18-1 忍城【柊と伊織】
【御礼】
戸侯記が連載開始から43日にして10,000PVに到達しました。
深く御礼申し上げます
ただの時間潰し、暇つぶし。
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お目汚しもあろうかと思いますが、引き続きを読んでいただけると幸いです。
よろしくお願いします。
「……鉢形も舘林も、八王子も落ちた。
小田原ももうすぐ開く。そなたの役目は終わりだ」
「……」
「ここは簡単には落ちぬ。
だが、忍城の意味はもはや薄くなった」
「……はっ」
「色々な思いはあろう。だが、殿の御命令だ」
「承知いたしました」
会話しているのは、月心と夕霧。
小田原城開城の数日前であった。
文月(7月)のはじめ――
忍城は、豊臣軍の水攻めに未だ持ちこたえていた。
豊臣軍は堤を築き水攻めを続けていたが、幾度となくその堤を破られ、その溢れた水により多数の死者を出していた。
豊臣軍は、浅野弾正少弼長政、上杉参議景勝と前田権大納言利家らの参陣後、水攻めによる忍城本丸の水没をあきらめ力押しに変えたものの、水の抜けた忍城周辺は馬の蹄さえ立たない泥濘と化し、まともな戦いにすら至らない状況であった。
寄せ手(豊臣軍)は総勢で23,000人以上、守る忍城側(北条家成田軍)は民を入れておおよそ3,000人。
死者数は豊臣軍2,000人以上に対し成田軍はわずか数人であった。
そんな中、永重の命を受けた月心は忍城に入り、夕霧と対面していた。
その日の夜。
忍城の空は鈍く低かった。
水は退ききらず、泥は乾かず。
戦は終わりへ向かいながらもなお燻っている。
月心の言葉は、短くそして容赦がなかった。
「そなたの役目は終わりだ」
それを思い浮かべながら、夕霧は伴伊織の前に跪いていた。
「……出るのか」
伊織は問うた。
「はい」
それ以上は言わない。
言えなかった。
「主命にございます」
それだけを告げ、深く頭を下げる。
「そなたは――生きよ」
一瞬、夕霧の喉が詰まる。
「……はい」
伊織はそれ以上問わなかった。
「生きよ」
もう一度。
短い言葉だった。
夕霧は、深く、深く頭を下げた。
そして立ち上がると、音を立てずに部屋を出た。
振り返らない。
振り返れば、足が止まる。
柊の眠る土を、胸の奥で抱きしめながら――
夕霧は忍城を抜けた。
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――夜。
真田本陣。
六文銭の旗が湿った風に揺れている。
真田本陣は忍城北方の高地、水を避けた堅地に張られていた。
見張りは多い。
だが、水攻めが思うように進まず兵の気は緩み始めている。
夕霧は泥に身を沈め、風の音に合わせて動いた。
忍城に入った時と同じ。
だが、心が違う。
(柊)
胸が、冷える。
柊を刺した刃。
あの鎖鎌。
戸隠流――そしてそれを抱える六文銭。
本陣中央に一際大きな幕舎。
気配がする。
二つ。いや三つ。
夕霧は地に伏せて耳を澄ます。
陣幕の中では地図が広げられ、水攻めの失敗が議論されている。
「堤を三度も破られるとは」
「内に通じる者がいるやもしれぬ」
その声に夕霧の目が細まる。
(内通ではない)
水は道を覚えている。それだけだ。
夕霧はさらに奥へと進む。
目的は一つ。
真田安房守昌幸の首。
幕舎裏に回り込んだ瞬間――
「遅い」
低い声。
振り向いた時には、すでに囲まれていた。四方。
黒装束。
泥に溶ける影。
「忍城の女か」
鎖が、鳴る。
夕霧は短刀を抜いた。
「……」
無言。
先に動いたのは相手だった。
鎖が地を這い、足を絡め取ろうとする。
跳ぶ。
だが二人目が背後から迫る。
刃が肩を掠めた。熱い。
三人目。
息が合っている。
(強い)
受ける。いなす。退く。
だが数が違いすぎた。
鎖が腕に絡む。
引かれた。
膝が泥に沈む。
刃が振り下ろされた。その瞬間――
夜気を裂く音。風が鳴いた。
黒装束の一人が、横へ吹き飛ぶ。
「下がれ、夕霧」
月心だった。
いつの間にか背後に立っている。
白い狩衣は泥に染まり、だがその眼は静かだった。
「……なぜ」
無言。
月心の刀が閃く。
一太刀。
二人、退く。
だが戸隠流は怯まない。
鎖が一斉に飛ぶと月心は前へ出た。
夕霧の前に。
鎖を斬る。
火花。
だが、別の鎖が横から伸びてきた。
月心はそれを掴むと力いっぱい引き寄せる。
すると敵がよろめいた。
その瞬間、別の忍が月心の足元に低く滑り込んだ。
刃が走る。
鈍い音。
一瞬、夕霧には何が起きたかわからなかった。
次の瞬間――
地に、何かが落ちた。
月心の左腕だった。
肘より下。
血が、噴いた。
「――っ」
夕霧の喉が凍る。
月心の表情は変わらない。
ただ一瞬だけ、眉が動いた。
「退け」
低い声で月心が言う。
すると、右手一本で刀を握り直すと踏み込んだ。
一閃。
黒装束の忍の首が、落ちた。
残る二人が怯む。
が、一人が叫んだ。
「囲め!」
だが月心は止まらない。
右手のみ。だが太刀筋は鈍らない。
もう一人の喉を断つ。
最後の一人が、退いた。
影は闇へ溶けた。
残ったのは静寂と血の匂い。
すると月心が一歩よろめいた。
夕霧が支える。
「……申し訳ございません」
震える声で夕霧が言った。
月心は小さく息を吐いた。
「忍び込むなら、殺す覚悟と死ぬ覚悟、力を揃えてから行け」
血が止まらない。
夕霧は素早く自らの帯を解き、止血する。
強く、強く縛った。
「痛みますか」
「左でよかった」
それだけ言って月心は少し笑った。
夕霧が顔を上げる。
「剣は右だ」
血に濡れながらも、その声は揺れない。
遠くで喧騒が広がり始める。
「行くぞ」
「ですが――」
「ここで死ねば、柊に顔向けできぬであろう」
その名に、夕霧の胸が締め付けられる。
「……はい」
二人は闇へ溶けた。
背後で六文銭の旗が揺れていた。
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夜明け前。
川縁。
月心は膝をついた。
顔色は白い。
「……夕霧」
「はい」
「役目は終わりだ」
忍城で聞いたものと同じ言葉。
だが今度は少し違った。
「忍城も、真田も、北条も……まもなく終わる」
遠く、小田原の方角に薄明かりが差す。
「戦が終われば、新しい争いが始まる」
夕霧は、月心の傷口を押さえながら聞く。
「その時、そなたは何を守る」
答えは、すぐには出なかった。
だが胸にあった。
――柊の温もり
――伊織の火種
――永重の言葉
「……生きます」
月心が、わずかに目を細める。
「そうか」
風が吹いた。血の匂いを運び去るように。
その夜、夕霧は知った。
命を懸けるとは、守られることでもあるのだと。
夜が明ける。
戦の終わりが、近づいていた。




