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第7話

 肩を揺する感覚に目を開けた。視界いっぱいに結月の顔が広がる。

 結月がわざとらしく深く息を吐く。


「寝るなら布団で寝ろ」


 お父様と結月が出ていったあと、ソファーに座ってそのまま眠ってしまったようだ。ソファーから降りて、凝り固まっている肩を大きく回す。ごりごりする。もう絶対、座って寝ない。

 結月が朝食を食べるように、と私を机の前に促す。座れば、結月が背後に立った。髪に櫛を通される。

 並べられた料理を眺め、手を合わせた。いただきます、と口にすれば、結月の手が止まる。


「どうした、急に」


 私は振り返ることもなく箸を持つ。


「二の兄に教わったんだ」


 少し間があいて、そうか、と結月は小さく言う。再び髪を解かし始める。何処かで引っ掛かったのか、ぐいっと引っ張られた。

 振り返り、不服を込めて結月を睨むけれど、結月は素知らぬ顔。逆にさっさと食べろと咎められた。何だか納得いかないけれど、再び料理に向き直る。

 箸を持ったのはいいけれど、食欲が湧かない。緑色の器に入った煮物を眺めて、左手で喉を撫でる。別に痛みなんてもうないのに。

 髪を結月が高い位置で括ってくれた。髪を結ぶのは結月がやってくれた時だけ。自分じゃ上手く結べないから。結月がせっかくくれた髪紐も、結ぶのが結月だからと結局、結月が持っていることになった。

 髪を結い終えた結月が私の顔を覗き込む。


「食べないのか?」

「あんまり、お腹空いてないから」


 結月の眉間に皺が寄る。それから「少し待っていろ」と言うと、御盆を持って部屋から出ていってしまった。けれども、すぐに戻ってきて私の前に真っ赤なリンゴを差し出してくれた。


「昼は鹿埜様が栄養剤を持ってきてくださる」

「……別に、いらなかったのに」

「駄目だ。食え」


 ぐいっと口にリンゴが押し当てられる。このままだと、キノコの時と同様に口に突っ込まれそう。さすがにこんな大きいのは入らない。大人しくリンゴを受けとる。

 リンゴに齧り付けば、口の中に甘さが広がる。すごくシャキシャキしていてみずみずしい。甘い蜜を飲み込めば、噎せた。

 がっつくからだ、と結月が呆れた様子で私の背中をさする。がっついてなんかいない。ただ、久しぶりだったから驚いただけ。

 異論を込めて結月を睨む。鼻で笑われた。ムッとしたけれど、言葉に出してもただの言い訳にしかならなそうだからやめた。

 咳が落ち着いてからゆっくりとリンゴを食べる。

 リンゴを半分ほど食べて満腹になり、私は食べる手を止めた。残ったリンゴをどうしようかと見ていると、結月にリンゴをとられた。代わりに濡れた手ぬぐいを渡される。

 机を挟んで向かい側に座った結月はしばらくリンゴを見ていたが、食べかけのそれに食いついた。結月をじっと見ていると、私の視線に気付いた結月が眉間に皺を寄せる。


「何だ」

「……食べるの?」

「……もったいないだろ」


 結月がリンゴを噛む音が部屋に響く。


 お昼は結月が言った通り、本当にお父様が来てくださった。

 まだ怖かったね、なんて言われて、お父様に頭を撫でられた。お父様がリンゴを剥こうとしてくれたけれど、結月が全力で止めていた。お父様は唇を尖らせて、子どものように拗ねた。

 毎食のように結月とお父様が来ては、私に果物を食べさせて帰っていく。


 それからしばらくして食事が果物だけでなく、少しずつ増えていった。お父様と結月が私が食べるのを観察している。栄養剤の注射はもうなくなった。

 初めの頃は私が食べきるとすぐに出ていってしまった結月とお父様だが、最近は食事後に勉強を見てくださる。おかげで文字が書けるようになった。

 もう少し頑張ろうね、と優しく笑うお父様に対し、結月が駄目なところを重箱の隅を楊枝でほじくるように指摘してくる。……間違える私が悪いんだけども。

 お父様が居ないときは結月が勉強を見てくれる。凄く厳しい。逃げようとしても、私はこの部屋から出れないし、勉強を放棄したら放棄したで結月が更に厳しくなるし、大人しく机に向き合う。


 お父様に樹の域の歴史を教わっているとき、何となしに扉の方を見た。無意識に鼻をひくつかせて臭いを嗅ぐ。

 何だか、嫌な感じ。

 少しして、何が落ちる音がした。がしゃん、という音ではなかったから割れ物ではないと思う。少しして嫌な感じもなくなった。

 視線をお父様に戻せば、お父様は苦笑いを浮かべていた。結月は何と言えない目で私を見ている。

 お父様は特別なにか言うでもなく、歴史の話を再び始めた。いつもならお父様は勉強が終わると自然と切り上げるのに、今日は結月が声をかけるまで世間話をしていた。

 いつもより一時間ほど長くいたお父様と結月を手を振って見送る。


 そんな日々が続いて数週間。何の前触れもなく扉が乱暴に開かれた。横になったまま、顔だけを扉に向ける。

 妹がいた。大きな焦げ茶色の目をつり上げて、結われた髪を荒々しく揺らし、部屋に響き渡るんじゃないかってほど足音を出して私に近付いてくる。


「やっとみつけた!」


 横たわったままだった私は体を起こす。立ち上がる前に目の前に指を突き付けられる。


「そこはわたしのいばしょ!なんであんたがいるのよ!?」


 私は首を傾げる。

 そこってどこだ。このソファーのことか。元は妹が貰うものだったのだろうか。お父様は妹と知り合いだったの?でも、何だか違う気がする。

 だんだんと顔色の悪くなる妹は、私が何も言わないことに苛立ったのか気迫が増した。


「わたしのほうがたっくんたちのことしってるのに!わたしのほうがたくさんべんきょうしていてやくにたつのに!!どうして、あんたがしののめにいるの!?しののめにふさわしいのはこのわたしよ!!はやくかわんなさいよ!ゆーくんたちのおひめさまはわたしなんだから!!あんたなんて、ひととかかわっちゃいけないのよ!いるだけでみんなのことをふこうにするんだから!!」


 今にも掴みかかってきそうな勢いはあるけれど、妹はギリギリ手が届かない位置にいてそれ以上、近づいてこようとしない。

 早口過ぎて理解が追い付かなかった私は少し視線を下げた。それを見た妹が鼻で笑う。


「なにすっとぼけたかおしてるのよ。まさか、わかってなかったの?あんたはふこうのげんきょうなのよ!おとうさんがなぐるのはあんただけ、おかあさんはあんたがいるせいでじゆうにできない。あんたがいるだけでうちはくらくなるし、きんじょからはかげぐちをたたかれる!わたしがいたおかげでうちがあかるくなったのよ!!かんしゃするならまだしも、よこどりなんてなにかんがえてるのよ!きいたわよ。ゆーくんだってあんたがむちなせいでじゆうがないし、かのさまはあんたがおどすからいやなめにあってるんでしょ?あんたはいるだけでまわりにめいわくをかけるのよ!!」

「……迷惑」


 妹がひゅっと音を立てて息を飲んだ。


 知らない。そんなこと、知らない。だって、来てほしいなんて頼んでない。あの部屋から出たいなんて言ってない。あの男に反抗するのだってやめた。母に一緒にいてほしいなんて言ってない。お父様を脅してなんていない。

 でも、母はいつも顔色が悪かった。あの男もまた青い顔をしていた。お父様は微笑んでくれるけれど、結月が我が儘を言って困らせるなって。……結月だって、最初はあんなに冷たい目で見てきていたじゃないか。一の兄たちの前ではあんなに綺麗に笑うのに。

 一度だけ、結月が笑ったような気がしたときがあった。でも気のせいだったのだろう。だって結月の口角が上がったのを見たわけじゃない。目がいつもより優しく見えたのは気のせいだ。だって、今までずっとあんなに冷え冷えとした目で私を見ていたのに急に優しくなんてなるわけがない。

 都合のいい妄想だったのだ。ここはどうしようもないくらいに温かいから、皆が居てくれるって夢に見てただけ。皆が居てくれる理由なんてない。皆、この手に刻まれた狼嘉のために仕方なく来るんだ。

 私が居るから、皆が、自由にできない。


 遠くで狼の遠吠えが聞こえるような気がした。見えているのは確かに顔色の悪い妹なのに、自分が夢で見た竹林に居るような感覚になる。薄暗くて、狼と私しかいない世界。

 あの部屋に戻るなら、私はあの世界にいたい。少なくとも狼は私と居てくれる。だって、あの子は、私が背負わなければいけないもので、私自身だから、絶対に一緒に居られる。


 外から慌ただしい音が聞こえて、勢いよく扉が開いた。厳つい表情をした水の祖父様が顔を見せた。そして、その後ろに顔色を真っ青にしたあの男と母とがいる。それから、結月も。

 水の祖父様と結月が私と妹の間に入った。それからあの男が妹を抱き上げ、急いで部屋から出ていった。水の祖父様の深い溜め息が部屋に響く。

 顔色の悪い母が水の祖父様の背中越しに私を見ていた。何だか泣きそうな顔。母の口が小さく動く。


「**」


 母は確かに言葉を発したはずなのに、聞き取れない。ただ母を見ていると、結月の背が私の視界を遮った。


「彼女は狼嘉です。土の域を治める東雲家の五傑なのですよ」

「……申し訳ありません」


 結月の淡々とした声ののち、母の消えそうな声がした。それから、布の擦れる音がした。少しして扉が開け閉めされる音がすると、結月が私の方へ目を向けた。部屋には水の祖父様も母の姿もない。


「……母は何て言ったの?」

「気にしなくていい。狼嘉は狼嘉だろう?」

「でも」

「それより、あの女に何を言われた」


 結月に睨まれて思わず口を閉ざす。それから、首を横に振った。


「なにも」


 結月は明らかに納得のいかなそうな表情を浮かべる。でも一度、目を閉じて「そうか」と小さく呟いた。

 結月はソファーの空いている場所に腰を下ろした。それから、私が結月に背を向ける形になるように私を座らせ直した。結月の手が私の髪をとかす。


「あの女は毒に触れている。何を言われても気にするな」

「……毒」

「ああ。毒は移るからな」


 それならば、毒、というよりも病ではないだろうか。そんなことも考えたけれど、結月の手が気持ちよくて、何だか頭がぼんやりしてきて考えるのをやめた。狼の気配が強くなるのと同時に強くなる眠気にそのまま身を任せる。

お待たせしました。本当に遅くなって申し訳ないです。次回もまた今回以上に遅くなると思いますが、ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
あの娘は何故あんな勘違いをするようになったのだろ? 何も知らない。誰も教えてくれない。 うーん主人公が不憫だ。 彼女が心から笑顔になれる日は来るのだろうか…
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