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【御礼60,000PV到達】戸侯記  作者: 和音
■第四章■ ~文禄の役~

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85/253

24-2 名護屋城【文禄の役-竹中重利】

【編集】

2026.8.25 文章構成含め、全体的に改稿しました。


天正二十年(1592年)皐月(5月)下旬――



陣触れが出てからおおよそ二週間が経っていた。

だが、未だ出陣の下知はない。


藤懸永重らは名護屋城下に設けられた陣屋に留まり、日々を鍛錬に費やしていた。

待つというのは戦うことよりも心を疲れさせる。

兵たちは刀の手入れをし、馬を撫で、弓の弦を張り直す。

そうして己の身体を戦に合わせながら、いつ来るとも知れぬ命を待っていた。


その間にも、名護屋の景色は日ごとに変わっていった。

諸国から大名たちが続々と押し寄せ、そのたびに新たな陣屋が建つ。

街道には兵糧や武具を積んだ荷駄が途切れることなく続き、馬の嘶きと人夫の怒声が朝から晩まで城下に響いている。


海へ目を向ければさらに凄まじい。

大小の軍船が幾重にも浮かび、潮の満ち引きに合わせて船腹がゆっくりと上下していた。

これほどの兵が一つの地に集まるのを永重は見たことがなかった。



その日、永重ら二十四騎は鍛錬を兼ねて城下を離れ、丘陵へと遠駆けに出ていた。

皐月(5月)とはいえ、昼の日差しには夏の気配が濃い。

青々と伸びた草が風に揺れ、その匂いが馬の蹄に巻き上げられた土埃と混じって鼻を打つ。


永重は馬上から周囲を見渡した。

城下から少し離れるだけで、喧噪は嘘のように遠のく。


不意に、永重が右手を上げた。

「――止まれ」

二十四騎が一斉に手綱を引く。

馬の蹄が土を擦り、幾つもの鼻息が重なった。


「どうされました若殿」

重兼が尋ねる。

永重は答えなかった。


丘の向こう。


そこから、こちらへ近づいてくる騎馬の一団が見える。

数は二十ほど。

兵の足並みが乱れていない。

ただの遠駆けではない。


「……向こうもこちらに気付いているな」

伊織が低く呟いた。

永重は頷いた。

互いに進み、やがて十間ほどの距離を残して馬を止める。


先頭の男がゆっくりと一歩前へ出た。

三十を少し越えた頃だろう。

華美なところはない。

だが、馬上での姿勢に隙がなく、何より目が鋭かった。

戦場で人を見ることに慣れた者の目だった。


「そなたらはどこの隊だ」

声は静かだった。

威圧するわけでもない。

それでも、その一言だけで周囲の空気が張り詰めた。


永重は馬上で軽く頭を下げる。

「藤懸三河守永勝が隊に属する者にございます」

男の眉がほんのわずかに動いた。

「そなた、名は」

「藤懸三河守永勝が嫡男、永重と申します」


「……ほう」

男の目が細くなる。

「そなたが永重殿か」

「いかにも」

「拙者は竹中重利と申す」

その名が出た瞬間、永重の背後で空気が変わった。


重兼と伊織が僅かに目を合わせる。

月心は顔を伏せている。

だが、その指が鞍の脇でわずかに動いた。


竹中重利。

軍目付。

そして何より――かの竹中半兵衛重治の縁者である。


永重は表情を変えずに頷いた。

「軍目付の重利殿にございますな」

「聞いておるぞ」

重利は口元だけで笑った。

「丹波で少々名を上げている若武者がおるとな」


永重は答えず、ただ重利を見た。

重利もまた、じっと永重の顔を見ている。

まるで人相の奥にあるものまで見極めようとするような目だった。


「重門と元服を同じくしたとか」

「は」

「重門は甥だ」


一瞬、風が止んだように感じられた。


「……そうでございましたか」

「昔、あやつから聞いたことがある」

重利はそう言って少しだけ目を細めた。

「永重という面白い男がいる、とな」

「過分にございます」

永重が静かに答える。


すると重利はわずかに間を置いた。

「そして――」

声が低くなる。

「油断ならぬ男だ、ともな」


重兼が息を呑んだ。

だが、永重は微動だにしない。

重利の目を真正面から受け止めている。


しばし、二人の間に言葉はなかった。


やがて重利が馬を一歩進めた。

「戦は、これからだ」

馬の蹄が乾いた土を踏む。


「名を上げるも落とすも、この先次第だ」

重利はそこで一度言葉を切った。

そして、ほんの少し顎を上げる。

「せいぜい期待を裏切らぬことだ」

それだけだった。


重利は踵を返す。

従う騎馬の一団もそれに倣った。

ほどなくして、馬蹄の音が遠ざかってゆく。

丘を越えたところで姿が消え、あとには舞い上がった土埃だけが残った。


誰もすぐには口を開かなかった。

やがて重兼が、ぽつりと言う。

「……若殿」

「うむ」

「今のが、竹中半兵衛殿の縁者ですか」

「そういうことになるな」

永重は答えながら、重利の去った丘を見つめていた。


伊織が小さく笑う。

「なんとも……」

「何だ」

「ただの遠駆けに出たつもりが、軍目付殿との顔合わせになるとは思いませなんだ」

「俺もだ」

永重は苦笑した。


それから、ふと顔を上げる。

遠く名護屋の方角。


丘の向こうに、城の天守が霞んで見えていた。

白く巨大なその姿は初夏の陽炎の中に浮かんでいる。

あそこには日の本中から兵が集まっている。

これから海を渡り、異国へ向かうために。


永重はしばらくその城を見つめていた。

胸の奥に、奇妙な熱が湧いてくる。

恐れがないわけではない。

だが、それ以上に――何かが始まろうとしているという感覚があった。


「どうやらこの戦……」

永重は呟いた。

「退屈はさせてくれぬらしいな」

そう言って、手綱を引く。

「戻るぞ」

「はっ!」


二十四騎が一斉に馬首を返した。

再び蹄が大地を打つ。

青々とした草原を抜け、彼らは名護屋へと駆け戻っていった。



――その翌日。


待ち続けていた陣触れが再び出された。

今度はただの知らせではなかった。

ついに、下知が下されたのである。


九番隊、壱岐勝本城へ移動。

出立は三日後。


その報せが届いた頃には名護屋の海にも変化が現れていた。

渡海に用いる軍船が、次々と沖へ姿を現している。

幾百、幾千の兵を呑み込む船々が潮に揺れていた。


その数は日ごとに増えてゆく。

名護屋はもはや戦のための町ではなかった。

戦そのものへと、変わりつつあった。




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