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第5話

「ずいぶんと丸くなったな」


 ソファーで横たわりながら本を読んでいると、部屋の掃除をしてくれていた結月が唐突にそう言った。本から顔を上げれば、眉間に皺を寄せた結月と目が合う。

 結月は少し目を泳がせると、健康的な体になったな。と言い換えた。そういえば、腕が柔らかくなったかもしれない。


「また鹿埜様から菓子をいただいたのか」

「美味しいよ、結月も食べる?」


 ソファーのそばに置かれた小さな机の上からお父様からいただいた菓子を取って結月に差し出せば、大きく溜め息を吐いて首を横に振られた。わかっていたことではあるので、そのまま自分の口にお菓子を放り込む。


 お祭りの日以来、お父様がよくこの部屋に来るようになった。今では水の祖父様よりも来ていると思う。

 お父様は来る度に様々なものをくださる。服だったり、お菓子だったり、茶葉だったり。あまりにも色々くださるから、結月が一度断りを入れたのだけど、お父様は眉を下げて悲しそうな顔をするから、結月が折れた。

 来るようになった、といえば、一の兄や二の兄も来るようになった。部屋に居る結月と戯れては帰っていく。そう考えると結月が居る時間も増えたと思う。


「結月、窓を開けてもいい?」

「……好きにしろ」


 結月の許可を貰ったので、窓を全開にする。

 外にはいつも通り慌ただしそうに洗濯物を抱えて歩く人や何かの書類を見ながら器用に人を避けて歩く人、大きな枝切り鋏で庭の木々を苅り揃えてる人などたくさんの人が居る。

 差し込んでくる日光の気持ち良さに思わず出かけた欠伸を噛み殺し、本に目を向けようとしたが、見覚えのある人たちを見かけて本を手から落とした。


 男がいた。父という存在だった男。記憶にあるよりもずっとやつれて、でもどこか幸せそうな父が。

 母がいた。家では見たこともないような健康的な顔色をした母が。

 妹がいた。男と母とに手を繋がれて歩く妹が。

 笑い声が聞こえる。私の前では見たこともないような笑みを浮かべている男が、母が見える。

 ―…胸が痛い。苦しい。見たくないのに、目が離れない。


 妹が唐突に足を止めた。男と母が不思議そうに妹に話しかけている。

 妹は首を横に振った。それから、二つに縛られた髪を揺らしてゆっくりと振り返る。

 目が合った。妹は目を見開いたかと思うと今度は私を睨み付けた……気がした。

 すぐに視界が布(カーテン、というものらしい)で遮られてしまって、確信はない。


 いつもの何を考えているかわからない目で結月が私を見ている。結月の口が微かに開き……すぐに閉じた。

 ずいっと目の前に落とした本が差し出される。受け取ってそれに目を落とす。パラパラと捲ってみるけれど、内容が入ってこなくてどこまで読んだのかわからない。

 再び本を手放した。私を見る結月から目をそらすように、背もたれに顔を向けて踞る。


「狼嘉」

「……寝る」

「……そうか。夕食までには起きていろ」

「うん」


 結月が離れていく気配がする。扉が閉まる音を聞いて、膝を抱える腕に力を込めた。

 目を閉じても眠れなんかしない。浮かぶのは楽しそうだった母の姿。それから、家で最後に見かけた苦しそうな母の姿。楽しそうな母は私からどんどんと離れていき、苦しげな母が私を責めるように見る。

 そんな母なんて見たくないのに消えてくれない。息が苦しい。目が熱い。


 狼の遠吠えが遠くから聞こえる。何だか少しずつ近付いてきているような気がする。狼の遠吠えがする度に母の姿が暗闇に紛れていく。

 すごく近くで鳴き声が聞こえたとき、母の姿は完全に闇に消えていた。


 目を開ければ、綺麗な湖が広がっていた。沢山の蛍が飛び回っている。それを囲うように竹林が広がっていた。民家でもあるのだろうか。赤色の灯りが揺らめいている。

 先程まで部屋にいたはず。ということは


「……夢、か」


 返事をするかのように足元から鳴き声が聞こえた。目線を下げればあの日に見た黒い毛並みの犬――後から知ったが狼というらしい――が私を見上げていた。

 しゃがんで狼に手を伸ばす。その手にすり寄ってきた狼をそのまま抱き締めた。

 あったかい。やわらかくて気持ちいいな。眠くなってきた。寝てるはずなのに、変なの。

 狼の尾が器用に私の背を一定の間隔で宥めるように叩く。狼に体を預けるように力を抜いた。狼から苦しそうな唸り声が聞こえたけれど、そのまま眠気に身を任せた。


 扉を叩く音を目を覚ました。体を起こすと、先ほどよりも強く扉を叩く音がした。


「ろか、あけてくれよ!りょうてがふさがってるんだ!!」


 二の兄だ。結月が居ないのに珍しい。

 ソファーから降りて扉を開けに向かう。扉を開ければ、お盆を持った二の兄が唇を尖らせて立っていた。


「へんじくらいしろよな!もうすこしでとびらをけりやぶるとこだったぜ」


 私が結月に起こられるからやめて欲しい。起きれて良かった。

 二の兄は私を避けて部屋の中に入ってきた。持っていた膳を机の上に置く。


「ゆづきがあにきとばあちゃんたちのしごとについていっちまったから、きょうはおれがいっしょにめしをくってやるよ」

「……二の兄は行かなくて良かったの」

「たのしくねえもん」


 二の兄は私を向かい側に座るように促す。私の前と二の兄の前とに分けて小鉢などを置いてくれる。

 私のお皿は様々な色をしているけれど、二の兄の前に並ぶのは二の兄の髪の色と同じ赤ばかり。赤はきっと二の兄の色なんだろう。

 料理を並べ終えて、二の兄は箸を持って手を合わせた。


「いただきます」


 料理に箸をつけ始めた二の兄に首を傾げる。

 今のは何だろう?おまじない?

 じっと二の兄を眺めていると、二の兄は何だよ、と私を睨む。


「今の、何?」

「いまの?」

「いただきます」


 二の兄は目を瞬く。それから笑った。


「おまえ、ほんとになにもしらねえな。たべるまえのあいさつだよ。たべものになったいきものに、たべものをそだててくれたひとに、たべものをつくってくれたひとに、このりょうりにかかわったすべてのものにかんしゃをするんだ」


 ありがとうといっしょだよ、と二の兄は言う。


「なにかをしてもらったらありがとう、わるいことをしてしまったらごめんなさい、おきたらおはよう、ねるまえはおやすみなさい、たべるまえにはいただきます、たべたあとにはごちそうさま。あたりまえのことだからな!おぼえておけよ!!」


 私が頷けば二の兄は満足そうに笑う。私も二の兄に倣って手を合わせた。


「いただきます」


 緑色の小鉢に入った山菜の和え物。小さなきのこが入っているからすごく嫌い。でも残すと結月に怒られるからいつも最初に片付ける。

 すっごく嫌な匂いがするのを我慢して口に入れた。いつもと違って舌がピリッてする。辛い、っていうのは刺激だと何かに書いてあったから、きっとこれは辛いんだ。

 痛いのを我慢して飲み込んだ。喉がどうしようもなく痛くて、思わず咳き込む。


「おい、だいじょうぶか?」


 二の兄が箸を止めて心配そうに私を見る。私は頷いて口から手を放す。

 手が赤かった。血だ。そう自覚したら、お腹に尋常じゃない痛みが走る。耐えきれなくてその場に踞る。咳が止まらない。


「お、おい!だいじょうぶか!?あ、ま、まってろ!だれかよんでくるから!!」


 二の兄が駆けていくのがぼやぁっと見える。

 やだ。いかないでほしい。こわい。いたい。つらい。たすけて。

 手を伸ばしても二の兄は振り返らない。

 口を開く度に声ではなくて生暖かいものが飛び散る。呼吸をするのもままならなくなってきた。


 二の兄が出ていった扉が閉まると、伸ばしていた左手が熱くなった。手の甲から黒い光が発している。

 腕輪からピシッピシッと何かがひび割れるような音が、咳の合間に聞こえてきた。


 黒い光が消えると狼が居た。狼は私の喉元に近付いてきて、喉を舐め、体を私の体にじゃれるように擦り付けてくる。

 少しずつではあるけれど痛みが引いていく。まだ痛みは残るものの、呼吸だけはなんとかできるようになると狼は私から離れた。

 狼は私を見下ろし、そして額に額を当ててきた。

 何だか眠くなってきた。狼の尾があの夢のように私の背を叩く。

 痛みから逃げるように、眠気に身を任せた。


◇◆◇


 目を覚ませば知らない天井だった。体を起こそうとしても上手く力が入らない。目線だけを動かして、辺りを見る。

 結月が壁に背を預けて眠っていた。結月の近くにはたくさんの本が散らばっている。

 結月、と呼ぼうとした。でも声が出ない。喉に痛みが走って咳が出た。

 その音を聞いて結月の目が開いた。よくよく見れば目の下に隈ができている。

 結月は重そうに腰を上げると、私に近付いてきた。私の頭の上に置いてあった綿を濡らし、私の口元に当てる。


「飲め」


 言われるがままに口を開けて、綿から出た水を流し込む。でも喉がヒリヒリして咳が出てしまった。

 結月は私の体を起こしてさすってくれる。


 部屋が変わっていた。でも、相変わらず四隅には四色の石が置いてある。あと、お父様がくださったソファーも。

 左腕についていた腕輪が変わっていた。腕輪は青、赤に加え四隅の石と同じ緑と黄色も混じって太くなっている。


 咳が落ち着いたらまた寝かされた。結月がいつも通りの目で私を見下ろす。


「喉が傷付いているからしばらくは何も食べれないらしい。鹿埜様が栄養を摂れる注射を持ってきてくださるから心配しなくていい」


 辰貴様に報告に行ってくる、と立ち上がった結月を思わず掴む。

 結月の肩が跳ねた。私はすぐに手を放す。結月は眉間に皺を寄せて、私を見る。


「……どうした」


 自分でもどうしたのかわからなくて目を泳がせる。結月は特に何も言わずに私を見ている。何だか気まずくて首を横に振った。

 結月はしばらく私を見下ろしていたが、私の隣に腰を下ろした。それから私の目元を手で覆った。


「寝ろ。寝るまでは居るから」


 結月の体温が伝わってくる。冷たくも熱くもない。あったかい。

 目を閉じれば、うとうとしてきた。さっきまで寝ていたはずなのに。

 結月の手が私の頭を撫でる。凄く気持ちが良い。ずっとこうしてて欲しいな。

遅くなってしまい、申し訳ありません。

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