悪魔と青年
人間は学習性無力感によってヒト以下に落ちると、ヒトじゃないから自殺さえできない。その証拠に、何度、ボクは自殺しようとしたことか。しかし、ボクは一度たりとも自分に刃を立てることさえ出来なかった。それは自分に誇りがないからだった。自殺は、逃げるための行為でなく、誇りを守るためにする行為だ。そのために必要な肝心の誇りをボクは失っていた。
正直、ボクは墜ちることが怖くなかった。犯罪だって怖くなかったし、死にそうなことばかりしていた。しかし、肝心の所で死の恐怖に怯えて逃げてしまう。そして、自殺しようとしては死ねないことの繰り返しだ。ボクはこのループに辟易としながらも抗うことが出来ていなかった。
だけど、ボクはテレビを見ているときに気づいた。自分で死ぬことが無理ならば、他人に殺してもらえば良いと。そして、たどり着いたのが〈他殺募集・他殺希望〉というボクの願望にピッタリなサイトだった。
「ここまでを聞いて言うことは?」
木漏れ日の差す獄房で、牢屋越しの尋問官に〈悪魔〉は答える。
「別に私の話じゃないから何もないよ。ただ、彼がそんな文章を残してるとは思っていなかった」
尋問官は「そうですか」とだけ言うと話を続けた。
「そして、そこで彼はあなたを選び、接触する。そのときの履歴の概要としては死に方についてだった。ここからなら、話せるだろう?」
尋問官の言葉に〈悪魔〉は笑う。
「忘れたいけどね。覚えているよ」
不気味にも〈悪魔〉はそう言いながら舌なめずりした。
「彼はね、見下されて死にたいって答えた。自分が人間以下だと証明して〈生きていてもしょうがないし、死んでもしょうがない〉ようなちっぽけな存在だと認められたかったと言っていた」
尋問官は〈悪魔〉の答えと資料を照らし合わせつつ、話を進める。
「そもそも君はなぜ殺す側としてサイトを利用していたのですか?」
鼻で笑う〈悪魔〉は「愚問ってものじゃないかい?」と言う。サイトの利用履歴から分かることだが、尋問官は本人に言わせたかったようだ。
「罪の自白は量刑に関わるぞ」
その脅しに〈悪魔〉は「気にしないね」とだけ答える。尋問官は「そうか」とだけ言うとメモを取る。
「一応、こちらの調べでは何回か人を殺したことがあるとなっているが」
それを聞いて〈悪魔〉は「いや、彼が私の初めてだよ」と答える。資料にない言葉に尋問官は眉をひそめつつ「嘘だろう?」と尋ねる。しかし〈悪魔〉は揺らがなかった。
「ここだけはきっぱり言うよ。これが初めてだ。彼に対して、腕を信頼してもらうために殺したことがあると言っているが、私は誰も殺したことがなかった。私はまだ、理想になりきれていなかったからね。だから、殺していない」
その言葉を一言一句書き漏らさずに尋問官は問う。
「理想、ですか?」
尋問官の問いに〈悪魔〉はハキハキと答えた。
「私は今でこそ〈悪魔〉と呼ばれる理想上の存在だが、昔はそうじゃなかった、ってだけの話さ」
尋問官は首をかしげながらもメモを取る。〈悪魔〉は「まぁ、人間には分からんよ」とだけ呟いた。そんな彼女も見た目は十分に人間だった。
「なぜ、あなたは〈悪魔〉なのですか?」
それを聞いた〈悪魔〉は笑う。
「私は、自分のことを人間では無いと思ってるけど、ただ、天使になり損ねたのは惜しいとは思っているよ」
尋問官は奇妙な答えに眉をひそめた。補足すべきと思ったのか〈悪魔〉は語る。
「私は残念ながら、全てのヒトを慈しめるような器はない。あくまでも私にあるのは代償を糧に求めるものを与える器だ。だから、何かを奪わずに何かを与えることは出来ない。従って、君たちには〈悪魔〉に見える」
その言葉を尋問官は一言一句漏らさない。その様子を見て、気分が良くなったのか〈悪魔〉は続ける。
「私は等価交換でないにしろ、ちゃんともらったモノは返したつもりだ。青年は死ぬことを望んでいたから殺した。まぁ、生かしてやるのも良かったが、私が生きるか尋ねたとしても、彼は悩んだ末に死ぬことを選んだと思う」
その言葉を聞いた尋問官は首をかしげた。
「しかし、彼の残した文章の末尾は以下のようになっています」
尋問官は仰々しく文章を読み上げる。
もうすぐ、彼女とで会って一年だ。明日、彼女にサプライズをしようと思う。喜んでもらえるかな。
その言葉を聞いて〈悪魔〉は顔をゆがめた。
「覚えは?」
そう尋ねる尋問官に〈悪魔〉は答えた。
「……あるよ。彼は婚姻届を用意していた」
その言葉に尋問官は耳を疑う。
「本当ですか?」
尋問官の問いに〈悪魔〉は苦笑する。
「彼を弔うつもりで燃やしたから、もう、実在しないけどね。確かにあったよ。私はかなり動揺したね」
その言葉を聞いて尋問官は尋ねる。
「なぜ、殺したのですか?」
尋問官の問いに〈悪魔〉は笑う。
「彼も分かっていたからだよ。私は最初に一年以内に殺してあげる、って言ったからね」
それを聞いた尋問官は尋ねる。
「そもそも、馴れ初めはどのような感じだったのですか?」
その問いに〈悪魔〉は笑った。
「あれはね……確か、クリスマスの日だった」
その言葉をきっかけに〈悪魔〉の独白が始まる。