第112話:身体と技のバランス
セレクションの翌日の日曜日になる。
昨日に引き続き、今日もセレクションが行わる。
U-22オリンピック代表チームとの練習試合があるのだ。
ちなみに『U-22オリンピック日本代表』とは……“日本サッカー協会によって編成される22歳以下のサッカーのナショナルチーム”である。
来年の大阪オリンピックが23歳以下まで出場できないので、前年度の今年はU-22という呼び方になる。
一般の人にはちょっと面倒くさい呼び方になるが、簡単に説明すると
『オリンピック年に日本でサッカーをしている23才以下の人たちの中で、一番凄い選手のチーム』がオリンピック代表チームなのだ。
◇
「いやー、凄いメンツだな……本当に、凄いな……」
そのオリンピック日本代表の正規メンバーが今、オレの目の前に立っていた。
これからサブ候補のオレたちと、ガチの練習試合が行われるのだ。
だが感動のあまりオレは『凄い』しか言っていない。
「おお、アノ方は……そして、あちらの方は……」
今は練習試合の直前。
目の前に整列しているのは、現オリンピック代表チームの11人。
サッカーオタクであるオレは、もちろん彼ら代表の名前と顔を知っている。
彼らはオレの5、6歳上のJリーガーたち。
彼らは各クラブのエースであり有名人。
前世でいち視聴者だったオレも、この方々の活躍をTVで観て熱狂していた。
(いや……まさか本物のオリンピック代表の選手に会えるとは……これは鼻血が出そうだな……)
そんな未来の有名人たちが、22歳の若さで、オレの目の前に降臨していた。
サッカーオタクだったオレに、興奮するなと言うのが、無理な注文である。
(そうだ。今日は絶対に色紙にサインをしてもらわないと!)
オレはいつも鞄に、サイングッツを入れていた。
いきなり有名なサッカー選手に会った時の対策である。
(さすがに練習試合中は、サインを貰うのはマズイよな? 試合が終わってから、サインを貰おう!)
オリンピック代表の全メンバーと会えるなんて、一生に一度しかない大チャンス。
どんな手段を使っても、代表20人の方々の個人をサインがゲットするぞ。
これはオレにとって人生の楽しみであり、今日の練習試合よりもある意味で重要なのだ。
◇
「それでは練習試合を始めるぞ。ルールは本番と同じでいく」
オレがそんな妄想をしていたら、ヘッドコーチの挨拶がある。
おっと、気持ちを切り替えないと。
いよいよオリンピック日本代表との練習試合が始まるのだ。
「事前に両チームに伝えていたように、この試合の動きによっては、場合によってはオリンピック日本代表メンバーの入れ替えもある。両チーム、気合を入れていけ!」
「「「はい!」」」
ヘッドコーチのそのひと言に、全員が過剰に反応する。
かなりの気合いの入れようであった。
ちなみに、これから行う練習試合は
【現オリンピック日本代表 VS 昨日のセレクション合格者11名】
の対戦である。
昨日ヘッドコーチの説明にあったように、セレクション組から合格者は4名だけ。
だが場合によっては“昨日のセレクション合格者11名”の中から、更に5名以上のオリンピック日本代表に昇格する者が出る。
逆にオリンピック日本代表から落選する者も可能性もあった。
だから両チームの全員が、凄まじく気合が入っていたのだ。
まあ……何故かセレクション合格した、普通の高校生のオレには関係ない話であろうが。
「ヘッドコーチ、ちょっといいですか?」
「どうした?」
「噂に聞いたのですが、彼は……高校生ですよね?」
オリンピック代表の一人が不思議そうな顔で、ヘッドコーチに尋ねる。
“彼”と指を刺した先にいるのは、もちんオレがいた。
「ああ、たしかに彼は高校1年生で16歳だ。だがオリンピック代表U-22は規定により、22歳以下であれば問題ない」
ヘッドコーチは冷静に返答していた。
このやり取りは5年前のU-15のトレセンでも、何度か聞いたような気がする。
もしかしたら、あの時のマニュアルが、今も日本サッカー協会に浸透しているのかもしれない。
「おい、今のを聞いたか……高校1年生だと……」
「半年前まで中坊だったヤツだぞ……」
「そんなヤツがオリンピック代表候補だなんて、今まで聞いたことがないぞ……」
ヘッドコーチの説明に、対戦相手の代表メンバーはざわつく。
何しろ日本サッカーの歴史の中で、現役高校生がオリンピック代表に選ばれた歴史はない。
代表メンバーがざわつくのも無理はない。
(この反応も久しぶりだな……みなさん毎回申し訳ないです……)
オレは心の中で謝罪をする。
むしろ、自分が何故この場に立っているのか、オレの方が逆に不思議だった。
昨日のセレクションで合格したのも、未だに信じられないのだ。
「こいつを普通の高校生だと思わない方がいいぞ」
「ああ、そうだな。こいつ……野呂コータは、普通の高校生じゃないぞ」
そんな代表メンバーに対して、ひと言物申している人たちがいた。
彼らはオレと同じセレクション合格者の10名。
昨日のセレクションではミニゲームで敵味方に別れ、共に汗を流したJリーガーだった。
「このコータは昨日のセレクションでも、圧倒的に存在感を出していたぞ」
「6歳下だと思って舐めていたら、一瞬で抜かれちまうぞ」
「昨日オレたちも、手も足も出なかったからな」
彼らはオレのことを推してくれていた。
なんか知らないけど、昨日のオレとのミニゲームのことを凄く認めてくれているのだ。
「なんだと⁉ こんな身体の線が細い奴が……?」
「お前たち現役Jリーガーを……?」
「信じられないな……?」
彼らの言葉に、代表メンバーは驚いていた。
そして、あっけに取られているオレに、みんなは視線を向けてくる。
この場にいる両軍の全選手とコーチ陣の視線が、オレ一人に集中していた。
「よく分かりませんが、ボクは普通の高校生なので……でも、全力でプレイするので、今日はよろしくお願いします!」
注目されていたオレは、思わず宣言する。
自分のプレイの評価は、自身ではよく分からない。
だからオレにできるのは、一生懸命にプレイすること。
サッカーを楽しむことだけなのだ。
「野呂コータの言う通りだな。よし。では、スタートするぞ。はじめ!」
ヘッドコーチから開始の合図がある。
こうして不思議な緊張感の中、オリンピック代表との練習試合が始まるのであった。
◇
(おお! やっぱり、オリンピック代表の人たちは、凄いな!)
練習試合が始まっていた。
試合をしながらオレは、終始感動していた。
(これが22歳以下の若手で、日本最高峰の人たちのプレイか! 凄い!)
対戦相手はオリンピック代表のために集められて精鋭たち。
現役Jリーガーでもある彼らは、凄まじい戦闘力を持っていた。
昨日のセレクション組の人たちとは、またレベルが一段階上の凄さがあるのだ。
(こんなにハイレベルの人と戦うのは久しぶりだな……)
こんなに興奮するのはF.S.Vにいた時いらい。
オレはドイツにいた時も、かなりハイレベルな世界で戦ってきた。
だが、日本代表の誇りをかけてプレイする世界は、また違う空気の世界である。
誰もが日本代表として。クラブ代表としての意地とプライドをかけていたのだ。
(よし、オレも精いっぱい頑張ろう!)
こんな素晴らしい緊張感の中でプレイできるのは、もう二度とないかもしれない。
だからオレも一生懸命に試合に臨む。
相手は格上のオリンピック代表チーム。
だが怯むことなく、どんどん挑んでいく。
(おお? なんか身体がどんどん軽くなっていくぞ? プレイのキレも?)
プレイしながら凄いことが起きてきた。
自分の身体に異変が起きてきたのだ。
(これはF.S.V時代の全盛期の力?)
自分自身で自覚してきた。
高校生になっていてから、意識的に抑えていた枷が完全に消滅していたことに。
ドイツ時代で無理して蓄積していた疲労も、全て消えていたことに。
昨日よりもさらに調子がいい。
今のオレは完全に100%のプレイが、出来るようになっていたのだ。
(いや、あの時以上の力が溢れてきたぞ⁉ これは凄いな!)
高校に入学してから半年間近く、気持ちに枷をかけた鍛錬をしてきた。
それから解放されたことにより、今まで以上の力が漲っている。
初めて経験する高校生時代の自分の力……本気の力に、自分自身で驚愕する。
(この感覚は凄い! それに楽しい!)
新しい感覚は不思議な感じだった。
自分の身体は羽のように軽いのに、プレイには鋭いキレがあった。
周りの人たちのプレイが、360度の全方位に渡って認識できる。
なおかつ味方や敵が、次にどんなプレイをしたいのか、何となく感じるようになっていたのだ。
(これは身体の成長と、自分の技がようやくマッチした感じなのかな?)
今までのオレは、年齢にそぐわない鍛錬を積んできた。
ここだけの話、習得した技や感覚が、実際の身体に付いてこられない時も多々あった。
だが16歳になったオレは、身体の成長期をほとんど終えている。
骨の成長も伸びきっており、身長も前世よりも3cmも高い、173cmまで大きくなっていたのだ。
サッカー人生10数年目にして、ようやく技と感覚が、肉体と合流した感じだった。
(うん、これは面白い! これがサッカーか!)
プレイしながら終始に渡り感動する。
ボールを蹴りながら、ドリブルしながら笑みがこぼれてきた。
ただ直線を駆けるだけや、相手のマークを瞬時に外したりするだけでも楽しかった。
(こんなに楽しいのは、初めてボールを触った以来かもしれないな? 本当に楽しいや!)
あまりの楽しさにオレは我を忘れる。
今は何のための練習試合なのかも、分からなくなるほど、熱中してボールを追いかけた。
オレは幼稚園時代のように、無我夢中でボールを蹴っていたのだった。
◇
「ピピー!」
いつの間にか90分が経っていた。
本当にあっとう間の90分だ。
(今日は本当に楽しかったな……本当に楽しかったな……)
その日の練習試合の結果は、よく覚えていない。
いつのまにか解散して、オレは帰路についていた。
気がついたらランニングしながら家に帰宅していたのだ。
(また、あんな楽しい試合がしたいな……)
帰宅してから覚えているのは、今日の練習試合が本当に楽しかったこと。
あっ。あと、試合後の誰もが不思議な表情をしていたこと。
チームメイトと対戦相手の人たちが、あっけに取られていたような表情をしていたことだった。
◇
次の日になり1週間が始める。
月曜からは、またいつもの高校生活に戻っていた。
朝6時から学校のグランドで朝練。
その後は授業を真面目に受ける。
午後の最終授業を終えたら、部活の時間。
オレは前と変わらず、部活のみんなと楽しい練習の時間を過ごしていた。
「おっ、今日は夕方に発表があるんだな!」
そんな1週間後の日曜日。
今は部活の練習が終わり帰宅した夕方6時。
サッカーオタクであるオレは、とあるニュースが気になっていた。
「オリンピック代表チームのメンバーは、誰が選ばれるのかな?」
今日の日本サッカーの話題は、オリンピックサッカーに染まっていた。
オリンピックのアジア予選を戦う、第二次選手の発表がTVでされるのだ。
「オレ的には、あの選手かな? いや、あっちの選手も監督の戦術向きかな?」
家のTVの前で、オレは予測を口にする。
こうした代表メンバーの予測は、サッカーオタクにはたまらない幸せな時間。
誰が次のメンバーに選ばれるか、考えることが楽しいのだ。
「いやー、コータの予測は、今回ばかりは外れるじゃないかな?」
「そうかな、パパ? 今回もボクが勝たせてもらうよ!」
野呂家のTVの前には、家族4人が勢ぞろいしていた。
日本代表メンバーの予想に関しては、いつも父親と予想勝負をしている。
(特に今回の予想には自信がある……何しろ1週間前に、実際にみんなのプレイを見てきたからね!)
オリンピック代表のセレクションに参加してきたことは、家族にも伝えてある。
そんな訳で今日の野呂家はテンションが高い。
「おお、いよいよ発表だ!」
オリンピック日本代表の監督が、記者会見の席に出てきた。
紙を見ながら、オリンピック代表の第二次発表をしていく。
(うん、うん……今のところは、妥当な線だな……)
発表を聞きながら、TVの前のオレは頷く。
今はサプライズ人事の発表はない。
先週までの20名の代表メンバーが引き続いて、名前が呼ばれていた。
それに加えてのセレクション組からの3名も、上手い順に選ばれている。
『では24人目、最後のメンバーを発表します……』
オリンピック代表の本戦は規定により18人。
だが1年近く続く予選は、24名の選手で戦っていく。
今までの23人目までサプライズはなく、妥当なメンバーが呼ばれていた。
だが最後の一人を前にして、監督は言葉を止める。
おお、これは!
もしかしたら、サプライズ人事の予感が⁉
きっと、あの時のセレクションのメンバーの中から、誰かがサプライズ選ばれるのであろう!
これもオレの予測通り。
このままでいけば見事に的中しそう。
パパ、悪いけど、今回はオレが勝たせてもらったよ!
『えーと、最後の代表メンバーは、東京都のタマ学園高校の1年生……野呂コータ。以上の24名がオリンピック代表の候補メンバーです』
えっ?
ん?
TVからよく分からない名前が聞こえてきたぞ……。
いや、名前自体は、よく聞いたことがある。
ふう……お茶を飲んで、少し冷静になって考えてみよう。
東京都のタマ学園高校……それはオレがいる高校の名前だ。
そして1年の生徒の中に、野呂コータという同姓同名はいない。
消去法で確定だ。
「えっ? つまり……?」
そこでオレは、ようやく事態を理解した。
いや、でも、まさか、このオレが……?
「コータ、日本サッカー協会のお偉いさんからの電話だぞ!」
父親の携帯に電話がかかってきていた。
日本サッカー協会のオリンピック代表の担当者からの電話だという。
オレは携帯電話を持っていないかから、セレクションの後に父親の番号を提出していたのだ。
(そんな……本当に、このオレが……)
オレの考えたメンバー予想は、見事に外れた。
何故ならオレ自身に、人生で最大のサプライズが起きたからである。
(オレがオリンピック代表に⁉)
こうしてオレはオリンピック代表に選ばれたのであった。