3-5 美濃道中
誤記訂正しました。
今須宿を抜け、街道から少し外れた辺りでひっそりと廃れた寺を見つけた。
一行は軒を借り、雨に濡れた身を休めることにした。
水無月(6月)とはいえ、肌にまとわりつく雨の冷たさは堪える。
火を起こすことも叶わず、みな黙して身を縮めるのみであった。
すると、一人の足軽が突然立ち上がり無言で手に槍を構えた。
松丸がその目線の先を見ると、寺門の脇のあたりに霧雨に霞む複数の人影が揺れていた。
松丸の背筋にぞくりと寒気が走り、思わず身体がこわばる。
慌てて長松と共に廃寺の奥に居る御方様方、兵庫助、性慶の下へ駆け寄る。
「何者かがまいります!」
「一人ではござりませぬ!」
声を揃えて告げると、兵庫助は素早く動き、
「ここに居れ!」
と二人に告げるや、脇に置かれた太刀を手に取りすぐさま表へと向かった。
沈黙が流れる。
誰何する声や争う音も聞こえず、しばらくしたのち兵庫助が走り帰ってきた。
堂内に戻るなり
「すぐに出立いたしましょう」
そう言うと此方を見て
「儂が行ったときは既に人影無く、何者かは分からぬ。
物見かもしれぬ」
声を潜めて言った。
「この雨じゃ。向こうも姿を見られるとは思っていなかったのかもしれん」
そう言うと脱いでいた蓑と笠を身に纏った。
松丸も長松と共にすぐに表へ出た。
御方様方を輿に乗せ、境内に一揃いすると兵庫助は馬に乗り
「出立!!」
と声を張り上げ一行は出発した。
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出発して間もなく、兵庫助が騎乗のまま松丸らの殿に馳せ寄り言った。
「後方の見張り頼むぞ。
先程の者らが物見であった場合、奇襲を受けるやもしれぬ。
少しでも怪しかった際には間違いでもかまわぬ。声を上げろ。
そして…己の身は己で守るのだぞ」
言い終わると、兵庫助は再び先方へと戻っていった。
松丸と長松は自然に目を合わせうなずく。
後方、左右に目を配りつつ、松丸は思案していた。
松丸は、幼い頃から武芸と学問を習ってきた。
特段秀でていたわけではないが、槍と刀は平均的な腕前で、小弓なら多少自信がある。
しかし、人を切った事はなかった。
また、切り付けられたことも。
練習の相手は藁束であり、当然ながらそこに血は通っていない。
戦場に出たこともなく、そのありさまは本や口頭でしか見聞きしたことは無い。
この戦乱の世の中、武士たるものいずれは戦場に出る。
しかし、
敵と対峙した時に、果たして自分はその槍を突き刺せるだろうか。
刀を抜き切る事ができるだろうか。
心の奥底で、冷たい泥のように足先から胸まで重く沈み込む不安。
そのときだった。
「敵襲ーーーーーーー!!!!」
叫びが雨を切り裂く。
右前方の道へ矢が幾本も刺さった。
遠方から射たのであろう、奇跡的に誰にも矢は届いていない。
松丸の体が一瞬、まるで石のように硬直した。
雨で冷えた肌を走る寒気とは違う、骨の奥まで凍りつく恐怖。
頭で理解しているが手足の先まで届かない感覚。
「散っ!!!!」
兵庫助の声が雨粒を震わせるように響き渡る。
「松丸っ!」
長松が腕を掴み、身体ごと頭を下げさせる。
「すまぬ…」
ようやく絞り出した声は、自分の耳にもかすかに震えて届いた。
雨に打たれた松丸の髪が顔に張り付く。
心臓の鼓動は耳を突き破らんばかりに高鳴り、手足の震えは止まらない。
それでも、頭のどこかで小さな声が繰り返す――
『止まるな』
言葉に出したわけではない。
だが心は動いた。
震える手で槍を握り直す。
雨で滑る手のひらをぎゅっと握りしめる。
視界はまだ揺れているが、恐怖の凍りついた膜が少しずつ溶けていく感覚。
松丸は長松にうなずき、雨と泥の中、体を低くして少し前方に進み出した。
「…まずは、身を守る」
松丸はそう言うと、槍を構えて矢の飛んでくる方向をしかと見据えた。




