12 越前府中城
じりじりした展開で書いてる方も息が詰まりそうだったので、ここでちょっと一息。
(分かりやすい展開ではありますが)今後どこかで再登場するかもしれません。
ところ変わって――越前府中城。
越府城の庭は、初夏の光に包まれ緑が目に眩しく映った。
苔むした石灯籠の間を、木漏れ日が揺れながら降り注いでいた。
雪乃は長い黒髪を背に垂らし、白い衣の袖をそっと庭石に触れさせながら佇んでいた。
足元の小径には、紫陽花が淡い青や紫の花を揺らし、梅雨入り間近の湿った空気にほのかな香りを漂わせている。
雪乃は目を伏せ、花の一つ一つをじっと見つめた。
花びらの濡れた色合いに、命の息吹と季節の移ろいを感じる。
風に乗って、遠く城下町の暮らしの音が届く。
しかし、ふとした時に不安がよぎる――
父は無事だろうか。
雪乃の父、太閤秀吉の直臣である木村常陸介重茲は、小田原征伐に参陣していた。
その時、庭の片隅で鶯の声がひときわ澄んで響いた。
雪乃は目を閉じ、鳥の歌に耳を傾ける。
しかし、心の奥底にくすぶる不安は消えない。
(どうか御無事で……)
声にならない祈りを何度も繰り返しながら雪乃は庭をそっと歩き、ひとつひとつの花を見つめた。
露を宿した花びらが光を受けて揺れるたび、命の強さと儚さとが、胸の奥に静かに沁み入っていった。
と、しんみりとしていると――
「雪乃っ、またそのような恰好で!!」
声を張り上げながらおかんむりなのは、母・お清であった。
このお清、実は――のちに豊臣右大臣秀頼の乳母となる宮内卿局である。
長い黒髪を背に垂らし白い衣――
白小袖ではなく、純白の馬乗袴。
髪型は垂髪ではなく、動けるように元結であった。
そして――左手には弓。
「女子が弓を持ち、庭を駆けるなど……」
「女子であろうと、武家の娘にございます」
雪乃は静かに言い返す。
その眼差しは、紫陽花を見つめていたときの柔らかさを失い、凛と澄んでいた。
「父上が戦場におられる今、ただ祈るだけでは――」
遠くで再び鶯が鳴いた。
お清は眉をひそめたまま娘を見つめる。
「戦は男子の務め。
女子は家を守り、帰りを待つものです」
「敵が攻め入れば、女子であろうと矢を取らねばなりませぬ。
父上はその覚悟で小田原へ向かわれたはず。
ならば、娘であるわたくしも――」
言葉を切り、雪乃は庭の奥へ歩み出る。
紫陽花の間を抜け、的が据えられた小さな裏庭へ。
湿った空気の中、弓弦を張る音がぴんと鳴る。
一瞬、庭のすべてが静まり返った。
矢は放たれ、風を裂き、
乾いた音を立てて的の中心に突き立った。
お清は深く息を吐いた。
「このままでは嫁の貰い手が……」
雪乃は続けて矢を番えると、今度は空へ向けて放った。
そして、矢を放った姿勢のままゆるやかに弓を下ろした。
そして、すっと母の方へ振り向いた。
「母上」
その声音は、先ほどまでの張り詰めた強さとは違い、どこか澄んでいた。
「嫁ぐために生きるのが、武家の娘のすべてにございましょうか」
お清は一瞬、言葉を失う。
「それは……家を守るため。
血を繋ぐため。
女子の務めです」
「では、家とは何にございますか」
雪乃は一歩、母へ近づく。
「名ですか?家柄ですか?」
風が吹き抜け、紫陽花がざわりと揺れた。
遠くでまた鶯が鳴く。
雪乃は真顔で問い詰める。
お清は腕を組み、むむ、と唸る。
「家とは――家とは……」
しばし沈黙。
その時――
ひゅるるるる……ぽすっ。
二人の背後で、先ほど放った矢が、垣根を越えて干してあった洗濯物のど真ん中に突き刺さっていた。
よりにもよって――お清の大事なよそ行き小袖である。
「……」
「……」
風に揺れる白小袖。
中央に見事な穴。
鶯が、やけに楽しげに鳴いた。
「雪乃ぉぉぉぉ!!」
「敵襲ではございませぬか!?」
「敵はおまえです!!」
雪乃は慌てて駆け寄り、弓を背に隠す。
「これは、その、風向きが……」
「風のせいにするでない!」
「では紫陽花が……」
「紫陽花は関係ありません!」
お清は額を押さえた。
「このままでは嫁の貰い手どころか、洗濯物の貰い手もなくなります……」
「洗濯物に婿入りさせるおつもりで?」
「揚げ足を取るでない!」
庭の隅で控えていた侍女たちが、必死に笑いをこらえている。
肩が震えているのが丸わかりだった。
雪乃は小さく咳払いをした。
「母上。家とは――」
「まずは針と糸を持ちなさい」
「……はい」
凛々しく弓を構えていた武家の娘はその日の午後、縁側でしょんぼりと針仕事をすることとなった。
「弓は百発百中でも、裁縫はからきし……」
「女子のたしなみです」
ぷつり。
「……あ」
今度は糸が切れた。
鶯が、まるで笑うように鳴いた。
越前府中城の庭には、祈りと覚悟と――
そして、穴の開いた小袖が楽しそうにひらひらと揺れていた。




