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第6話

 ソファーの端で座布団……もといクッションとやらを膝と共に抱える。隅っこって心地が好い。ソファーの柔らかさも相まって、包まれているような感覚になる。

 一人でいる時間が減った。結月がこの部屋に居る時間がかなり増えたから。けれど、静かな時間が増えた。結月以外は来ないから。

 誰も喋らない。結月の紙をめくる音だけが響く。


 体が十分に動くようになった。けれど、まだ何かを食べる許可はもらえていない。

 あの山菜の和え物には毒が入っていたそうだ。泣きながら謝りに来た二の兄がそう言っていた。その日以来、二の兄の姿は見ていない。

 二の兄が何かしたというわけではないのに、何であんなに謝っていたんだろう。変なの。


 お父様も一人で来ることが無くなってしまった。いつもお祖父様方やお祖母様たちと一緒。私の体の調子を診てはすぐに帰ってしまう。

 みんな、ピリピリしていて、私なんかよりずっと疲れて見えた。特にお父様の顔色があまり良くない。私を診に来るよりも、お父様を休ませるべきだと思う。

 結月に言ったら、水のお祖父様に伝えてくれるって言ってた。でも、来る回数は減らない。


 ノック音がして扉が開く。水のお祖父様が入ってきたのを皮切りに、各域の当主が顔を見せた。結月が立ち上がって頭を下げる。

 お父様が私に近寄ってきて腕を出すように仰有った。いつも通りに腕を差し出せば、注射で栄養剤を流し込まれる。それから、喉の調子などを診られる。


「うん。赤みも完全になくなっているし、もうご飯を食べても大丈夫だよ。他に気になっていることはない?」


 首を横に振る。お父様はいつも通り、優しげに微笑む。


「土の宮は凄いなぁ。食べたのが僕だったら即死だったかも」


 お父様の顔色が更に悪く見えた。もし、私じゃなくて体の弱いお父様だったら……ゾッとした。

 私がお父様を睨めば、お父様は慌てて私に謝る。


「不謹慎なことを言った。ごめんね」

「……洒落にならないから、絶対だめ」

「うん、ごめんね」


 お父様が私の頭を撫でてくださる。結月よりも大きな手。

 そういえば、お父様が私に長く触れるようになった。お父様を見上げながらぼんやり思う。

 やはりお父様の顔色が悪い。ただでさえ白かった顔が肉付きも悪くなって更に青白い。目の下の隈も濃い。眠れていないんだろうか。


 お父様が私の隣に腰を下ろしてソファーが少し揺れた。私は再び膝を抱える。

 お祖父様たちは結月と話をしていてまだ帰る様子はない。話を聞いていた結月が少しだけ嬉しそうな顔をしたあと、私を一瞬見て、すぐに顔をそらした。


 暫くお祖父様たちは話を続けるとこちらに目を向けた。そして私たち……というより、お父様を見て目を見開き、苦笑いを浮かべる。

 私もお父様に目を向ける。……寝てる。

 少し体をずらして、前から覗き込んでみた。

 微かに口が開いている。起きていたときよりも、疲れが滲み出てる……ような気がする。

 雷のお祖父様がお父様を起こしに寄ってきたが、水のお祖父様がそれを止める。ここなら安全だろうから寝せておこう、と。

 水のお祖父様に目を向けられた結月が苦々しく顔を歪め、一度頷く。次に水のお祖父様は私に視線を移し、お父様を横にするから退くように、と。私はソファーから降りて部屋の隅へと移動する。

 お祖父様たちはお父様をソファーに横にすると、結月によろしくとだけ言って部屋から出ていってしまった。

 結月は部屋の中央にある机の前に腰を下ろし、再び本を広げた。また結月の紙をめくる音だけが響く。


 うとうととし始めた頃、扉を強く叩く音がして目が覚めた。結月も嫌そうに眉間に皺を寄せている。

 私が立ち上がろうとすると、結月が私を制す。開いた本をそのままに、結月は扉へ向かった。


「鹿埜様を出しなさい!!」


 扉が開くや否や、甲高い声が響く。お父様が小さく身動ぎをして眉間に深く皺を寄せた。何だかとても苦しそう。呼吸も少し荒くなっている。顔も青白い。

 私は立ち上がってお父様に近付く。お父様の手が胸元できつく握り締められていて、小さく震えている。両手を使って、包み込むようにお父様の手に触れる。

 お父様が小さく息を飲んだ。それから安心したように微笑む。呼吸も安定してきた。まだ起きた様子はない。


「居るんでしょ!?早く出して!」

「……鹿埜様はお休みになっておられます。今はお引き取りください」

「自室で休めば良いじゃない!わたしが鹿埜様の婚約者なのよ!!」


 お父様が微かに目を開けた。ぼんやりとした緑色の目が私に向く。まだまだ眠そう。目元を覆うように手を伸ばせば、お父様が嬉しそうに笑う。再び落ち着いた寝息が聞こえた。

 ……あの人うるさい。このままだとお父様が寝ていられない。


「結月」


 名を呼べば、結月が私を一瞥する。


「代わって」


 結月は躊躇うような表情を浮かべるが、私はお構いなしに結月に近付く。深く息を吐いた結月は、肩をすくめて私に場所を譲ってくれた。

 すれ違い様に結月が牽制するように私を見た。


 部屋の外には女の人が立っていた。広間でじっとお父様だけを見ていた女の人。目元をつり上がり、ギラギラとした目が私を見下ろしている。

 あの男のようだ。父であったあの男の……いや、どこか違う。でも嫌いだ。

 お父様を苦しめるこいつが嫌い。弱いけれど優しいお父様。私が守らなくては。


「この部屋に何か」

「だから、わたしは鹿埜様の婚約者なの。どうして一回でわからないのかしら?耳が遠いんじゃないの。子供のくせに、お可哀想ですこと」


 女の人の口角が歪に上がる。私はぼんやりとそれを見上げていた。

 別に、婚約者だってのは聞こえていたし、広間でお父様の後ろに控えていたから鞘だっていうのも予想はしていた。

 私が言いたいことはそんなことじゃない。


「婚約者だから、何ですか?」


 女の人は息を飲む。見上げる私を負けじと睨むけれど、足が震えている。


「貴方が、お父様の婚約者だからといって、この部屋に何かあるのですか」

「わ、わたしは、鹿埜様を引き取りに」

「水のお祖父様が休ませていて良いと仰有ったのに、ですか?それとも急ぎのご予定が?」


 女の人がハッとしたように目を開き、小さく笑った。でも足は震えているし、手は強く握りられていて血管が浮き出ている。


「そうよ。お子様の貴方にはわからないでしょうけれど、仕事があるの。だからさっさと」


「う そ つ き」


 自然と口から漏れた。

 確かに、私は結月や一の兄と違って仕事になんてついていったことなどない。だから、お父様が何をしなければいけないのかなんて、てんで検討もつかない。でも、この人の言っていることは嘘だ。何となくそんな気がした。


 女の人が大きく目を見開いて後ずさる。距離を詰めようかと思ったけれど、水のお祖父様から決して許可なく部屋の外に出てはいけないと言われたのを思い出し、やめた。

 女の人の口がパクパクと動くが音にならない。先ほどのお父様と同じように苦しそう。


「部屋、入ってもいいよ。歓迎はしないけど」


 私が下がっても女の人はこちらに来る気配を見せない。

 暫くその様子を見ていると、女の人は口をきつく結び私を鋭く睨んで背を向けた。そういえば、顔が土色になりかけてたな、と今さら思いながら、その背を見送る。

 完全にその姿が見えなくなるのを確認して扉を閉めた。


 お父様に近づいて顔を覗き込む。気持ち良さそうに眠っている。


「……よくやった」


 お父様の傍に立っていた結月がそう言って私の頭を撫でた。驚いて顔を上げれば、結月が小さく笑っている。

 ――誉められた、の?結月が笑ってる。今まで、私に向けては見せたことのない表情で、結月が笑ってる。いつも遠くからしか見れなかったのに……嬉しい!


「うん」


 驚いたように結月が目を大きく開いた。スッと私の頭から結月の手が離れる。

 結月の視線がお父様に向いたので、私も同じようにお父様に視線を向ける。この部屋に来たときによりも顔色がよくなってる。

 このまま、しばらくこの部屋に居てくれないかな。……駄目か。お父様は大人だからお祖父様たちのように仕事があるだろう。外に居れば、お祖父様たちも居るし……たぶん、大丈夫。

 きっと、あの人なんかがお父様の傍に居るから、お父様が苦しいんだ。


「ねえ、結月」

「なんだ」

「あの人がお父様の鞘なの?」


 樹の域を治める鹿埜は病弱だと聞いた。もしかしたら、いつもあんな感じの人が鞘だったから病弱だったのかな。それが、鹿埜の背負う罪ってやつ?


「……今はな」

「今は?」


 ずいぶんと変な言い方。それだとまるで鞘が変えられるみたいだ。

 詳しく聞こうと結月に視線を向ければ、いつもの感情のない目が私に向いていた。私が口を開く前に結月が言葉を発する。


「どうしてそんなことを聞く?」


 私は思わず視線を落とした。

 どうして?そんなの嫌いだから……と思ったけど、何か違う。あの人がお父様の鞘じゃ駄目だから、だ。それが一番しっくりくる。

 でも、どうして駄目なんだろう。

 お父様に目を向けた。微かに開いた口がゆったりと呼吸をするのに合わせて、胸が小さく上下する。

 優しくて弱いお父様。私が噛み付けば、あっさりとあの呼吸が止まってしまうだろう。私じゃなくたって、簡単に息の根を止められそう。

 綺麗で儚いお父様。きっとお父様は綺麗な場所でしか生きていけないんだ。そう、だから、少しだけ、少しだけお父様の周りを汚くするとお父様は苦しくなる。

 ああ、そっか。今、お父様の周りは汚いんだ。


「汚いから」

「は?」

「あの人、汚いから。お父様の傍に居ちゃ駄目なんだよ」


 もし、鞘が変えられるというならば、早くお父様からあの人を引き剥がすべき。


 目覚めたお父様は私たちに笑顔でお礼を言った。久々にゆっくり休めた、と。

 またこの部屋に来てほしいと伝えれば、お父様は嬉しそうに笑う。お父様が小さく頷き、結月と共に部屋から出ていった。

遅くなってしまい申し訳ありません。今後は更に遅くなってしまうとは思いますが、気長に待っていただけると幸いです。

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