第108話【閑話】青森山多高校サッカー部の監督の話
《青森山多高校サッカー部の監督の話》
先週、我がサッカー部が東京に遠征に行った時、一人の異質な選手と出会った。
その選手が在籍していたのは、東京のタマ学園の高等部のサッカー部……ここだけの話、関東の中でも弱小の部類に入るチームである。
なぜ全国クラスの我がサッカー部が、そんなチームと対戦したか?
それは当高校と先方の学園が姉妹学園を提携しており、年に一度は必ず交流試合を行うからである。
◇
「今年も全力でいけ。今日も無失点で10点差以上がノルマだ」
「「「はい、監督!」」」
そのタマ高校との練習試合の直前、私は2軍の選手たちに指示をだす。
2軍とはいえ我が部のレベルは高い。
他校でなら彼らはレギュラークラスのレベルにも通用する。
だから姉妹校であるタマ高校相手でも、全力でプレイすることを必須とした。
これは相手を舐めている訳でない。
サッカーは真剣勝負。
どんな相手でも手を抜かないのが、私の指導流儀なのだ。
(ん? 1軍の一部の連中が?)
そんな試合前で、あることに気がつく。
アップしていた当校の1軍の選手の数人が、相手のベンチの方に向かって行ったのだ。
(あれはリベリーロ組の連中か? 誰か知り合いがいたのか?)
うちの部の中には、通称“リベリーロ組”という集団があった。
ここ数年でできたグループ。
簡単に説明すると小学生時代に、リベリーロ弘前というクラブに所属していた者たちのことだ。
よく勘違いする者もいるが、私は特に悪い意味では使わない。
何しろリベリーロ弘前出身は、全員が優れた選手として育っている。
特にここ数年の彼らの活躍は素晴らしい。
正直なところリベリーロ組のサッカー才能は、全国クラスに比べたら高くはない。
良くて、中の上くらいであろう。
だが彼らが特筆すべきは、その精神力。リベリーロ組は誰もが、たくましいメンタルを有しているのだ。
そして自ら考えて動き、貪欲まで自主練に取り組んでいるのだ。
(タマ高に知り合いでもいたのか? それにしては、随分と盛り上がっているな……?)
そんな彼らが会話をしていたのは、相手のタマ高の14番の選手。
相手の選手と話ながら、リベリーロ組は笑い声を上げていた。
いつもは真面目な彼らが、試合前にあんなに砕けているのを初めて見た。
もしかしたら、元チームメイトであろうか?
それにしては相手の14番は普通に見える。
リベリーロ組と比べても身体は小さく、それほど上手い選手の雰囲気はない。
「おい、そこ! そろそろ、試合を始めるぞ!」
おっと、そろそろ練習試合の時間だ。
私はリベリーロ組に声をかける。
今日は2軍しか出さないので、彼らの出番はない。ベンチで待機して、試合を見る勉強をしてもらうつもりだ。
リベリーロ組はダッシュでこちらに戻ってきた。
「監督、少しよろしいですか?」
「ん? どうした、キャプテン?」
1軍のキャプテンが声をかけてきた。
彼も先ほどのリベリーロ組の一人。周りには、部のリベリーロ組が全員勢ぞろいしていた。
物々しい雰囲気だが、いったいどうしたのであろうか?
「今日の練習試合に、私たち1軍も出してください!」
「タマ高との試合に、お前たちをだと?」
キャプテンのお願いの意味が分からず、私は思ず首を傾げる。
何しろタマ高のサッカー部のレベルは、高くはない。
2軍ですら去年は10対0で圧勝した相手。
キャプテンたち1軍が出ても、なんの経験値は得られないであろう。
それなのに彼はどうして、こんなお願いをしてくるのであろうか?
「2軍だと、今年のタマ高には……負けてしまいます」
「2軍が負けるだと?」
キャプテンの説明に、私はますます疑問が増える。
もしかしたら、タマ高校は大幅に選手を増強していたのか?
相手のベンチに視線を向けてみる。
だが去年に比べて、強い選手が加入した雰囲気には見えない。
タマ高独特の、和気あいあいとした雰囲気である。
「今年のタマ高には野呂コータが……14番がいます。だからオレたち1軍がベストメンバーで出ないと、危険です」
「14番……お前たちがさっき話しをして選手か? それほど上手い選手には見えなかったが?」
私もサッカー指導者の端くれ。
特に高校生くらいの年代の選手なら、ひと目でレベルが分かるようになっていた。
それによると先ほどの14番は、よくて中の中くらいのレベルなはずだった。
うちの部が警戒する相手ではない。
「監督。あのコータは……14番は一言で説明すると……ヤバイ相手です」
「そうです、監督! キャプテンの言うとおりです! コータは小学生の時から半端なかったです!」
「あいつが一人いるだけで、チームが別次元になるんですよ!」
キャプテンの言葉を皮切りに、リベリーロ組がどんどん口を開く。
14番の危険性を……いや、14番の素晴らしさを次々と口にする。
まるで自分のことのように誇らしく、そして笑顔で説明してきた。
「あいつならたった3ヶ月間で、タマ高のサッカー部自体を変えている可能性があります!」
「オレたちも小学生時代みたいにな!」
「たしかに懐かしいな!」
タマ高の14番……コータという選手が、どれほど凄いか。
その影響力は尋常ではないと、次々と語り出す。
彼らリベリーロ組がここまで興奮した姿は、私は初めて見た。
「お前たちの言い分は分かった。とにかく前半は予定通りに2軍を出す。もしも前半が終了した時点で、万が一……こちらが負けていたら、お前たち1軍を出そう」
私は周りから“鬼監督”と呼ばれている。普段は選手たちとは、こんな私情の約束は交わさない。
だが今日のリベリーロ組は明らかに尋常ではない。
だから思わず、そんな約束をしてしまったのかもしれない。
「ありがとうございます、監督! よし、お前たち、作戦を練るぞ。前半のコータの動きを観察しながら、対策だ!」
「「「はい、キャプテン!」」」
私の返事を聞いて、リベリーロ組は気合を入れていた。
1軍全員を集めて、本気でミーティングを始める。
こんなに真剣で、そして生き生きした彼らを、全国大会でも見たことがない。
これもタマ高の14番……コータという選手が影響なのか?
(もしかしたら彼は本物なにか? このまま2軍で相手では?)
その光景を見て、私は嫌な予感がした。
◇
45分後……その予感は現実のものとなる。
前半を終えた時点で、なんとこちらが3対4で負けていたのだ。
(バカな……ウチの2軍が、あそこで抑え込まれとは……)
休憩時間のハーフタイム。
誰にも諭されないように、私は言葉を失う。
去年は10対0で圧勝した相手に、今年は押されていたのだ。
このまま後半も2軍のままでいけば、更に点差は開いてしまう。
つまり我が部は負けてしまうであろう。
(タマ高がここまで勢いがあるのは、やはり、あの14番……コータという選手の影響か? だが、あの14番が前半で何をしていたか、見当もつかない⁉)
キャプテンたちの言葉もあり、前半の私は相手の14番を特に注目して見ていた。
だが彼に特に目立った動きはなかった。
基礎はある選手だが、特別な選手には見えなかった。事前の私の見込みの通り、中の中の選手だった。
(だが、ウチの2軍はあの14番に、なぜあれほどボールを奪われたのだ⁉ なぜ、ボールがこぼれた先に、必ずあの14番がいたのだ⁉)
改めて考えても、明確な答えが出ない選手だった。
たしかに14番は不思議な動きをしていた。
たとえるなら、敵味方の全ての選手の動きを、瞬時に予測して動いているかのように動いていたのだ。
そんなことを普通の日本の高校生が……人間が出来るであろうか?
「監督、約束通りに後半はいいですか?」
言葉を失っていた私に、キャプテンが尋ねてきた。
試合前の約束通り、後半は1軍が出てもいいかと?
「ああ、そうだったな。青森男児に二言はない。だが私たちは常勝“山多高校サッカー部”……必ず勝て!」
答えを見いだせないでいた私に、言えるのはそれだけだった。
リベリーロ組との約束通りに、後半は選手を全交代することにした。
「ありがとうございます、監督! よし、お前たち、いくぞ!」
「はい、キャプテン!」
「よし、みんなで、コータに一泡ふかせてやろうぜ!」
「オレたちも成長したことを、あいつに見せつけてやろうぜ!」
私の答えを聞いて、1軍の選手たちは意気揚々と駆け出していく。
生き生きとしたその姿は、今までにないくらいに輝いていた。
昨年に全国大会の覇者となった時にも、こんな眩しい表情は見せていない。
それほどまでに元チームメイトの14番……コータという選手との対戦に、彼らは興奮しているのであろう。
(14番……野呂コータという選手が、うちの1軍相手に、どう動くかの……楽しみだな)
この時の私も、敵である14番にワクワクしていたのかもしれない。
◇
それから後半45分間は、本当にいい試合であった。
選手たちは本気でプレイをしていた。
それでいて生き生きと、楽しそうにサッカーをしていた。
本当に素晴らしいプレイを連発していた。
ウチの選手が……1軍の選手が、そこまで素晴らしいプレイをしたのを、私は初めて見た。
自分の監督の人生の中でも、ベストバウトの試合内容だったかもしれない。
私は監督という役職を忘れるくらいに、45分間のその試合……野呂コータという選手に見惚れてしまっていたのだ。
◇
引き分けで終わったその試合から、数日が経つ。
(野呂コータ……中学生時代の彼のサッカーの記録は、やはり無いな)
あれから毎日のように調べていた。
野呂コータという選手の過去のデータについて。
彼の不思議なプレイの謎の根幹について調べていた。
だがデータとして出てくるのは、彼が小学6年生までの記録だけ。
これはリベリーロ組に聞いた内容と同じである。
一番知りたかった中学生時代の3年間が、どこにもないのだ。
リベリーロ組の話では、野呂コータは親の都合でドイツ留学をしていたという。
だが外国のサイトを検索しても、“野呂コータ”という記録は見つからなかったのだ。
(彼はいったい何者なのだろうか? おそらウチの1軍と戦った後半ですら、あの実力は本当ではないはずだ……)
あの試合の後半。
野呂コータは前半とは、まるで別人のようなプレイをした。
自分で積極的にボールを動かし、得点をしていった。
大げさな話をすると『あの試合で山多高校は、野呂コータひとりとギリギリ引き分けできた』のである。
しかも彼はまだ本当の実力を出し切っていない。
私の直感がそう告げていた。
(あんな高校生が……いや、あんな選手が、この日本にいたのか……)
思い出しただけで背筋が寒くなる。
それほどまでに異質なプレイヤーと戦っていたのだ。
「野呂コータ……彼がいたリベリーロか……よし!」
ふと、私は出かけることにした。
野呂コータという選手のことを、もっと知りたくなったのだ。
そのために同じ県内にある、リベリーロ弘前の練習場を訪ねることにした。
「そういえばアイツもリベリーロで、コーチをしているはずだったな?」
大学のサッカー部の同期が、今はリベリーロでコーチをしていると聞いていた。
もしかしたら小学生時代の野呂コータのことを、知っているかもしれない。
久しぶりに一緒に酒でも飲んで、何気なく聞いてみよう。
野呂コータの話を聞けるのが、今から楽しみなってきた。
「ん? こんなにサッカーでワクワクしたのは、久しぶりだな?」
自分のことを冷静に見て、苦笑いする。
私は世間では“冷徹な鬼監督”と呼ばれている。
だが、鬼監督である前に、いちサッカー人であり、サッカーバカな大人である。
「こんな気持ちを思い出したのも、野呂コータのお蔭か……」
そして今は野呂コータという選手に魅了された、ファンの一人かもしれないのだ。