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第10話

 結月から渡された雑巾を手が痛くなるくらいにぎゅうぎゅうと絞る。一回、適当にしか絞らなくて床を水浸しにして、それで滑って転んで、結月に凄く怒られた。おでこ痛いし、結月が怖いし、もう二度とやらない!

 結月は私なんかよりも手際がずっとよくて、私が一ヶ所をやっている間に二ヶ所三ヶ所とどんどん掃除を終わらせてしまう。結月は私が終わっていないのを見る度に溜め息を吐く。

 二人きりの生活。今までのように本を読むだけの毎日を送るわけにもいかず、結月に色々とやることを命じられる。

 料理をすると言われて、結月と一緒に台所に立った。大人の立つ台所は、私たちには高くて、丈夫な木の台を置いてなんとか高さをあわせている。

 最初にお米の研ぎ方を教えられた。全部、流しにぶちまけて溜め息を吐かれた。次に卵焼きの作り方を教えられた。黄身は潰すし、殻は入るしで、睨まれた。卵を焼いたらフライパンというものから落ちて炭になって、舌打ちをされた。次に包丁を握ったら、ツルッと包丁が手から抜けて指を切りそうになって、青い顔をされた。それ以来、台所に入るなと言われてしまった。

 洗濯をするように言われたこともあった。でも、洗剤を入れすぎたり、色落ちするものと白いものを一緒に洗ったりして怒られた。洗濯物が風で飛んでいって、木に引っ掛かったのでそれを取ろうとしてたら、また怒られた。それ以来、洗濯物に触らせてもらえない。

 絞った雑巾を広げ、雑巾がけを始める。長い廊下を勢いよく蹴ったのに、雑巾が思ったより動かなくて、勢い余って、頭から床に突っ込んでひっくり返り、背中を廊下に打ち付けた。一瞬息ができなくて、グキってなった腕も、ゴンってぶつけた頭も、ドンって落ちた背中も痛い。


「狼嘉っ!」


 埃まみれの床に横たわったままでいると、結月が駆けてくる振動が伝わってきた。結月は私の上半身を起こすと、目眩はしないか、吐き気はしないかと聞いてくる。私は首を横に振った。ただただ、ぶつけた背中や頭、曲げた腕が痛むだけ。

 結月の肩に腕をかける形で立たされて、そのまま、ソファーのある部屋まで連れていかれた。結月は私の後頭部を撫でて、こぶができているのを確認すると、私をソファーに寝せて「少し待っていろ」と言って部屋を出ていった。

 少しして、結月は布袋?と救急箱を持って戻ってきた。うつ伏せになるように言われて、服を捲られて背中を見られる。


「……青くなっているから、一応、湿布を貼っておく。他に痛いところは?」


 腕、と答えれば、腕にも湿布が貼られ、包帯が巻かれた。湿布の独特な臭いに思わず顔をしかめる。包帯をかりかりと掻く私に、結月は、取るなよ、と釘を刺し、私の頭に布袋を置いて私から離れた。布袋には氷が入っていたようで、冷たいし重いし、痛い。


「もう何もしなくていい。体調が悪くなったらすぐに言え。わかったな」

「……うん」

「すぐに返事!」

「は、はい!」


 結月は舌打ちをして、荒々しい足取りで部屋を出ていってしまった。何か、結月、ピリピリしてた…………今に始まったことじゃないけど。

 何だか落ち着かなくて、ソファーの上でもぞもぞと動き、安定する体勢を探す。でも、どうにも布袋が安定しないし、首が痛くて落ち着かない。試しに仰向けになって布袋を頭の下に敷いたら、氷の角が頭に突き刺さって痛かった。諦めて、起き上がる。布袋を右手で支えながら、部屋の中を見回す。この部屋は結月が片付けてくれたのだろうか。ホコリもなく、お父様のくださったものほどではないけれどソファーもふかふか。少しだけ、いい匂いがするような気がする。

 結月が何もしなくていいと言うなら、このまま寝てしまおうか。昔のように足を抱えて座れば、布袋が安定するかも……そう思って膝を抱えたとき、遠吠えが聞こえた。左手の甲が微かに熱くなって、そこから黒い光が窓の外に向かって伸びた。

 無視して眠ろうとすれば、再び遠吠えが聞こえた。……わかったよ、うるさいな。

 ソファーからダラダラと降りて、光の指し示す方向に向かって歩く。窓を開け、私の背より高い窓枠によじ登ってそのまま外へ出た。

 ……服汚したら怒られるかな。足元の裾を右手でまくり上げて、ゆったりと進む。…………また、遠吠えが聞こえた。しぶしぶ歩く早さを速めた。

 生い茂る木々の葉がいい感じに日光を遮っていて心地いい。風に揺られて葉がたてる音もまた心地いい。うー……眠くなってきた。この辺に座って寝ていいかな。…………ダメみたい。遠吠えが聞こえた。

 それにしても、此処は本当に心地いい。何だか、あの夢の中みたい。そういえば、お父様は元気になられただろうか。あれはもういなくなったから大丈夫なはず。お父様だもん、大丈夫だよね。


 辺りはどこを見ても木ばかり。出てきた家はもはや見えなくなってしまった。この光、どこまで続いているんだろう。もう、疲れたから帰ろうかな。

 そんなことを考え始めた頃だった。光が折れ曲がっていたので、それを追って少しばかり大きな木の横を曲がったとき、何か、こう……黒くて大きいのがいた。何て言うんだっけ……ああ、クマだ。絵本に書いてあったのはあんなに可愛らしかったのに……。

 クマは地に響くような低い声でうなり、白く尖った牙を剥き出しにする。私と同じ真っ黒な目をじっと見ていれば、四つん這いになっていたクマが起き上がって大きく鳴いた。私を威嚇するかのように前足から鋭い爪が伸びている。

 こちらに向かってこようとしたクマは私に爪の届かない位置で足を止めた。私はただ見てるだけ。クマはその大きな体を小さくして、何かを探すように忙しなく視線を動かす。辺りは静まり返っていた。

 クマは頭を低くして私を見上げ、震える前足をこっちに向かって出したり引っ込めたり。しばらくそれを繰り返したあと、ゆっくりと後退を始めた。


「……ねえ」


 周りが静かなせいか、私の声が思っていたよりも大きく聞こえた。クマがビクリと体を震わせる。


「おいで」


 別に何があるというわけではないけれど、何となく呼んでみた。しばらくクマはこちらを窺っていたけれど、とぼとぼとこちらに寄ってきた。私の前に出された頭を撫でれば、クマはゆっくりと目を閉じた。私の狼よりも毛が硬い。ちょっとチクチクする。

 クマの横に移動して、その大きな背によじ登る。クマは大人しくされるがままになっていた。落ちないようにクマの首もとにしっかり手を回すと、クマの体が一度震えた。ポンポンと片手で撫でてやれば、クマはその手に身を寄せるようなしぐさをする。


「……行って」


 どこに辿り着けばいいかなんてわからないし、クマと意思の疎通を図る方法もわからない。でも、こいつなら、私が光を追ってるってわかってくれるような気がした。

 クマは私の方に少しだけ顔を向けたあと、正面を向いて走り出した。風を切る音が聞こえ、冷たい空気が頬に突き刺さるように当たる。少しだけ寒くて、すがり付くようにクマの毛を握り、顔を埋めた。

 手が痛くなってきて、このまま手を離してしまおうかと思い始めたとき、クマが足を止めた。クマから離した手は赤い。ゆっくりとクマから降りて、枯れ葉が広がっている柔らかな地面に足をつける。眼前には大きな大木が私たちを見下ろしていた。


 大木に向かって歩く度、枯れ葉たちが割れる音が鳴る。クマは止まった位置で腰を下ろしたままだ。

 大木に触れられる距離までくると、その大木の大きさを改めて実感する。私よりも何倍も太い幹。見上げても、枝分かれしている位置が見えないほど高く伸びている。生い茂る葉は日光を通さない。そういえば、この大木から一定の距離には他の植物が見当たらない。

 左手から出る黒い光が大木の周りを回るように伸びてた。何処まで伸びているのかは高すぎてわからない。

 グルグルと回る光を左手で掴む。手の甲の模様が輝いて熱い。そこからぶわって何が身体中を駆け巡るような感覚がして、吃驚して体勢を崩した。左の手のひらが太い幹に当たる。そこから今度はゆっくりと何が溢れ出ていくような気がした。

 木の皮の凹んでいる部分を辿るように黒い光が流れ出す。上の方へ向かっていった光はよく見えないけれど、下へと向かっていった光はそのまま地面へと流れ、私の左手の甲にある模様と同じものを地面へ写し出した。


 狼の遠吠えが聞こえる。遠吠え……そう、遠吠えのはず。なのに、なんだか言葉のような気がする。あの子はいったい何を……。

 目を閉じ、耳を澄ませる。狼の声は少しずつハッキリとしてきた。全てがハッキリと聞こえるまで、狼の声に集中する。狼の言葉を一通り聞き終えて、目を開けた。揺れて音をたてる葉を見上げる。


「偉大なる大地よ 加護を賜るものは此処に 罪を負ふものは此処に 害あるものから我が身を 我が身から弱きものたちを 護り給へ」


 足元の模様が一段と輝いたかと思えば、下から風が巻き起こった。枯れ葉が舞い上がり、私は思わず目を瞑る。再び目を開けたときには、黒い光は消えていた。狼の声も聞こえない。

 足に力が入らなくて、そのままズルズルと座り込む。座り込んでいるクマより離れた位置、木々の影から様々な動物たちがこちらをうかがっている。

 なんか、疲れた。もう寝ていいかな……寝ていいよね。もう歩きたくないし、どうせ歩けないし。ズルズルと体を引きずって移動し、木の幹を背もたれにする。……寒い。そういえば、此処、日光が遮られているんだった。

 いつものように膝を抱えて暖を逃がさないようにしていると、クマが寄ってきた。それから私と幹の間に割って入ると、私を囲うようにして丸くなる。ちょっとチクチクするけど暖かい。他の動物たちもおそるおそる寄ってきた。黒い鳥が私の頭に止まり、黒いウサギが私の足の上に乗ろうとする。私は立てていた膝を倒して、黒いウサギを抱えた。他にもいたけれど、こちらに来ようとうろうろして、結局クマの周りに腰を落ち着けた。

 ―…暖かいのがいっぱい。こんなの初めて。

 胸がぎゅってなって、目頭が熱くなる。私はクマの毛皮に顔を埋めた。クマの匂いって、今までに嗅いだことのない匂いがする。何て言うんだろう……本に書いてあった気がする。確か…………けものくさい。そうだ、獣臭い、だ。違うかな……わかんないや。

 体が暖まって、本格的に眠くなってきた。体勢を寝やすい形に変えて、目を閉じる。葉が揺れて、音を立てている。


「――……っ!はっ…………っか!狼嘉!」


 落ち葉を踏みつける音が聞こえて、閉じていた目蓋を開けた。呼吸の荒い結月が顔を見せ、私の名前を呼ぶ。周りに集まっていた動物たちは我先にとばかりに走っていなくなってしまった。残ったのはどっしり構えるクマと私に捕まってて逃げられなかったウサギだけ。

 結月は体の大きさに合わない刀を持って近付いてくる。目付きは鋭い。私の腕の中のウサギはプルプル震えていた。クマは眠たそうに欠伸をしていたけれど。


「何もしなくていいと言っただろう!」

「だって、あの子が……」

「あの子?」

「吠えるの。しなきゃいけないことだから、早くしろって」


 結月は私を見下ろして、しばらく口を閉ざしていた。けれど、深く息を吐いて、私と目線を合わせる。


「せめて、出掛けるときは言ってくれ」

「ん。気を付ける」

「裸足で外を歩くなんてもってのほかだ」

「うん。ごめんなさい」

「ああ……もう終わってるんだな?」

「うん」

「じゃあ、帰るぞ」


 私はうなずいて、抱えていたウサギを放す。ウサギはすごい勢いで私たちから離れていった。脱兎、というのはまさにこのこと。

 私は体をひねってクマの首にしがみつく。結月はギョっとした表情を浮かべたけれど、クマはもう一度だけ欠伸をして立ち上がった。


「結月も乗って」

「いや、俺は……」

「ねえ、早く」


 しばらくクマと私とを見比べていた結月だけど、諦めて私の後ろに回った。結月は私に刀を持っているように言うと、私の前に腕を回して体を固定した。

 クマはのそのそと歩きだす。


「結月も黒い光が見えたの?」

「黒い光?……いや」


 結月が思ってたより近くて、耳元で声が聞こえてビックリした。肩が跳ねた私に結月はどうかしたのかと聞いてくるが、何でもないと首を横に振る。


「じゃあ、どうして此処がわかったの」

「……お前の居る位置は、いつも何となくわかる」

「え?」

「お前の鞘だからな、俺は」


 それ以降、結月は口を閉ざしてしまった。私も特別何か聞きたかったわけじゃないから、すっかり静かになってしまった。

 結月が近くて、触れている胸板から結月の心音が聞こえる。その一定のテンポが気持ちよくてまた眠くなってきた。結月の寝るなという声が聞こえた気がしたけれど、そのまま眠気に身を任せた。

遅くなり、申し訳ありません!次回も気長にお待ちください。

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