13-2 石垣山城【大詰】
数日後の夜――
その日も石垣山の白壁は月を受けて青く沈んでいた。
永重は本丸近くの石垣に腰を下ろし、黙して海の方角を見ていた。
すると背後から足音がした。
「冷えるぞ」
振り返るまでもない。
声の主は、黒田如水だった。
永重は立ち上がり、深く一礼する。
「お休みでは」
「眠れぬ」
即答だった。
如水は杖を石に立てかけ、永重の隣に立つ。
「何を見ておる」
「揺らぎを」
「どこの」
「味方の」
如水の口元がわずかに上がる。
「申してみよ」
永重は一瞬、言葉を選ぶため考えた。
「忍城が持ちこたえれば、戦は長引きます」
「うむ」
「長引けば功を焦る者が出ます」
「誰だ」
「……石田様」
名を出した。
石田治部少輔三成。
如水は否定しない。
「他は」
「加藤様、福島様」
名は出さずとも、分かる。
石垣山の陣にいる猛将たち。
如水は静かに言った。
「焦る者は、扱いやすい」
永重は横目で如水を見る。
「火も、でございますか」
「火こそ、だ」
即答。
「火は向きを変えられる」
風が吹く。
旗が鳴る。
「では、御前は」
続けて永重が問う。
「火を操るおつもりですか」
如水はしばし黙る。
やがて、低く言った。
「違う」
永重がわずかに目を上げる。
「儂は、燃える場所を決める」
静かな声。
「戦とは、燃やす場所を誤れば自らが焼ける」
永重の胸が、わずかに強く打つ。
「小田原は落ちる」
「……は」
「だが落ち方が肝要だ」
如水は石垣の下、小田原城を見下ろす。
「潰せば関東は荒れる」
「家を残せば」
「豊臣の威が削がれる」
沈黙。
月が雲に隠れる。
如水は続けた。
「永重」
「は」
「そなたならば、北条をどう落とす」
問いは刃であった。
永重は即答しない。
小田原城で見た氏直の目が蘇る。
北条氏直。
揺れと誇り、そして迷い――
「……父子を割らずに」
如水の目が細まる。
「ほう」
「某ならば、父子を割らずに氏政殿に決断させます」
北条氏政。
「若き当主に“選ばせぬ”」
如水はそう呟いたのちしばらく沈黙する。
やがて言った。
「甘いな」
言葉は冷たい。
「若い主が選ばねば、次代は育たぬ」
永重の胸がわずかに揺れる。
「だが」
如水は続ける。
「選ばせる時と、選ばせぬ時がある」
「……今は」
「今は、家を残すための戦」
如水は杖を取る。
「氏直に決断を負わせれば、北条は残っても傷が残る」
永重は息を止める。
「そなたは情で守ろうとしておる」
静かな断罪。
「情ではございませぬ」
永重の声が低くなる。
「理屈でございます」
如水が笑った。
「ほう」
「氏直殿が屈せば、家中に遺恨が残ります」
「氏政殿が屈せば」
「北条は“終わる”が、“敗れる”のではありません」
風が止む。
如水の目が、鋭く永重を射抜く。
「誰のためだ」
沈黙。
「豊臣のためか」
沈黙。
「北条のためか」
沈黙。
「それとも――」
一歩、近づく。
「己のためか」
永重の喉がわずかに鳴る。
「……乱世を早く終わらせるため」
答えた。
如水はしばらく見つめ
「嘘ではない」
そして小さく頷いたのち
「だが半分だ」
永重の瞳が揺れる。
「もう半分は」
如水は言った。
「そなたは、若い主が折れるのを見たくない」
内藤直行の声が蘇る。
――若い主を崩させるな。
如水は続ける。
「己が折れぬためだ」
静寂。
永重は初めて目を伏せた。
如水は言う。
「永重」
「は」
「戦を終わらせたいか」
「はい」
「ならば、誰かは折れねばならぬ」
その言葉は重かった。
「折れるのが氏直か、氏政か」
一拍。
「あるいは――」
杖の先が、永重の胸元を軽く叩く。
「そなたとか」
永重は顔を上げる。
目は静かだった。
「折れませぬ」
如水は笑わない。
「そうか」
月が再び姿を現と白壁が光った。
如水は背を向ける。
「明日、使者が来る」
「北条からでございますか」
「いや」
一瞬の間。
「太閤殿下からだ」
永重の背筋が伸びる。
「何を命じられるか」
如水は振り返らない。
「それで分かる」
何が。
だが如水は答えない。
「準備せよ」
去っていく背。
永重はその後ろ姿を見送った。
風が強くなり、石垣山の旗が大きく鳴った。
遠くに小田原城が見える。
永重は静かに呟いた。
「折れるのは、誰か……」
夜はまだ深い。
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夜。
陣屋の奥に明かりがひとつだけ灯っていた
長政は黙して座り、その向かいに如水がいた。
静かだが、張り詰めた空気。
「……そなた、永重を側に置くか」
長政が静かに答える。
「父上も、あやつの働きはご覧になったはず」
如水は笑みを浮かべて
「見たとも。
あれほどの目を持つ若者は、そうはおらぬ」
少しの間。
如水の視線は細く、褒めているようでどこか冷たかった。
「だがな、長政。
目が利く者ほど己の理を信じる」
長政は黙って聞いている。
「それ自体は悪くはない。
……使う者が、誤らねばな」
長政の眉がわずかに動く。
「父上は、永重が裏切ると?」
如水
「裏切るとは思わぬ。
だが、己の正しさを疑わぬ者は――主さえも正そうとする」
沈黙。
外で風が鳴る。
「それほどに才ある者を、遠ざけよと?」
「遠ざけよとは言わぬ」
如水は再び静かに笑う。
それは温かくも、冷たくも見えた。
「だが、近づけすぎるな」
「……」
「元服以来であったが……ようもあそこまで化けたものだ」
その一言に、長政の目がわずかに鋭くなる。
如水が続ける。
「惚れた相手が己より愚かと知った時、
あれはどうすると思う?」
長政は答えない。
「才ある者は、主を支えるか乗り越えるか――どちらかだ」
如水が立ち上がった。
「永重を使うならば、あれの“理”をおぬしの下に置け」
振り返らずに言う。
「さもなくば、いずれ永重は吞み込むぞ」
長い沈黙。
長政はただ、灯火を見つめている。
灯は、揺れていた。




