夏の近江屋事件
プロローグ
左手で抜刀した真刀の重みと切先が皮膚を切り裂き骨にあたる感触。三十年近く経ってもそれは消えない。夢か現か、目覚めているのか眠っているのか、自分でも判断がつかない。彼の人を斬った。私はその罪を償えているのだろうか、私の人生は正しかったのだろうか、とまどろみの中、反芻する。
そして静かに息を引き取った。
第一章 ご指名
「よう!四宮!今年の夏も暇なんだろ?」
窓際の席で教室の窓を全開にし、初夏にして既に猛暑の熱気を風で紛らわそうとしている僕は唐突に声をかけられた。
「なんだ。二階堂くんか。昼休みの野球部の筋トレはいいの?」
と質問には答えず、聞き返す。
「今年は惜しくも甲子園を逃したからな。今は地獄の夏合宿前の束の間の休息だ」
「ふーん。そっか・・・。でも"今年は"じゃなくて"今年も"だよね、甲子園、逃したの。来年は最後なんだからガッツリ練習した方がいいんじゃないの?それに暇だろって決めうちは心外だよ。あ、そう言えば去年もこの時期、同じように暇だろって聞かれたことを思い出したんだけど」
「細かいことは気にするな。しかし、察しがいいな。話が早くて助かる。今年も頼むよ」
細かいことって・・・。むしろ高校生の野球部員にとっては最も大きなイベントではないのか?それに今年も頼む、とは・・・。去年の夏休みの出来事が頭をよぎる。二階堂くんの姪の歩美ちゃんーーー当時は小学五年生ーーーの夏休みの宿題の手伝いを軽い気持ちで引き受けた。まさか今年「も」ってそれか?
去年の歩美ちゃんの宿題は自分の身の回りにある商品を一つ選んでその製造工程を調べるという社会科の自由研究だった。歩美ちゃんはクラフトビールを選んだ。僕はビール工場の製法をインターネットで調べれば良かろうとタカを括っていたが、当てが外れた。
大規模なビール工場のビールと地域に根ざしたクラフトビールは違う!とのたまう歩美ちゃんの求めるクオリティーが高く、クラフトビールについて調べ、工房を探し、訪れ、話を聞いた。調べれば調べるほど奥が深く、まとめるのに苦労した。エールとラガーの発酵の違い、白ビールと黒ビールの原料の違いなど、ビールの一般的な知識や、クラフトビールならではの水、原料、鮮度へのこだわり、地元愛など、お陰でビールについてはかなり詳しくなった。残念ながらまだ高校生なので味わうことはできなかったのだけれど。
そんなこともあり、今年は即答を控えることにする。
「まだ"やる"とは言わないけど、今年はなにかな?」
「"やらない"とも言わないんだな。今年の宿題は歩美に聞いてくれ。歩美が去年の四宮先生のご指導をいたく気に入ったようでな。是非に、とのご指名だ。明日終業式だから午後にでも話を聞いてやってくれ」
第二章 夏休みの宿題
翌日、僕は快適に冷房の効いた二階堂くんの家に来た。氷で冷やしたコーラ付きのおもてなしだ。そこには二階堂くんの姪、歩美ちゃんがいた。
「四宮くん!今日はありがとう!」
そんな事を言われると、まだ引き受けるかどうか決めていない、とは言えず無難に挨拶する。
「やあ、歩美ちゃん、久しぶり。背が伸びたねぇ〜!元気だった?」
前歯の永久歯が大きく見えてまだ顔の輪郭は子供のあどけなさを残しているが、凛とした雰囲気がある。
「うん!元気!四宮くんは元気?」
「うーん、まあ、これから聞く宿題の内容次第かな」
「そっか!じゃあきっと四宮くん、元気でるよ!」
前向きないい子だ。この勢いに負けて去年は引き時を逸してしまった。今年も既にこの一言でペースを握られた気がする・・・。
こんな利発な歩美ちゃんの宿題に何故、高校生の僕が必要なのかというと、歩美ちゃんの問題設定能力が高すぎるのである。そして、非常にアンバランスなのだが、設定した問題に対し歩美ちゃんの問題解決能力はまだまだ子供なのだ。したがってその問題を解くのに高校生のサポートが必要、という構図なのだ。
とりあえず話を聞いてみる。小学六年生では歴史を学ぶ。歩美ちゃんの夏休みの宿題とは、自分で興味のある歴史上の出来事を一つ取り上げ、自分なりに調べる、というものだ。郷土の史実でも教科書に載るような史実でも良い、とのこと。そして歩美ちゃんが取り上げた課題は"坂本龍馬暗殺"だそうだ。
「歴史ってね、どんどん変わってるんだって。ううん、歴史は過去のことだから変わらなくって。だから歴史が変わってるんじゃなくて、これまで信じていたことが、実は違ってたってことがわかったりして、実はこうだった、ってふうに歴史が変わったんだってさ」
うん、うん。日本語がおかしいけど言いたいことはわかるよ。
「例えば、ピラミッドは奴隷が作ったんじゃなくて公共事業だった、とか、上杉謙信が実は女だったとか、武田信玄がゲイだったとかね!」
ん?後ろの2つは都市伝説的な話ではないか?
「そっか。そうゆうの、あるよね。源義経が生きていてモンゴルに渡ってチンギスハーンになったとか。明智光秀も実は生きていて家康の家来になったとか。イエスキリストが青森の戸来村に住んでたとか」
「えー。それは嘘だよ。そんなの都市伝説だよー」
そうだよ。都市伝説だよ。君が言った上杉謙信と武田信玄の話しとそんな変わらないと思うが、なぜに否定する?まあいいけど。
「で、龍馬暗殺の何を調べるの?」
ここからが肝心だ。自由度が高い課題なので、歩美ちゃんは昨年同様に自分でハードルを上げるだろう。きっと単に教科書的な事実を調べるだけでは収まらない。
「うん。あのね、龍馬暗殺が1867年。で薩長同盟はその前の年の1866年に既に成立してて。大政奉還は龍馬暗殺の年なんだけど暗殺の前にはもう済んでいてさ。でね、暗殺後の1868年にはすんなり江戸城は開城されて。戊辰戦争は1868年1月に鳥羽伏見から始まってて江戸城開城がありながらも1869年の五稜郭まで続いてて。よくよく考えると龍馬暗殺の意味ってよくわかんないんだよね」
またしても日本語が成立してないけど、言わんとしていることはなんとなくわかるよ、うん。
「んーっと、暗殺前に大政奉還があったから、少なくとも龍馬暗殺により大政奉還が止まると言うことはあり得ない。江戸城開城や明治維新の本格的な倒幕は龍馬暗殺後も着実に進んでいるから、龍馬暗殺の前後で何か大きく歴史の潮目が変わったってことはないんじゃないのか、ってことかな?」
「そう。それ!四宮くん、頭良いですね!龍馬暗殺のあと薩長同盟が反故にされたとか、戊辰戦争で幕府が勝利したとか、明治維新の流れが変わっていれば、暗殺の歴史的な意味があったのかもしれないけど。それでね、もし龍馬が暗殺されてもされなくても歴史があまり変わらないなら、なんで殺されたのかなぁ、って」
ふむ。なるほど。僕が小学生のころはこんなこと考えもしなかった。
「一緒に考えてよ!」
うーん。興味はあるけど、どうしたらいいんだ、この宿題は。本気の学者が色々と調べても今もって謎じゃん。僕は理系クラスだから日本史には詳しくないし。
「四宮よ、そんな深刻な顔するな。小学生の夏休みの宿題だ。お前が歴史を書き換えるわけじゃない」
いや、そんなこと言うなら二階堂くんが手伝えばいいじゃん、と言いたいが
「一緒に考えようよ!四宮くん!」
と歩美ちゃんからのダメ押し。
「うーん、そうだね。少し考えさせてくれ」
「よし、決まりだ。よかったな、歩美!」
はっ!違う。引き受けるかどうかを考えさせて欲しいと言う意味だったのだが。やばい。一緒に考える、と解釈されてしまった!
「ありがとう!四宮くん!」
第三章 現場
さて、どうしよう。引き受けたことになってしまった。一体、どこから考えればいいんだろ。
自分なりに考え方の筋道を立ててみる。事実確認、それに基づく仮説立案、そして検証と言った感じか。いや、検証は無理だな。妄想に近い仮説の立案で終わるだろう。その程度でも夏休みの宿題としては体をなす。
「あのさ、歩美ちゃん、二階堂くん。歴史の流れが関係ないとしても、何が起こったのか史実を知ることは大事だよね。だからまずは現場の状況は調べたいよね」
「おお、現場ときたか。なるほど、刑事ドラマみたいに考えるわけだな」
「現場に赴くのは無理だけど、今、伝わっている情報は調べた方がいいと思うんだ」
「そうだな。よし、歩美、調べてみろよ。で、明日にでもまた捜査会議だ!いいよな、四宮!」
「お、おう」
捜査会議って・・・。もう気分は刑事ドラマなんだね。すっかり今年も巻き込まれてしまった。
翌日、再び二階堂家。まずは歩美ちゃんからインターネットで調べた情報を報告してもらう。現場百遍とは言うけれど、全く現場を訪れずに捜査が開始された。
現場は京都河原町蛸薬師下ルの醤油商・近江屋新助方の二階。今は近江屋跡地の立札があるのみである。下ルとあるので南北に伸びる通り沿いとのこと(ちなみに東西を表現するときは西入ル、東入ルと表現するらしい)。東側には鴨川が流れる。
そこに龍馬は同じ土佐(現、高知県)出身の中岡慎太郎、岡本健三郎と共にいた。龍馬が「軍鶏鍋が食べたい」と言うので、使いの者が近所の店に肉を買い出て、その際に一緒に岡本は辞去した。
「軍鶏って食べていいの?」
と僕。
「そりゃニワトリだから、食えるだろ」
と二階堂くん。
「軍鶏は今は天然記念物だよ」
と歩美ちゃん。
そんなものを食べるなんて。それだけでも罪深い。もしかして、動物愛護団体にやられてしまったのでは?と言うと、うーん、そうかぁ、と二階堂くん。いやぁ、思いっきり冗談なんだけどな。これは先が思いやられる。
歩美ちゃんからの報告は続く。使いの者が買い物に出たその少し後、数名の者が龍馬を訪ねて来て、それらの者達に斬られ龍馬は絶命し、中岡は重傷を負いニ日後に亡くなる訳だが、当時、まだ息のあった中岡から聞いた事件の様子が残っている。
「今夜五ツごろ(20時頃)、両人四条河原町の下宿に罷りあり候ところ、三、四人の者参り(中略)やにわに抜刀にて才谷(龍馬の偽名)、石川(中岡の偽名)両人へ切りかけ候ところ、不意のことゆえ、両人とも抜き合い候間もこれなく、そのまま倒れ候よし。下男もともに切られたり。賊は散々に逃げ去り候よし。才谷は即死せり。」とある。
この記述では相手は3、4人。龍馬側は店の者や下男、中岡もいるから、賊は人数で圧倒しようと言うわけではなさそうだ、とまずは僕らなりの仮説を置く。
やにわに抜刀とは、いきなり刀を抜き、という意味だが、どの状態からいきなり斬りかかったのかイマイチ定かではない。ここは解釈に幅がありそうだ。
報告はまだ続く。他のウェブサイトの情報では、階下で取り次いだ藤吉(龍馬の家来だそうだ。先の証言の下男か?)が先頭に立ち階段を上がると、背後からいきなり斬られて転倒したことになっている。直後、二人の武士が龍馬と中岡のいる座敷に殺到。火鉢を挟んで座っていた龍馬と中岡を斬りつけ、龍馬は額を割られた、らしい。それでも龍馬は背後の床の間にある刀を取ろうとするが、背を袈裟斬りにされた。さらに続く三太刀目を鞘のまま刀で受けるが、相手の刀が再び頭部を斬り、昏倒。中岡も後頭部に重傷を負った、ということらしい。
中岡の証言とされている先の情報とは異なり、かなり具体的に争いの記載がある。しかしながら中岡の証言以上に詳細な情報はどこから出てるのだろうか?中岡の証言をかなり脚色しているように思える。
「歩美、よく調べたな」
「ネットの情報を集めただけだけどね」
「歩美ちゃん、頑張ったね。どうやって斬られたかを確定する確たる証拠はないみたいだね。歴史のドラマなんかでは龍馬が額を真横に斬られるシーンもあったよね。それに何か根拠があるのか追加で調べてみるね」
と言い僕はスマホでネットを漁り、あるウェブサイトの記載を見つけた。額を割られたのは龍馬の傷痕から確からしいが、どのように斬られたかについて、憶測が述べられてある。
曰く、龍馬の額の傷は横一文字に切られており、同じ目線の高さで刀を横向きに抜いた証拠である、としている。この傷をつけるためには、龍馬と向かい合って座っていないといけない。
武士は通常、体の左側に帯刀し、右手で抜刀する。座って相対する時は敵意がないことを示すため、刀を腰から抜き自分の右側に置く。つまり、龍馬と向かい合って座った相手がこの傷をつけるならば、座ったまま右にある刀を抜刀し、一気に致命傷を負わせた、ということになる。右に置いた刀を左手で抜刀し、そのまま真横に斬りつけることができたことから、相手は左利きの剣士、新撰組の斎藤一だったのでは、と言う説もある。
「対面して座るって、顔見知りか?」
「その可能性もあるよね。仮説を大括りに分けてみると、不意に襲われた急襲説と、対面してから斬られた対面説とに整理できるかな。さて、急襲説と対面説、どちらを採用すべきか?二階堂くん、歩美ちゃん、どう思う?」
「どうも急襲説は無理があるな。藤吉を斬ってから龍馬に斬りかかるまでに、さすがに龍馬は戦闘態勢を整えるだろうな」
「わたしもそう思う」
と歩美ちゃん。
「そうだな。龍馬の剣の腕は相当なものだったらしいから、さすがに異常に気がついたら、相手の一刀目で額を真一文字には斬られないだろう」
「わたしもそう思う」
と再び歩美ちゃん。
「と、なると対面説の方が自然だ」
「わたしもそう思う」
と三回目も同じ相槌の歩美ちゃん。そんな調子で二階堂くんに任せて大丈夫なの?
「じゃあ、対面説と仮定すると、相手は誰だろう?少なくとも警戒している相手ではないよね。だから金で雇われた剣客でもない思う。藤吉が二階に通して、龍馬に対面して挨拶をする程度の見知った相手であったということかな」
「なるほど。四宮、いい仮説だね。巷で犯人とされている人物は?」
「明日までに調べておくよ」
と今日の捜査会議はここまでとなった。
第四章 スイッチヒッター
翌日、再び二階堂くんの家。僕は、龍馬暗殺の犯人についてネットで調べたことを報告する。
(1)土佐藩説=龍馬の活躍を快く思わない藩士という説をはじめ、(幕府から朝廷に政権を返す)大政奉還の功績(土佐藩の前藩主・山内豊信を説得し、大政奉還を建白させた)で名をあげた家老、後藤象二郎が、大政奉還が龍馬のアイデアだったことを隠すために殺害した。
(2)薩摩藩説=武力で徳川幕府を討ちたかった薩摩藩は、龍馬による大政奉還という平和的手段は、徳川の勢力を残す不本意なものであり、「龍馬は裏切り者」とみなして暗殺に至ったとする説。「(文献などから、仲がかなり良かったとされる)西郷隆盛が黒幕」という説まである。
(3)紀州藩説=龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の船が衝突した事故で、龍馬は沈没したいろは丸の賠償金を紀州藩に支払わせた。「御三家が下級武士に負け、恥をかかされた」とする紀州藩が、これを恨んで犯行に至ったという説。実際に海援隊は紀州藩を疑い、行動を起こしている。
(4)幕府説=実行犯そのものが京都の警備にあたっていた(幕府の組織である)京都見廻組か新選組という説が根強いことから、この説が有力とされる。特に京都見廻組だった今井信郎や渡辺篤が証言や記録で「自分たちが襲った」としており、新選組より京都見廻組の方が有力視されている。ただ暗殺に参加した人数など共通点があるものの、今井が後に証言を修正していたり、現場の状況と矛盾する点などがあるとして、信憑性について賛否両論があるのも事実。現場に新選組隊士の遺留品があったとして新選組も疑われているが、こちらも決定的証拠ではないという。
「うん。四宮、ありがとう。急襲説ならあり得るが対面説ではこれらは全て"ナシ"になる。なんてったってこれらの相手であれば龍馬はかなり警戒しているだろうからな」
「そうだよね。そもそも今回の宿題はこのような歴史の流れとは別の視点でアプローチして仮説を立ててみよう、というものだもんね。その趣旨からも、これとは関係ない人が対面して斬ったという仮説がいいよね」
まずは巷で囁かれている容疑者では対面説は成り立ち難いとわかった。思考停止になりかけた時、二階堂くんが視点を変える。
「巷の情報だけでは話が進まなそうだな。対面説を成し得る犯人像を考えてみるか?」
「誰?ではなく、どんな人物か?で考えてみるってこと?」
と、飲み込みのはやい歩美ちゃんが理解を示す。
「なるほど。その視点で考えると、さっきも言ったけど、顔見知りで、少なくとも警戒している相手ではないってことが必要だよね」
と僕。
「それに龍馬を仕留められるんだから剣術もそれなりの腕前なんだろうね」
と歩美ちゃん。
「左利きって点はどう考えればいいんだろうか?」
「左手で抜刀できるのは左利きだけとは限らない。野球でもスイッチヒッターっているだろ。スイッチヒッターは必ずしも元々両利きって訳じゃない。右打ちか左打ちのどちらかから練習して両打ちになることも多い」
「つまり、左手で抜刀する訓練をしてたってこと?」
「左利きに拘らずその可能性も考えた方がいいと思う。対面して刀を右に置いて龍馬を安心させてから斬るという想定で鍛錬していたのかもしれない」
確かに二階堂くんの言うことも一理ある。でも左手で刀を扱えるようになるまでにはかなりの訓練が必要だろう。それなりに動機がないと鍛錬が続かないだろうな。それにかなり非効率に思える。
「ちょっと回りくどいんじゃないかな。確実に仕留めようと思えばいろいろ策を弄するんじゃないかなぁ」
「理屈はわかる。例えば確実に仕留めるなら数で圧倒するとか、寝込みを襲うとかが考えられるよな。でも事実として比較的少人数で夜八時に決行している点と矛盾する」
「ん?ちょっとまって、二階堂くん。犯人は確実に仕留めなくても良いと思っていたってこと?」
「確実に仕留めるというよりは龍馬と対決してなんとか一矢報いたいってことなのかも知れない」
「うーん。つまり、目的は仕留めることではないと?」
「そうかもしれん。俺は今からお前を斬る、と龍馬に伝えたかった。あわよくば斬るが、その結果、返り討ちでも犯人は満足したのかもしれない」
と二階堂くん。
「それってなんかの復讐みたいだよね」
と歩美ちゃん。
龍馬に恨みを抱く顛末を思い出させ、その時、俺がどんな思いだったかわかるか!?とか言ってから斬る感じか。
「となると動機は?」
「歴史的な動機をなしとすれば、お金、怨恨、痴情のもつれ、ってとこだろうな」
「なるほど。そうなるとその中でお金絡みは消していいかなぁ。きっと生命保険とかかかってたわけじゃないから、龍馬を殺しても犯人は得しないもんね。怨恨や痴情のもつれといえば・・・」
「色恋沙汰だな」
そうだね、うん、うんと三人で納得し合い龍馬の色恋沙汰の線で行くことにした。
第五章 色恋沙汰
なかなか興味深い仮説だ。歴史の大局とは全く関係なく色恋沙汰で龍馬は殺された。その可能性が全くない、とは言い切れない。ま、全ては夏休みの妄想で、学術的な検証はしないのだけれど。
「色恋沙汰はいいとして、そもそも龍馬って、もてたのかなぁ?」
と歩美ちゃん。なるほど。まずは色恋沙汰がないとこの仮説は成り立たない。
写真を見るに、龍馬の見た目は悪くない、と思う。引き締まった体躯に意志の強そうな眉、目は細いが鼻筋は通っている。着物にブーツと言う今も当時もちょっと変わり者なファッションセンス。今の時代なら下北沢あたりを歩いていそうだ。
「わりとモテたんじゃないかな?女が寄ってこなかったとしても自分からグイグイいきそうだし」
と僕がこたえる。
「ふーん。そーなのかな。そーなのかもね。でもあまり誠実そうではないかも。なんか少し悪そうな感じ」
おおよそ小学生とは思えないコメントだが、まさにそれだ。
「だよね。その辺が色恋沙汰で命を落とした原因かもね」
「あり得るな」
と二階堂くん。
「一緒にいた中岡慎太郎の色恋沙汰に巻き込まれた、とかは?」
うっ、またもや小学生とは思えない鋭い指摘。
「いや、状況から見て、狙いは龍馬だと考えていいだろう。中岡は絶命してなかったし。残念ながら完全な巻き込まれだな」
「なんかシンプルに可哀想だね・・・」
と僕は素直な感想を述べる。
あり得なくはない、という感触を得たので、今日はここまでにしようか、と僕が言うと、二階堂くんが色恋沙汰で龍馬暗殺の条件が当てはまりそうな人物がいるから少し調べておく、と次回の調査役を買って出た。それに乗っかり次回は二階堂くんの報告を聞くことにして、今日は解散した。
翌日、二階堂くんからの報告を聞く。
「龍馬の妻は‘’おりょう‘’ってことになってるけど、実はお墓に自身は龍馬の妻(正確には龍馬室)って書かれている人が他にいる」
と言ってスマホで女の人の写真を見せる。なかなかの美人さんだ。
「へー。そーなんだ。それ誰?」
と歩美ちゃん。
「千葉佐那」
「誰それ?」
と僕。
「千葉道場の娘。龍馬の婚約者だったらしい」
「婚約者?千葉道場って?」
「まあ、慌てるな。順に説明する。千葉道場とは、江戸で龍馬が通ってた道場だ。龍馬はそこで北辰一刀流の免許皆伝したらしい。で、龍馬は千葉佐那と婚約していながらお龍と結婚した」
もう千葉佐那、フラれてるじゃん!全然、順に説明、になってないんだけど。
「まさか、佐那を不憫に思った、千葉道場の門下生が龍馬を襲ったとか!?」
と歩美ちゃん。
「かもしれん。だが佐那自身の可能性もある。なんでも佐那は14歳で北辰一刀流の免許皆伝したらしいぞ。当時は才色兼備の千葉道場の鬼小町と呼ばれてたらしい」
佐那が龍馬を斬る!?なるほど。冬の寒い中、会いにきたら部屋に通さないわけにはいかない。相対して座るのも充分あり得る。
ここでようやく二階堂くんが千葉佐那について説明してくれる。
佐那は北辰一刀流桶町千葉道場主「千葉定吉」(ちばさだきち)の次女として誕生した。佐那は1838年生まれ、龍馬は1836年生まれなので龍馬の2つ下になる。
佐那と龍馬の出会いは、龍馬が千葉道場に入門した1853年頃と思われる。当時、佐那は15歳。既に免許皆伝の腕前であったが、龍馬への剣の指南は佐那より14も上の兄、重太郎が行ったと言われている。
その後、1854年に龍馬は土佐に帰国するが、2年後1856年に再び千葉道場の世話になる。そして婚約をしたのは1858年、佐那は20歳であったと言う。
「ここまでは順調だね」
「そうだな。ここからが問題だ」
龍馬は1864年4月に京でお龍と出会う。同年12月に江戸に来た坂本龍馬は千葉道場も訪問したが、千葉佐那とは一言も話をしなかったとされている。
口も聞かないなんてこの頃から既に後ろめたい何かがあったのか?
そして1866年1月にお龍が龍馬の窮地を救ったと言われる寺田屋事件が起こる。それが決め手となり2月に坂本龍馬はお龍と結婚。
「やっぱり龍馬に誠実さはないね」
と歩美ちゃん。
「そうだね。龍馬、これはいかんだろう」
「な、四宮もそう思うだろ。千葉佐那犯人説、どう思う?」
そう言う視点で見ると、龍馬が結婚した翌年の龍馬の暗殺は、そう見えなくもない。
「動機ははっきりしている。佐那は婚約してたのに裏切られたんだからね。クロ、だな、千葉佐那」
「わたしも同じ立場ならブチ切れて刺しちゃうかも」
「よし、じゃあ四宮センセ、シナリオを整理してもらえないか。宿題の仕上げだ!」
あ、そこ、僕がやるんだ・・・。
第六章 千葉佐那、京にて
京都河原町蛸薬師―――
体の芯まで冷える凍て付く寒空の下だが、佐那は身体の火照りを感じ、どこか地に足が付かぬ心持ちである。しかし頭は冴え、これからしようとしていることには微塵の迷いもなかった。
「さな子姐さん、俺はいつでも大丈夫です」
「束、くれぐれも言っておくが、お前の任務はわかっているな?」
「はい。邪魔をする奴は斬る。それから・・・」
「そうだ。もしわたしが斬られたら、痕跡を残さぬよう、わたしの骸を、せめて首だけは運び出すのだぞ。くれぐれも千葉道場の名を汚さぬようにしなくてはならない。微塵の疑いも千葉道場にかけられてはならぬ。兄上には迷惑をかけてはならぬ」
「はい。さな子姐さん、わかっています。ただわたしは姐さんに死んでほしくはありません」
「言うな。わたしは相打ちでも、斬る」
相打ちでも一太刀入れられれば本望だ。一太刀も入れられぬまま一刀両断、返り討ちにあう可能性の方が高い。一太刀だ。最初の一太刀が全てだ。それをかわされたら、再び間合いに入ることは至難の業であろう。
許せなかった。私という妻がありながら、お龍とやらと結婚だと?どのツラ下げて再び千葉道場に舞い戻ったのか?詫びるでも開き直るでもなく、全く言葉も交わさぬとは。
あの日から三年が経とうとしていた。佐那は龍馬を斬るために、三年間、剣術修行に没頭した。真剣での勝負を想定し竹刀ではなく木刀での稽古を望んだ。しかし門下生たちはそんな佐那に狂気を感じ、やがて誰も稽古の相手をしなくなった。そんな中、唯一、相手になってくれたのが束であった。佐那は、どんな体勢からでも、右手でも左手でも抜刀でき瞬時に一刀両断することを極めた。
ある日、束がなぜ、そのような稽古をするのか?さな子姐さんは戦にでも行くつもりなのか?戦にしたって今は銃もあるから、一体何のための稽古かわかりません、と訊いてきた。悩んだ挙句に、佐那は束にだけは真意を伝えた。そして来るべきに日には共に来るように頼んだ。
その来るべき日が今日である。わざわざ京都まで出向いたのは、出来るだけ千葉道場に嫌疑をかけられるのを避けるため。まさか江戸の道場の者が京で龍馬を斬るとは誰も思うまい。
醤油商・近江屋の前に立つ。
「束よ、いざ、参るぞ」
黙って束は頷いた。
「ごめん。誰かおらぬか。ごめん」
しばらくすると戸をひく音が聞こえ、隙間から小僧が半分顔を出した。
「事情はわかっているつもりだ。千葉佐那が会いに来たと客人に伝えてくれ」
小僧は一瞬、驚いた顔をしたが、ここで言い合いになるのも良くないと思ったのか、あえて名前を出さず客人といったことで、こちらが察していると承知したのか、何も言わず引っ込んだ。どうやら龍馬に聞いてみるつもりだろう。
数分の後、すうっと戸が開き、
「お二階へ」とだけ言い、二人を招き入れた。
まず佐那が、次いで束が階段を上がり二階の部屋に通された。そこには龍馬ともう一人の男がいた。束に目配せをし、こいつを頼むと伝える。龍馬は床に座り頭から布団をかぶり、寒いのう、などと独り言を言って火鉢に手をかざしている。
「おぉ、さな子、久しいのう。こんなところにどうした?」
「江戸では全く口も聞いてはくれなかったのに、ここでは良く喋るのですね」
「まあ、黙って座ってる訳にもいかんだろ。なんか用があって来たんだろ?」
「そうですね。お話しする時はお布団はお脱ぎになって下さいな」
佐那は龍馬の前に座りながら、左に帯刀した刀を鞘ごと外し、右側に置いた。敵意はないという標である。が、むろん、佐那は右でも左でも抜刀できる。束は後ろに控えそのまま立っている。
「龍馬殿、私が何をしに来たかわかりますか?」
「うん?なんか気まずいのう。そりゃ悪いと思ってる」
「わたしを裏切ったと言う自覚はあるのですね」
「裏切ったというか、ま、おまんの気持ちには応えられんかったっちゅことじゃ」
応えられないだと!?やはり、此奴は、自分が婚約を反故にし裏切ったという意識はないのだ。
改めて沸々と怒りが湧いて来た。
「龍馬殿」
後ろに控える束と呼吸を合わせる。佐那が龍馬に斬りかかると同時に束は後ろの男を制圧するのだ。長居は無用だ。
「今から」
束の袖が動く音が聞こえる。まだ刀に触る音は聞こえない。束も寸前まで刀を抜くそぶりを見せず抜刀する動きを身につけて来た。左手を鞘に添えずに右の逆手で抜刀し一気に下から上へと後ろの男を切り裂くのだ。
「わたしは」
龍馬の女癖の悪さが招いた修羅場をニヤニヤしながら見物していた後ろの男の顔色が変わり目を見張る。龍馬は顔見知りの佐那が相手なのでまだ油断しきっている。
「お前を」
佐那は右手で床に置いた鞘を掴んだ。
「斬る!」
左手で抜刀するや否やそのまま真一文字に龍馬の額を斬った。鮮血が飛び散る。
同時に、返り血を浴びながら、後ろから飛び出した束は、後ろの男の右脇腹から左肩にかけて斬りつけた。襖の外にいた小僧が飛び込んできたので、振り向きざまにそれも一刀両断した。
勝負はあった。佐那としてはこれで満足である。龍馬を斬れば絶命しようと命拾いしようと、もはやどちらでも良い。
「束、去るぞ!」
と佐那は部屋を後にした。
第七章 完全犯罪?
「みたいな。どうかな?」
と僕。
「的なパターンの感じな。あり得る」
と二階堂くんが応じる。
「千葉佐那、かっこいいわぁ。なんかスカッとしたわ!」
と歩美ちゃん。
「歴史的な英雄だって人間だもの。色々あるよね」
「だろうな。歴史の表舞台に出てくるぐらいバイタリティーある人間だもの。色恋沙汰がない方がおかしい」
と二階堂も満足してくれたご様子。
「龍馬ってさ、歴史的には偉大だけど、人格的にはダメなヤツなのかもね。女の子を裏切っちゃダメよねー」
と女の子視点で辛辣なコメントの歩美ちゃん。
どんな偉大な歴史上の英雄でも歴史的に成したこととは全く別の理由で恨みを買うことはないとは言えない。
「そうだね。残った仲間たちはさ、流石にこれは倒幕の士気に関わるってんで、幕府側による暗殺説をでっち上げた、とか?」
と僕は仮説にさらに仮説を重ねる。砂上の楼閣だな。もはやファンタジーに近いな、これは。
「だな。だとしたらそれは功を奏してる。今もって龍馬の威厳は保たれてるな。そのミステリーが魅力の一つにもなっている」
「だから千葉佐那もお咎めなしってことだね。佐那に斬られたことを公にはできないからね。中岡も龍馬が昔袖にした女に斬られた、とは言えないよね。佐那としては、独身を貫いたのがせめてもの罪滅ぼしかもね」
「四宮よ、これはひょっとすると完全犯罪ってやつか?」
と二階堂くんは根拠のない仮説に対し意味のない問いかけをしてくる。
「う〜ん。そうなのかなぁ。証拠とかアリバイとかの点では完全犯罪ではなかったのかも。でも、結果的に相手方からの追及を逃れることにはなってるね。今で言えば後ろめたいから警察沙汰にはしたくない、って感じかなぁ」
ととりあえず真摯に答える。
「無駄に真実に迫ろうとする、推理小説なんかにありがちな探偵もいないしな。あ、ある意味、俺らがそれか」
「やれやれ、二階堂くんはおめでたいね。この妄想が真実である可能性なんて、ゼロではない、と言うレベルだよ」
「ゼロではないんだろ?」
「ゼロではないって言うのは、ほぼゼロって意味だよ。完全にゼロとは断言できないだけで」
「ふ〜ん、四宮くんの日本語は難しいね」
歩美ちゃんに突っ込まれると何故かショックだ。
第八章 二度目の暗殺
佐那と束が階段を降りた時、いきなり店の戸が開き、数人の男達がなだれ込んできた。五人、いや六人か。既に抜刀しており臨戦態勢である。
「なんだ、貴様ら!」
お前らこそなんだ!と佐那は混乱したが、構ってはいられない。佐那は束に、かわして逃げるぞ、と小声で伝える。
「問答無用だ。女、子供でも構わん!この二人を斬れ!二階に急げ!」
混乱の中、一人が佐那に斬りかかってきた。佐那は太刀筋をかわし、相手と躯を入れ替え、店の出口側へ立つ。その間に数人が二階へと駆け上がる。一刻も早くこの場を去りたいが、背を向けると斬られる。
やむなく男と正対すると、再び斬りかかってきた。佐那は右足を踏み込み、左膝を床につき太刀筋を交わす。相手の間合いから佐那の間合いに入り抜刀する。居合切りの要領で左下から上に刀を一閃。刹那、刀を持ったままの男の腕が飛び、鈍い音をたて床に落ちる。腕を斬られた男が叫び声を上げる。
直後、近江屋の二階で銃声が響いた。龍馬に向けた発砲か、龍馬が発砲したのかはわからない。だが佐那には構っている余裕はない。混乱に乗じ、文字通り逃げるように近江屋を後にした。
白々と空が明るくなってきた。山中の誰もいない祠に佐那は身を隠した。落ち着いて状況を整理し、考えてみる。
誰であったかはわからないが、どうやら龍馬暗殺を企てる一味と鉢合わせをしたらしい。一足先で良かった。流石に彼らに襲われた後の龍馬では、たとえ生きていたとしても、それに追い打ちをかけるような真似は佐那にはできなかったであろう。それでは無念は晴らすことはできない。
「佐那姐さん、少し休みますか?」
「そうだな」
佐那には確信があった。その場から逃げさえできれば、痕跡は残したとしても追手は来ないだろうと。脱藩しているとは言え、武士が昔、袖にした女に斬られたのだ。龍馬を担ぎ上げている取り巻きも流石にそれは闇に伏したいに違いない。恐らくは、鉢合わせた一味に龍馬は暗殺された、と言う筋書きになることだろう。佐那が斬った男の腕も仲間によりきれいに持ち去られたに違いない。奴らは痕跡を残したくはない筈だ。
倒幕を目論む奴らはきっと龍馬の死を良いように利用するだろう。幕府側の誰かが黒幕となって龍馬を暗殺した、決して許すまじ、必ず討幕すべし、と倒幕のための団結を促すに違いない。
佐那は心の中で呟いた。だとしたら、わたしは龍馬の意志を、想いを、実現するのに一役買っていることになるな。なんたる皮肉な。
「ふっ」
「佐那姐さん、何かおかしなことでも?」
「いや、なんでもない。少し寝る」
利用するならばそれでも良い。そうであるなら、せめて維新とやらが頓挫せぬよう、静かに見守っていこう。わたしはこの罪を一生背負っていく。それが龍馬に対するせめてもの罪滅ぼしだ。
エピローグ
「今一度日本を洗濯致し候」
と僕はつぶやく。
「なんだ、それ?」
「龍馬が明治維新の際に言った言葉だよ」
「ふふっ。その前に、今一度自分を洗濯致し候、だな」
「うまいこと言うね!!二階堂くん!」
と洒落に興じている高校生たちの横で、歩美ちゃんは宿題完了の満足感に満ち、ぐっすりとお昼寝中であった。
(終わり)