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ざまあ要素は薄いです。
ご了承下さい。
私はその時、生まれて初めて捨てられる男の顔というものを見た。
「⋯⋯っごめん、なさい。本当に⋯⋯貴方がとても優しくて、私を大切にしていてくれる事は分かっているの⋯⋯だけど、だけどっ!!」
「――いいよ。分かってる。ずっと君を見てきたからこそ、君が誰を見てきたか誰よりも分かっているよ」
学園の裏庭で行われていたそのやり取りを目にしたのは偶然だ。
少し休息を取ろうとしたら茂みの向こうで始まったのだ。
「――っルースっ!!」
引き留めなさいよ。
「行っておいで、ララ。俺は君に笑っていてほしいから」
泣いて、這いつくばって愛を乞いなさいよ。
「――うん、うん!ありがとう、ルース⋯⋯行ってきます」
軽やかな足取りで駆けていく女の背中を見送る男。
たった今、私の目の前で穏便な婚約解消の種が蒔かれた。
――冗談じゃない。
「――お引き留めにならないの?」
耐えられなかった私は、男の前へと進み出る。
笑っているようで、奥歯を食いしばり、目には余計な力が入っているのだろう、少し怖いくらいに開かれている。
これが、振られた男の顔。
「――⋯⋯ランデンハント侯爵令嬢⋯⋯盗み見ですか?」
「そうね、そうよ。それで?貴方がたった今盛大に送り出したあの子が向かう先をご存知?――私の婚約者であるライド王子の元なのだけど」
「えぇ――よく分かっています」
「⋯⋯ふぅん、分かっていてお止めにならなかったの?――随分と舐められたものね」
男が言葉を返す前に手にしていた扇をパチンと鳴らす。
「ご機嫌よう、ディアフィード公爵子息様。⋯⋯明日は嵐になりますわね」
あぁ、本当に。
最悪の明日が来るのだわ。
翌日の午後には父の執務室へと呼び出された。
重い足を長いドレスの裾に隠し、背筋を伸ばして向かう。
「……王家から謝罪と慰謝料が届いた。婚約の解消をしたい、と。非は王家にあると全面に認めた上でだ」
「えぇ、私に非など一欠片もございませんわ」
「……お前の婚約は新たにディアフィード家と結ぶこととなる」
「……そうでしょうね、公爵家と侯爵家の妙齢の男女に婚約者が居ないなど醜聞にもなりかねませんわ。――既になっているかもしれませんけども」
「アデリア、心が痛むか?」
ふと漏れた侯爵でない父の顔に、私の頬も緩む。
「痛みませんわ。……疲れただけ」
「……私の可愛い娘、よく覚えておいで。先ほどお前が言った通り、お前は何も、何も悪くないのだ」
「……ありがとう、お父様」
そのあと少しだけ父と談笑をして、部屋を後にした。
これからのことを思うと非常に憂鬱で、ため息ばかりが出そうになるけれど。
騒動から2ヶ月後。
この国の第一王子、ライド・レグルスの婚約者がララ・サッチェル伯爵令嬢に替わったことが正式に発表された。
同時に私とルース・ディアフィード公爵子息が婚約した事も。
婚約者を入れ替える醜聞。
その全てをライド王子は受け入れた。
ディアフィード家とランデンハント家には何一つ落ち度はない、と。
――それでも、悪意ある噂をするものはいるものである。
「哀れよねぇ、アデリア様。あんなに熱心に頑張っていらしたのに、まさかのララ様よ!」
「さらに新しく婚約を結ばれたルース様はララ様をそれはもう大事にしてらっしゃったもの。別の女性を想う方と……なんて、あまりにもあまりにも……」
入ろうとした教室の中から、実に楽しげな会話が聞こえる。
そうね、こんなに楽しいお話が身近に転がってきたら誰だって話題に出すわ。
それが女性同士なら尚のこと、私のことが面白おかしくて仕方がないでしょう。
――鉛を口に放り込まれた気分だわ。
扉に手をかけたまま固まる私の肩をそっと叩いたのはルース・ディアフィードその人だった。
「アデリア嬢、どうぞこちらへ」
囁くように掛けられる声、それが当然と云ったかのように差し出される手。
ルース・ディアフィード。こんなに卒なく、スマートな男性なのに。
――どうして、小娘1人繋ぎ止めてくれなかったのか。
ルースに導かれてたどり着いたのは上位貴族専用の個室サロンだった。
何部屋か個室が並ぶその空間は、密事に溢れている。
ここで、ライド王子とサッチェル伯爵令嬢が何度も何度も逢瀬を重ねていたことを、私は知っている。
「今日は貴女と話がしたくて。この部屋を予約してあります」
「あら、随分と手際の良いこと」
案内された部屋はただの応接間のようで、しっかりと防音設計がなされている。
促されて座った長椅子は想像以上にふかふかとしていた。
テーブルを挟んで、向かいに座る男の顔を見る。
あの時のような絶望はもうない。
少し波打った薄茶色の髪に、タレ目気味の新緑色の瞳。
鼻筋は通っているし、唇の形だって悪くない。
充分に整った顔立ちだが、猫背気味のその姿勢がこの男をいまいち野暮ったく見せている。
この2ヶ月、彼と話すタイミングは全くと言っていいほどなかった。
水面下で進められていた話であったし、2人きりになる様なことも無かったから。
「俺に、怒っていますか?」
眉尻を下げてルースが問う。
「――さあ?」
「……そうですね、貴女には大変申し訳ないことをしました」
その割には、ルースの顔には申し訳なさが滲んでもいなかった。
胸の中に、どんどんと重たいものが積もっていく。
「……今度の夜会で、あの2人はそれはもう仲睦まじく隣り合ってくるのでしょう。……私たちは参加しないわけには参りませんけど、そのお覚悟はあって?」
「ーーー俺は、ララの幸せを祈っていますから」
「随分と盲信的な愛ですこと」
「ええ、5歳で婚約してから13年。ずっとそばで彼女を見てきましたから」
「ふぅん――⋯⋯ねぇ、私たち一応婚約者なのでしょう?もう少し腹の中を見せて頂けないかしら?さっきから上辺だけの会話で気持ちが悪いですわ」
その言葉にようやくルースはその表情を変えた。
上がっていた口角は平らに、下がり気味だった眉もただ形の良い弓の様になった。
無。何にもその顔には乗っていない。
「……ララは、決して馬鹿じゃない。自分の感情を優先することなんてまずなかった。いつだって家族のために……そういう娘でした」
「ふぅん」
「そんな彼女が、初めて――初めてどうしようもなく欲しくなったのがライド王子だったんです」
「まぁ」
「悔しかった!悲しかった!俺がそばに居るのに、どうして――⋯⋯でも」
「でも?」
「――…耐えられないとも、思ったんです。違う男を愛する彼女のそばに居続けるなんて」
「ふぅん」
「俺と居ながら、俺の手を取りながら目を閉じる彼女はライド王子を思い浮かべる、そんな未来は」
「へぇ」
「……貴女には、分からないか」
ため息を吐いたルースは吐き捨てる様に笑った。
「えぇ」
「貴女は、ライド王子を好きではなかったでしょう?」
「恋愛的な意味では」
「貴女が見ていたのは、『王妃』の未来だ」
「そうね」
「そんな人に、俺の気持ちなんて分かるはずが無い!」
ルースの本音を聞いた後、ふぅ、とひとつ息を吐いた。
「ありがとうございます、ルース様。せっかく貴方も本音を聞かせてくれたんだもの。私も話してよくて?」
「え、えぇ」
目の前の男の動揺は伝わってきたが、気にかけてやろうとは思わなかった。
大きく、大きく息を吸い込む。
もう、何もかもどうでも良くて、早くこの胸の鉛を吐き出したかった。
「6歳。6歳で王子の婚約者に選ばれてから10年よ!10年間も私の時間は消費されてきたの!」
目の前にある2つの目がこれ以上ない程に開かれる。
そんなの、もうどうでも良い。
「毎日毎日毎日!王妃になる為に、と朝から晩まで勉強ばかり!作法もダンスも間違えるたびに教師に腰をベルトで叩かれて!私の腰には今も消えない傷跡が残っているのよ!それもこれも全て!貴方の言う『王妃』になるため!
お父様は私の後ろ姿を見て歯を食いしばって泣いたわ!お母様は自ら薬を塗りながら震えた声で何度も何度も謝ってくださった……。それでも王家から指名されたんですもの。私――ランデンハント家からその座を降りることは許されない!」
「――っ」
「寝るその直前まで教本を読み込んで――そんな、毎日を10年間よ……」
「あ……アデ、リア嬢」
「5歳の私はね、踊り子になるのが夢だったの。――家族で見に行った舞台が素晴らしくて………好きなものはクリームたっぷりのケーキと、お砂糖を3杯入れた紅茶。でも分かる?『王妃』になるには全て要らないものだったの」
厚いガラスの窓の外を見る。
夕方から、夜になる狭間。
橙と紺色が混ざる時間。
「ーー…ちょうどこのくらいかしら。唯一自由を許された時間だった。夕食と入浴の間でーーー……1人不恰好に踊るのよ。昔見た踊り子の真似をして。それが、私に許された隙間の時間だった」
「……」
「ーーー分からないわ、私には。貴方の気持ちは。愛を消耗された貴方の気持ちはーーけど!
私の消費された10年間を侮辱される覚えは何一つないわ!」
「アデリア「私、気づいていたわよ。ライド王子が、サッチェル伯爵令嬢が、貴方が!王妃の座にしか興味のない女だと私を見下していたこと」
「見下してなんか!」
「そうね、意識的にではないでしょうね。無意識に、見下していらっしゃるのよ。愛という尊いものを知らぬ女だと、可哀想な女だとーーーー……あら、そんな女と婚約なんて貴方も随分と可哀想ね」
「アデリア嬢……」
「どうして今ここで私が全てを曝け出したか分かるかしら?ーーーもう心底、疲れてどうでも良いからです。何一つ、指一つ動かすのも面倒で面倒で。貴方と私はもう結婚する以外道は無いでしょうけど、この国は妾の存在は認められていますから。全て、全てお好きになさって。ーーー女主人として必要なことはちゃんとこなしますわ」
「……申し訳、ありません……」
「何を謝られているの?」
「貴女を、とても軽んじたことです」
「ーーーあぁ、そうね。ふふっ!貴方さっき別の男性を想う彼女のそばに居られないと仰ったけど、ご自分は彼女を想いながら私の横に立つんですものね」
「ーーーっ!いや、ちがっ!そんなつもりは……」
「大丈夫ですわ。私は愛を知らぬ女ですからーーー……あぁ、でも4歳の時、庭師の見習いの方がいらっしゃって……その方に淡い思いを抱いていた気がします……もう随分と前にご結婚されましたけど」
「アデリア嬢……」
「そう考えると、王子と婚約しなかったら私だって恋多き女になっていたかもしれませんね」
「……っ本当に、申し訳ありませんでした……」
ルースが深く深く頭を下げる。
上げた顔には先程までなかった後悔と苦しみが溢れていた。
「ーーー……腰の傷はまだ痛みますか?」
「そうですねぇ、コルセットを着ける時や、雨の日なんかは。ほら、背中だとドレスによっては見えてしまうでしょう?だから、腰を打たれていたのですけど」
ルースがぎゅっと深く目を瞑る。
まるで自分が打たれたかのように。
ああ、そうか。
「ご安心なさって。きっとサッチェル伯爵令嬢はそんな目には遭いませんわ。私に教えてくださっていた方はもう引退なさったもの」
「ちがっ!!俺はそんな事を言いたい訳ではーー」
なんだか更に疲れてしまった。
「……そろそろ、解散にいたしましょう?あぁ、嫌かもしれませんが夜会の際はエスコートをお願い致します」
「……夜会は、ひと月後でしたね……アデリア嬢」
「なんでしょう」
ルースは、酷く真剣な眼差しでこちらを見ている。
「……今週末の予定がまだ空いているならば、お時間をいただけませんか?」
「……予定、はありませんけども」
「では、お迎えに参ります」
「ーー別に、婚約したからと云って無理をされる必要はありませんよ?」
「無理じゃない!」
予想外に大きかったルースの声に肩が揺れる。
「……逆に、嫌ではありませんか?先程までの俺は貴女にとことん失礼だった」
「ーーー…私も言いたいことを色々と貴方にぶつけましたし」
本来王子にぶつけるべきだった事も、ルースにぶつけてしまった。
少しだけ反省している私の顔をルースが覗き込む。
「すべてが、どうでも良さそうですね」
「そういう顔をしていますか?」
「ええ、もっと早く気づくべきでした」
思わず鼻で笑ってしまう。
「無理でしょう、貴方の瞳はサッチェル伯爵令嬢を見るので大忙しだもの」
言ってから、とんでもない嫌味になってしまったな、と思った。
けれど、これでルースが怒ろうとどうでも良いとも思った。
「……家まで送ります」
ルースが反論してくる事はなく、そっと手を差し出された。
「お願い致します」
大きい手。
私の首など簡単に掴めそうだわ。
「……ルース様」
「はい」
「少し、その猫背を止めてみてくれないかしら?」
「はぁ」
疑問を顔に出しながらも、ルースはその背をググっと伸ばしてくれた。
高い。
猫背の時でも高かったけれど、この状態だと私の頭は彼の胸元ほどにしか無い。
「ふぅん」
「どうしました?」
首を真上ほどまで上げてルースを見上げる。
胸を張ったルースは服の上からでも分かる筋肉を隠し持っていた様だ。
「ルース様は猫背を直した方が素敵だと思っただけです」
「……そ、うですか……」
今日は早く眠ろう。
話をしすぎて疲れてしまった。
ここの所ずっと消えない疲労感があるけれどーーー。
そうして週末。
私はすっかり体調を崩してしまった。




