壊れた時計台
汚い町の片隅に、彼等はいた。全員がまだ十代の子供たち。親に捨てられ、肥だめのような所で産声をあげた彼等は暴力を生業にし、生きる為なら何でもやる。大人たちに唾を吐き、斜めから物事を見ていた。社会のルールも何も関係ない彼等のその手は真っ黒だった。
壱という少年は、その中にいた。
姓も本名もない、名付け親は自分だと語る。短髪で鋭い目をした、額に傷のある少年だ。自分の誕生日を知らない彼は、自分の歳を知らない。そもそもあまり興味がない。何故ならこの町には同じような子供がごろごろいるからだ。ただあえて年齢を予想するなら、およそ十四、五歳くらいだろう。云々。
「これが、彼等に関する資料の全てか」
遠く離れた首都から新しくこの町にやってきた雛森署長は何枚にも束ねられた資料を机の上に置く。最初のページの半分も読んでいない。
安っぽいソファーに大きな身体をどさっと下ろし、溜め息を吐いた。
ここはこの町唯一の警察署。役所も市長も彼等には関わろうとしない。だが巡査部長の生田は違った。もう何年も前から彼等の行動を観察し、時には保護、逮捕もしている。今回特別に雛森署長がこの町に来たのは、彼等のことが関係している。
雛森は大きなお腹をさすりながら言った。
「ここは不思議な町だ。建物だけじゃなく、住んでる人間まで古めかしい。レトロ、というのかな。よく言えばね」
「はっきり汚い町だと言えばいいじゃねえか」
もともと大学時代から親しい二人はくだけた口調で言い合う。こんな町で巡査部長をやっている生田とは違い、雛森はとんとん拍子に署長の席に腰下ろした。
久々に再会した二人の間に感動的なものは少しもなかった。
「ここに来る途中何人か見たよ。ゴミを漁っている子供が周りに蝿を引き連れていた」
「良かったな、そりゃまだマシな方だ」
「マシ?あれが?充分不幸そうに見えたがな」
おどけるように雛森は言う。その軽いノリには乗らず生田は煙草に火をつける。白い煙を吐き出したあと、そういう意味じゃねぇよと真顔で言う。
「なら、どういう意味だ」
「お前が見たそのガキ、いくつぐらいだった」
「そうだな……ちょうど小学一年生、六歳くらいだった」
「だろ?その歳のガキはまだマシだ。金をせびってきたり財布をスったりはするだけで。まぁ、例外もいるがな」
「ひどいな」
「もっとひどいのはそのもう少し上、十代のガキ共だ。相手が誰だろうとすれ違い様に殴りかかる。ガキのくせに格闘家の何倍も血の気が多い。もし会ったのがそいつらだったら襲われてたかもな」
「子供なんかにはやられんよ。それにこっちは車だった」
「甘いな」
怪訝そうに眉をひそめる雛森。生田は少し笑って煙草の灰を何度か落とす。
「きっとフロントガラスごと叩き割られてたさ」
馬鹿馬鹿しい、雛森は機嫌を損ねたように言う。からかわれた気がしたのだ。彼は自分に絶対的な自信がある。それ故にプライドも人一倍高かった。服も時計も靴も、常に人より良いものを持っていないと気が済まないのだ。子供なんかに負けるなんて彼にとっては侮辱以外の何者でもない。もちろん、生田も雛森のそんな性格を知っている。
「とにかく、俺は上からの命令でこの町に仕事をしにきただけだ」
「仕事、ねぇ」
「その野良犬共を一掃しにな」
「あんたにできるかね」
「生田、いい加減にしろ」
そう言って雛森は顔を赤くした。怒った時の彼の癖だ。元々が楽天的な生田は焦る様子もなく両手の平を上げ、冗談だと笑った。
この町の孤児達を片付けろというのは、雛森の言うとおり上からの命令だった。
理由は簡単、彼等は邪魔だと判断したのだ。
いつかは孤児も大人になり、この町を出て行く。
ヤクザ、運び屋、テロ、殺人鬼……教育を受けていない彼等がそうなるのは目に見えていると国も判断した。邪魔な存在は子供のうちに消してしまおう、その会議が行われたことを国民は知らない。国民だけじゃない、極秘任務故一握りの人間しか知らない。この計画は裏でこっそり、しかし着実に進められているのだ。
「俺が一週間偵察をする。それが終わればすぐに特殊部隊が駆けつける。殺しのプロだ」
「おっかねぇ世の中だな、子供を殺すなんざ。しかも警察がだ。世も末だぜ」
「まぁ、な」
するとその時、部屋のドアが静かに開いた。二人同時に振り向く。話を聞かれたことを恐れた雛森は、腰の拳銃に素早く手を添えた。絶対に漏れるわけにはいかないのだ。
しかしそこにいたのは少女だった。長い脚にショートパンツがよく似合う。肩まである髪の毛は綺麗に手入れされており、少し寒いのか薄手のニットを羽織っている。どう見てもこの町にいる孤児とは違う。雛森は安堵の溜め息をつき、拳銃から手を放した。
「安奈、車にいろって言っただろう」
「だって遅いんだもん」
安奈と呼ばれた少女は下唇を突き出して言う。状況が分かってない生田に、俺の娘だと雛森は説明した。安奈は生田を見て花のようににこりと笑う。つられて生田も口角を上げた。
「娘がいたのか雛森、いくつだい」
「十五だ。みっともない話離婚してな、俺が引き取ってる」
「大変そうだな」
雛森は安奈の手に札を一枚握らせ、下に自販機があるからと言って彼女を部屋から追い出した。それが目的だったとでも言うように安奈は機嫌良く部屋を出る。バタンとドアを閉めてすぐ、パタパタと走って行く軽い足音が響いた。
「器量のいい子だな」
「母親似だ。最近俺の言うことなんかめったに聞きゃしない」
「子供はそんなもんだろ」
「煩わしい存在だ」
チッと舌打ちする雛森を生田は冷静に見た。はたして自分の娘をこんな風に顔を歪めてけなす親がいるのだろうか。確かに雛森は昔から子供嫌いだったが、自分の娘となれば話はまた別だと生田は思う。
「まぁ、娘にも気をかけておけよ。奴らは子供は襲わないが、もしもという場合もある」
「分かってる」
「あと、これ読んどけ」
生田は再度雛森に資料を手渡す。先ほど雛森が読まずに投げ出した分厚い資料だ。それこそ煩わしい、とでも言うように彼はそれを渋々受け取った。パラパラとめくってみるが、やはり興味は無さそうだ。
「一応奴らについての情報をまとめてある。読んでおいて損はない」
「あぁ」
「雛森」
「なんだ」
「壱には気を付けろ」
「いち?」
「名前だよ、奴らのリーダー的存在だ」
「どんな子供だ」
「それ」
生田は煙草を灰皿に押し付け、雛森の手元にある資料を指差しニヤリと笑って言った。読めば分かる、と。
小汚い警察署を出て、表に停めていた車に戻った雛森は舌打ちをした。待っていろと言ったはずの安奈がいないのだ。心配はしない。言いつけを守らないのはいつものことだ。それだけに雛森のイラつきは増した。いっそこの町の孤児のように捨ててしまおうか、そんな考えが頭をよぎる。そもそも安奈は少しも自分に懐いていないのだ。可愛いわけがない。
辺りを見渡すが昼間だというのに通行人すら見当たらない。この町の住人は一体何時から行動を開始するのだろう。だだっ広い道路に雛森の高級車がぽつんとあるだけだった。警察署の近くだからなのか、家は一軒もなくシャッターの下りた汚い店がぽつりぽつりとあるだけだった。
そして、異様に寒い。いくら夏も終わり始めていると言ってもまだまだ日差しの強い季節だ。北国でもないのにこの町にだけ、異様な程冷たい風が通っていた。不気味な町だと思わず呟く。
仕方なく車のキーを取り出した。好奇心旺盛な子だ、一通り散歩でもしたらいずれ戻ってくるだろう。そう思い雛森は車のドアを開け、運転席に腰を下ろす。暇つぶしに生田にもらった資料に目を通してみることにした。生田の言う、壱という名前の少年の説明が書いてある。
《……壱という少年は、その中にいた。
姓も本名もない、名付け親は自分だと語る。短髪で鋭い目をした、額に傷のある少年だ。自分の誕生日を知らない彼は、自分の歳を知らない。そもそもあまり興味がない。何故ならこの町には同じような子供がごろごろいるからだ。ただあえて年齢を予想するなら、およそ十四、五歳くらいだろう。
出身は定かではないが、この町で生まれたことは確かだ。幼い頃、南の森にある死体処理所に捨てられていたらしい。それからはゴミを漁り、窃盗をして生きてきたらしい。
人間離れした身体能力を持ち頭もキレる彼は十二歳の頃、当時孤児たちのリーダーであった年上の少年を半殺しにした。その時間、わずか十五秒。通行人の通報ですぐに壱を保護し、話を聞いた。壱は冷静だった。返り血を浴びたまま、簡単だったとくすんだ瞳で語っていた。それからは壱が孤児たちのリーダー的存在となる。壱の周りには常に最低1人……》
「くだらない」
雛森は途中で読むのを止め、資料を助手席に投げた。リーダーやらグループやら、いかにも子供が考えそうなことだ。これじゃ他の町にいる不良グループと何も変わらない。何が孤児だ、子供の支配する町だ、聞いて呆れる。こんなガキ共を本気で消そうと頑張っている政府にも呆れる。
雛森は目頭を押さえて後ろへもたれる。今日から一週間、世界から隔離されたようなこの町で過ごさなければいけないと思うと重い溜め息が出た。しかも、厄介な娘付き。
安奈は高鳴る胸を抑えた。理由はこの町。歩けば歩く程不思議な雰囲気がついて回る。シャッターの下りた古びた商店街を抜ければ、ちらほらと人通りが多くなる。スーツを着たサラリーマン、OL、学生、主婦……自分の住んでいる町と何ら変わりないのに、湧き上がる探求心は何故だろう。都会のコンクリートジャングルとは違い、赤や緑や黄色と色とりどりな建物に石造りの道、そして何よりゆるりとした雰囲気が好きだ。安奈がこの町の全てを気に入るのに時間はかからなかった。
ふらふらと引き寄せられるように町の中心へと足が進む。着いた先は大きな広場。人々が行き交うその中央には高い時計台がある。レンガ造りでどっしりとしたその時計台は、安奈の視線を釘付けにした。
(あ……でもこの時計動いてない)
時計台の針は十二時を差したままぴくりとも動かなかった。誰も直さないのか、それとも直らないのか分からないが、少なくともここにいる通行人はそんなこと微塵も気にしていないように見えた。当然のように動かない時計台を受け入れている。変な町、心の中でそう呟く。
そろそろ父のもとへ戻ろうと踵を返して去ろうとした瞬間、突き刺す程の視線を感じて足を止める。誰かが自分に視線を送っている。それも見つめるなどという生易しいものじゃない。睨んでいる、確実に殺気を込めて。
振り向くのが恐くて、震える脚を無理矢理動かし必死で走った。少しでも気を抜いて立ち止まってしまえば、もう二度と動けなくなるような気がしたのだ。石造りの道を慣れない足取りで走る、走る、走る。まとわりつく視線に体中から冷や汗が出た。
しかし広場を出て商店街を抜けると視線は急にぷつりと消えた。ホッと息をつき、安心した途端に膝から崩れ落ちる。今まで走っていたのが不思議なくらいだ。
(あれはなに……)
暗い、真っ黒に濁った視線だった。今まで感じたことのないくらい強い殺気混じりの視線。確実に私に注がれていた。なぜかは分からない。ただ、あの視線はよそ者を追い出そうとしていたように感じる。でも誰が何の為に。
安奈は考えることを止め、とりあえず深呼吸をした。少しだけ落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がる。崩れ落ちた拍子に膝を怪我したことにも気付かず、父の待つ車へと歩いて行った。