横浜の波止場にて
塚本牧師が途中で塚原牧師になっていたため、修正しました。
童謡「赤い靴」が発表されたのは大正11年、もう少し先のこと。
その中に描かれた横浜の波止場、いくつもの倉庫がある。
ゲンが今、ねぐらとしていたのもそんな倉庫の一つだった。といっても、賃料を払って住んでいるわけでもなく勝手にもぐりこんでいるだけなのだが…。
マユ…ふと積み上げられたマストの上に寝転び、そんな名前が浮かんだ。
あれはどこだったろう?東京市の中でも市街地からは少し離れた所だったと思う。
広い東京市を塚本牧師の宣教の手伝いとして巡る中で、ほんの数日過ごした村。いつも二階の窓をあけて本を読んでいた少女、それがマユという名前だった。ゲンが10代の後半、マユはそれより4、5歳年下だったろうか。
それだけなら、さほど印象に残らなかったのだが、数年後、ゲンのいた教会の日曜教会で何度か彼女を目にした。話しかけたことはないが、いつも何かを探しているような好奇心旺盛そうな瞳が印象に残る女性だった。
マユのことを不意に思い浮かべたのには原因がある。
かって塚本牧師とともに歩いたあの村の特有の匂い…蚕の匂いが、この倉庫の近辺に強く漂っていた。
中国から輸入されたものか、それとも日本から欧米に輸出されるものか、それはわからない。
あの頃のゲンは、いずれ塚本牧師と同じ道を歩くつもりでいた。だが、今のゲンに、その思いは全くない。聖職者となるには、ゲンはあまりに俗物すぎた。酒、タバコ、賭け事…ゲンにはなくてはならないものだった。
「住む世界が違うわな。」
ぼそりと呟くと、マストに潜り込み、浅い眠りについた。
目覚めはひどく悪かった。飲みすぎたというつもりはなかったのだが、まがいもののポートワインもどきのせいだろう。
少しばかり潮の香りが漂う波止場の水道で、顔を洗うと少しはましになった。
いつものように、その日の仕事にありつこうと、波止場へと向かう。
仕事は幾らでもあった。次々と到着する船への荷積み、荷下ろし。仕切る監督者から声がかかる。
その日もいつも通り、波止場でたたずんで声がかかるのを待っていた。
声をかけてきたのは、いつもの監督ではなく、船からおりてきた船員からだった。
孤児院にいた頃、ポルトガル語、英語、オランダ語が少しだが身についていた。
男はポルトガル語を話した。ゲンが意味を理解したのに驚いた素振りを見せながらも、街の案内をゲンに頼んだ。
報酬としてゲンに提示されたのは、1週間の荷物の積み下ろしをしても手に入るかどうか、ゲンにとって、当面の飲み食いに困らない金額だ。もちろん、嫌もなく引き受けた。そして、それがゲンのこれからの人生への大きな転機となった。