十分なきっかけだった
クリスティーヌが、ラウルの考えていることが分からないと、悩んでいる頃。
ラウルはまるで当然のように、いや、実際執事として働いているのだから当然なのだが、執事としての仕事を全うしていた。
成功報酬は、クリスティーヌ様、貴方ですと告げた様子など誰にも悟らせる様子はなかった。
いつものようにクリスティーヌの必要な書類やおやつなどを運び、時に伝言し……といった仕事を続けていく。
そんな彼は、屋敷のメイド荷も愛想よくふるまっており、密かに思いをはせるメイドも少なくなかった。
けれどそれらはラウルが演じていた、執事としてのラウルでしかない。
そこでラウルはふと、思う。
いったいいつから“仮面”と自分の顔の区別がつかなくなったのだろうか、と。
「どちらも、貴方でしょう?」
そう言ったのは、すでにそれを言った事すらも忘れているであろうクリスティーヌだ。
ラウルはいつも穏やかで動じない有能な執事。
周りからもそうみられていて、自分でもそう演じてきたつもりだった。
けれどある日、クリスティーヌがラウルを見て告げたあの言葉は、未だにラウルの中に突き刺さったままだ。
まっすぐに彼女の紫色のアメシストのような瞳がラウルを捕らえた。
全て見透かされてしまいそうな彼女の瞳に魅入られた。
それまではごく普通の美しい貴族令嬢、この公爵家とも顔見知りになって置ければという程度にしか興味はなかった。
美しい者も、着飾っただけの美しい者も、ラウルはいくらでも見てきた。
だからその程度では、ラウルの心は動かない。
たかが一言。
されど一言。
ラウルが行動を起こすには、十分なきっかけだった。
そう思いながら歩いていくとそこでラウルは、クリスティーヌに呼ばれていると伝言を貰ったのだった。