14-2 小田原城【評定】
翌日――小田原城、本丸。
重苦しい空気の中、評定の座が設けられていた。
畳の上に居並ぶ重臣たち。
松田、板部岡、大道寺――誰もが口を結び、互いの出方を窺っている。
上段に座しているのは、北条氏政。
その脇に、若き当主である北条氏直。
城外には、石垣山に築かれた城。
豊臣の威が沈黙のまま迫っている。
「……籠城を続ければ、援軍は来よう」
誰かが言う。
「奥州はまだ動く」
「伊達も、様子を見ておる」
だが、声に力はない。
この頃、伊達左京大夫政宗は秀吉の参陣要求に従って石垣山に在った。
その事をまだ、知らない。
「兵糧はあといかほどだ」
別の声。
「三月……いや、二月持てばよい方かと」
沈黙。
小田原評定。
結論の出ぬ議。
言葉だけが巡り、誰も決断しない。
氏政は腕を組み目を閉じている。
「和睦の道は」
ようやく、氏直が口を開いた。
ざわり、と座が揺れる。
「若殿……」
老臣のひとりが苦い顔をする。
「今、和を口にすれば、諸将の士気が……」
「士気で城は保てぬ」
氏直の声は静かだった。
「兵糧も、援軍も、不確かであろう」
「しかし!」
別の重臣が声を荒げる。
「ここで屈すれば、北条は笑われますぞ!」
「笑われて、家が残るなら安い」
その一言に、広間が凍りついた。
氏政の目が、ゆっくりと開く。
「氏直」
低い声。
「軽々しく言うな」
氏直は父に向き直り、深く頭を下げた。
「軽々しくはございませぬ」
顔を上げて、言った。
「父上は、戦をなされよ」
ざわめきが走る。
「私は、降ります」
一瞬、誰も息をしなかった。
「な、何を申されるか!」
「当主自らが、降ると?」
氏直は重臣たちを見渡す。
「評定が定まらぬのは、皆が北条の名を惜しむゆえだ」
誰も否定できない。
「ならば、名を差し出せばよい」
「若殿……」
「父上が頭を下げれば、“北条は折れた”と世が申す」
静かな視線が氏政へ向けられる。
「しかし、若輩の私が未熟ゆえに和を乞うならば――それは当主の過ち。家は残る」
「氏直!!!!」
声を張り上げた氏政の拳が震える。
「儂を愚か者にする気か」
「いいえ」
氏直は即座に否定した。
「父上は最後まで戦を望まれた」
重臣たちを見回す。
「そうでございますな」
誰も、声を出せない。
「和を決したのは、某の独断にござる。
責めは、私が負います」
広間の空気が、ゆっくりと傾き始める。
評定が、初めて“形”を持ちかけていた。
氏政が立ち上がる。
その威圧に、全員が頭を垂れた。
「……勝手を申すな」
氏直は座したまま、深く額を畳につける。
「お許しは求めませぬ」
氏政は息を荒くする。
怒り。
無念。
そして――理解。
長い沈黙ののち、氏政は重臣たちを見渡した。
「聞いたな」
誰も動かない。
「これは、当主の決断だ」
重い声が落ちる。
「異論ある者は、今申せ」
沈黙。
ついに、松田が頭を下げる。
「……若殿の御覚悟、承りました」
一人、また一人と、額が畳に触れる。
評定は終わった。
いや――初めて、決した。
氏直は立ち上がって言った。
「明朝、豊臣へ使者を」
そこには、決して揺れていない、一人の若い当主の姿があった。
そして氏政は、しばらく息を荒くしていたがやがて力が抜けるように座へ戻った。
「……誰に入れ知恵された」
氏直はわずかに笑って、言った。
「誰にも」
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その夜――
氏政は、一人で盃を傾けていた。
そこへ氏直が酒瓶を手に持ちやって来た。
「――父上、お注ぎいたします」
そう言うと、氏直は笑みを浮かべて氏政の正面に座り酒瓶を差し出した。
氏政は、盃に入った酒を一飲みすると、差し出して言った。
「北条の名を、軽くするな」
「はい」
そう言うと、差し出された盃に濁酒を注いだ。
「……未熟は、儂か」
氏政はそう呟くと、注がれた酒を呷った。
「そうではありませぬ」
氏直はそう言うと、自ら持ってきた盃に濁酒を注いだ。
続けて
「豊臣は、父上の首を求めましょう」
太閤――豊臣秀吉。
あの男は、威で世を治める。
見せしめを決して忘れぬ。
「家を残すための“形”が要ります。
それは当主たる私が差し出すべきものです」
「氏直!」
氏政が声を荒げた。
氏直は静かに言う。
「これは、降伏でございます」
沈黙。
外で夜風が城門を鳴らす。
「父上が頭を垂れれば、北条は滅びます」
「……なぜだ」
「皆の前でも申しましたが、“氏政が折れた”と世が見ます」
だが、
「“氏直が折れた”ならば――若さゆえ、未熟ゆえ、と申せましょう」
若き当主の未熟。
父は毅然。
物語は作れる。
氏政は息を呑む。
「家を残すのは、父上の役目ではありませぬ」
氏直の声は、静かに強い。
「私の役目にございます」
広間の灯が、二人の影を長く伸ばす。
氏政はゆっくりと立ち上がる。
「それで、そなたはどうする」
氏直は深く一礼した。
「我が命、差し出しまする」
「……儂は許しておらぬ」
「存じております」
「儂は、まだ戦う」
氏直は顔を上げる。
「父上は、戦ってください」
「何を」
「“威”を」
氏政の目が揺れる。
「父上は最後まで屈せずにおられる」
それが世に残る。
「そして私は、家を残すために屈しまする」
役割を分ける。
父と子で。
「……お前は……お前は…………」
氏政は、涙していた。
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翌朝、城門から一騎が出た。
白旗を掲げて。
名は、北条左京大夫氏直。
氏直は懐から書状を取り出すと、門前で小姓に渡す。
受け取った小姓は駆けて行き、すぐさま豊臣方の武士にその書状を手渡した。
降伏交渉の書状であった。
小田原の篝火が、静かに揺れる。
戦の終わりは、力ではなく――若き当主の、覚悟から始まった。
伊達政宗、北条氏直、二人とも左京大夫の官位を書いていますが、間違いではありません。
ちなみに氏政もこの時左京大夫でした。




