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背中合わせに繋いだ両手  作者: けら をばな
第二話 その少女、凶暴につき
7/19

 三人は家に辿り着いた。柊洋子の家に、である。優は躊躇なくチャイムを押した。短いメロディが家の中に響く。

「……あ、ファ○マのやつだ」

「……悪かったね、ファミ○と同じで」

「いいじゃん別に、○ァミマでも」

「フ○ミマが悪いとは言ってないわよ」

「うちも昔は○ァミマだったし。あ、別に親がファ○マで働いてたとかじゃないよ?」

「判ってる」

「意味のない会話やめて貰って良い?」優が眉をひそめた。

「……ねえ優ちゃん、あなたの弟ちょっと頭弱いの?」

「成績はそんなに悪くないはずなのだけど」

 二階建ての一軒家、その一階の居間に三人は入った。

「洋子ちゃん!」

 洋子の身体がふんわりと包まれた。それが自分の母親のものだと理解できたとき、何故だか頬を涙が伝った。



「アネゴ、こっちは別に何も起こりゃしませんでした。ここいら一帯は儀斑(ぎふ)の野郎が取り仕切ってやりますからね。でも、まあ、分かっちゃ居ると思いますけれど……」

「ええ、心配ないわ。ありがとう」

 頷いた優に愚虞羅が頷き返して、やがてカーペットの上に丸まって目を閉じた。

 洋子は、本当なら狸が喋ったことに驚いてやりたい気分だが、どうやらそれも許されない状況だ。

 優は言った。

〝あなたには、ちゃんと説明するわ。あなたのご両親の口からね〟

 ソファーの両親と対面して、机を挟み優と洋子は隣り合ってソファーに座っている。恵は愚虞羅の隣で胡座をかいて座っている。

「お母さん……」不安げな洋子。

「……ごめんね洋子ちゃん。あなたが苦しんでいること、ちゃんと分かってやってあげられなくて」

「……ねえ、優ちゃんのこと、まず教えて貰って良い?」

 覚悟が必要だった。先ずは別の話題で引き延ばしておきたかった。

「……〝妖怪ポスト〟。知ってる?」

「ああ、えっと……あの怪しげな噂の?」

 普通はそう思うだろう。

「ええ。そこに吉沢柳子からの投書があったわけ。〝わたしの友人を助けて下さい〟って」

「柳ちゃんが? わたし柳ちゃんにも心配を……」

「八方に探りを入れて、いろいろと情報を仕入れてあなたに行き着いて、話を聞いて、今度の休日にでも……と思っていたら、うちの愚弟が」

 優がじろっと睨みつける。

「いやいやいや! これぼくの所為じゃなくないですか?」

「妖しげな手紙を貰って、どうしてわたしに教えなかったの?」

「だってだって! てっきりアレよくある告白のやつかと!」

「……よくある?」

「あ」

 恵は目を逸らした。

「……えっと、こっちの話を進めても良い?」

 母親が苦笑しながら聞いた。

「あ、すみません。お願いします」

「うん。そうね。何から話せば良いのか……。うん。じゃあ、言うね。ねえ、洋子ちゃん。落ち着いて聞いて。あなたはね……わたしとお父さんの間に生まれた子じゃないの」

 洋子はじっと視線を母親に注ぎながらも、意識がどこかへ飛んで行ってしまったような心持ちだった。実を言えば「そうじゃないか」とは思っていた。しかしこうして事実を突きつけられると、心が理解するのを拒否したように、思考を止めに掛かった。

 そしてそんな彼女を唖然とさせる言葉が次に続いた。

「あのね、洋子ちゃん。あなたは、わたしと……蛇の間に産まれた子なの」

 そして母親はゆっくりと、理解を促すように己の物語を紡いだ。


 これはね、お父さんとは結婚する前の話。

 高校生……十七歳の時、わたしはその日、いつも通りの日を過ごし、夜、いつも通り寝ようと思ったの。

 ただ、どういうことか寝付きが悪かった。いくら目を閉じたところで、夜は長くなるばかり……。

 でね、そんなとき、すっと、部屋の襖が開いたの。

 誰だろう? そう思って起き上がって辺りを見ても、誰も居なかった。不思議だった。けど、何故だか恐怖はなかった。

 ずずっと、畳を這うような音が聞こえたわ。何ものかが、こっちに向かってくる。

 そして突然、布団の側で〝何ものか〟が淡い青色の光を出して、たちまちその姿を、背の高い、男の人の姿の変えてしまったの。

 わたしは何故だか驚きもしなかった。ただただ、神秘的な雰囲気に酔いしれているようだった。

 そしてわたしは……


「枕を重ねたの」


「「おいコラ」」

 母親の突然のカミングアウトに、洋子だけでなく恵も思わず突っ込んでしまった。

「お母さん、途中までなんだか神秘的な雰囲気醸し出しておきながら、突然何言ってんの? 娘だよ? びっくりするよ? お父さんと血の繋がりがないってくだり以上の驚きだよ」

「あーらやだ。洋子ったら、高校生にもなっておぼこなんですから。子供がどうやってできるかなんて、保健で習わない?」

 母親は口に手を当ておほほと笑った。

「違うでしょ? そうじゃないでしょ? 脈絡無いじゃん? あまりに唐突じゃん?」

「やることやんなきゃできるもんもできないわよ」

「お母さん? 娘の気持ちをもっと汲んで欲しいのだけど。人前だよ? しかもお父さん隣で聞いてるんだよ?」

 隣の父親は真面目な顔を作って、

「洋子。お母さんは、そう、恋愛(ToLOVEる)と事故(フォーリンラヴ)っちまったのさ」

「お父さん、第一声がそれ? それに対してわたしはどう返せばいい? んでもって、あっちで恵君も軽く引いてるよ?」

 洋子は恵に話を振った。恵は愚虞羅を撫でながら、

「今度テラ○アのマルチいつやる?」

「アッシはいつでもいいやんすよ?」

 と強いて無視した。

「く……ッ!」

「いいから話進めましょうか」


 そうね。結構真面目な話の途中だったものね……。

 では続けましょう。

 さて、わたしは夜ごとにその人何度も会って、会う度にからだを重ねた。

 ……とても不思議な体験だった。今はもう、わたしはその人の顔を憶えていない。何か話したような気がするのだけど、内容なんて全然憶えていない。素敵な人だったってことを、ぼんやりと憶えているだけ。

 そしてある日……わたしは妊娠した。

 それを知って、お父さん……、お爺ちゃんは、ものすごい剣幕で怒ったわ。

「娘を孕ませたのはどこのどいつだ!」

 ってね。

 まあ、当然よね。自分の、女子高生の娘が突然妊娠にたら、わたしだって洋子ちゃんに食ってかかると思う。父親誰や、いてこますぞワレって感じで。

 ……で、わたしはお爺ちゃんに正直に話した。そうするしかなかった。

 お爺ちゃんは……さすがに信じなかった。

 そりゃあ、ね。これも当然よね。

 それで、お爺ちゃんは、夜通し寝ずに待つことにしたの。お爺ちゃんとしては、わたしの嘘を暴く気でいたのでしょうね。隠れて、わたしの部屋の物陰に隠れて、じっと襖をうかがっていたの。しかも、三日間。仕事もあるのにね。笑っちゃうでしょ。

 そして、三日目の夜。

 お爺ちゃんもさすがに疲れてうつらうつらしていたの。そしたら……娘の言うとおり、襖がひとりでに開いたの。

「驚いたもんじゃない」って。何かがうねうねと畳の上を這っていたって。始めはそれが何だか分からなかったけど、混乱が収まると、それが、白く淡く光る蛇であることが知れたの。そしてわたしの枕元で……その姿を人間のものへ変えたの。

 お爺ちゃんは、それはもうひどく驚いた。物陰から飛び出して「こらー!」って飛び出したの。いきなり「こらー」ですもの。何て言っていいのだか分からなかったんでしょうね。

 そうしたら、相手もびっくりしたのか、蛇に姿を変えて逃げていった。

 お爺ちゃんは蛇を追った。

 蛇は……

 家の裏の、小山の裾の、小さな小さな社へと姿を消した。


 しんと静まり返ってしまった。恵も優も、何ひとつとして言うべき言葉を持っていなかった。

 母親は、思い詰めたように言葉を継ぎ足した。

「わたしは悩んだ。この世のものとは思えない不思議な存在。神様だとか妖怪だとか、そういう類いの存在。理解を遥かに越えた存在。そんな子を、この身に宿してしまった。それで、縋り付いた先が……〝妖怪ポスト〟」

 恵は、動揺したように目を見開いて驚いた。優は知っていたかのように頷いた。

母親はにっこりと微笑んだ。

「ふたりとも、一目で分かったわ。橘涼(りょう)さんの……お父様の面影かあるから。お亡くなりなられたときは本当に驚いたのだけれど……」

 恵は微かに震える身体を強いて抑えた。優は依然として凜としている。

「涼さんに相談したの。そしたら……涼さんの答えは、簡単なものだった。〝おめでとうございます。元気な赤ちゃんを産んで下さい〟」

 母親は言葉に詰まった。瞳が潤んでいた。

「どんなことを言われるか不安だったけれど、そんなの吹き飛ばすくらいの笑顔で祝福された。本当に嬉しかった。わたしはとにかく不安だったから。この子を産んじゃいけないんじゃないかって精一杯悩んだ。でも……うん、今ならいくらでも言える。本当に、あなたを産めてよかった。あなたに会えて本当によかった」

 洋子にとってその言葉はあまりに不意打ちだった。

「わたしは……わたしは……」

 言葉が出てこなかった。

「ああ、洋子は、誰が何というとお父さんの子供だ」

 父親までそんなことを言った。同級生の手前恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった。

 外は、とうに日が暮れていた。



「……姉さん。これで万事解決でしょうかね」

 恵は他人の家族劇をのぞき見ている罪悪感のようなものから居心地が悪く、すぐにでも去ってしまいたかった。

「馬鹿ね。これからじゃないの」

 まったく、と言う風に溜息交じりに言った。

「柊さん」

 恵は真っ直ぐな貫くような瞳で洋子を見た。

「分かっているでしょうけど、あなたは普通に生きることはできない」

 躊躇なく言い放った。恵さえも言葉を失った。洋子は、じっと優の瞳を見つめ返した。その瞳は、覚悟を促していた。

「……優ちゃん、わたしはどうすればいい?」

「飲み込みが早いのは好きよ。……さて、邪魔な視線をまずどかしましょうか」

「邪魔な……え?」

 ふと右手で拳を作り手の甲を上にして真っ直ぐ前に伸ばした。そして力を緩めふわりと手を開くと、大きな大きな真っ白な身体の狼が現れた。

「留」

 優が命じた。留は低くうなり、目を見開いて、そして、怒り任せに、力任せに、吼えた。ばりばりと、夢心地な気分を吹き飛ばす実に目の醒める咆吼。

「ね……姉さん?」

 恵も突然の行動に驚いている。

「安心なさい。去ったわ」

 優は長い髪をさっと掻き上げた。洋子は、その仕草にハッと息を飲んだ。

「え? え? え、何が去ったんですか?」

「……え、恵のダンナ、もしかして、アッシらがずっと見られていること気づいてなかったでやんすか?」愚虞羅が目を丸くする。

「……え、そうなの?」恵も目を丸くした。

「……ねえ優ちゃん、もしかして弟さん頼りない?」

「……決して弱くはないなけどねぇ」

 優は再三溜息をついた。が、すぐに表情を整え洋子を見た。

「橘さん、あなたを、ここに住まう神々にちゃんと紹介しようと思う。あなたがどういう存在であるか。そしてあなたという存在に、決して手出ししないように」

「優ちゃん……」

「……安心なさい。ヤツらには指一本触れさせない」

「……うん、分かった。優ちゃん、あなたにならすべてを預けられる」

「……ん?」

 首を傾がせる優の手を、がっちりと握った。

「え?」

「さっきのあなたの凜々しい姿、正直濡れました」

「はぁ? え、何言ってんの?」

「正直濡れました」

「いや、二度言わないで。聞こえた。あの、柊さん、分かったから離れて」

「ねえ、わたしのことは洋子って呼んで」

「ん? ああ、えっと……洋子……さん?」

「正直濡れました」

「おいコラ。ちょっと、柊さんのお母さん、あなた娘にどういった教育を?」

「それはもう、元気に健やかに育ってもらえばそれで充分だと。その結果、わたしに似てこの世にふたりと居ないかわいらしくて良い子に」

「成ってないわよね。あなたには似ていそうだけど」

「ねえ愚虞羅、テラリ○のマルチはこの事件が解決してからで」

「アッシはいつでもいいでやんすよ」

「こらそこ! 他人のフリしてないで少しは助けなさいよ! えーっと、何だけ。あのね、洋子さん、今日はうちに泊まって行きなさい。あ、ご両親のことは安心しなさい。愚虞羅に守ってもらうから」

「分かりました、ハニー。あなたにすべてを委ねます」

「ちょっとちょっと!」

「布団はふたつと要りません。一緒に温め合いましょうハニー!」

「んなぁ!」

「あ、姉さん待って下さい!」

 優と洋子、遅れて恵が、部屋から賑やかに出て行った。

 ニコニコにこやかにその後ろ姿に手を振っていた母親だが、三人の姿が視界から完全に消えると、堰を切ったように泣き崩れた。父親は何も言わなかった。

 しばらく経った後、母親の泣き声も少しずつ落ち着いてきた。愚虞羅は目を閉じたまま話しかけた。

「……安心するでやんすよ。橘優は、このアッシが、ご主人以外に遣えることを決めたお人でやんす。命を張れると心に決めた、それに足るお人でやんす」

「わたしは……あの子の助けになれない……自分勝手で……」

「親なんざ、どいつもこいつも子供の事情なんざ考えず、子を成すんでやんす。皆平等に自分勝手でやんすよ」

「それでもわたしは……」

「うるさいでやんすねぇ。幸せなんざ、てめえで掴み取るしかねえでやんすよ。アンタはもう、充分やったでやんすよ。アンタの子を見りゃ、だいたい分かるでやんすよ」

 母親は頷いて、少しの間さめざめと泣いていた。愚虞羅は目を閉じたまま、じっと丸まっていた。



 夜半。洋子は優の部屋から出て縁側に座り空を見た。月のない代わりに、天に張り付いた星々が煌々と輝いていた。

「……寂しい」

 口からこぼれ落ちて、初めて己の感情を知った。

(そっか、わたし、寂しいんだ)

 不安以上に寂しさが勝った。

(優ちゃんが守ってくれるから、不安は少ない)

 不安が引っ込むと、寂しさが顔を出した。

 普通に生きることはできない。そう言われたとき、少しだけだが安心した。多分、誰かにちゃんと言って欲しかった。でも、突き放されたことは確かだった。

「勝手に出歩かれると困るのだけど」

 寝間着姿の優が出てきて隣に座った。

「優ちゃんが一緒に寝てくれないのだから仕方ない」

「強がっても仕方ないわよ」

 沈黙。虫と風の声だけが耳に入ってきた。

 洋子はじっと優を眺めた。日頃しない眼鏡をかけて、髪を団子にして、凜と空を眺めていた。

「めっちゃくちゃかわいいなオイ」

「あなた馬鹿なの?」

「うなじを視姦させてもらってます」

「わたし、あなたはもうちょっとまともな人だと思ってた」

「普通に生きられないんだもの、仕方ないわ」

 また沈黙。星々がうるさいくらいに瞬いている。涼しい風が通った。優は立ち上がる。

「普通には生きられない。でも、幸せに生きられるかどうかはあなた次第よ」

「分かってる。ねえ、優ちゃんは……」

 洋子は口を噤んだ。何と言葉を繋げて良いのか分からなかった。

「さあ? わたしは、どうでしょうね。精一杯生きるだけ。それだけで充分よ」

 優は部屋に戻った。

「……難しいなぁ」

 洋子は溜息をついて、立ち上がり部屋に戻った。



「なんの話してたんだろうね、あのふたり」

 屋根の上に座り、急に部屋から出てきたふたりを見下ろしていた恵は、傍らに丸まる具離に話しかけた。が、具離は目を瞑ったまま動かない。恵も元から返答を求めていない。

 空を見上げた。静かな空だった。

 突然、具離が瞼を上げた。同時に恵は瞳を細めた。一羽の梟が翼をはためかせ恵の傍らに降り立った。そして、人の言葉を風に乗せて恵の耳元へ送った。

「……顔見せは明日か。随分と急だ。……土曜か。休日にやらなくってもなぁ」

 恵は特に意味もなく具離の頭を撫でた。具離は欠伸をひとつ、特に嫌がる素振りも見せず、目を瞑ってもう一度眠りについた。

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