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背中合わせに繋いだ両手  作者: けら をばな
第二話 その少女、凶暴につき
8/19

 朝。三人は神社の小さなお堂の前に立っていた。

「では、洋子さん。わたしたちはこれから在るところへ行くわけだけど、その行程中、けっして後ろを振り向かないこと。いいわね?」

「何処へ行くの?」

「こことは違う何処か。人間に、それ以上の説明をするすべはない。理解の範疇を越える」

「……振り返ったらどうなる?」

「さあ?わたしも恵もしたことがないから分からない」

「ギブアップ」

「頑張りなさい」

 先ず、社の扉を開く。狭い室内に鏡が飾ってある以外に目新しいものはなかった。

 そして扉をそのまま閉めて、社の前で一揖二礼二拍手一礼一揖。洋子も真似する。そして優はそのまま社を左回りに歩き出した。付いて行くと……ぐるっと回って元の場所へと帰ってきた。

 そして、もう一度社の扉を開けた。

 一転、そこには体育館並の広々とした空間が広がっていた。

 先程までそこは土に固められただけの地面だった。なのに、木の板の床に変わっていた。そして何より、その体育館並の広さの部屋の、壁際にぎっしり、この世のものとは思えないモノたちが所狭しと待ち構えていた。

 ろくろっ首。のっぺらぼう。皮のたるんだしわしわの老婆。などの人間型はまだまともな方で、七色の毛並みを持つ獅子や、ころころとした小さな虎。虎ほどの大きさのあろうかというネコマタ。角に向かってぶつぶつ呟く、頭のはげ上がった正体不明の羊。シルクハットに蝶ネクタイの洋装した赤ら顔の天狗。人面の甲羅を背負った亀。

 しかも片隅には、あのにおいを振り撒き洋子に付きまとい続け、襲いかかった、あの狐たちもいる。今は白々しいほどに、そっぽを向いて、そ知らぬ風に、無関心を装っている。

「……優ちゃん、無理です」

「頑張りなさい。あ、まだ振り向いちゃダメよ」

 魑魅魍魎のバーゲンセールの中を三人は歩き続けた。

 部屋の中央には、鋭い瞳に真っ赤な肌のひとつ目鬼と、妖艶な笑みを浮かべる、灰色の肌をした長い黒髪の裸婦が座っていた。

 優はその前に正座して、一礼。洋子もそれに続き、恵は洋子のすぐ隣に、胡座をかいてふてぶてしく腕を組んだ。。

「愚虞羅は」鬼の威圧感のある声が降り注ぐ。

「居ないわ。親戚の法事がなんたらかんたら」優は臆せず、平然と嘘をついた。愚虞羅は未だ洋子の家に居る。

 灰色の肌の裸婦は、首や腕にじゃらじゃらと付けた勾玉を鳴らしながら、からからと笑った。

「まあ、いいさ。あいつはいつものことさ。さて、我らが里へようこそ。かの雅綾が子、柊洋子」

 そう言われて、洋子は苛立った。殆ど反射的に、

「……その雅綾っていう方がどなたかなんて分からないけど、育てられた憶えのないヤツを、少なくとも親だとは思わないわ」

 と返した。場がざわついた。恵は表情は変えなかったが、内心焦っていた。

「ちょっと洋子さん?」

「……ごめん、つい。いざとなったら守ってね。頼りにしてるわ」

「……難しいかも。ぼくじゃ勝負にならないし」

 鬼は表情を変えない。裸婦はからからと笑った。

「それはすまない。しかしながら汝がここへ来たのは、かの雅綾が子、故だ。つまりは業だ」

 裸婦は、彼女の金色に光る瞳で洋子の瞳を見た。ただそれだけのことで、洋子は射竦められたように言葉を失った。返答も何もできなかった。

 代わって優が口を開いた。

「〝八幡童子(やわたのどうじ)〟、〝儀斑(ぎふ)〟、この者の非礼はわたしが成り代わり詫びましょう。どうか威圧するのをやめて頂きたい」

 優は冷たい瞳で裸婦――儀斑と呼ばれる女――を見た。威圧をするなと威圧し返した。

 儀斑は笑ったまま黙した。このふたりをまともに相手できるのは、優以外には居なかった。

「早々に用件を伝えるわ。この柊洋子に手出ししないことを、この場のもの全員誓いなさい。嫌とは言わせないわ」

 がやがやと騒ぎ出した。洋子は、逃げ出したい気持ちをどうにか抑えつけた。

「待たれよッ!」

 声が響いた。洋子にも聞き覚えがある声だった。音源には、紫色の大きな狐が居た。いつの間にか恵は洋子と狐の間に構え、狐を睨みつけていた。

「恵」

「分かってます」

 優は依然として、じっと八幡童子と儀斑を睨みつけていた。目を離すことができなかった。

「問答無用で手出しをするななど、ふてぶてしいにもほどがあろうがッ! 今人間どもは力を付けすぎておる! (ごう)()()()(せん)のうち実に三柱が人間どもについているこの状況下である! それに付け加え雅綾めの娘が人間側に居るなんぞ、あまりに我らが不利ッ! 納得できぬッ! 断じてッ!」

 怒り、吼えた。

「……(ごう)()()()(せん)って何?」洋子は疑問をすぐに口にした。

「……この状況下でよく聞けるなぁ。


 一つ目の赤鬼〝八幡童子〟。

 山姥〝儀斑〟。

 大陸より来たる渾沌〝()(ほう)〟。

 化け狸〝愚虞羅〟。

 大蔵神社の巫女である〝白狼巫(はくろうふ)〟。


 これをもって香偽五歌仙。ここいら一帯の実力者です」

 恵も仕方なしに答えた。

「え? あの……あのさ、愚虞羅ってあの狸のことだし、話の流れから言って〝白狼巫〟って優ちゃんのことだよね?」

「……その通りです」

 恵らを見る神々の視線に、不満や嫉妬が染みついている。

 紫狐の言うこともあながち間違いではなかった。実力者五人のうち、白狼巫と愚虞羅は堂々といつでも仲良さげに一緒に居る。

(渾沌である奇法も、人間に寄り添ってしまっている。ぼくと具離という存在も居て、その上洋子さんもとなると、不安になるのも分からなくもない。バランスが悪い)

 比べる相手が悪いが、金狐〝具離〟を擁する恵もまた実力者のひとりではある。

 優はあくまでも飄々とした姿勢を崩さない。

「我々人間は、同種族に対し神々ほどの結束はない。同じ種族でも、容易に裏切り合い傷つけ合う。そのことはよく知っているはずだ。ユータオもまた、我らが仲間たり得ない」

「かっかっかっかっかッ!」

 紫狐の高笑い不気味にが響く。「呑気なものだ。その楽観が先代の(かんなぎ)を殺したのであろうが!」

 ざわ……。場がざわついた。視線が恵に集まった。彼の身体には、うっすらと黒い炎がまとわりついている。逆に髪は金色に染まる。そして目を吊り上げて狐どもを睨みつけている。

「今、何故父の名を出した」

 恵が低い声で呻くように聞いた。すると紫狐の嘲笑が木霊する。

「かぁかっかっかっかっかッ! 無関係と? 馬鹿を申すな小僧ッ! この地を、人間の分際で、まるで領主か王かのごとく、白狼巫とともに我が物顔で闊歩しおって! 終いには怒りを買い、むざむざ死におったッ! 今は当時の状況の比ではないほどの」

「食い殺されてえか畜生がッ!」

 恵の鼻先がにゅっと伸びて口が裂け、歯が鋭く伸びた。どす黒い焔がまるで触手のように這った。禍々しい気配が彼の身体から伸びた。

 同時に、八幡童子がズドンと恵の身体を床に叩きつけて組み伏せた。

「がはッ……!」

 恵は血を吐いた。少しも動くことができない。黒い焔の触手が八幡童子に伸び、巨躯に巻き付く。しかし八幡童子はまったく動じない。

「傲るなよ、金狐士」

 八幡童子は大きな一つ目で恵を威圧し見下ろした。黒い焔は萎縮してあたふたと宙を掻いた。

「恵!」

 優が振り向き、立ち上がろうとした、その首筋に、儀斑の真っ赤な長い爪がぴったりと添え当てられた。

 儀斑が黄金の瞳を細めてにやりと笑う。

「優、動くな。恵、大事な姉の身体に空気の通り道を作られたくなければ大人しくしろ」

「くッ……」

 恵の纏う焔は言われるがままに大人しく彼の身体へと戻っていった。髪も姿も元の通りに戻って行く。八幡童子が彼から手を離す。彼は肩で息をしながら、唇を湿らせた血を拭い、その場に胡座をかいて座る。

「よしよし、それで善い。できるじゃないか」

 儀斑はにっこりと笑い、爪を優の首筋から離した。優の首筋に伝った血をぺろりと舐め取った。途端に傷は消え去ってしまった。

 八幡童子は腕を組んで紫狐をギンと睨みつけた。紫狐は驚いて毛をビャッと逆立てた。

「挑発行為は御法度と知っての狼藉か! ヌシらは均衡を語りながら和を乱すのかッ! ヌシは朱高集代表であるぞッ! よもや、それがヌシら朱高集の総意だと申すかッ!」

「わ、我はそんなことを申し上げてているのではないが……」

「我が言に反論があるなら申せッ!」

「いいえ、仰せの通りでありますが……」

 紫狐は頭を下げて縮こまる。尻尾がしゅんとする。

「まあまあ、狐どもの言うことももっともさ」儀斑が笑みを浮かべたまま言う。「わたしも、はっきり言って奇法や愚虞羅の勝手な行動にはいささかの不満がある。しかしながら香偽五歌仙として、我らは我れらが(くに)の平穏を第一に考えていることには変わりはない。奇法もユータオに従っているばかりではない。それに、愚虞羅ならいざというときは、優の首を掻き切ることだって可能だ。なぁに、あいつならやりかねんさ。それでも不足があるならば、どうか忌憚なく言ってくれ」

「いえ、そんな……畏れ多い……」

 紫狐は意気消沈してしまった。

 しばらく沈黙が続いた。それを破ったのは、八幡童子のどしどしとした足音だった。洋子に近寄って、腕を組んで見下ろした。

「人間の子、柊洋子と申したか」

「……はい」

 恐ろしかったが、少なくともちゃんと「人間の子」と呼んでくれたのは嬉しかった。

「人と神々との諍いは古来より続いていた。そればかりではない、多く、神々の争いには人が(なかだち)となってきた。人はあまりに我らの法に無知だ。と同時に、我らもまた人の法に無知である。故に、我らは我らが為に人の法を学んできた。橘洋子よ、我らは、ヌシめに我ら神々の法を学ぶことを望む」

 洋子は内心驚いた。もっと無茶なことを要求されることも覚悟していた。まさか「勉強しなさい」と言われるとは思っても居なかった。

 それでも洋子は縛りの逡巡を要した。そして洋子は覚悟したように頷いた。

「それが、わたしが生きるために必要ならば。あなた方があなた方のためにわたしたちのことを学んでいるというのなら、わたしはあくまでもわたしのためだけに、あなた方のことを学ぼうと思う」

 しん……。音という音が消えていた。洋子は、返答に間違いがあったかと焦った。優を見た。目を合わせると、彼女は頷いた。ほっとした。

「善しッ!」

 八幡童子の怒号がびりびりと響く。視線が集中した。神々の瞳は、何故か、何かを待ち望んでいるかのようだった。

「ではッ! これよりッ!」

 期待の眼差し。不安げな洋子。ふうっと息をつく優と恵。笑う儀斑。

「柊洋子歓迎の宴を執り行うッッッッ!」


 うおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおお――――――ッ!


 一斉に神々が騒ぎ出す。酒と肴がどこからか沸いて出て、即座にどんちゃん騒ぎが始まってしまった。

「え? え? ……え?」

 洋子は混乱する。儀斑はにっこり笑いながらお猪口を彼女に渡し、勝手に注ぐ。

「え? え? え?」

 見渡す。そこら中で勝手気ままに酒を呑み合っている。そしてつい先程、自分を巡った三角関係を演じた、八幡童子と紫狐と恵が、酒を舐めながら談笑している。

「えー……?」

「ははは、こんなもんさ。これがわたしたちの法だよ」

「えー……。さっきまでのわたしの緊張は……」

 へにゃへにゃと身体から力が抜け落ちる。

「はっはっはっ! お前、度胸がよくって気に入ったよ。で、注がれた酒はどうするつもりだい?」

 洋子はお猪口になみなみに注がれた液体を見る。

「……コレって、漫画とかだとアニメ化の際に変換されるアレですよね」

「その所為で、千歳なんてチョコレートで酔うとか言う謎設定背負わされたよね」

「アレ、儀斑さん、もしかしてイケる口?」

「お前はどうだ?」

「……神々の法は?」

「人の法に従ってくれれば良いさ。無理強いはしない」

 洋子は、ふうっとひとつ深呼吸。そして一気に呑み干した。



 そこら中でへばっている。優と洋子はすーすーと寝息を立てていて、八幡童子はがあがあと鼾をたてて、恵は顔を赤くするばかりでちびちびと酒を呷っている。

「……そろそろお開きだな」

 儀斑は立ち上がってパンパンと手を打った。

「ささ! 今日はこれまでとしようじゃないか。飲み足りないやつは各自でやるんだな」

 儀斑の声に、各々ゾンビのように身体を揺らしながら、魑魅魍魎たちは部屋から出て行く。

 恵は優を優しく背負い、寝そべる洋子の足を掴んでぞんざいに引き摺った。

「……もーちょっと丁寧にできないかなー」

「無理です」

 ずりずりずりずり。

 三人はお堂を出た。途端に、今までの物事が夢だったように、酷い酔いが吹き飛んでしまった。洋子は、立ち上がってもまったく揺れない自分に驚きを隠せない。優は恵の背中でくーくーと依然寝息を立てている。

 辺りは夕景色に染まっている。

「……ねえ、恵君。今までのが全部夢だったってことは」

「諦めて下さい」

 恵は素っ気なく返した。洋子は、しかし、非日常の大剣に少しだけ安心した気がした。

「……ちょっと聞いて良い?」

「……父さんのことは、いつかちゃんと話そうと思います。生きて行くには大切なことだと思うから」

「……そっか、ありがとう。それともうひとつ。……儀斑さんの言ってた、あの狸なら優ちゃんの寝首を掻けるってのは」

「本当のことですよ」

「…………」

「恐いですか」

「……うん。ちょっと」

「……でも、ぼくだって可能ですよ。あなたにだって。香偽五歌仙だって言っても、姉さん、朝は弱いから」

「え?」


「……もしかしたら、今まで洋子さんはああいう存在から自分が狙われていたことにばかり気を取られていたでしょうけど、でも……

 別にそれは、人間社会と然程変わらないよ。ぼくらが置かれた状況と、所謂普通に生きている人間とで、大きな違いはないよ。

 例えば、駅のホームに経っているヤツを突き落としたいって思ってるヤツが、世界にどれだけ居ると思う?

 例えば、トラックで歩道に突っ込んでやろうと思ってるヤツがどれだけ居ると思う?

 例えば、手製のプラスチック爆弾を使ってみたいと思ってるヤツがどれだけ居ると思う?

 人は簡単に殺せる。やろうと思えば誰でも、いつだって。

 寝不足やよそ見運転で人は死ぬ。

 凍結した道路で転んでは人は死ぬ。

 治せるはずの病気を放って置いては人は死ぬ。

 人は簡単に死ぬ。油断、悪意、善意、無理、軽視、慣れ、生まれ……その他諸々。つまらないことで、人は容易に死ぬ。あまりに単純に。

 確かに、ぼくらの眺めている世界は、今までのあなたからしたら不可思議に思えることばかりかも知れない。恐いって思っても仕方ないかも知れない。

 でも……」


 恵は言葉を句切った。溜息をついて歩き出した。

「……ごめんなさい、脅しすぎたかも」

「……ううん。大丈夫。きっと恵君の言うとおりだから」

「まあ、ぼくらもできる限りは教えて行くつもりです。生きるのに充分なだけの知識を……」

「うん、ありがとう」

 会話を遮るように、不意に、一羽の四十雀が天より舞い降りて、地面にこてんと落ちた。

「おや?」と思う暇もなく、それは、ぐにゃぐにゃスライム状に溶け出して、びよんびよんと体積を増やして形を整えて、人の形を作った。着物を着た、小学校低学年くらいの女の子だった。

「あ」っと思う暇もなく、

「橘恵様。橘優様。柊洋子様……。玉涛(ユータオ)様がお呼びでございます」

 と一礼して大人びた声を出した。

「……勘弁してくれないかなぁ」

 恵は大きく溜息をついた。洋子はどうしたら善いか分からず右往左往した。優は、未だくーくーと恵の背中でゆったりと寝息を立てていた。

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