5-1 長浜城~藤懸家邸
かなり難しかったです。
たぶん、近いうちに編集します。
長浜城へ到着するとすぐに、本丸から出てきた小姓らしき者と兵庫助が二言三言交わした。
そののち、しばらくして兵庫助へ、本丸の大広間へ来るよう下知がくだされた。
皆は気もそぞろに解散し、それぞれ家へ帰ろうとする中、松丸だけが兵庫助に呼び止められた。
一刻も早く家に帰って家族に会いたい松丸は、内心『え………?』である。
少し後ろに控える半佐も、少し顔を伏せてはいるが、そこから垣間見えるその目は同じく『…え?』である。
松丸には、家族との再会を喜んだのち、大仕事が待っているのである。
そう、半佐を側に置く事の許可を得ないといけないのだ。
『父上、母上に早く会いたい』
『弟や妹の無事な顔を見たい』
に加えて、
『どう説明し、どのように説得するか…』
頭の中は、歓喜する自分と、思慮深く悩む自分とが入り乱れた状態であった。
そんな松丸は兵庫助に呼び止められ、家へ駆け出そうとする姿のまま硬直していた。
嫌な予感がする松丸。
どうしたらいいのか分からない半佐。
すぐにでもここを動きたいのは同じである。
-------------------------------------
「松丸、共に参れ」
兵庫助が真面目な顔のまま表情を崩さずそう言うと、後についてこい、と言わんばかりに無言で本丸入口へ歩き始めた。
「……仕方ない。半佐、ここでしばし待っておれ」
少しため息混じりにそう言うと、松丸は兵庫助の後を追いかけた。
-------------------------------------
本丸入口の扉をくぐり、階段を上ったのち大広間に着くと、そこには直垂と裃を身にまとった六人ほどの武士が、左右に分かれて着座していた。
兵庫助はそれを見るや、広間へ入る敷居の前で膝をつき、両手を揃えて深く頭を下げた。
その背を見て、松丸も慌てて倣う。
顔を上げずとも、気配だけで分かる。
――重い。
正直言えば、『何で某までここに……』である。
広間の空気は、外のそれとはまるで違っていた。
長旅の疲れも、再会への期待も、ここでは一切通じぬと言わんばかりの張り詰めた沈黙。
しばらくすると――
衣の擦れる音が聞こえたのち、正面奥から低く、よく通る声が落ちてきた。
「兵庫助、無事に戻ったか」
「はっ。此度の務め滞りなく果たし、只今帰城仕りました」
兵庫助は一言一句、揺るぎなく答える。
「――そして、松丸」
名を呼ばれた瞬間、喉がひくりと鳴る。
「は、はいっ」
思わず声が上ずった。
自覚した途端、まずいと思ったが、もう遅い。
「顔を上げよ」
一拍。
松丸は意を決し、ゆっくりと顔を上げた。
するとそこには――
羽柴秀勝と、その横に笑みを浮かべた、父・藤懸永勝が、居た。
一瞬、時が止まったかのように感じた。
(……父上?)
胸の奥が、どくん、と大きく鳴る。
思わず視線が逸れそうになるのを、涙が溢れるのを松丸は必死で堪えた。
「久しいな」
そう話しかけてきた父の声は、優しく、柔らかかった。
その一言で、張り詰めていた何かに、ひびが入る。
(……やめて、父上)
優しい声だ。
幼い頃、熱を出した夜に聞いた声と、何も変わらない。
だが――ここは城の大広間。
重臣が居並ぶ、私的な情や作法など許されぬ場所だ。
「……ご無沙汰、しております」
堪えて、言えた。
しかし、そこまでだった。
それ以上、声が続かなかった。
喉の奥が熱くなり、言葉にしようとすればするほど、息が詰まる。
松丸は、深く頭を下げたまま、嗚咽が漏れ、涙が止まらなかった。
「兵庫助より、あらかた聞いた。
よう頑張ったな、松丸」
その声は、静かだった。
松丸の肩が、はっきりと震えた。
嗚咽を噛み殺そうとしても、喉の奥から漏れる音は止まらない。
歯を食いしばっても、視界は滲み、涙が板床へと落ちていく。
永勝は、それ以上何も言わなかった。
しばしの間――息子が泣くのを許した。
広間の誰一人として、それを咎める者も、声を発する者もいない。
秀勝も重臣たちも、兵庫助も、黙したまま見つめていた。
松丸の肩が小さく震え続けているのを見て、秀勝は静かに息を吐いた。
「松丸。――もう泣かなくてよい」
その声は、広間の空気を切るように低く、しかし柔らかかった。
松丸は嗚咽を必死に抑えながら頭を上げた。
秀勝の言葉に、少しずつ肩の力が抜けていくのがわかる。
目が合うと秀勝は笑みを浮かべ、そのまま兵庫助へ目線を移すと言った。
「兵庫助、すまぬが沙汰は後日伝える。
ほんに此度は大儀であった」
「ははっ」
「兵庫助、松丸が世話になった」
続けて永勝が言い、兵庫助へ軽く会釈した。
松丸の肩の震えが少し落ち着き、嗚咽がやっと収まると、秀勝は静かに視線を巡らせて言った。
「では、松丸。今日は家に戻って休むがよい」
永勝も軽く微笑み、松丸に一度頷く。
その眼差しは、優しさを多分に含んでいた。
松丸は深く頭を下げたまま、胸の中に渦巻く感情を抑えながら、兵庫助に従い広間を後にする。
本丸を出ると、先ほどまでの重苦しい空気は消え、松丸の胸には不思議な軽さが残っていた。
半佐が少し離れたところで待っているのが見える。
兵庫助は松丸の頭に手を置き、くしゃくしゃとなでながら、
「半佐、参れ」
と声をかけた。
半佐は小さく会釈し、松丸の横に並んだ。
そのまま兵庫助と別れた松丸と半佐の二人は、城の門をくぐり外の光を浴びる。
松丸はふと息を深く吸い込む。
風が頬を撫で、旅の疲れと緊張が少しずつ解けていくのがわかる。
「……やっと家に帰れるな」
松丸は小さく呟く。
半佐も無言で頷く。二人の足取りは、重さを帯びつつもどこか軽やかだった。




