魔法
自分の手からナイフが落ちるのを感じた。
どうして、と私は思う。
私は今まさに、そのナイフを持って襲い掛かろうとしたのだ。
けれど、あたかも自分の意思でナイフを持つ手を緩めたように私は感じる。
こつんと小さな音を立てて、ナイフが床に落ちる。
白い月の光の中で、ナイフが小さく光り輝く。
呆然としながら私はそれを見た。
拾わないと、そう思うのに体は動かない。
目の前の怪人が、ゆっくりと私に迫る。
私の体が恐怖に小さく震える。
そこで目の前の怪人は、私の顎を掴んで上を向かせて、
「美しいと評判の娘だと聞いていたが……確かにこれは、見目麗しい」
「……放して」
「放して? そうではないだろう? お前は僕の伴侶になるのだから」
「お断りよ。私には好きな人がいるもの」
「だが、そんなもの、すぐに忘れさせてあげよう。そして君は僕を愛するようになる」
「魔法、で?」
「そうだ」
「人の心をそんな力で操れると思っているの?」
その私の言葉は、怪人には面白い物であったらしい。
小さく笑って、
「お金に群がる女どもを見て、人の心がどれほど操りやすいのか、分からないのか?」
「それは……でも、私は違う」
「だが、今までそれに抵抗できたものはほとんどがいない。君にとって残念な話だがね」
「……それでも私は、貴方を好きにならない。私が好きなのは……ラウルだもの」
そう告げるとそこで、珍しく怪訝そうな顔で怪人が小さく、
「ラウル? ……ラウル……いや、同じ名前の者などいくらでも……」
「いえ、そのラウルで正解です。ジャスティス」
その怪人の背後から、私がよく知っている人物の声がしたのだった。




