オレンジジュース
「別れませんか?」
気づいたら、そう口にしていた。
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私には、付き合って3ヶ月の彼氏がいる。端正な顔立ちで、身長も結構高め。でもってクールな、2コ上の彼。大学のサークルの先輩で、ずっと憧れていた人。無愛想だけどその態度に見え隠れするさりげない優しさとか。ごくまれにみる笑顔とかに気がついた。そしていつしか憧れは好きという感情に変化していった。
それから頑張って世間話できる程度には親しい間柄になれたけど、女の子に人気の先輩だったから…。でも高望みだってわかっていたけど告白せずにはいられなかった。
玉砕覚悟でまっすぐ好きです付き合って下さい!って言った。
先輩は口元に手を当てて考えるような仕種をして、それから、いいよ、と言った。私は夢かと思って信じられなかったけど、頬をつねったら夢じゃなくて。普段無表情な先輩がそれを見てふっと柔らかく笑ってくれて。私はくすぐったくてはにかんだ。
それから、他の子の嫉妬と羨望の目を受けながらも、私は先輩の隣にいた。手も繋ぐし、キスもした。身体の関係は実は今もまだないけれど。
そして、最近ふと思ってしまった。先輩は私といて楽しいのかな、と。普段から無口で無表情な彼だけど、私の前でもそれは同じで。
基本的に、大学の外では先輩の部屋で寛ぐのが私達のスタイル。大概私はファッション雑誌をめくって、先輩はバイクかなんかの雑誌をながめている。私は大好きな先輩と同じ空間にいられるだけで幸せだけど、先輩からしたらどうなんだろう。暇なんじゃ、ないのかな。ていうかもはや迷惑なんじゃ。
そう考えていたところに、さらなる追い撃ち。先輩を好きな他の子も同じような事を思ったらしく、これみよがしに「先輩かわいそう〜」とか「迷惑かけてるって気付かないのかな」とか聞こえるように言われて。あぁやっぱりそうなんだ、と妙に納得してしまった。そういえば私を抱かないのもそうなのかな、とも。そりゃ迷惑と思ってる女わざわざ抱こうとか思わないよね。
そしたら自然に、先輩を解放してあげなきゃ、と思った。大好きだけど。本当はずっと隣にいたかったけど。別れたくなんてなかったけど。でも先輩の迷惑になるのは、もっと嫌だったから。
問題は、いつそれを切り出すか。でもいざ言おうとするとなかなか言い出せなくて、ここ一週間ずっと先輩の前でずっとそわそわする羽目になってしまった。先輩は怪訝そうな顔してたけど、苦笑いしてごまかした。
そして今日。いつものように先輩の部屋で寛いでいると、ついにその時がやってきてしまった。
普段無口な先輩が、おもむろに口を開いたのだ。
「最近、なにかあったのか?ずっとなにか変だよ、お前」
先輩が、心配そうな顔で私の顔を覗き込む。うっかりドキッとしてしまうけれど、そんな場合じゃない。この機を逃したらきっともう言えない。そう思ったら、するっと言葉がでてきた。
「…別れませんか?」
そうして、話は冒頭に戻る。
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先輩はじぃっと私の瞳を見て、それから、ふぅっと息をついた。
「…なんで?」
「…それは…」
なんて説明したらいいか分からなくて、思わず下を向いた。
「…他に好きな奴ができた、とか?」
「そんな訳ありません!」
私は弾けるように顔を上げた。それは違う。私が好きなのは先輩だけだ。そんなふうに思って欲しくない。
「じゃあ、なんで?」
言えない訳じゃないけれど、どう切り出していいのか分からない私は、無意識に再び下を向いていた。すると、ぐいと腕を掴まれて少しだけ身体が前に傾いた。必然的に、先輩との距離が近くなる。
「答えろよ…」
珍しく少し掠れた声に顔をあげると、先輩は眉間に皺を寄せていた。それが切なそうな顔に見えるのは、私の身勝手なフィルターのせいだろうか。
「…先輩は…私の事、好きですか?」
「…は?」
先輩が驚いたような声をあげたけれど、私にはそれがどういうニュアンスなのかわからない。私は言葉を続けた。
「…私、先輩が告白を受け入れてくれてすごく嬉しかった。でも、先輩はちっとも楽しそうじゃないし…。ごめんなさい、迷惑でしたよね。先輩は優しいから付き合ってくれただけなのに、私だけ舞い上がっちゃって…。これ以上先輩に迷惑かけられません。だから、別れ……」
て下さい、という文末は、口にできなかった。先輩の唇に飲み込まれてしまったからだ。
「…ん、ふっ……」
しばらく私の口内を蹂躙してから、先輩は私を解放した。
「なっ、に、するんですか!」
戸惑いながら抗議すると、ぎゅうっと痛いくらいに抱きしめられた。
「あの…先輩?」
「俺を嫌いになった訳じゃないんだな?」
「それは…もちろん私は今でも先輩が大好きですけど…」
「他に男がいるって訳でもなく?」
「え、ええ…」
すると先輩はぽすんと私の肩に顔を押し付けた。いやちょっと待て。心臓に悪いですって!ていうか今私別れ話してるはずなんですけど!なんでこんな事態になってんですか?!期待させるような真似しないでよう!
「ちょ、ちょっと先輩!離して下さい!」
「嫌だ」
「やだじゃなくて!この話の流れでなんでそうなるんですか!」
「絶対無理。つーかむしろ話の流れ読めてないのお前のほうだろ。」
はい?つまりどういうこと?ちょっと待って混乱してきてよくわかんない。困った私は、探るように先輩を見た。視線に気づいた先輩が、ふっ、て柔らかく微笑む。まるで私が先輩に告白した時みたいに。
「…本気でびびった。まぁ、言ってなかった俺も悪いんだけど…」
え?どういうこと?言ってないって何が?
「俺、ちゃんとお前のこと好きだよ?」
「そっ、んなわけ…!」
「あるよ。だって俺、お前が告白してくる前からお前のこと狙ってたんだから」
は、えぇ!?
待って待ってなんの冗談ですかそんなわけないじゃないですかだって先輩は女の子に大人気で私がうっかり告白しちゃったのを仕方なく同情かなんかで付き合ってくれて嫌々私と一緒にいてくれたんじゃないんですかそうですよね違うんですか?
「おい」
「はっ、はい?」
「思ったこと全部口に出てるぞ」
うぎゃあ!
「なに、つまりお前は俺が同情でお前と付き合って嫌々一緒にいると思ってたのか?」
「………」
「そうなんだな?」
「…はい」
先輩は、ふぅ、と溜め息をついて目を伏せると、顔を上げて不機嫌そうに私を見た。
でもこれって私だけが悪いのかな?少なくとも私は聞く権利のあるべきものをちゃんと聞けてない気がするんだけど。そうだ、聞かなくちゃ!
「だ、だって私、先輩が私のこと好きだなんて初めて聞きましたよ!だからてっきり…大体、いつからそう思ってくれてたんですか?」
「………」
「…ちょっと、先輩?」
「言わなきゃダメか?」
「だっ、だめです!当たり前じゃないですか」
先輩は拗ねたように顔を背けて、ぼそっと口を開いた。
「…だ。」
「え?」
「だから、最初からだ!お前がサークル入ってきた時に一目惚れしたんだよ!」
は、ええええ!?
「…信じてないだろ」
「だ、だって…」
信じられるわけない。格好良くて人気者の先輩が、どうして私なんか…
「…とにかく」
「うひゃあ!」
ぎゅむっと先輩に抱き込まれて、思考がとんだ。先輩の息遣いが耳元で聞こえる。
「余計なこと考えないで、大人しく俺の側にいろ」
「…はい」
ほっとしたような先輩のため息で、私はここにいていいのだとようやく確信できたのだった。