6-6 丹波亀山
天正十三年(1585年)霜月(11月)下旬――
今年の夏はことのほか暑かった。
だが稲の出来は良く、各地で豊作の報せが相次いでいた。
永重の治める領においても、例年になく実り多き年であった。
霜月は、神楽月とも呼ばれる。
収穫への感謝を捧げるため、丹波亀山の各地では神楽奉納の祭事が執り行われていた。
永重が元服して、すでに三月が過ぎていた。
元服を迎えたからといって、日々の務めが大きく変わったわけではない。
分知された領の管理は増えたものの、領内の見廻りや弟妹と半佐への勉学の指導など、基本となる務めは元服前と変わらなかった。
日々の務めを着実にこなしながら、永重は――ただ、その時を待っていた。
病を得ていた中納言秀勝様が快癒した暁には、近習に上がる――
そう、父・永勝から聞かされていたからである。
秀勝は、永重にとって主君であり、そして自らの元服を取り計らってくれた、大恩ある人物でもあった。
父はそんな病に伏せている秀勝様を支えるため、ここしばらくはほぼ城に詰めていた。
だいぶ寒くなってきた、そんなとある日の朝。
「御免くだされ!」
玄関口から、張りのある声が響いた。
永重と半佐、次郎丸が朝稽古を終え、永重が稽古着の上半身を脱いで身体を拭いていると、下女がすぐさま玄関へ向かった。
すると、
「永重殿は居られるか?」
と、先ほどとは違う声音が聞こえてきた。
それは、どこかで聞き覚えのある声だった。
永重は稽古着を着直しながら、胸の奥にわずかなざわめきを覚え、玄関へ向かった。
そこに立っていたのは、
「――兵庫助様!」
永重は思わず声を張り上げていた。
広瀬兵庫助康親が笑みを浮かべ、その隣には見覚えのある背の高い偉丈夫が立っていた。
永重はしばし考え、
「まさか……長松殿か?」
その偉丈夫はにっこりと笑い、
「そうじゃ、久しぶりだのう、松丸――いや、永重殿」
さらに、
「某も元服いたし、今は名を頼明と申す」
長松――石川頼明は、そう言ってわずかに頭を下げた。
永重が言葉を発しようとした時、三人のやり取りを聞きつけ、稽古道具を片付け終えた半佐が少し遅れて現れた。
二人の姿を目にした半佐は、すぐさま土間に伏し、
「御久しぶりでございます」
と挨拶した。
「久しいのう、半佐。元気そうで何よりだ」
兵庫助が笑みを浮かべながら言うと、半佐は顔を上げたのち、再び頭を下げた。
「これ、そう伏せずともよい」
頼明が半佐の側へ行き、腕をとって起き上がらせた。
「名字を賜ったそうだな」
兵庫助がそう聞くと半佐は立ったままわずかに頭を下げながら
「平松の姓を賜りました」
「ふむ……平松半佐か。よい名だ」
兵庫助がそう返すと、半佐は更に頭を下げた。
すると奥から母・華が出てきて兵庫助を目に認め、
「これは、兵庫助様……よくぞおいで頂きました。
ささ、お上がりなさいませ」と言った。
そう言うと、下女へ足洗のお湯と布を準備するよう命じた。
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兵庫助と頼明は居間へ上がると、永重らと共に朝餉を囲んでいた。
「――奥方様、まことにかたじけない」
兵庫助がそう言い、共に食事を取りながらお互いの近況を話していた。
広瀬兵庫助康親は、三年前の功績を認められて秀吉より直筆の感状と五百石の加増を賜った。
その後も戦功を重ね、今は美濃においておおよそ二千石を知行しているという。
石川頼明(長松)もまた、三年前とは大きく変わっていた。
本能寺の変の直後、天正十一年(1583年)に起きた賤ヶ岳の戦いに参戦した兄・一光は、賤ヶ岳の七本槍に並ぶ戦功であったが、同合戦で戦死。
しかし、秀吉より兄の一番槍の感状を譲り受け、一千石を賜り、小姓として取り立てられていた。
朝餉が終わり、兵庫助は白湯を一口含んだ。
器を静かに置いてから、口を開く。
「――さて、永重殿。
此度我らがこちらに参ったのはそなたの顔を見るためだけではないのだ」
続けて頼明が目線を落とし低い声で言う。
「中納言様だがな……あまりよろしくない」
「お父上……永勝様はなんと言われておる?」
兵庫助が永重を見て聞いた。
「父上からはさほど具体的には……むしろほとんど聞いておりませぬ」
永重がそう言うと
「やはりか……永勝様はご家族にも何も言われておらぬとは……さすがは信あるお方だ」
兵庫助が目線を前に戻し言うと、続けて
「そなたも知っての通り、秀吉様は今年近衛前久様の御猶子となられ、関白宣下を受けられた。
そして残るは坂東(関東)と奥州、九州のみじゃ」
兵庫助はそこで白湯を一口飲み、再び永重を見つめ
「これから、太閤殿下の世を創ること。
戦の無い平和な世を、我らは作らねばならん」
「そこでじゃ。……そなた、儂らと共に太閤殿下の下に行かぬか?」
頼明が言葉を引き継いで言う。
「それは、中納言様の世を創る事にも繋がる。
ここでご快癒されるのを待つより、動いてみぬか?」
兵庫助が言った。
永重は息を整え、返答の言葉を探した。
永重が言葉を発しようとしたその時――
――轟音と共に、足元から天地が揺れた。




