誰かから呼ばれたその忌み名
私は常々運が無い。
顔は、母のツリ目と父のツリ眉を受け継いで、性格が悪そうな悪人面をしている。加えて、祖父からの隔世遺伝で身長が高い。同世代はだいたい見下ろしてきたわね。
この顔と身長のおかげで、友達はほとんど居ないわ。ついでに国は悪魔の侵攻で混乱している。本当に、運が無い。
しかし、貴族の役目を放り出すことはしない。民の血税でドレスを買っているのだから、どんなことも受け入れる。けれど、せめて祖母のタレ眉だけでも……いいえ、考えても無駄ね。もう慣れたわ。いえ、諦めた……が正解よ。だけど……
「アリア・デュラハン。貴殿は邪竜に選ばれた」
急に教会に呼び出された私に、教祖様は残酷な使命を告げられた。
「あの令嬢が邪竜に……!」
どこからか聞き付けた野次馬貴族が喚いている。王都の貴族は本当にゴシップ好きね。けれど、私も驚いている。
「絶対裏で闇の魔法を使っていたのよ、あの方、いつも学校で一人だもの」
どうやら同校もいるようね、けれどいつも一人なのは事実。否定はしないわ。それよりも、私には腑に落ちないことがある。
「確かに不気味な令嬢だけれど、まさか罪人だっただなんて」
「恐ろしや恐ろしや、即刻罪状を洗わねば」
貴族たちの言う通り、邪竜には罪を犯した者しか選ばれないといわれている。しかし、私は身が悪役のようでも、心だけは高潔でありたいと誰かが傷つかないよう細心の注意を払ってきたわ。なのに、なぜ……
「聖竜に選ばれし者と共に国を護るのだ」
神父は頭を垂れる私を見下ろす。けれど、とうに憤怒に慣れきったこの身体は、怒り、悲しみ、全てが混ざっても何も口から出なかった。
「わかり……ました」
私の努力は全て無駄だったのね。いいわ、また少し我慢することが増えただけだもの。今までと変わらないわ。戦場に出るのも変わらない。戦線の前か後ろかの違いよ。
「これより破壊と夜の魔法が邪竜より授けられる。祭壇へ入るのだ」
目の前には白と黒の祭壇がある。神父は私を黒の祭壇へ導く。黒い大理石でできたその祭壇には大きな入口が付いていた。奥は全く見えない。怖いわ。でも、私は行かなくてはならないのね。大丈夫よ、アリア。あなたはいつでも一人で恐怖と戦ってきたじゃない。だから
「大丈夫」
自分にそう言い聞かせて、私は暗闇に足を踏み入れた。
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「ここ、良い道ね」
歩き通してもう入口が見えなくなった頃、私は機嫌よく祭壇の中を歩いていた。外が明る過ぎて気づかなかったけど、星のような光が通路を照らしているのね。一歩踏み出す度に光が波紋みたいに広がって、足元もよく見える。
「綺麗……」
カツンカツンとヒールの音が響く星空を歩き続ける。どこか涼しげで、寂しげで、とても落ち着く。もしかしたら邪竜とは趣味が合うかもしれないわ。いえ、もしかしたら邪竜も……。歩きながら考え込んでいた私の頬を、涼しい風が柔らかく撫でた。
「ここは……!」
撫でられるまま顔を上げた先には、花畑と星空が一面に広がっていた。ぼんやりと光る青い花が地平線の彼方まで続き、空を覆う星空も果てが見えない。そして、なによりもその中心に佇む黒い影が私の目を引いた。
「よく来たね、アリア。ボクが呼んだ聖女」
黒い影は青い瞳を私に向けると、穏やかな低音で私の名前を呼んだ。
「あなたが、邪竜……」
「そう、ボクが邪竜。名はメテオールという。人間たちはもうボクの名前なんて忘れているだろうけどね」
寂しそうにメテオール様は目を細める。身体は漆黒の鱗に包まれていても、邪竜というにはメテオール様は穏やかだった。
「君から来てくれるのかい?」
私が竜へ歩みを進めると、青い目が見開かれる。
「あなたは、私をとって食べたりはしないでしょう。私を『聖女』と呼ぶ邪竜様」
確信なんてなかったけれど、そんな気がした。まぁ、正直食べられても良かった。この景色が最後に見たものなら悪くないわ。
そう思いながら私は彼の傍に歩み寄る。彼は少し身を引いたけれど、逃げはしなかった。ああ、近くで見ると鱗もキラキラしてるのね。
「メテオール様」
「メテオールでいいよ、敬語、それも無くていい。ボクは崇め奉られるとかあんまり好きじゃないから」
「そう……」
竜は身分の上下とか無いのかしら。無いかもしれないわ。竜だもの。
「ねぇ、メテオール。どうして私を聖女として呼んだの?」
「それは……」
素直に一番の疑問をぶつけると、メテオールの言葉が詰まる。
「率直に言うと、このままだと君が三年後に死ぬからだよ」
私は目を見開いた。でも、驚いても不思議と疑問は抱かなかった。私、死ぬのね。そう、そう……。
「面白い、未来予知ね。文献で見た事あるわ。私……どうやって死ぬのかしら」
「婚約破棄を言い渡されて精神崩壊してしまった末に、ゾンネ……聖竜の聖女を暗殺しようとして失敗して……」
メテオールの言葉尻が細くなった。要は処刑ということね。
私には婚約者がいる。それも皆が羨むオウジサマ。彼のことが好きだった時期もあるけど、すっかり心が涸れてしまって今ではなんとも思わない。でも、そうね、何も無い私の拠り所といえば彼しかいないわ。ほら、将来のパートナーなら、いずれ私を見てくれるかもしれないじゃない? それも幻想にすぎないと、今まさに言われてしまったけれど。
「ごめんね、誰にも理解されないまま、孤独に死んでいくキミに耐えられなくて、ボクは……」
メテオールは俯く。
「良いのよ。私のことを考えてくれてありがとう、メテオール」
そう言って鱗を撫でるとメテオールはルルルと喉を鳴らした。竜も猫のように喉を鳴らすのね。いい音。
「ずっとここに居たいわ」
思わず口から本音が漏れる。三年後に首を切り落とされて死ぬくらいなら、この夜空の下で眠るように死んでいきたい。ここは酷く安心する。
「……ダメだよ、ここは現実とは違う。きみはあるべき場所へ帰らなきゃ。ボクの魔法をあげるからきっと未来も違うよ」
メテオールは立ち上がった。真面目ね、でも、ちょうど良かった。これで「ここにいていい」なんて言われたら、国の存亡なんて放り出すわ。それで、その後に後悔するのは目に見えてるもの。
「そうね、帰らなくては」
私も腰を上げた。
「ボクの力は、全ての破壊と夜を呼ぶ力。破壊は使いやすいけど、夜はイマイチかも」
メテオールは指先で星座を描くと私に差し出した。これを受け取れば、邪竜の魔法が手に入る。でも、私とメテオールの関係はおそらく対等。なら、これは力を授かるギフトというよりプレゼントね。社交辞令として適当なものが送られてきたことはあるけど、友達から貰う唯一無二のプレゼントなんて初めてだわ。そう思うと何だかむず痒いわね。けれど、悪くない。
「メテオールの魔法、いただくわね」
私が輝く星座に触れると、キィンという音を鳴らして星が弾け、私の周りをクルクルと回った。身体中に染み渡る魔法はほのかに温かい。怖がる必要はなかった。
「そろそろ馴染んできたかな」
星が私の中に全て入り込むと、メテオールは顔をぐっと近づけてきた。
「あっ、ごめん!目が……」
「目?」
「うん、ちょっと魔法の影響がでちゃったみたい……。戦争が終われば魔法を抜いてもいいし、それまでの辛抱かな。ごめんよ……」
しょぼくれるメテオール。私より遥かに巨大で牙もびっしりなのに愛嬌が百点満点ね。やはり性格が表情に出てるのかしら。
「別にいいわ。毒色の目よりは幾分見栄えがするでしょう」
「ど、毒色!?綺麗なバイオレットだったよ!?」
「お世辞を言ってもお金しか出ないわよ」
「ボクはお金あっても意味ないよ!ボクは勝手に落ちてくる鱗を売るだけで、三百年は生きれるんだから!」
「世の中で汗水垂らして働いている方々に謝った方が良いわね」
「それは貴族も一緒でしょ!」
「あら、私、週に三日は桑を握っているのよ。あなたも桑を握ってみては?新しい扉が開けるわよ」
「素手で耕した方が早いよ」
「そういえば手先に十本の桑がついていたわね。鉤爪という桑が」
時間を忘れてしばらく冗談を言い合う。こんな不毛な言い合いなんてしたことあったかしら。ああ、どんなゴシップよりも、この幼稚な会話が一番楽しいわ。でも、そんな時間は長く続かない。
「……そろそろ帰った方がいい。親御さんが待ってる」
メテオールは渋々と切り出す。現実に引き戻されるようだけど、そこは仕方無いわよね。
「また来てもいいかしら?」
通路の淵に立つ私をメテオールは見下げる。見下げられるって何年ぶりかしら。
「うん、もちろん。待ってるよ、絶対に死なないでね」
メテオールの私を見下げる目は不思議と嫌ではない。やはりメテオールの愛嬌たっぷりの性格がでているんだわ。これが邪竜なんて、センスが無さすぎよ。
「ありがとう、またね。私のお友達、絶対帰ってくるから」
私はメテオールに背を向ける。彼の顔を見たらまた戻ってしまう気がしたの。だから振り返らず、私は元の世界へ戻って行った。
「無事、力を給われたようだな」
私の目を見た神父は、開口一番にそう言いのけた。もう野次馬は飽きて次の噂の源泉へ向かったらしい。教会にいたのは神父だけだった。
「そうですわね。今日は疲れました。帰ります」
私はそれだけ言って、馬車も呼ばずに徒歩で屋敷へ戻った。白い教会に、華やかな街並み。しかし、どれもあの夜空には勝らない。その後の夕食も休息もどこか寂しく思える。
「お休みなさいませ」
「ええ、お休み」
深夜になって侍女が部屋を出て行き、ふと思い出して鏡で覗いた。確か、大きく変わっているのよね。どんな色になっているのかしら、虹色とか?
そして、鏡に映る自分の目に思わず声が漏れる。
「ふふ、やはり素敵な魔法ね」
私の目には、あの夢のような夜空が映し出されていた。
「必ずあなたにもう一度逢いに行くわ。破滅のシナリオを、あなたの魔法で破壊して」
祭壇の奥で独り待つメテオールに向けて、私は決意を新たにした。