいだよ」
「これが普通の日曜日なのか……渋谷……恐ろしい場所」
葵は中学や女子サッカーの友だちに連れられて、渋谷に来たことがあるという。
だから慣れた感じである。
それに比べてオレは正真正銘の初渋谷。
あまりの人多さに、口を開けたまま驚く。
「あっ、そうだ! お兄ちゃんは有名人だから、顔を隠さないと!」
「それは大丈夫かな、葵? ほら。ボクは普段でも、誰にも気がつかれないから……」
オレは一応、今を時めくオリンピック代表メンバーである。
だが渋谷にいる人は、誰ひとりオレのことに気が付いていない。
「昔からボクは地味キャラだから、仕方ないよ、葵……はっはっは……」
不思議なことにオレは、誰にも気がつかれない傾向にある。
特に私服の今は、普通以下の一般人オーラであろう。
これは地味なプレイスタイルが、私生活でも影響しているのであろうか?
もしくは気配を消すプレイスタイルが、私生活でも出てしまっているのであろうか?
とにかく渋谷の駅前にいても、誰もオレに気がついた様子はない。
ホッとしたと当時に、かなり寂しい感じもある。
「ねぇ、ねぇ、そこの子?」
そんな時。隣にいた葵が、誰かに声をかけられる。
「自分は芸能事務所の者なんだけど、少しだけ話をしてもいいなか?」
声をかけてきたのは、なんと芸能界のスカウトマンだった。
駅前の中でも、ひときわ可愛い葵を見つけて、声をかけてきたという。
「興味ありません。いこう、お兄ちゃん!」
葵が嫌そうな反応だったので、オレたちは駅前を後にすることにした。
写真スタジオの方向まで、ダッシュで向かう。
「でも、さっきの断っていいの、葵?」
「葵は興味ないから。いつも断っているよ」
「いつも? そうだったのか……」
なんと葵はスカウトマンに、前にも声をかけられていたという。
だから渋谷や原宿に来た時は、先ほどのように断って逃げるのだと。
(芸能界スカウトか……凄いな。でも葵は可愛いから仕方がないな……)
昔は小さかった葵も、今ではもう中学3年生。
全体的に大人っぽくなり、可愛さが磨きかかってきた。
噂によると中等部の女子の中でも、男子に一番人気があるらしい。
あと、うちのサッカー部の中にも、葵のファンは多い。
「葵はお兄ちゃんと一緒にいれたら幸せだから、他の男子は興味ないから。あっ、お兄ちゃん、見て! あのクレープ美味しそう!」
「本当だね。じゃあ、帰りに食べていこうか?」
「やったー。ありがとう、お兄ちゃん!」
でも中身はこんな感じで、今でも子供っぽいところがある。
まあ、そこが葵のいいところでもあるんだけど。
「あっ、お兄ちゃん。ここのビルみたいだね?」
「おお……ここが写真スタジオか……凄いな……」
葵の案内で、目的地に到着する。
渋谷の裏通りにある写真スタジオ。近代的でかなりオシャレビルである。
よし……勇気を出して中に入っていこう。
「あの……野呂コータと申します。これがIDです」
ビルの中に入り、受付で身分証を出す。
オレの見た目は普通の高校生なので、サッカー協会から貰った身分証は手放せない。
「野呂コータ様ですね。ご来館ありがとうございます。そちらのエレベーターで3階へどうぞ」
「はい、ありがとうございます!」
受付のお姉さんの案内で、スタジオに向かう。
葵は中まで入れないので、待機してもらうことにした。
◇
「野呂コータです。今日はよろしくお願いします!」
スタジオに到着して、スタッフの人たちに挨拶をする。
こんな本格的な写真撮影は初めてだけど、どんな時でも最初の挨拶が大事。
前世の営業時代に培ったノウハウで、元気よく挨拶をしていく。
「今日はよろしくお願いします、野呂コータさん。まずは控え室で指定にユニフォームに着替えてもらいます。あと、かるくメイクと髪の毛のセットを。それから撮影に入ります」
スタッフの人から今日の段取りを受ける。
ふむふむ、なるほど。
撮影の前にプロの人が、ちゃんとセットアップしてくれるのか。
家から走ってきて、髪の毛がボサボサのオレにとっては、かなり有り難いことだ。
「えっ? 家から走ってきたの、キミは?」
「あっ、はい。90分くらだったので、妹と走ってきました!」
東京でもオレたち兄妹は、基本的にランニングで移動している。
ランニングで2時間圏内なら、電車は使わないようにしていた。
これもサッカーのためのスタミナアップの鍛錬。
東京にきたこの7カ月間で、電車を使ったのは数回しかない。
電車賃を節約できて、満員電車も回避でき、スタミナアップもできて一石三鳥なのだ。
「あの駅から、渋谷まで走っての、キミは⁉ ま、まあ、とにかく、控え室によろしくお願いします」
スタッフの人たちは何故か絶句していたが、あまり気にしないでおこう。
(いよいよ撮影か……緊張してきたぞ。よし、頑張ろう!)
こうしてオレは初の写真撮影に挑戦するのであった。
◇
それから1時間が経ち、写真撮影は終了する。
「今日はありがとうございました!」
撮影は特に問題はなく、無事に終了した。
スタッフの人たちに挨拶をして、スタジオを後にする。
エレベーターを降りて、ロビーで待っていた葵と合流する。
「お兄ちゃんの写真が出来るのが楽しみだね!」
「うん、そうだね、葵。でも、ちょっと恥ずかしいかな」
撮影した写真は、いろんなアングルとポーズで撮った。
オレは腕を組んで格好をつけたり、無邪気に笑ったりと、カメラマンの指示に何でも応えた。
他のオリンピック代表メンバーと、集合写真は合成されるという。
どうなるかドキドキである。
「コータ?」
そんな時。スタジオ1階のロビーで、女の子に声をかけられる。
「あれ、マヤ?」
声をかけてきたのはクラスメイトのマヤだった。
「コータ、なぜこんな所に?」
「実は今日は、オリンピック代表の撮影があったんだ! そういう、マヤは?」
「私も仕事で」
あっ、そうか。
マヤは超人気な歌姫なので、写真撮影の仕事も多いのであろう。
むしろ、こんな業界向けのビルにいるオレの方が、かなりアウェー感があるのだ。
「あれ、でも、今日のスタジオって……?」
ふとした疑問が浮かんできた。
たしか、このスタジオは今日一日、サッカーのオリンピック関係の専用になっていたはず。
それなのに何故、歌手のマヤがいるのであろう?
「私、歌うことになっていたの」
「歌を?」
「そう。世界公式ソングを」
「えっ⁉ 公式ソングを⁉ それって、もしやオリンピックサッカーの公式ソングを⁉」
マヤの口から出てきたのは、驚きの言葉であった。
「そう。それ」
オレが出場するオリンピックサッカーに、クラスメイトのマヤも関わっていたのだ。
◇
作者より:この作品はフィクションなので、オリンピックサッカーの開催国の予選システムなどが、現実のものと若干違います。予めご了承くださいませ。