ライチを食せば世界が傾く
みなさんはライチを食べたことがあるだろうか。
ライチ、それは中国南部の嶺南地方を原産とするムクロジ科の果樹である。
漢字では『茘枝』と書き、日本語ではそのまま『れいし』と読む。
一方で、そもそもの広東語の呼び名である『ライチ』がそのまま学名や英語名のベースになっているのは、その語感があの果物にぴったりだからではないかと私は思う。
世界三大美女の一人である楊貴妃が愛した果物、ライチ――そう言われるとどことなく高貴な香りがするのは気のせいだろうか。
しかし、私が初めてライチを食べた時、正直そこまでの感動はなかった。
私が通っていた小学校は栄養士さんがチャレンジングで、給食としては珍しいメニューも時折出してくれていた。
それこそ、タピオカを初めて食べたのも給食であった。
近年流行したタピオカよりも随分と小粒なそれを、当時の我々は物珍しく思いながらもおいしく頂いたものである。
確かあれは小学校中学年の頃だったと思う。
或る日の給食に、それは突如として現れた。
ビニール袋の中に茶色い塊が三粒程入り、当然のような顔でアルミトレイの上に居座っている。
――何だ、これは。
見慣れないその物体に我々は戸惑いを覚えた。
いただきますを済ませたのち着々と給食を食べ進めながらも、誰がその謎のデザートと思しきものに最初に行き着くのか、島に分かれた六人班の中で互いに牽制し合う。
しかして、我々の班で一番乗りとなったのは、普段から食べるスピードが速い男子であった。
彼はビニール袋から取り出したそれの皮を剥き始める。
「固ぇな」と文句を言いながらも直に姿を現したのは、うっすらと透き通った白紫色の果実であった。
物珍しいその果物を、彼は我々の監視の下口に入れる。
「……なんか、ちょっと甘い?」
彼は首を傾げながら言った。
そして大きな種を口から取り出し、「種でかいから危ないかも」と注意喚起までしてくれる。
毒見役として十分な働きをした彼に深く感謝しつつ、我々もあとに続いた。
口に入れてみると、ぷるりとして見えた実の味は確かにほんのり甘い。
――ただ、それだけだ。
あっという間に味は消失し、残るのは枇杷のように固く存在感のある種ばかりである。
前述した通り、私の小学校の給食はチャレンジメニューが時折登場するのだが、その度に栄養士さんが解説記事をメニュー表に掲載してくれていた。
そこに書かれていたのは、ライチはビタミンCが豊富で美肌効果があり、それこそ傾国の美女楊貴妃が愛した果実であるということだった。
「ふーん、昔のお姫様にとってはごちそうだったんだね」
当時のライチに対する私のファーストインプレッションはこんなものだ。
しかし、そんな私のライチ評はそれから二十年後に大きく覆ることとなる。
***
それは私が社会人になって暫く経った或る日のこと。
私は出張で中国の広州を訪れていた。
たまたまその日は業務の一環で従業員イベントの下見に行くことが決まっており、私は中国人スタッフ(仮名で『黄さん』とする)と共にライチ畑に向かっていた。
――そう、その従業員イベントとは、『ライチ狩り』である。
ライチは長期保存に向いておらず、日本国内で食べられるライチはほとんどが海外産の冷凍品である。
しかし、私が滞在していた中国の広州は正にライチの原産地で、毎年六月から七月は市場に大量の生ライチが出回るのだ。
「広州の生ライチは本当においしいですよ!」
車の中でそう熱弁する黄さんを前に、私は「楽しみです」と愛想笑いを浮かべた。
そう、私にとってはあくまで小学校の給食で出てきた珍しい果物以上の思い入れはない。
それが生だからといって、味が劇的に変わるものでもあるまいとそう考えていた。
すると、黄さんがいきなり真面目な表情になって私を見る。
「ただ、未来屋サン、おいしいからといってライチを食べ過ぎてはいけません。食べ過ぎたら『ライチ病』になってしまいますから」
「……ラ、ライチ病?」
黄さんの話によると、ライチに多く含まれているカリウムには体内で浸透圧の調節をする働きがあるらしい。
しかし、摂取し過ぎてしまうと血圧が一気に下がり、体調を崩したり気絶するなどの低血糖症状が出てしまうのだという。
「ちなみにどのくらい食べたらライチ病になるんですか?」
「そうですね、十粒くらいでやめておいた方がいいです」
黄さんの言葉に私は内心胸を撫で下ろした。
大丈夫、あの果物を十粒以上食べようとは決して思わないだろう。
そう高を括った私は「食べ過ぎないよう気を付けますね」と笑顔で答えた。
それから車でどれ程走っただろう。
到着したのは人気のない農村であった。
黄さんに連れられて車を降りた私は、畑の隅で農家のおじいさんからライチ狩りの説明を受ける。
黄さんが通訳してくれた内容を要約すると、小さい実は取らずに大きく育ったものを選ぶこと、食べたあとの皮や種はその辺に適当に捨てて良いこと、食べ過ぎると体調を崩すので気を付けることの三点であった。
事前に車中でライチ病について聞いていた私は素直に頷く。
――しかし、その次におじいさんが取った行動は、私の想定外であった。
説明を終えたおじいさんは、近くに備え付けられた野趣溢れる流し台の下から謎の瓶を取り出す。
そして、手元のミネラルウォーターに瓶の中の白い粉を入れて蓋を閉めたのち、全力でシェイクした挙句それを私へと差し出した。
――え、何?
困惑する私に、黄さんが耳元で囁く。
「未来屋サン、塩水です。ライチ病防止になるので飲んでください」
――マジで?
私は広州滞在中、勧められたものは何でも断らずに食べてきた。
広州は『食在広州(食は広州に在り)』のことわざで知られるほど食に貪欲な街で、四つ足のものは机以外食べると言われている。
その言葉の通り、私は四つ足どころかその二倍以上足を持つものから逆に足がないものまで幅広くおいしく頂いてきた(苦手な方がいるかも知れないので具体的なメニューは割愛する)
しかし、この時ばかりは私も少し躊躇した。
このミネラルウォーターはいつから開いていたのか、塩の瓶はどれだけの間流し台の下に眠っていたのか、そして瓶はきちんと密封されていたのか――せめてもの救いは水が流し台の生水ではないという点であるが、それでもこの塩水を飲むにはなかなかの勇気がいる。
そもそも塩水がライチ病に効くというのはどういった理屈だろう。
もしかするとライチ効果を見越して、事前に塩水パワーで浸透圧を上げてしまおうという魂胆だろうか。
さすが大陸、なかなかダイナミックな策である。
私が笑顔の下で逡巡している間にも、目の前のおじいさんはペットボトルを差し出したまま引き下がる気配がない。
隣を見れば黄さんが「さぁ飲め」と目で促してくる。
――結果的に両者の無言のプレッシャーに負けた私は、覚悟を決めて塩水をがぶ飲みする羽目になった。
常温の塩水とは想像以上に飲みにくいものであるということを、私はこの日初めて知った。
そんな試練を乗り越え、私は遂に生ライチとの対面を迎える。
ライチは木に大量に実を付けており、手を伸ばせば難なく摘み取ることができた。
手に取ってみると、記憶の中のそれよりも華やかで燃えるような赤い色をしている。
あれはやはり冷凍品だったんだな――予想よりも柔らかく剥きやすい皮を取り除き、私は白く透き通った身を一口齧った。
歯を突き立てた瞬間、その実のぷるんとした感触に「あれ」と思う。
小学生の頃食べたあのライチは見た目こそ瑞々しかったが、その実噛み応えなくあっさりとしたものだった。やはり冷凍と生では違いがあるようだ。
想像以上に強く歯を押し返す弾力に負けじと噛み進めると、ぷつりとした食感ののち甘い蜜がじゅわりと沁み出してきた。
――何だこれは。
一口だけでは物足りず、残ったそれを口の中に放り込み、大きく固い種から歯で実をこそげ落としながら全力で味わう。
噛み締める毎にじゅわじゅわと新鮮で濃厚な蜜が溢れ出た。
残った種を口から取り出して捨てると、私は次のライチを木からもぐ。
まるで決められた作業のように黙々と食べ進みながら、私は感動していた。
――ライチって、こんなにおいしいのか。
そもそも赤い皮に包まれた見た目が愛らしい。
あの冷凍ライチの沈んだ茶色とは雲泥の差だ。
食感や味は言わずもがな特筆すべきは実のジューシーさで、確かにこれは楊貴妃をも虜にする傾国の果実――いや、世界を傾ける食べものと言っても過言ではないかも知れない。
「未来屋サン、いかがですか?」
振り返ると、黄さんが悠然とした笑みを浮かべてこちらを眺めている。
口を開くのも勿体ない思いでライチを咀嚼しながら無言で何度も頷くと、気持ちが伝わったのか彼女はとても嬉しそうな顔をした。
確かに前評判の通りだ。広州の生ライチ恐るべしである。
そんな経験を踏まえてライチ好きとなった私は、今ではライチ製品を見掛けるとついつい手に取ってしまうようになった。
中でも私のお気に入りは、キリンビバレッジから発売されている清涼飲料水『ソルティライチ』である。
暑い夏の日、ほのかに甘みのある塩で味付けされたソルティライチは、安定したおいしさで爽やかに私たちの喉を潤してくれる。
そんなソルティライチを飲む度に私が思い出すのは、あの日の瑞々しい生ライチと必死で飲んだ塩水の味だ。
或る意味あれもソルティライチだった――洗練されたその味を楽しみながら、今日も私は世界が傾いた日のことを懐かしく思うのである。
(了)