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第三話:冬のはじまり



 壱は寒さに耐えきれず目を覚ました。身体もだるいし頭も痛い。昨夜、工場の窓を閉め忘れたせいですきま風が容赦なく壱の体から熱を奪っていたのだ。

 チッと壱は舌打ちをした。もうすぐ冬が来ている。この町の冬は恐ろしく寒い。毎年何十人もの家のない子供たちが乗り越えられず死んでいる。昨年その中に、壱の知る子も何人かいた。それに壱自身何度も危ない状態を経験している。この町の冬の怖さは誰よりも分かっていたはずだった。



(レオは……)



 広い工場を見渡すがあの小さな少年の姿は見あたらなかった。まだ夜明け。完全に日は昇っていない。こんな時間に遊び回っているのかと呆れた。深い深いため息を吐いて窓を閉めることもせずに再びソファーに身を預けて目を閉じる。それ程身体は弱っていたのだ。



「……」



 しかしまたすぐに起き上がった。関節がひどく痛むし力も入らない。それでも立ち上がり、身体を無理やり外へと動かした。もちろん何があってもいいよう、鉄パイプを持って。

 重い鉄パイプを引きずる音が響く。更に重い扉を必死で開け、外に出た。まだ空は白んでいる。冷たい空気に当てられ、壱の頭痛は更にひどくなった。



(どこにいる、レオ……)



 一刻も早く見つけなくてはと行き先も決まらぬままに走った。いつものスピードはなく、脚は鉛のように重い。

 とりあえずいつもレオのいる展望台へ向かう。町は静かで、まだ起きていない。意味なく働きに出る大人も、学校へ行く子供も見当たらない。いるのは猫やカラスに混じってゴミを漁っている小さな孤児くらいだ。

 ネズミが壱の足元を横切った。その瞬間、彼は空き地で何人かの子供が輪になって溜まっているのを発見する。壱より少し年上くらいだろうか。その輪の真ん中に倒れているのは、間違いなくレオだった。



「レオっ……」



 叫んだつもりだったがかすれた声しか出せず、もちろん彼らには届かない。自分の中でふつふつと湧き上がる怒りを抑えることもせず、空き地へ乗り込んだ。もはや身体のだるさなど忘れていた。

 飛びかかりざま一番近くにいた少年に鉄パイプをかざす。声もなく少年は倒れた。

 それに数秒遅れで気付く子供たち。



「うわ、壱だぞ!」


「バカ、早く逃げろっ」


「逃がさねえよ」



 次々と走り出す少年たち。すぐさま壱は追いかけ、あっという間に全員地面に伏せさせた。この町で壱にかなう子供はいないのだ。相手が集団でも決して臆さない。誰が一番強いのかを一番よく分かっているのも、やはり壱本人だった。



「探しにきて良かったぜ、全く」



 いつもより息切れが激しい。暴れたせいで余計に身体が悲鳴を上げた。

 倒れているレオは傷だらけだったが、意識はあった。体を丸め、薄目で壱を確認すると弱々しく微笑む。



「いっつもごめんなぁ、壱ぃ……」


「あんまり心配かけんなよ。外出禁止にすんぞ」


「だってさぁ、アイツらしんすけのこと虐めてたんよぅ」



 しんすけ、とはただの汚い野良犬だ。レオがよく可愛がって、定期的に餌もやっている。勝手に名前までつけているが、壱はそういう類のものが嫌いだった。汚いからじゃない。何も得られないからだ。



「……で、しんすけはどこよ」


「さっさと逃げちゃった」


「……そんなもんだ、この町の生き物なんて」



 この町では誰のことも信用しない。捨てられた子犬でさえ踏みつけていくような人間ばかりだ。だけどレオは違った。この町が忘れてしまった優しい心を持っている。それがレオの良いところであり、目を離せない理由でもある。



「そんなんじゃこの町で生きてけねぇぞ、レオ。優しさなんて持ってても荷物になるだけだ。当然感謝なんてされねぇし、利用されて捨てられんのがオチだ。そうだろ」



 壱はしゃがみ込み、レオの身体を起こす。服についた泥を払ってやり、自分の袖で涙でぐしゃぐしゃになったレオの顔を拭いてやった。その動作が優しさ以外の何者でもないことに壱は気付いていない。

 レオは黙ったままだった。

 帰るぞ、と立ち上がった瞬間、目眩が襲う。壱の額から嫌な汗がぶわっと吹き出した。耐えきれずに膝をつき、四つん這いになる。レオが驚いてすぐさま壱の横に回り込んだその時、壱は嘔吐した。



「うぁ……」



 声にならない声を上げて壱は倒れ込む。レオはどうしたらいいか分からず、ただひたすらに壱の名前を呼んだ。






 空き地から叫び声が聞こえた。かなり切羽詰まったその声に反応して、安奈は思わず歩を早める。

 夜中に目が覚めてからなかなか寝付けず、気分転換がてらホテルを飛び出したのだ。

 あ、と思わず声がでた。空き地には数人の少年が倒れていた。

 そしてその中には昨日道を教えてくれた少年もいる。一人は自らが吐いた物の上に頬をつけて倒れ、もう一人の小さい方はただただ少年の背中を揺らしていた。



「ねぇ、どうしたの?」



 周りで倒れている少年たちには目もくれず、真っ直ぐに二人の元へ駆け寄った。安奈に気付いた小さな少年は泣き顔のまま顔を上げる。



「誰だよぅ、お前」


「昨日君たちに道を教えてもらったものよ。安奈、覚えてない?」


「安奈……」


「そう、君は確か……レオくんでしょ」



 そう言うとレオは思い出したのか、少し安心したように、あぁと呟いた。

 安奈は壱の身体をそっと起こす。意識はない。額に手を当てると驚く程熱く、つい手を引っ込めた。ひどい熱だ、息も荒い。



「壱ぃ、起きろよぅ」



 ただ泣くばかりのレオに、家はどこだと聞く。教えられない、とレオは首を横に振った。壱にキツく言われていたのだ、よそ者に気を付けろと。



「君ひとりじゃ運べないでしょ!早く教えて!じゃないと……」



 安奈は自分の腕の中の痩せた少年を見た。さっきよりも呼吸が荒くなっている。顔は蒸気しており、全身から汗が吹き出ている。これ以上こんな寒い所に晒していると危険なのは目に見えていた。



「ただの風邪じゃなかったらどうするの!それこそ危険でしょ!」


「壱……死ぬのか?」


「死なせない。いいから場所を教えなさい。絶対誰にも言わないから……お願い」



 レオは乱暴に涙を拭いたあとヨロヨロと立ち上がった。案内する、とおぼつかない足取りで進み出す。安奈は壱の身体を背中で支えずるずると壱の脚を引きずりながら出来るだけ早く進む。



(重い……)



 意識のない人間の身体はひどく重い。身長も体重も自分と同じくらいの壱を背負うのは、力のない安奈にとって苦しかった。だけどそれでもレオよりはましだろう。彼の小さな身体では潰れてしまう。

 ここを安奈が通りかかったのは運が良かった。もし壱が倒れている所を他のストリートチルドレンに見つかっていたら、きっとひどい目に合わされていただろう。この町で一番強いということは、それ程敵が多いということだ。








 十分程で彼らの住処となる工場に着いた。しかし中の寒さは外と大差なく、コンクリートに囲まれている為ひどく冷たかった。それでも風をしのげるだけましだ。安奈は開け放されている窓を閉めるようレオに言い、壱をソファーに寝かせた。

 その間にレオは急いで窓を閉める。これですきま風は収まった。



「ねぇ、このストーブ点かないんだけど!」


「火がないんだ。それに古くて壊れてる……」



 安奈は辺りを見渡した。すぐさま赤いスポーツカーへ走る。玩具やガラクタが積み上げられた後部座席を探った。安物のライターが出てきたが、点かない。

 ライターを諦め更に奥へ手を突っ込むと、今度はマッチを見つける。ストーブの前まで持って行き、祈るような気持ちで擦った。火はすぐに点き、それをストーブの真ん中へ持って行く。よく絵本なんかに出てくるような古い形のストーブだった。



(お願い……)



 安奈の祈りが通じたのか、ストーブはゆっくりと温もって行く。とりあえず安心し、重いそれをソファーの壱の元まで持って行った。



「毛布か何かは?」



 レオは首を横に振る。安奈は少し考えてから、自分の羽織っていた毛糸のカーディガンで壱の身体をくるんだ。

 それから再びスポーツカーの後部座席を探ると、今度は小さな玩具のバケツを取り出す。タオルがなかったので、代わりに自分のポケットからハンカチを出した。

 ただ立ち尽くすレオにバケツを渡すと、水を汲んでくるよう頼んだ。レオは力強く頷きツバメのように素早く工場から出て行った。






 レオの汲んできた水にハンカチを浸け、壱の額にそっと乗せる。



「食べ物とか……せめて飲み物は」


「……ないよそんなもん。腹が減ったらその都度奪いに行くんだ」


「……」



 安奈はポケットを探った。ほんの少ししか小銭がない。ホテルに帰ればお金がある、だけどここからホテルまでは軽く三十分はかかるのだ。壱を担いでここまで来て、ろくに眠れていない安奈はひどく疲れていた。



「自販機ならあるよ。しかもタダで飲める」


「本当?どこにあるの、教えて」


「着いてきなよぅ」



 レオに手を引っ張られ、安奈は外に出た。Tシャツ一枚じゃさすがに寒い。しかし同じく薄着であるレオはそんなことには慣れているようで、この寒さの中平気そうな顔をしていた。



「これだよぅ」



 自販機は工場のすぐ裏にあった。少し古いが見たところ普通の自販機に見える。

 と、その瞬間。レオは後ろを向いたかと思うと振り向きざま、自販機に回し蹴りを入れた。思いっきり蹴った為か自販機はぐらりと小さく揺れる。間を開けずに再びレオは蹴りを入れた。呆然としている安奈の目の前で、自販機はガタガタと音をたて、中から3本のペットボトルが出てきた。



(タダって、こういう意味ね)



 半ば呆れ気味の安奈に、レオは笑顔でペットボトルを渡す。



「壱はもっと上手くやるよぅ。一回蹴っただけで五本くらい落ちてくるんだ」


「そう……。でもこれって」



 安奈は言いかけて止めた。確かにこれは悪いことだ。だけど彼らにとっては生きる為の立派な手段である。それを悪いことだと口を挟んで彼らの生き方を否定するのは違うと思った。



「壱くんが起きたらあげようね」


「うん」



 屈託のない笑顔に、なぜか胸が痛かった。







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