第104話:クラスの歌姫
MAYAと出会った次の日。
オレはいつものように学校に行く。
教室に入ると、その少女……MAYAが目に入る。
昨日、彼女が言っていたように、間違いなくクラスメートだった。
自分の席でヘッドホンをして、一人で静かに何かを聞いている。
「野呂コータ、なにか用?」
じっと見つめていたら、彼女の方から声をかけられた。
「えっ……お、おはよう」
「朝の挨拶? それなら、おはよう」
奇襲で挨拶攻撃を受けたオレは、ドキドキしなら返事をする。
ふう、ビックリした。
まさか向こうから声をかけてくるとは。
とりあえず深呼吸をして落ち着いて、自分の席について1時間目の準備をしよう。
「おい、コータ。お前、すげえ度胸あるな?」
「あのMAYA様に声をかけるなんて?」
席についたら、クラスの男子が小声で話かけてきた。
さっきのオレの行動について称賛してくる。
「そうかな? クラスメートとして朝の挨拶は普通だと、ボクは思うけど……?」
実のところ彼女がクラスメートだと気がついたのは、今日が初。
だが、そのことは皆には内緒にしておこう。
「もしかして、コータ……お前、MAYA様のことを、ちゃんと知らないのか?」
「も、もちろん、ボクも知っているよ……えーと……」
昨日、あの喧嘩の後。
部活が終わって帰宅してから、彼女のことは調べていた。
そのことを思い出していく。
◇
芸名:MAYA(年齢:15歳)
国籍:日本(母親はフランス人で、父親は日本人)
略歴
パリで生まれ、幼少の頃からヨーロッパの文化に触れて育つ。
13歳の時に日本でデビュー。奇跡の声を持つ歌姫として、一気に注目を浴びる。
14歳の時に世界チャートで1位を獲得する。(日本人として初の大快挙)
15歳で父親の経営する学園の高校に進学。学生をしながらも世界的なヒット曲を連発している世界規模の歌姫。
◇
調べてみたら、こんな感じだった。
なるほど、かなり凄い経歴の女の子みたいである。
2年前オレはドイツにいたから、彼女のことは知らなかった。
「その顔だと、知らなかったみたいだな、コータは?」
「ボ、ボクはドイツに留学していたらか……」
「でも、MAYA様はヨーロッパでも大人気なんだぜ」
「えっ、そうなの……?」
クラスメートに指摘されて、言葉を失う。
そういえばF.S.Vの1軍の選手たちが『コータ。この日本のシンガーを知っているか? 最高だぜ!』と大興奮していた時期がある。
当時は聞き流していたけど、今思えばそのシンガーの名はMAYAという名だった気がする。
サッカーのことばかり考えていたから、すっかり忘れていた。
「で、でも、彼女はクラスでは、普通の高校生だし、同じクラスメートだし。普通に挨拶くらいは、みんなするんじゃないの?」
いくら世界的な歌姫でも、学校にいる間はいち学生。そんなに特別扱いしなくてもいいのでは?
「彼女に普通に挨拶くらい……って、コータ」
「お前、あのMAYA様のオーラが見えないのか?」
「クラスメートのオレたちでも、近づけないぞ、アレには……」
「オーラ? そう、言われてみれば確かに、あるような……」
クラスメートの指摘を受けて、改めて彼女に視線を向ける。
静かにイヤホンで音楽を聞いているMAYAは、普通の人とは違うオーラを発していた。
更に彼女はかなりの美少女である。
身体の線も細く、触ると壊れそうなくらいに儚い感じ。
そのため男子はもちろんのこと、同性である女子も彼女に近づけないでいる。
(あれが噂に聞く“芸能人オーラ”っていうやつかな?)
オレはあまり感じないけど、クラスメートたちは彼女のオーラに退いている。
きっとこの学園の中では、彼女だけは特別な存在なのであろう。
例外としては昨日の上級生3人組のような、空気を読めない連中が絡んでいったのだ。
(そう考えたら、芸能人で高校に通うのも、大変そうだな?)
東京には芸能人専用の高校もある。
彼女くらいに有名な子なら、そこの方が気も休まるであろう。
でも、世界的に有名な歌姫なのに、なんでこんな普通の学園に通っているのかな?
「さあ、授業をはじめますよ! みんな、席について!」
そんなことを考えていたら、いつの間にか1時間目の先生が登壇していた。
オレは彼女から視線を戻して、授業に集中するのであった。
◇
「よし、部活に向かおう!」
集中していたら、今日もあっという間に授業が終わった。
あっ。集中といっても、サッカーの秘密のトレーニングの方がメインだったのだが。
「よし、今日の練習を開始するぞ」
「「「はい、よろしくお願いします!」」」
いよいよ楽しい部活の時間が始まる。
部長の掛け声と共に、2時間の練習がスタートだ。
それにしても今日の部長……鬼瓦先輩は頼もしく見える。
昨日の喧嘩の仲裁をしてくれた時の、あの勇姿が今でも目に浮かぶ。
よっ、部長!
なんかまたモメ事があったら、また召喚をお願いします。
そんなことを思いながらも、今日も練習をスタートしていく。
(あれ? それにしても、サッカー部の皆が前よりも、少し成長してきているような?)
練習をしながら、ふと気が付く。
オレが入部してから2ヶ月しか経っていない。だが部員たちの何人かが、最初よりも成長しているのだ。
成長といっても、他の強豪校に比べたら、それほどレベルは高くはない。
それでも目に見えてレベルが上がっているのだ。
この2ヶ月で何かがあったのかな?
「あのー、先輩たち、最近なにか、別の練習しています?」
練習しながら先輩たちに聞いてみる。
「おお、よく気がついたな、コータ? 実はオレたち、自主練をしているんだぜ!」
「なんか、最近、練習試合でも調子がいいだろう? だから、頑張っているんだぜ!」
おお、なるほど。そういうことか。
部員の皆も密かに自主練をしていたのだった。
それなら上手くなってきたのも、納得ができる。
何しろサッカーの上達に近道はない。
毎日のコツコツとした鍛錬こそが、最短の道とも言える。
「そういえばコータは自主練しているのか?」
「はい、毎朝6時から妹と自主練しています!」
先輩に聞かれたので、自分のスケジュールを答える。
毎朝6時から家の近所の公園で、葵と練習していると。幼稚園の頃からの野呂家の習慣である。
「妹って、あの練習試合を、いつも見に来る妹ちゃんか?」
「なんと、あの可愛い子ちゃんもサッカーやるのか……よし、コータ。それなら今度、みんなで朝練しようぜ!」
「あっ、はい。それは、もちろん大歓迎です!」
まさかの先輩たちからの提案であった。
話はトントンに進んでいく。
それによって今度から早朝の6時に、この部活のグラウンドに集合。サッカー部のみんなで朝練をすることにした。
(部活のグランドを使って、朝練が出来るのか……それは有り難いな)
これはオレにとっても嬉しい提案。
何しろ今までは近所の市民公園で朝練してきた。
だが、どうせ練習するなら、サッカーゴールや専門の器具がある場所の方がいい。
先輩たちの提案は、オレとしても大歓迎だった。
朝ご飯は弁当を持ってくれば何とかなる。
今日帰ったら母親に相談してみないと。
(先輩たちとの朝練か……それならオレはいつものように実力を抑えて、負荷をかければいいかな?)
オレは部活の皆の前では、本気を出さないようにプレイしていた。
これでもトレーニングの一環であり、ドイツ時代のオーバーワークを回復するための、作戦である。
(葵は手加減できないから、仕方がないか。諦めよう)
一方で妹の葵は、サッカーで手加減をしたことがない。
誰が相手でも、常に全力でガンガンいく。
(先輩たち、自信を失わなければいいけど……)
妹はウチの部活の男子の誰よりも、上手い。しかも練習中は歳上にも容赦なく、激を飛ばしていく。
そのお陰でF.S.V時代もU-15のドイツ人の男子が、何人も本気で涙を流していた。
葵の激はそれくらいに、激しい。
そして今度の標的は、この部活のみんなになるのだ。
「よし、コータと……いや、妹ちゃんたちと、来週の月曜日から、朝練をするぞ、みんな!」
「「おお、あの可愛い妹ちゃんと⁉ マジっすか⁉」」
そんなことをつゆ知らず、部活のみんなは盛り上がっていた。
こういうのは体育会系っぽくないは、ウチの部活のいいところである。
顧問の先生も放任主義なので、朝練のことを笑って了承してくれていた。
(たしかに葵は可愛いけど……とにかく、皆さん、心を折らないように、朝練を頑張っていきましょう)
きっと朝練の初日から、この先輩たちは精神的なダメージを受けるであろう。
葵の圧倒的なサッカーを目にして。そして厳しい激励の言葉を受けて。
その時の光景が自然と目に浮かんでくる。
オレは心の中で、皆の平穏を静かに祈るのであった。
◇
「「「お疲れ様でした!」」」
そんな感じで賑やかに、2時間の部活もあっとう間に終わる。
他の強豪校は、もっと長く部活練習をしているであろう。
だがウチの部活は雰囲気的に、これがいい感じ。
オレもオーバーワークにならずに、ちょうど時間の練習だった。
「よし、急いで帰るとするか!」
部室で着替えてから、家に帰ろうとする。
オレはいつのようにランニングで帰宅して、夕ご飯を食べる。
その後は家で夜の自主練と、身体のケアの時間だ。
「ん?」
部室を出て、人の気配に気が付く。
サッカー部の裏にある小高い丘の上に、人影があるのだ。
こんな辺ぴな場所に、誰だろう?
「あれは……?」
オレはその人影に方に近づいていく。
かなり薄暗くなっていたが、見覚えのある顔の人がいたのだ。
「あっ、やっぱり!」
「野呂コータ?」
丘の上にたたずんでいたのはMAYAであった。
遠目だったけど、彼女の顔が部室から見えていた。だから近づいたんだけど。
こういう時は視力がいいのは助かる。
「ええと……MAYAさん……だよね、呼び方は?」
そういえば、なんて呼んでいいか分からなかった。とりあえず皆と同じように芸名で呼んでみた。
でも思わずフランス語の発音を口に出してしまった。
調べた彼女のプロフィールで、パリ生まれというのを思い出してしまったのだ。
「呼ぶのは、本名の真夜。呼び捨てでいい」
「マヤか……いい名前だね。分かった、マヤ! あっ、そうだ。ボクのこともコータって、呼び捨てにしてもいいよ」
ドイツにいた皆も“さん”づけを、あまりしなかった。
だからオレもそれに倣って、マヤと呼び捨てにすることにした。
「分かった、コータ。それと……『あなたフランス語も話せるの? ドイツ留学していたと聞いていたけど?』」
「えっ、フランス語? えーと、『うん。日常会話なら、フランス語も少し。ドイツにいた友だちから、習った』だよ」
いきなりマヤが日本語からフランス語に切り替えて、質問してきた。
オレもフランス語で答える。
でも、冷静に考えたら、変な会話を二人でしているな。
(フランス語か……本当は前世の記憶で、フランス語もけっこう話せるけど……それは内緒にしておこう……)
フランスといえば世界でも有数のサッカーの盛んな国。
そんな訳で前世のオレはフランスリーグを見ながら、同時にフランス語も勉強していた。
ふと、こうして考えてみると……オレはサッカーの盛んな国の言語は、けっこう会得しているような気がする。
サッカーの実況やインタビューを聞いているだけで、外国語をマスターしていたのだ。
これは前世の教材であった『聞くだけでマスター! 〇〇ヒヤリング!』的な語学教材と同じ原理かもしれない。
まさにサッカー万能説がここでも証明された。
「あっ、そういえば。ところでマヤは、ここで何をしていたの?」
フランス語のことで、すっかり忘れていた。根本的なこの質問を思い出す。
何しろ今は夕方の18時。授業が終わってから、2時間も経っている。
こんな辺ぴな場所に、女の子が一人で立っているのは変なのだ。
「私、ここで見ていた。コータたちを」
「ボクたちの練習を?」
「そう。全部見ていた」
「えっ、2時間もずっと⁉」
まさかの答えであった。
何と彼女は授業が終わってから、ここに直行。サッカー部の練習を、全部見ていたという。
冗談……ではなさそうだった。
この子は無表情で感情を表に出さない子だけど、冗談や嘘は言わないタイプに見える。
きっと2時間見ていたのも本当なのであろう。
「なんで、また2時間も……もしかして、サッカー部に知り合いがいるとか?」
「知り合いはいない。理由は、昨日の言葉の答えを探すため。だから見ていた」
「えっ、昨日の言葉?」
「『サッカーは全てが最高に楽しいよ』っていう言葉の意味の確認」
それはオレが彼女に向かって、昨日の喧嘩の後に言った言葉である。
サッカーのどこが楽しいか? と聞かれた時に、とっさに応えた言葉だ。
「今日見た。けど私には分からなかった。コータの言った『全てが最高に楽しい』の意味が……」
その時、マヤは寂しそうな表情を浮かべる。
教室でも少しも表情を変えないクールな顔に、初めて感情を出したのを見た。
(サッカーが楽しさ答えの意味か……哲学的っぽく、難しいな。マヤは何か悩みごとがあるのかな?)
オレは彼女が悩んでいる理由が見抜けなった。
でもシンガーといえば芸術的なイメージ。そして彼女は世界的に有名な歌姫。
もしかしたらオレが分からないような、深い悩みがあるのかもしれない。
だから普通のサッカー部の練習を見ていたのかもしれないな。
「サッカーの楽しみを知りたい……か。あっ! それなら、今度の試合を観に来てよ! だいたい日曜日は、そこのグランドで練習試合をしているから!」
オレはいいアイデアを思いついた。
マヤの深い悩みはオレには分からない。
だから試合を観に来るように誘ってみる。
なんといってもサッカーは、試合がエキサイティングで楽しい。
オレたちは普通の高校サッカー。
でも試合を見てみたら、彼女も何かを感じてくれるかもしれない。
これはあくまでもオレの直感だけと。
「試合? 分かった。スケジュールが合えば、見にくる」
おお、提案が受け入れてもらえたぞ。
これはオレも嬉しい。
よし。次の試合では、今まで以上に気合を入れていかないと。
あっ、でも、あまり本気を出し過ぎちゃ、鍛錬にならないから、ダメなのか。
気をつけながら気合を入れていこう。
「じゃあ、わたし帰る」
「あっ。もう遅い時間だけど、大丈夫?」
「私の家、あそこ。大丈夫」
マヤはグランドの向こう側にある、大きな屋敷を指差す。
学園の敷地内のすぐ隣にある豪邸である。
あっ、そうか。
プロフィールによると、彼女はこの学園長の娘さん。
だから、あんなにも近い場所に家があるのか。
これなら夜道も一人で大丈夫であろう。
「じゃあね、また明日、マヤ!」
「また明日、コータ」
念のためにオレは彼女を、見える範囲まで見送っておく。
「それにサッカーの楽しさ……か」
見送りながら、ふと考える。
なぜ彼女はそこまで『サッカーの楽しさに』について悩んでいるのであろうか?
あの様子ではサッカーのことを、あまり知らなかったのであろう。
でも二時間もここで立って見ているのは、普通の事情ではない。
きっと、本当に何かに悩んでいるのかもしれない。
でも今のところ彼女は、それを明かそうとしていなかった。
「うーん……まっ、いっか!」
難しいことを考えるのは苦手である。
だからオレは考えることを止めにした。
マヤはスケジュールが合えば、オレたちの練習試合を観に来てくれると言っていた。
だからオレに出来ることは、サッカーを頑張って楽しむこと。
そして観客にプレイで魅せること。
高校の部活のサッカーとはいえ、枷をかしてプレイしているとはいえ、それは変わらない。
「とにかくボクは楽しんで頑張るか!」
こうしてオレは不思議なクラスメートであり、歌姫マヤために決意を新たにするのであった。