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【御礼15,000PV到達】戸侯記  作者: 和音


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22-2 丹波【誓い】


祝言(しゅうげん)の日の夜――



夜は、すでに更けていた。


祝言の席の賑わいも遠く、屋敷の奥は静まり返っている。

(ろう)の外では春になろうとする夜風が庭の木々をそよがせていた。


永重(ながしげ)燭台(しょくだい)の火を一つだけ残して座していた。


酒はすでに下げられ、部屋には灯りと香の淡い匂いだけが残っている。


やがて、(ふすま)が静かに開いた。

雪乃(ゆきの)だった。


白の小袖(こそで)に薄紅の打掛(うちかけ)を重ねた祝言の装いのままではあったが、髪の飾りは外され昼の華やぎとは違う落ち着いた姿であった。


永重は姿勢を正した。

「……遅くまでお疲れであろう」


そう言うと、雪乃はわずかに首を振った。

「いえ。

今日ばかりは眠るのが惜しく思えます」


柔らかな声だった。

雪乃は静かに座り、二人の間に少しだけ間が空く。


先立って昼の庭では自然に言葉を交わせたのに、こうして向かい合うと妙に静けさが重い。

永重は苦笑した。


「戦場でもこれほど言葉に困ったことはない」


雪乃の口元がわずかにほころぶ。

「私もです」


短く笑うと、雪乃は灯りを見つめた。

「本当に、藤懸の家へ参ってしまいました」


その言葉にはどこか不思議そうな響きがあった。

永重は少しだけ考え、静かに答える。

「後悔、されておられるか」


雪乃はすぐには答えなかった。


灯りの火が揺れ、二人の影が障子に映る。


やがて雪乃は言った。

「……いいえ」

ゆっくりと、顔を上げる。


「不安はあります。

けれど、それは越前を離れる前から分かっておりました」

そして少しだけ微笑んだ。


「ただ……」

「ただ?」

「思っていたより、穏やかな方でした」


永重は眉を上げた。

「私はもっと……」


雪乃は少し考え、言葉を探した。

「厳しい武人を想像しておりました」


永重は思わず笑った。

「弓を見て逃げぬ女子を前にして、威張れる武士などおりませぬ」


雪乃もつられて笑う。

その笑いは昼よりも自然だった。


しばらくして、永重は少し真面目な顔になった。

「雪乃殿」

「はい」

「一つ、先に申し上げておきたい」


雪乃は黙って耳を傾ける。


「私は、(いくさ)を避けられる身ではありませぬ」

静かな声だった。


「近くまた、出陣することもありましょう。

この家を空けることも多くなる」


昼にも話したことだったが、夜に改めて言うと重さが違う。

雪乃は黙って聞いていた。


そして、ゆっくりと言った。


「存じております」

その声には迷いがなかった。

「だからこそ申し上げたのです」

永重の目を見つめて

「戻りたいと思える家を作りたい、と」


永重はその言葉を思い出した。


雪の積もる庭。

弓の音。


雪乃は続けた。

「殿が戦に出られるなら、私はこの家を守ります」

「家を守る?」

「はい」


雪乃は少し照れたように笑った。

「戦はできませぬが」

そのまま

「しかし、家を整え、人を守ることはできます。

殿が戻られた時、安心して弓を置ける場所にしたいのです」


永重はしばらく何も言わなかった。

ただ、静かに雪乃を見ていた。


そして、小さく息を吐く。

「……私は」


言葉を選びながら言う。

「これまで一人で考えておりました」


雪乃は黙って聞く。


「家のことも、領地のことも、戦のことも。

もちろん相談はしていましたが……それが当たり前だと思っていた」


少し苦笑する。

「だが、どうやら違うらしい」


雪乃は首を傾げた。

「違う?」


永重は言った。

「今日からは、二人で考えることになる」


雪乃の目が少し丸くなる。

永重は続けた。

「戦に出るのは私です。が……」


雪乃の手を握り

「帰る場所を作るのは、あなた一人ではない」


少し間を置き

「共に作る」


しばらく沈黙が落ちた。

雪乃はゆっくり息を吸い、そして小さく笑った。

「それは……ありがたい申し出です」


灯りの火がまた揺れる。

夜は深く、外では夜風が時に強く吹いている。


雪乃はふと、思い出したように言う。

「殿」

「なんでしょう」

「もし戦で危うい時があったら」


永重は少し身構えた。

雪乃は真顔で言った。

「私の矢を思い出してください」


永重は一瞬ぽかんとした。

そして吹き出した。


「なるほど。当たれば大怪我をする矢でしたな」


雪乃も笑う。

その笑いは、先ほどよりずっと軽かった。


しばらくして二人の間に静かな落ち着きが戻る。


永重はふと外を見た。

春の夜。

遠くで(うぐいす)が一声鳴いた。


永重は思う。

この家に守るべきものができた。


戦のためではない。

帰るための場所が。


そしてその夜。

永重の家に、新しい灯りが一つ生まれた。



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