湯乃島の蚕(かいこ)
処は湯乃島 森林と河川の町。
天に真っ直ぐ伸びる高い常緑樹に囲まれた小さい村があった。
木々から零れ落ちるキラキラした太陽の光の中で、その村の子供たちは、石を蹴り川でアユ釣りをして遊んだ。
その中の一人の少女にとても好奇心旺盛な子がいた。
伸びた髪を三つ編みにし、白い顔にはそばかすがある。それは彼女のお転婆なところを物語っている。
時は5月の末。空は青く、風は野に咲く花の香りを運び、青葉が目に染みる初夏。
少女は遊び疲れて家に戻ると、まずはいつものように二階への急な階段を上る。
そこには彼女の好きな青臭い桑の葉の香りが漂っていた。
その部屋の片隅には、みかん箱と座布団で造った彼女のお気に入りのソファがあった。そのソファに座り、父親の本棚から拝借した本を読むのが彼女の至福の時間であった。
その二階には、部屋全体に 木で作られた五段の蚕のベッドと言うか、養蚕の棚があった。
蚕が桑の葉を食べる音はどこか雨音に似ている。雨音を奏でながら桑の葉を食べ 彼らは青白く光った。
その音をBGMに、彼女は好んで本を読んだ。
蚕の白い幼虫は毎日毎日、桑の葉を食べ 糞をし 眠り、桑の葉を食べ 糞をし 眠る。
清潔なベッドの中でそれを繰り返し、少しづつ大きくなる。きれいにしていないとすぐ病気になり蚕は死んでしまうという。
家族は、蚕の棚の糞と残り桑を取り除き、新鮮な桑の葉を毎日与える。
やがて、桑畑の桑が無くなってしまうのではと心配しかけた頃、幼虫たちは透き通ってきて、吐糸口から絹を吐き出す準備を整える。
7月に入る頃、蚕の幼虫は頭を8の字に振り、絹を吐き出し盛んに動き周る。そして自分のからだの周りに真っ白い繭を造るのだ。
その家のお転婆の女の子の名前は、きっと父親が付けたのだろう、マユと言う。
昆虫の多くは絹(特異なアミノ酸配列をもつ高分子タンパク質の糸)を吐き出すという。
口から吐き出すものもいれば、尻や手の先から出すものもいるらしい。
たとえば蜘蛛。脚の先からそれを吐き出し、餌を採るための美しい巣を作る。
また、たとえばオドリバエという小さなハエ。オスがメスを求愛するときに、絹糸を吐きかけて小昆虫を捕まえ、それをメスにプレゼントする。メスがそれを食べている間に交尾をするという。
また、絹の繭をつくる蚕以外の昆虫では、巣の中で過ごしたり、子育てをするものもいるそうだ。
絹は強くしなやかでまた光沢があり、雨風に強く紫外線や天敵から身を守るのに最適なのだろう。
この湯之島村の人々は林業や農業の傍ら、5月~6月には養蚕をして生計を立てている家が多かった。
繭から作った絹糸は高く売れ、大正の良き時代には、湯の島村の人々は潤った。
マユは本を読むのが好きで、活字に飢えていた。
もっと本を読みたい・・・それも洋書を。マユはそう思い、海外との貿易で書物やら舶来の品々が日々届けられると聞く横浜の女学校への入学を夢見ていた。