33-7 丹波【どうする半佐】
その日の夕餉の後、広間にはまだ熱気が残っていた。
酒は控えめだが、皆の頬はどこか上気している。
「さて――新居よな」
永重が改めて切り出すと、重兼が待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「場所はどうする?城下に構えるか、それとも少し外れにするか」
「城下の方が何かと便利ではあるな」
伊織が静かに言う。
「いやいや。静かな場所も良いぞ。なんといっても新婚だぞ?」
重兼がにやりと笑う。
「し、新婚とか申さないでください……!」
半佐が思わず顔を赤くする。
「もうその言葉に照れるのね」
同席していた、松丸を抱く雪乃がくすりと笑った。
その声音は柔らかい。
半佐はほんの一瞬だけ目を伏せた。
「某は……どこでも構いませぬ。皆様のお考えに従います」
半佐が真面目に言うと、月心が小さく首を振った。
「それではいけませぬな」
「……と、申されますと?」
「これからは、半佐殿が主にございます。
御自身と、そして迎えられる御方のために考えねばなりませぬ」
その言葉に、場が少し静まる。
永重が頷いた。
「その通りだ。半佐。遠慮はいらぬ」
半佐は少し考え――やがて口を開いた。
「……できれば、水の近くがよろしいかと」
「水?」
伊織が聞き返す。
「はい。井戸でも、川でも。
日々の暮らしに不自由がなく、四季を感じられる場所がよいかと存じます」
「ほう……」
永重が感心したように笑う。
「良いではないか。質実で長く住むには何よりだ」
「それに……」
半佐は少しだけ言い淀み、続けた。
「綾殿が見知らぬ地に来られても、少しでも心安らぐような場所であればと……」
その言葉に、重兼がまた鼻をすすった。
「……良い男になりおって……」
「また泣いてる」
夕霧が呆れながらも、どこか優しく言う。
「では場所は、城下から少し外れた川沿いにしよう」
永重がまとめに入る。
「広さはどうする?」
「最初は控えめでよいでしょう。ただ……客間は一つ欲しいかと」
伊織が言う。
「兵庫助様が来られるやもしれぬ……」
月心が静かに補う。
場が静まる。
「ひえっ……」
半佐の背筋が伸びる。
「義父殿が来られるのだぞ?当然であろう」
永重が笑う。
「それに、我らも押しかける」
重兼。
「控えめに言っても頻繁に、ですね」
夕霧。
「静かに酒を飲む場が必要です」
伊織。
「……それはもう客間では足りぬのでは?」
半佐が真顔で言うと、場に笑いが広がった。
「では庭も必要だな」
永重が続ける。
「庭……」
半佐が呟く。
「うむ。小さくとも良い。
花でも植えれば、季節ごとに楽しめる」
夕霧がふと口を開いた。
「綾殿は……花はお好きなのかしら」
「……それは、まだ分かりませぬ」
半佐が答える。
「ならば、好きになって頂けるようにすればよいのです」
夕霧が静かに言った。
その言葉に半佐は深く頷いた。
「うん」
しばしの沈黙。
だがそれは重苦しいものではなく、
これから始まる新しい暮らしを思い描く、穏やかな間であった。
「よし、決まりだ」
永重が手を打つ。
「場所は川沿い。
家は質実、客間あり、庭付き――」
「そして、皆が押しかける」
重兼が付け加える。
「それは余計だ」
伊織が即座に返す。
笑いがまた広がる。
その中心で、半佐は静かに息をついた。
――三ヶ月後。
その時、自分はどんな顔で綾殿を迎えるのだろうか。
不安がないわけではない。
だが、それ以上に。
「……楽しみ、にございますな」
誰にともなく呟いたその言葉に、
夜風がそっと応えたように、障子がかすかに揺れた。
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それから十日後。
半佐のもとに一通の文が届けられた。
差出は――広瀬兵庫助。
「……」
半佐はしばし、その文を見つめたまま動かなかった。
居住まいを正してゆっくりと封を切る。
中には、簡潔でありながらも力強い筆致の文があった。
――此度の縁、まことに喜ばしく思う。
――娘、綾のこと、よろしく頼む。
――いずれ面会の折、詳しきことは語ろう。
それだけであった。
「……はっ」
半佐は思わず膝を正し、文に向かって深く頭を下げた。
その姿を見ていた重兼が後ろからそっと声をかける。
「来たか」
「はい……兵庫助様より」
「なんと書いてあった?」
「……短い文にございます」
半佐はそう言いながらも、その表情にはどこか引き締まったものがあった。
「うむ。あの御方らしい」
永重も頷く。
半佐は文を丁寧に畳み、懐に収めた。
――認めていただかねばならぬ。
改めて、その重みを感じる。
ただ妻を迎えるだけではない。
恩人の娘を預かるのだ。
その責は、軽いはずがなかった。
その日の夕刻。
半佐は一人、建設予定の川辺に立っていた。
水はゆるやかに流れ、風が草を揺らしている。
「ここに……」
まだ何もない。ただの空き地だ。
だが――
ここに、家が建つ。
ここで、暮らしが始まる。
ふと、見知らぬ少女の姿を思い浮かべる。
綾。
どんな声で話すのか。
どんな顔で笑うのか。
――自分は、その隣に立つのだ。
「……」
半佐はゆっくりと息を吐いた。
「未熟にございますな」
誰に向けたでもない言葉。
だが次の瞬間、ふっと表情が緩む。
「だからこそ――」
一歩、前に出る。
「励まねばなりませぬな」
川の流れは変わらない。
だが、その音はどこか力強く聞こえた。
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その頃。
遠く美濃広瀬。
一人の少女が、庭先で花を見つめていた。
「綾様」
侍女が静かに声をかける。
「……はい」
振り返ったその顔にはまだ幼さが残る。
だがその瞳には、確かな意志の光があった。
「丹波……あちらへ嫁がれる日も近うございますね」
「……はい」
綾は小さく頷く。
「どのような御方なのでしょう」
侍女の言葉に、綾は少しだけ考え――
「……わかりませぬ」
正直に答えた。
「けれど」
そっと花に触れる。
「父が認めた御方です」
その言葉は静かで、しかし揺るぎなかった。
「きっと……大丈夫でございます」
風が吹く。
三ヶ月後へ向けて、すべてが少しずつ動き出していた。




