24-2 名護屋城【文禄の役-竹中重利】
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2026.8.25 文章構成含め、全体的に改稿しました。
天正二十年(1592年)皐月(5月)下旬――
陣触れが出てからおおよそ二週間が経っていた。
だが、未だ出陣の下知はない。
藤懸永重らは名護屋城下に設けられた陣屋に留まり、日々を鍛錬に費やしていた。
待つというのは戦うことよりも心を疲れさせる。
兵たちは刀の手入れをし、馬を撫で、弓の弦を張り直す。
そうして己の身体を戦に合わせながら、いつ来るとも知れぬ命を待っていた。
その間にも、名護屋の景色は日ごとに変わっていった。
諸国から大名たちが続々と押し寄せ、そのたびに新たな陣屋が建つ。
街道には兵糧や武具を積んだ荷駄が途切れることなく続き、馬の嘶きと人夫の怒声が朝から晩まで城下に響いている。
海へ目を向ければさらに凄まじい。
大小の軍船が幾重にも浮かび、潮の満ち引きに合わせて船腹がゆっくりと上下していた。
これほどの兵が一つの地に集まるのを永重は見たことがなかった。
その日、永重ら二十四騎は鍛錬を兼ねて城下を離れ、丘陵へと遠駆けに出ていた。
皐月(5月)とはいえ、昼の日差しには夏の気配が濃い。
青々と伸びた草が風に揺れ、その匂いが馬の蹄に巻き上げられた土埃と混じって鼻を打つ。
永重は馬上から周囲を見渡した。
城下から少し離れるだけで、喧噪は嘘のように遠のく。
不意に、永重が右手を上げた。
「――止まれ」
二十四騎が一斉に手綱を引く。
馬の蹄が土を擦り、幾つもの鼻息が重なった。
「どうされました若殿」
重兼が尋ねる。
永重は答えなかった。
丘の向こう。
そこから、こちらへ近づいてくる騎馬の一団が見える。
数は二十ほど。
兵の足並みが乱れていない。
ただの遠駆けではない。
「……向こうもこちらに気付いているな」
伊織が低く呟いた。
永重は頷いた。
互いに進み、やがて十間ほどの距離を残して馬を止める。
先頭の男がゆっくりと一歩前へ出た。
三十を少し越えた頃だろう。
華美なところはない。
だが、馬上での姿勢に隙がなく、何より目が鋭かった。
戦場で人を見ることに慣れた者の目だった。
「そなたらはどこの隊だ」
声は静かだった。
威圧するわけでもない。
それでも、その一言だけで周囲の空気が張り詰めた。
永重は馬上で軽く頭を下げる。
「藤懸三河守永勝が隊に属する者にございます」
男の眉がほんのわずかに動いた。
「そなた、名は」
「藤懸三河守永勝が嫡男、永重と申します」
「……ほう」
男の目が細くなる。
「そなたが永重殿か」
「いかにも」
「拙者は竹中重利と申す」
その名が出た瞬間、永重の背後で空気が変わった。
重兼と伊織が僅かに目を合わせる。
月心は顔を伏せている。
だが、その指が鞍の脇でわずかに動いた。
竹中重利。
軍目付。
そして何より――かの竹中半兵衛重治の縁者である。
永重は表情を変えずに頷いた。
「軍目付の重利殿にございますな」
「聞いておるぞ」
重利は口元だけで笑った。
「丹波で少々名を上げている若武者がおるとな」
永重は答えず、ただ重利を見た。
重利もまた、じっと永重の顔を見ている。
まるで人相の奥にあるものまで見極めようとするような目だった。
「重門と元服を同じくしたとか」
「は」
「重門は甥だ」
一瞬、風が止んだように感じられた。
「……そうでございましたか」
「昔、あやつから聞いたことがある」
重利はそう言って少しだけ目を細めた。
「永重という面白い男がいる、とな」
「過分にございます」
永重が静かに答える。
すると重利はわずかに間を置いた。
「そして――」
声が低くなる。
「油断ならぬ男だ、ともな」
重兼が息を呑んだ。
だが、永重は微動だにしない。
重利の目を真正面から受け止めている。
しばし、二人の間に言葉はなかった。
やがて重利が馬を一歩進めた。
「戦は、これからだ」
馬の蹄が乾いた土を踏む。
「名を上げるも落とすも、この先次第だ」
重利はそこで一度言葉を切った。
そして、ほんの少し顎を上げる。
「せいぜい期待を裏切らぬことだ」
それだけだった。
重利は踵を返す。
従う騎馬の一団もそれに倣った。
ほどなくして、馬蹄の音が遠ざかってゆく。
丘を越えたところで姿が消え、あとには舞い上がった土埃だけが残った。
誰もすぐには口を開かなかった。
やがて重兼が、ぽつりと言う。
「……若殿」
「うむ」
「今のが、竹中半兵衛殿の縁者ですか」
「そういうことになるな」
永重は答えながら、重利の去った丘を見つめていた。
伊織が小さく笑う。
「なんとも……」
「何だ」
「ただの遠駆けに出たつもりが、軍目付殿との顔合わせになるとは思いませなんだ」
「俺もだ」
永重は苦笑した。
それから、ふと顔を上げる。
遠く名護屋の方角。
丘の向こうに、城の天守が霞んで見えていた。
白く巨大なその姿は初夏の陽炎の中に浮かんでいる。
あそこには日の本中から兵が集まっている。
これから海を渡り、異国へ向かうために。
永重はしばらくその城を見つめていた。
胸の奥に、奇妙な熱が湧いてくる。
恐れがないわけではない。
だが、それ以上に――何かが始まろうとしているという感覚があった。
「どうやらこの戦……」
永重は呟いた。
「退屈はさせてくれぬらしいな」
そう言って、手綱を引く。
「戻るぞ」
「はっ!」
二十四騎が一斉に馬首を返した。
再び蹄が大地を打つ。
青々とした草原を抜け、彼らは名護屋へと駆け戻っていった。
――その翌日。
待ち続けていた陣触れが再び出された。
今度はただの知らせではなかった。
ついに、下知が下されたのである。
九番隊、壱岐勝本城へ移動。
出立は三日後。
その報せが届いた頃には名護屋の海にも変化が現れていた。
渡海に用いる軍船が、次々と沖へ姿を現している。
幾百、幾千の兵を呑み込む船々が潮に揺れていた。
その数は日ごとに増えてゆく。
名護屋はもはや戦のための町ではなかった。
戦そのものへと、変わりつつあった。




