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戸候記  作者: まさごろう
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3-3 美濃道中

「ふぅ……生き返ったわ」


兵庫助は湯漬けを食べ終えると、茶碗と箸を膳へ置き、大きく息を吐いた。

腹に温かいものが落ちたことで、ようやく人心地がついたのであろう。


一行から一人離脱したのち、兵庫助は一定の距離を保ちながら後ろを付いて来ていたそうだ。

いわば一人殿(しんがり)である。


敵味方がはっきりとしない中、いざ事起きれば即座に動けるよう、長浜の情勢を見極めつつ後を追っていたのである。


その兵庫助は、新たな情報を得ていた。


「さて……皆に伝えるべきことがある」


奥方衆と側付きの者を除いた二十一名は、寺の堂内で思い思いに休んでいた。

兵庫助の声に、横になっていた者も身を起こし、堂内の空気がざわりと動く。


「長浜は――落ちた」


その一言で、場が凍りついた。

次いで、抑えきれぬざわめきが堂内を満たす。


「静まれ!」


兵庫助の一喝が、梁に反響した。


「よう聞け。長浜は落ちた。

――されど、戦は一切起きておらぬ。皆の家々も無事じゃ」


白湯をひと口含み、喉を潤してから言葉を継ぐ。


「攻め手は阿閉貞征。長浜城へ兵を寄せたが、三之丞様は争うことなく城を明け渡された」


今日、七尾山の麓で行き交った騎馬武者――

あれこそ阿閉勢であった。


兵庫助の言葉が途切れると、堂内はしばし水を打ったように静まり返った。

誰もが口を開きかねている。

戦わずして城が落ちた――。


やがて、長松が低く声を出した。


「……開城、ですと…?」


責める調子ではない。

ただ、信じたくないという響きがあった。


「左様」


兵庫助は短くうなずく。


「兵を集めれば、ひと戦は出来たはず。

されど三之丞様は、皆に言われていた通り民と兵を護るを先とされた」


その言葉に、別の者が小さく息を呑んだ。

長浜城は湖岸の要衝である。

守るには大きすぎ、城下を巻き込めばその被害は甚大であっただろう。


「阿閉は、どれほどの勢で来ておったのですか?」


年嵩の足軽が問う。


「詳らかではないが、先陣だけでも五百は下らぬ。

後詰めを思えば、抗すれば相当な血は流れたであろう」


再び沈黙が落ちる。


「……では、我らはどうなるのでしょうか…」


泉慶の口から漏れたその一言が、堂内の空気を揺らした。


兵庫助は膝の上で拳を握りしめ、ゆっくりと周囲を見渡した。


「長浜が落ちた以上、近江自体が安穏ではあるまい。

知られれば我らにも追手がかかるやもしれぬ」


そう言ってから、わずかに声を落とす。


兵庫助の目が、堂の奥――闇の溜まる一角へと向いた。


「今宵は動かぬ。

夜が明け次第、進むべき道を定める。」


命じるというより、言い聞かせるような口調だった。


堂内の者たちは、黙ってうなずいた。

風が堂の軒を鳴らし、灯明の火がわずかに揺れる。


その揺らぎを見つめながら、兵庫助は思っていた。


――お守りせねばならぬ。


「奥方様方にお伝えしてくる」

そう言うと兵庫助は立ち上がり堂の奥に向かった。



長浜落城。

その事実は、この一行の行く先を静かに縛り始めていた。



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