エピローグ
「……お疲れ」
獄吏長室に入った時、獄吏長はそう呟いた。尋問官が頭を下げると獄吏長は無言で悩み始めた。そんな獄吏長に尋問官が囁く。
「ちなみに〈悪魔〉は、なぜ獄吏長に心を開いているのですか? 『獄吏長の依頼だ』と言った途端に態度が大きく変わりましたが」
その言葉に獄吏長は笑う。
「私が人間でないからだろう」
尋問官はそれを聞いて、首をかしげた。彼がれっきとした人間に見えたようだ。
「結局、獄吏長が話を聞かない理由が分かりませんでした」
そう呟く尋問官に獄吏長は一言で答える。
「憎悪は愛着がある人間にほど強く燃えるからな」
その答えを聞いて尋問官は首をかしげる。別に職務上の付き合いだから〈悪魔〉に憎まれようと良い気がするが。まぁ、追及しても仕方ない。
「ヒトの味についての話、アレは何だったんですか?」
当然のような質問に獄吏長は唸る。だが、獄吏長の中でも何かがあるようだった。
「まぁ、理解はしてやれるが私にその趣味はない、としか言い様がない」
その言葉の意味を尋問官は理解できなかった。
「どちらにせよ〈悪魔〉が本当の悪魔だったら、悩むことも無いと思いますけどね」
そう笑う尋問官を獄吏長は「ほう……」と言いながら見つめる。何か思うことがあったのは分かったが、尋問官には理解できなかったようだ。
「にしても、〈悪魔〉の子は誰との子ですかね」
尋問官の呟きに獄吏長は「ご苦労」と尋問官の肩を叩く。〈悪魔〉の愛した存在が分からないような人間は、お役御免だ。獄吏長が「忘れられない料理についてでも考えると良い」とだけ言うと、疑問そうな顔をしながらも尋問官はしぶしぶ立ち去った。締められた扉を眺めつつ、獄吏長は呟く。
「悪魔の存在も理想上、か」
その呟きに答える存在は居ない。当然だ。部屋には獄吏長しかいないのだから。ただ、獄吏長は答えを求めても居なかった。
「こうやって悩めるだけ、私も人間なのかもな」
獄吏長はそう言いながら伸びをする。
「これから私は、彼女をどう扱えば良いのだろう」
そう呟く獄吏長には一つだけ誇りがあった。誰にも手を下したことがないことだ。しかし、今回の件で上から死刑執行を頼まれると噂されている。担当ではないが〈悪魔〉に一番懐かれているのは、この獄吏長だったからだ。正しい量刑のためにも、この獄吏長の言葉が信頼されるだろう。
ただ、獄吏長は分かっている。おぞましい悪魔さえ手にかけたら殺したことに変わりない。法律の命令であろうと、彼女を殺したら獄吏長も悪魔の仲間入りだ。今、こうして手を下されない〈悪魔〉は上位存在の気分だろう。しかし、いずれ彼女も他の存在と同じように殺される。それを獄吏長はどう捉えるべきか迷っていた。
「私の存在意義と〈悪魔〉の存在意義はは何だろうな」
それを見いだすのは自分じゃない。ただ、極刑であろうから〈悪魔〉は世間に遺体を晒されるであろう。死んでまでいじめる、この世界の残酷さを思えば、〈悪魔〉への同情さえ覚える。
「悪魔なのに捨てられないんだろうな。自身があくまでないことを証明する為に悪魔が必要ってことだろう」
獄吏長は勝手に結論づけると煙草に火をつけた。煙草の煙を吸いつつ、獄吏長は呟く。
「しかし、〈悪魔〉の子供をどうすれば良いんだ。第二の災害になりかねんぞ」
報告書には〈悪魔〉の子供が孤児院で行ったいじめが多く扱われている。しかし、それを遺伝だと断定するには少し難しいものもある。もはや、ここまで来ると、恐らく、生育歴や生まれた環境自体が呪いになっている恐れさえある。生まれなかった方が良い存在、ってやつだろう。
「なぜ、人間なんて歪な生物が生まれたのだろう」
その答えを知る存在は恐らく、居ない。ただ、子供に罪があるとは思えなかった。だが、恐らく目の前で子供を殺された上で、彼女は生かされる。生きることは罰であり、贖罪だから……。
「長い付き合いになるかもしれない以上、恨みは買えないのだよ」
本人が居ないにもかかわらず、獄吏長は尋問官の問いに遅れた答えを出す。そして、誰も居ないことを理解しつつ、呟いた。
「一体、この国はどうなっているんだ」
そう呟く獄吏長が居るのは、いつかの日本かもしれない。