6-2 丹波亀山
やや陽は傾いたものの暑さは相変わらずで、四方を開け放たれた広間には、藤懸家の家族全員と半佐、女中、下僕の一同が揃っていた。
部屋の中を見渡した永勝が口を開く。
「――皆、揃ったな」
その視線を松丸に向け、声を落として言った。
「松丸――そなたについて、話がある」
松丸は身を正し、わずかに息を呑む。
永勝は少し間を置き、厳かに続ける。
「三日ののち、元服の儀を執り行う」
その言葉に、松丸の頬が赤く染まる。
緊張と誇らしさが入り混じる表情を永勝は静かに見守った。
「急であるが、許せ――されど心得ておけ。
元服とは、ただ名が変わるだけではない。
家の名と誇りを背負い、己が道を歩む覚悟を示す儀だ」
「ははっ」
松丸は小さく頷き、深く礼をした。
「殿」
松丸の後ろから、母である華が呼びかける。
声が少し詰まりながら
「殿、松丸はわずか十三です。元服は……少し早いのでは?」
永勝は母を見つめ、わずかに表情を和らげた。
「……確かに、普通よりは早いかもしれん。しかし、早すぎる事はあるまい」
再び松丸に目を戻すと、表情を改めて続けた。
「元服に従い、そなたに一千石を分知し、扶持も併せて与える。
家の重責を背負う者として、そなたは名実ともに藤懸家の跡取りとなる」
松丸は震える手を床につけ、深く礼をした。
永勝は次に半佐の方へ視線を向ける。
「そして――半佐」
その声に半佐は身を正した。
「そなたには苗字を授ける。松丸に従い、助けよ」
その言葉に半佐の目が大きく見開かれた。
驚きと戸惑いが入り混じり、しばし言葉を失った。
一拍ののち、半佐が我に返り
「ははーーっ! ありがたき幸せにございます」
両手を揃えて深く頭を下げた。
永勝が部屋の中を見渡し
「――以上だ。
皆の者、藤懸家をこれからもよろしく頼む」
そう言いながらわずかに頭を下げると、皆が永勝に向かって深く頭を下げた。
皆、緊張から解き放たれ解散した。
すぐに、
「兄上、おめでとうございます」
と次郎丸が言う。
「兄様、おめでとう!」
と、志野が続く。
「あにうえ、おめでとうございまする」
意味が分かっているのか定かではないが、満面の笑みで三郎太も言った。
末っ子のお珠は、よく分からぬまま華にしがみついている。
松丸はそれぞれに「ありがとう」と返した。
そして志野が、部屋の後ろの方にいた半佐に歩み寄り、
「半佐、兄様をお願いします」
そう言うと、次郎丸も
「頼むぞ、半佐」
と続けた。
三郎太は、半佐に向けて笑顔で手を叩いている。
半佐は改めて姿勢を正し、すっと前を見据えて言った。
「この半佐、命の尽きるまで松丸様にお仕えいたします。
藤懸家の御名に、決して恥じぬ働きをお約束申し上げます」
そう言うと、再び深く頭を下げた。
上座に座ったままその様子を見ていた永勝は、
「さほど気負わずともよい。……されど、覚悟を持って松丸に仕えるのだぞ」
笑みを浮かべて言った。
「ははっ」
半佐は力強く返事をした。
「松丸、半佐、良かったですね。
……これからもしっかりと励むのですよ」
最後に、全てを受け止め落ち着きを取り戻した華が微笑みながら言った。
松丸と半佐は華の方へ向き直り、深く頭を下げた。
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その日の夕刻――
松丸と半佐は庭に居た。
夕陽が庭の樹々を赤く染める中、松丸は石畳の上に立ち少し俯いたまま手を組んでいた。
半佐は後ろに一歩距離を置き、背筋を伸ばして立っている。
「……少し緊張している」
半佐はゆっくりと松丸の後ろ姿を見つめ、静かに答える。
「松丸様、それは当然にございます。
元服は、ただ名を変える儀ではございませぬ。
覚悟を示す大事な一日……緊張されるのは、ご自身がその重さを理解されているからです」
松丸は小さく息をつき、視線を庭の芝の上に落とした。
「でも……本当に家の跡取りとして、ちゃんとやっていけるのかな。
責任が重すぎて……」
半佐は少し前に歩み寄り、穏やかに言った。
「重責を背負うのは確かに容易ではございませぬ。
しかし、松丸様には私がございます。命の限り、お支えいたします」
松丸は顔を上げ、振り返って半佐を見る。
安堵の表情で言った。
「ありがとう……半佐。よろしく頼む」
半佐は深く頭を下げ、低い声で答えた。
「某は、この身を尽くす覚悟でございます」
松丸はゆっくりと胸の中のもやもやを整理するようにわずかに息を吐き、肩の力を抜いた。
夕風が二人の間を通り抜け、庭の木々の葉を揺らす。
二人の間に短い静寂が流れた。
夕陽は徐々に傾き、庭を橙色に染めていた。
松丸は少し照れくさそうに笑い、半佐も軽く頭を下げる。
その瞬間、二人の間には言葉にせずとも通じ合う信頼が確かに存在していた。
この時、次郎丸は11歳、三郎太は7歳、志野は9歳でお珠は5歳です。




