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戸侯記  作者: まさごろう


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4-1 行徳寺


円乗寺を出立した一行は、細かに物見を出し周囲を警戒しながら、中山道を外れ姉川沿いを北上した。


街道を外れた空き家で一泊し、その後も何事もなく川沿いを遡上する。

下板並と天神谷でも、それぞれ身体を休めることができた。


一行が甲津原にある行徳寺に到着したのは長浜城に集められてから七日目、京で変が起きて八日目の昼であった。



門をくぐり寺に着くや否や、兵庫助と性慶(しょうけい)は皆を待たせ、本堂へと向かった。


残された一行は境内のあちらこちらに腰を下ろし、御方様らも本堂の階段に座って側付きから飲み物を受け取り、しばし休息を取っていた。



松丸と長松、柏原宿外れの円乗寺で下についた半佐(はんざ)の三人は、ここまでの道中で互いのことをよく知るようになっていた。



半佐は、自身がまだ幼い頃に両親を亡くしていた。


元亀元年(1570年)、織田信長が越前の朝倉氏を攻めた折、妹婿である浅井長政が信長を裏切って挙兵した。

それをきっかけに起きたのが、姉川の戦いである。


だが半佐の両親が命を落としたのは、姉川の戦いそのものではなく、敗走する落ち武者による狼藉のためであった。


当時、半佐はわずか三歳。


戦の気配を察し、幼い我が子の命を守るため、近江北に住んでいた両親が選んだ策は疎開であった。


伝手を頼り、半佐は近江猪子村に住む遠縁の百姓に預けられた。

姉川の戦いで両親が亡くなった後も、その百姓は半佐の面倒をよく見てくれた。


しかし半佐が十二の時、その百姓も病で世を去り、以降は独りで田を作り細々と生き延びてきた。



ここへ来る途中、下板並で休息を取った折に、松丸と長松は半佐のことをさらに聞いた。


半佐は百姓ではあったが、自ら木刀を作り、弓矢を拵え、武芸に励んでいたという。

もっとも、誰かに師事したわけではなくすべて我流であった。


それは、両親が戦の流れの中で亡くなったことが大きく、この乱世を生き延びるために自らを鍛えていたからだという。

また、読み書きは出来なかった。


その話を聞いた、年の近い松丸と長松は、この道中の休憩の折などに文字を教え始めた。



本堂の縁側から少し離れた日陰に、松丸と長松、半佐の三人は並んで腰を下ろしていた。

松丸は、拾った木片を地面に置きその上に小枝で線を引いた。


「これが『一』だ」


そう言って、真っ直ぐな一本線を描く。


「……一本、ですか」


半佐は小さく呟き、その線をじっと見つめた。


「じゃあ、これは?」


長松がその横に、同じようにもう一本線を引く。


「……二、ですね」


半佐は頷き、少し間を置いてから、恐る恐る枝を取った。

指先に力が入り、線はわずかに歪んだが、形は崩れていない。


「お、悪くない」


松丸が言うと、半佐は一瞬だけ目を伏せた。


「……畑の畝を引くのと、似ております」


「そりゃそうだ」


長松が笑う。


「真っ直ぐ引けなきゃ、どっちも困る」


半佐はもう一度線を引いた。

今度は先ほどよりも、わずかに真っ直ぐだった。


文字は知らなくとも、手を動かすことには慣れている。


「次は『三』だ」


そう言われ、半佐は迷わず三本目の線を引いた。


松丸と長松は顔を見合わせ、声を潜めて笑った。


「文字ってより、形を覚えてる感じだな」


半佐は聞こえないふりをして、木片の上の線を見つめていた。

それは、今まで触れたことのない世界への、細い入り口のように思えた。


やがて、境内の方から兵庫助の呼び声がかかる。


「お呼びだ」


長松が言うと、半佐は枝を置き土の付いた手を払った。

そして、描いた線が消えないようにと、一度だけ振り返る。


「……また、教えて頂けますか?」


松丸は、少し驚いたように目を瞬かせてから、にっと笑った。


「もちろん」


長松も頷く。


半佐はそれ以上何も言わなかったが、胸の奥にこれまでにない温かさが残っていた。







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