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【御礼15,000PV到達】戸侯記  作者: 和音
■第四章■

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21-3 越前府中城【出逢い】


その日一行は御殿(ごてん)内に一泊したのち、翌日朝早くに永重(ながしげ)らは丹波(たんば)に向けて出発した。



「――それでは、また」

「……はい」


その一言だけが、雪の残る越前(えちぜん)の朝に静かに落ちた。


永重は馬上からもう一度だけ振り返る。

御殿の門前に立つ雪乃(ゆきの)は、白い小袖(こそで)薄鼠(うすねずみ)の羽織を重ね、凛と背を伸ばしていた。

その背後には父・木村重茲(しげこれ)、そして母・お(きよ)の姿。


冷たい風が吹き、雪乃の袖がふわりと揺れる。


永重は深く一礼し馬首を返した。

夜光(やこう)が雪を蹴る音が静寂を裂く。


やがて一行の姿は白い街道の彼方(かなた)へと溶けていった。



――永重ら一行が城門を出てから、しばし。


越前の空は薄曇りであった。

残雪の白が淡く光り馬の(ひずめ)の音が遠ざかってゆく。

雪乃は城門の陰に立ち、その背が見えなくなるまでじっと見送っていた。


やがて、完全に姿が消えると――


「もう見えぬぞ」

背後から父・重茲の声がした。


雪乃ははっとして振り返り静かに一礼する。

「……はい」


その頬はわずかに赤い。

隣では母・お清が腕を組み、じっと娘を観察していた。


「どうであった」

重茲の問いは短い。


雪乃は少し考え、やがて答える。

「静かな方にございます」

「ほう」

「けれど……」


言葉を探すように視線を落とす。

「目の奥に強い火を宿しておられました」

重茲の口元がわずかに緩む。

「戦の火か」

「いいえ」

雪乃は顔を上げた。


「守るための火にございます」


お清が眉を上げる。

「ほう?たったあれほどの時間でそこまで分かるのかえ」


雪乃は少しだけむっとした顔をする。

「分かります」

「ほほう?」

「"共に歩む覚悟はある"と仰せになったとき――」


雪乃の声が少し低くなる。

「あれは、戦場へ行く覚悟ではございませぬ」


重茲は腕を組んだ。

「では何だ」

「自らが戻らぬやもしれぬと知りつつ、家を託す覚悟です」

しばし沈黙。


遠くで(うぐいす)が鳴いた。


お清が小さく息をつく。

「……やれやれ。

嫁ぐ前から未亡人の覚悟とは縁起でもない」

「母上」

雪乃は抗議の視線を向ける。


重茲は静かに笑った。

「良い」

その一言で場が締まる。

「永重殿は、戦だけの男ではない」


雪乃は目を上げる。

「前にも申したが、丹波で農の手立てを広げておる。

大豆を植え二毛作を試みているそうだ」


雪乃の目にわずかな光が宿る。

「お聞きしました」


重茲はゆっくり歩き出す。

雪乃とお清も後に続く。


「戦が終わった世を見ておる男だ」


雪乃の足が、ほんのわずかに止まった。


戦が終わった世。

その言葉は雪乃の胸に静かに落ちた。


庭へ戻ると、梅の枝から雪がはらりと落ちる。


お清がふと娘を横目で見る。

「で?」

「何にございます」

「嫌ではなかろうな」


雪乃は一瞬きょとんとし、すぐに意味を悟る。

「……嫌ではございませぬ」

「ほほ」

「ただ」

「まだあるのかえ」


雪乃は梅の枝に触れた。


「祝言があまりに急にございます」


重茲が低く言う。

「朝鮮出兵が近い」


空気が少し冷える。

雪乃は静かに頷く。


「承知しております」

「永重殿も、永勝(ながかつ)殿も、弟たちも出陣するやもしれぬ」


雪乃の指先がきゅっと梅の枝を握る。


「ならば」

その声は揺れていない。

「なおさら弱き心では支えられませぬ」


お清が目を細める。


「ほう。ではどうする」


雪乃は父を真っ直ぐ見る。

「武芸を鍛え、心をさらに鍛えます」

「また小袖に穴を開ける気か!」

即座にお清が叫ぶ。


雪乃は真顔で答える。


「今度は外で放ちます」

「そういう問題ではない!」


侍女たちの肩が震えている。

重茲はとうとう声を上げて笑った。


「ははは! よいではないか」

「殿まで!」

「武家の娘が弓を引いて何が悪い」


重茲は娘を見た。

「ただし」


雪乃の背が伸びる。

「弓だけでは足らぬ」

「……はい」

「丹波の地を知れ。

藤懸家の家風を学べ。

永重殿が何を見ておるのかを理解せよ」


雪乃は深く頭を下げた。

「はい」


お清がぽつりと言う。

「裁縫も忘れるでないぞ」

「……はい」

「針は敵より手強いのだからな」

雪乃の頬がわずかに緩む。


その時、庭の奥で鶯が澄んだ声で鳴いた。


重茲は空を見上げる。

「雪乃」

「はい」

「永重殿はそなたを見ておったぞ」

雪乃の心臓が跳ねる。


「……どのように」

「値踏みではない」


重茲の声は穏やかだった。

「確かめる目だ」


雪乃は静かに息を吸う。

「ならば、私も」

「うむ」

「確かめとうございます」


お清がにやりと笑う。

「祝言までに、もう一度会うつもりかえ?」


雪乃は一瞬言葉に詰まり――

「……それは、向こうが参られれば」

「来ぬとは言うておらぬぞ?」

「母上!」


笑いが庭に広がる。

だが、笑いの奥にあるのは――


戦の気配。

すぐの別れの予感。

そして、それでも歩む覚悟。


梅の枝から落ちた雪が白い庭に溶けてゆく。

雪乃はその白を見つめながらそっと胸の内で誓った。


――共に歩む、と仰せになった。


ならば。


ただ待つだけの妻にはならぬ。

支えるだけでもない。


並び立つ。

そのために。


「母上」

「なんじゃ」

「針を貸していただけますか」


お清が目を丸くする。

「どういう風の吹き回しだ」

「穴の開いた小袖を縫い直します」


重茲が吹き出した。

「ようやく覚える気になったか」


雪乃は真顔で答える。

「武も政も、家も」


そして少しだけ微笑む。

「まずは小袖から、にございます」


鶯がまた、楽しげに鳴いた。


越前の空はゆっくりと春へ向かっていた。





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