25-1 壱岐勝本城【文禄の役-着陣】
天正二十年(1592年)水無月(6月)初旬――
壱岐近海。
名護屋を発ってから、およそ半日。
船団はゆるやかに北西へと進んでいた。
海は穏やかで波も低い。
だが甲板に立つ兵たちの表情はどこか硬い。
「若殿、島が見えて参りました」
舳先に立っていた半佐が指さした。
水平線の先にぼんやりと影が浮かんでいる。
やがてそれは次第に輪郭を持ちはじめた。
山があり、浜があり、岬がある。
壱岐の島であった。
永重は腕を組み、静かにそれを見つめていた。
「思っていたより大きいな」
「は。聞けば周囲四十里ほどある島とか」
伊織が答える。
重兼は船縁にもたれながら言った。
「対馬へ渡る船は皆、この辺りを通るとか。
なるほど……ここを押さえるのは理にかなっておりますな」
そのとき船頭が声を張り上げた。
「勝本入りだ! 帆を絞れ!」
船がゆるやかに速度を落とす。
入り江の奥に城が見えた。
岬の突端に築かれた城――勝本城である。
石垣はまだ新しく白く、木柵と櫓が海へ突き出すように築かれていた。
港にはすでに多くの軍船が停泊している。
荷揚げの声が響き、兵が行き来していた。
「……まるで小さな名護屋だな」
永重が呟く。
「いや、それよりも忙しそうですぞ」
重兼が言った。
浜では兵糧俵が山のように積まれ、牛馬が引かれ、矢束が運ばれている。
兵站の島。
その言葉が永重の頭に浮かんだ。
船が桟橋に横付けされる。
「降りろ!」
船頭の声が飛ぶ。
足軽たちが次々と上陸する。
半佐が人数を確認していた。
「若殿、二十四騎欠けなし」
「よし」
永重は浜へ降り立った。
足元の砂がわずかに沈む。
海の匂いが濃い。
そして――怒号。
荷を運ぶ兵の声。
鍛冶場の槌音。
壱岐はすでに戦の拠点として動いていた。
そこへ一人の侍が近づいてきた。
「藤懸三河守永勝殿の隊にござるか」
永重が一歩前へ出る。
「いかにも」
侍は頷いた。
「拙者、勝本城番の与力、早見弥三郎と申す」
「藤懸永重である」
弥三郎は軽く頭を下げた。
「お待ちしておりました。城内の陣屋へご案内いたします」
永勝もすでに上陸していた。
「行くぞ」
一行は浜から城へ向かった。
勝本城は岬の先端を削って築かれていた。
急な坂道を登ると木柵の門がある。
門の内側にはすでに多くの陣屋が建っていた。
槍が並び、旗が立ち、兵が行き来している。
弥三郎が言った。
「九番隊の兵は、主に北浜の守りと荷の管理を任されております」
「荷の管理……」
重兼が小声で呟く。
弥三郎は振り返った。
「名護屋からの兵糧はまずここへ入ります。
それを対馬、そして朝鮮へ送るのです」
伊織が低く言った。
「つまり――」
弥三郎が頷く。
「ここが止まれば、前線の軍が止まります」
永重は城の上から海を見た。
入り江には軍船が並び、
さらにその沖にも、船影が続いている。
海の向こうには対馬。
そしてさらに向こうに、朝鮮。
永勝が静かに言った。
「見たか、永重」
「は」
「戦はすでに始まっている」
そのとき。
浜の方から馬の蹄の音が響いた。
伝令が城門へ駆け込んでくる。
「急報!」
兵たちがざわめく。
伝令は息を切らしながら叫んだ。
「対馬の宗家より知らせ!」
城内の空気が一瞬で張り詰めた。
永勝が前へ出る。
「何事だ」
伝令は叫んだ。
「第一陣、すでに釜山へ上陸!」
周囲がざわめく。
ついに始まった。
朝鮮の戦である。
永重は海を見た。
風が強くなっていた。
「……早いな」
重兼が呟く。
永勝は静かに言った。
「我らもすぐに忙しくなる」
そして永重の方を見る。
「兵站とは、戦の血脈だ。
止まれば軍は死ぬ」
永重は頷いた。
壱岐の港では、すでに次の船の荷揚げが始まっていた。
槌の音。
怒号。
海風。
戦はまだ遠い。
だが――この島もまた、戦場なのであった。




