16-1 石垣山城【天下人の威】
文月(7月)の五日――昼
小田原城を包囲していた滝川下総守雄利の陣中に北条氏直の姿があった。
その陣中には、氏直の降伏書簡を受け取った黒田勘解由次官如水も床几に座していた。
滝川下総守もまた側に控えていた。
「よう決断なされた」
如水が言った。
氏直は短く息をついた。
降伏の書状は、氏直が己の手で書いたものだった。
が、緊張と覚悟がにじむ。
氏直に随行してきた者たちはそれぞれ胸中複雑な思いを抱き、肩を震わせていた。
「――如水殿」
氏直は床几に座したまま、如水の目を見据えて言った。
「小田原の開城に際し、父を含めた某の親族、家臣と兵の赦免を願いたい。
その代わり――某が腹を切り申す」
「……」
如水は黙したまま氏直を見つめた。
「ご当主が腹を切るには及びませぬ」
如水が短く言うと、氏直の指先がわずかに反応した。
如水は続けて
「――が、その責は誰かが負わねばなりませぬ」
そう言うと、氏直がすぐさま返す。
「誰か――とは。
当主以外に責を負うものはおりますまい」
氏直は、微動だに揺れていなかった。
「……人は三日も会わねばこうも、な……」
そう呟くと少し笑みを浮かべて如水は、杖を持ち床几から立ち上がった。
「まずは。
北条家の御領地は武蔵・相模・伊豆のみ。
次に、ご当主には上洛頂くこととしたい」
如水が言うや否や、氏直は目を見開いて驚いた。
「それは……ご厚情が過ぎましょう」
「まだ先がござる」
笑みを消して如水は続けた。
「いま申したのは、某の考える条件にござる。
これより、これを軸として太閤殿下に遡上したのちに決するものとお心得頂きたい。
そして先程も申したが――責は誰かが負わねばなりませぬ」
氏直が口を開こうとすると、如水が左手で制し続ける。
「よろしいか、ご当主殿。
何を、どのように選ぶか。
――某は北条家が滅ぶことを是とは考えておりませぬ」
そう言うと居並ぶ北条家家臣を見渡し、声の音を少し上げて如水は言った。
「小田原城の引き渡しは三日ののち。
太閤殿下の御沙汰は、明日申し伝える」
氏直とその随行してきた家臣は皆、黙したまま頭を下げて最初の会談は終わった。
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如水は氏直らとの会談を終えると、滝川下総守と息子の黒田長政を連れて秀吉に目通りを願い出ていた。
控えの間にてお呼びがかかる間、目を閉じてじっと、それを待っていた。
襖の向こう側に気配があった。
「――藤懸永重にございます。
お呼びとのことにつき、参上仕りました」
「入れ」
そう返すと、如水は目を開いた。
永重は入ると襖を閉め、如水と滝川下総守の前に座り頭を下げた。
「聞いたな」
「は」
「割れた」
「は……」
永重が顔を上げる。
如水が続ける。
「決めたのは氏直であった。若き当主が決めた」
「は……」
「さて……これより、そなたならどうする?」
しばし黙したのち、永重が口を開いた。
「某ならば……小田原城の召し上げと御領地の縮小が妥当と考えまする」
それを聞いた如水は目を細め即答する。
「責をどう考える」
「はて……何の責でございましょうや」
永重は言ってのけると続ける。
「小田原の開城にてその責は果たされたものと。
――そもそも、ことの始まりは北条と真田による沼田領を巡る諍いでございます。
その源は徳川家……」
「永重」
如水は遮って永重の目を見つめて言った。
「相手は、殿下だ」
部屋の空気が一気に寒くなる。
永重も如水から目を離さず、言う。
「ならばこそ、です。
小田原の開城をもって、殿下は名実ともに天下人となられます。
――まだ血を流せ、と仰られますか」
「その理が通用すると?」
「せねばなりませぬ。
天下は天下人のものであると同時に、そこには"責"がございます」
「天下人の責、とは何だ」
空気が、張りつめる。
「――薫風自南来、殿閣微涼を生ず」
しばし沈黙。
すると如水の口元がわずかに上がり、ゆるやかに言う。
「……聡いな、おぬしは」
そしてわずかに目を細めて
「いくがよい」
「は……」
永重はそう言うと一礼して部屋を辞した。
永重の気配が遠ざかると、如水は大きく一息ついた。
「肝が冷えましたぞ」
長政が言う。
「……あれはいかん。遠ざけよ」
如水が呟くように言う。
「いけませぬか」
「駄目だ」
長政の問いに如水は即答する。
「あれは……上げてはならん。
あれの“理”を抑えられる者は……抑えようとすればいずれ呑まれるやもしれぬ」
如水はふと力を抜いて笑みを浮かべると長政を見て言った。
「いらぬ苦労はせずともよい」
そしてそのまま宙を見て、小さく呟いた。
――一たび居の為に移されて
――苦楽永く相忘る
――願わくは言わん此の施しを均しくして
――清陰を四方に分かたんことを。
か。
すると、秀吉よりお呼びがかかった。




