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babyish  作者: 涼木夕
3/3

普遍的無意識

 え?ーー


 ふんふんとリズムを刻む声と、ブロックをガチャガチャする音が背後から再開した。


 うたくんがいる……、うたくんしかいない。この部屋には私とうたくんしかいない……。


 体が強張って振り向くことが出来ない。ベランダに面している大きな窓から入り込む熱気がじりじり体温を上げていく。掛かっている防熱のレースカーテンもむなしく、いくらエアコンを効かせていてもじっとり汗ばむうなじに不快感を感じた。カーテン越しに洗濯物がなびいているのが見え、ジージーと煩い蝉の鳴き声が耳に障る。ついさっきまで気にならなかったのに、洗濯物の多さも蝉の鳴き声も今は無性に嫌な気分にさせた。


「おい」


 ハッと息が詰まる。こめかみから汗が流れ、頤から滴る。拭いたかったのに、手に力が入らない。端から見れば身動ぎもせずにベランダを眺めているだけだろうが、実際には冷や汗で背中はぐっしょり濡れ、異常事態への拒否反応なのか耳鳴りと過呼吸が始まってもいた。じんじん痺れて、体が自由に動かせなかった。

 肩をつつかれ、刹那、飛び退くように振り返る。情けなくもすくんで動かなかった体を、心臓が鼓舞するようにドンドンドンドン打っ叩いている。

 過呼吸になっている息を深呼吸で抑えて、赤ちゃんと対峙する。


「呼んでんだからこっち向けよ」


 例えば、見つめるだけで思っただけで言いたいことが分かってしまう、そんな懐メロの歌詞のようなものじゃない。頭や心に直接話しかけているとか、テレパシー超能力とかそんなマンガな展開でもない。赤ちゃんの口は、はっきり動いていた。舌や唇を使って普通に喋っているように見える。女の子みたいに高くて可愛い声。私の脳内アテレコでもないはずだ。


「だれにも言うなよ」


 そう言うと、ニコッと目を綺麗なアーチ型にして笑う。今にもまた喋りだしそうで、朱が美しいつやつやの唇に、ピカピカ光る小さく白い歯に、視線が釘付けになる。


 ーー短い時間でも、向かい合って顔をつき合わせていると、だんだん落ち着いてくるから不思議だ。前歯の可愛いすきっ歯を見ているうちに、いつの間にか体の痺れも耳鳴りもなくなって、狭くなっていた視界も元に戻ってくる。赤ちゃんの発するほのぼのパワーはすごい。ぷっくらほっぺに洋服を押し上げるぽっこりお腹、半袖半ズボンから覗く食べちゃいたいようなぷにぷにの肢体を前に緊張状態が続く筈もない。なんと言うか、このフォルムに害悪なんか絶対ないって、そんなの感じるほうがおかしいってくらい、普遍的無意識みたいな、そんな感覚。


「ほれ」


 んっと、うたくんがミニカーの消防車を小さな手で差し出してきた。


「かっこいーだろ!やるよ」


 ぐいと押し付けて、さっさとブロックの山に戻っていく。ちっちゃい背中を向けて胡座かいて、ガチャガチャし始める。ーーが、不意に立ち上がって、とことこ寄ってくる。


「これこれ」


 有無を言わさず、手の中にある消防車を取り上げると、そこに救急車ミニカーを置いていく。するりと再びブロックの山に戻ると、ガチャガチャが始まる。ーーまた立ち上がると、今度はパトカーのミニカーを握りしめていて……。


「いやいやいや。ミニカーで口止めしようとしてるのね?これ好きな車なんでしょ?なんか、ランクダウンしてるんだけど……って、そうじゃなくて!叔母さんまだ受け止めきれてないんだからね!」


 赤ちゃんに突っ込んだり会話前提で話し掛けていることに自分でもパニクって、つい大きな声を出してしまい、ハッとする。まずい、泣かれたらどうしよう。


「じゃあ、どれが欲しいーんだよ!!」


 人の心配を他所に、当の赤ちゃんはぜんぜん違う方向に思いっきり切れている。とにかく良かった、泣かなくて。


「……、うん。じゃあ、この救急車もらおうかな」


 手の中にあるミニカーを握って、機嫌を取るようにうたくんの顔を見た。もちろん、嫌がるようなら即お返ししますよ。


「……う」


 まさかの絶句、小さい手にパトカー握ったまんま。赤ちゃんの絶句って初めて見たわ。


「いやいや、パトカーも好きよ。どっちでもいいよ?」


「……いや、いーんだ。叔母さん良いセンスしてるな。大事にしてくれよな、それ」


 背中を向けると、ぐいと腕で涙を拭う仕草。


 心いたむーー!!その背中にその仕草、超心痛むわ!!!!


「抱っこしても良い?」


 甥っ子ラブメーターがいきなり最大マックスに振り切れ、むちむちの小さい体をぎゅっとしたくなってしまった。涙腺もじんわりしてきちゃって、勢い両手を広げると、


「は?なんで?やめろよ、きもいな」


 横顔をちらとだけ向けて辛辣な一言。


 ……あーそうですか。なら、こっちも態度を変えさせてもらいますよ。


「ってか、なんで喋れるの?いつから?ずっと?お姉ちゃんたちは知っているわけ?」


「おおッ!!質問多いな!!モテねーぞ!」


「答えてくれないなら、お姉ちゃんと相談しなきゃ。そんなん聞いてないし」


「やめろよ、ミオは何も知らないんだから!」


 美桜って、母親をファーストネームで呼ぶなよ。てか焦りすぎて早口になっちゃってるし、こりゃ本当に知らないな。


「……、じゃあ言わないから。説明はしてくれないと。叔母さんだって受け止められないよ」


 こんだけリアルに赤ちゃんと会話しといて今さら感はあるけど、今ならギリ夢落ちにしておいてあげる。


「オレっちにも分からないんだよ。ただ、大人が話している内容は前から理解はできてた。でもミオやおじいちゃんたちに話すときは、単語を赤ちゃん言葉で伝えるのが精一杯で。叔母さんと二人になったさっき、ほんとにさっき、あ、喋れるかもって思ったんだ。で、喋れた。ってか、言葉もスラスラ出てきた。ほんとビックリだよな!!うわ、なんか興奮!!!」


 赤ちゃん、語彙力ハンパないな。ただ、一人称は可愛い。……じゃなくて!!!なんだそりゃ!!説明になってねーんですけども??あれか、憑依系か??あー頭いたいっすーー。


「まあ、いーじゃん。むしろ不便ないっしょ?赤ちゃんの世話で何が大変て、意思の疎通が大変なんだから。喋れる赤ちゃんなんて貴重よ?どんどん意思伝えられんだから、楽じゃん?お互い」


 まあ、世話の点に絞ればそうかもだけど。でも、見た目赤ちゃんが、流暢に喋る姿って、何て言うか……。


「いーな。絶対に他言すんなよ!!救急車やったんだからな!分かったな!!

 べらべら喋る赤ちゃんなんて超絶キモいんだから、墓場までもって行けよ!!」


 おお、自分で言ったか。て言うか、もしかしたらもしかしたらそうなのかしら、パターンはないよね??


 痛いくらいに力を入れて握っていたミニカーの救急車が、途端にずっしり重く感じた。めちゃくちゃ面倒なものを貰ってしまったかもしれない。駅前で怖いお兄さんに、タダで腕時計や財布を握らされるのとどっちが面倒なことになるだろう。


「とにかく、オムツ替えて」


 もじもじしているうたくんを見て、あっと思考を現実に戻す。赤ちゃんの仕草から、異性の私に生理的なことを言うのが恥ずかしいのかなと推し量る。


「恥ずかしいよね?ごめんね、気づかなくて。すぐ替えるね」


 しかしそんな私を一瞥して、


「は?なんのこと?おちんちん見られること?そんなんに躊躇してたらやってらんないよ、赤ちゃんなんて。気持ち悪いんだから早くしろよな」


 赤ちゃんは不遜に言い放つ。


「軽く拭いとけよ、雑に扱うなよ」


 さらに言い放つ。


 これ以上ダメージを受ける前にと、オムツ替えセットを取りに行くためにそっと立ち上がった。

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